第9話 死を退ける者、その名は

 森の中の開けた場所に、薄緑の煌びやかな光が立ち昇る。


 それは見る者全てが、我を忘れ見惚れてしまうほど幻想的な光景だった。


 唐突に現れオーロラの様に揺らめき、そして現れた時と同じく唐突に消えてゆく。


「綺麗……」


 誰かが溜息交じりに呟く。


 その場にいた全員がその光景に見とれていた。


「あれは……龍脈の光ですね……」


 治癒術師のエマーシュが誰に言うとも無く言ったが、彼女の目は光のあった場所を名残惜しそうに見つめたままだった。


 僚たちは午後の実戦訓練を早めに終え、帰路に就く前に休憩を取っていた。


「龍脈……ですか?」


 僚がエマーシュの言葉を確認する様に聞いた。


「ご存知なのですか?」


 エマーシュは少し驚く。


「あ、いえ。俺たちの世界にも龍脈って考え方があるんです、えっと……」


「風水でいう気の流れ、の事ですよね」


 うろ覚えの知識であった為僚は言葉に詰まるが、恵梨香がそれをフォローする様に言った。

二人は口元を緩め頷き合う。


「……気、ですか……こちらの世界と、それ程大きな違いは無いのかもしれませんね」


 エマーシュが顎に手を添え、少し説明します、と話し始める。


「この世界満たす、マナの事は以前お話し致しましたね」


「魔力の元になっている物質……ですよね」


 直斗がかなり端折って答えたが、エマーシュは嫌な顔をせずに頷いた。


「マナは世界に数本しかない巨大な世界樹ユグドラシルによって生成されます。そしてマナの元となるのが、エーテルと呼ばれる物質です。エーテルは天の星々から絶え間なく降り注いでいて、目にも見えず感じる事も出来ませんが大地に吸収され世界樹へと流れて行きます」


 そこで一旦話を切り、エマーシュは直斗たちを見渡す。


「そのエーテルの流れが龍脈です」


「それではさっきの光は、その龍脈から漏れたもの、という事でしょうか?」


 恵梨香が頬の横で右手の人差し指を立てた。


「概ね正解ですね。龍脈に集められたエーテルが、空気中のマナに反応していると言われています」


「はっきりとは分かっていないんですか?」


 今度は僚が尋ねる。


「ええ、残念ながら。……ただ龍脈は時折地表近くに蛇行し、龍穴というポイントを作り出す事があります。皆様を召喚した部屋は、その真上にあり龍穴からあふれ出る力を利用しているのです」


 全員が納得したようにゆっくりと頷いた。


 そんな中、僚は一人首を捻る。


「……エーテルか……クォーク? 宇宙マイクロ波背景放射……いや、もしかしてダークマターの事か? じゃあマナはダークエネルギーの……」


「え、何? 明日見君知ってるの?」


 僚は頭の中で考えていたつもりだったが、無意識に声に出していたようだ。


 有希が僚の呟きに反応した。


「あ、いえ。ただ地球でもエーテルって物質があると考えられていた時代があるんです」


「……意外と、物知りなんだ」


 上目遣いににっこりと微笑む。


「えっ、そのっ、科学には興味があって……」


 僚は焦って顔を背ける。


「学校ではそんなの習わないよねぇ」


 ほのかが感心して腕を組み大げさに何度も頷く。


 と、その時だった。


 甲高い笛のような音が響き、直後、上空で大きな爆発音が聞こえた。


「今の音は!」


 エマーシュが音が聞こえた方向を見た。開けているといっても森の中である、空は僅かにしか確認できなかった。


「明らかに救難発信、街道の方向ですが……まさかっ」


 いつもは穏やかなエマーシュに明らかな狼狽が見て取れた。


「エマーシュさんっ、何かあるんですか」


 直斗がエマーシュの傍に駆け寄る。


「それが、本日パティーユ殿下が、公務にて森の街道をお通りになるご予定なのです」


「でも、護衛は付いているんでしょう」


 僚はエマーシュの向かいに立ち、不安な表情を浮かべた。


「ええ勿論、選りすぐりの近衛騎士が五名。……ですが、救難発信を撃ったとなると、不測の事態が起こった可能性が……」


「先に行きます!」


 最後まで聞かず、僚は音のした先に向け駆けだした。


「俺たちも行こう! 明日見に置いてかれるぞっ」


「うん!」


 直斗たちも後に続く。


 僚は枝や蔦を避けながら、全力で森を駆け抜けた。


 長距離は苦手だが、能力補正された今の体力なら5,6Kmは持つはずだ。


「パティ、無事でいてくれ!」


 僚はペース配分も忘れただ夢中で走った。





 状況は芳しく無かった。


 フォレストウルフやブルートベアであっても、十頭程度の群れなど脅威にすらならなかっただろう。


 それが王族を守る近衛騎士であった。


 だが今彼らを取り囲む相手はそれらだけでは無かった。


 ポリポッドマンティス。


 体長6m。


 歩行用の二対の後ろ脚と、攻撃用の三対の鎌状の前足。


 非常に硬い外骨格と三つの目を持つ昆虫型の魔物で、動きが早く三対六本の前足により広い攻撃範囲を誇る。


「何故この森にポリポッドマンティスがっ」


 騎士の一人が苦虫を嚙み潰したような顔つきで呻いた。


 魔物はその脅威度によってランク分けされている。


 上からSSS級(絶滅級)、SS級(大災厄級)、S級(災厄級)。


 ここまでは、国家規模以上の軍隊での対処が必要とされている。


 次にA級(大災害級)。


 これには少なくとも師団規模での対処を要する。


 B級(災害級)では大~中隊規模、C級(下位災害級)なら中~小隊。


 その下位にD、E、F、G級と続く。(ゴブリンやアルミラージはG級、フォレストウルフやブルートベアがF級)


 そして、このポリポッドマンティスはC級である。


 パティーユを守る騎士はたったの五人。


 本来ならば、最低でも三十人以上で対処する必要のある相手だ。


 いかに選りすぐりの近衛騎士とはいえ、軽装備の彼らには荷が勝ち過ぎた。


「何とか、殿下だけでも……」


 だが正面にポリポッドマンティス、そして周りを十数頭の魔物に取り囲まれた現状で、戦力を分散するのは得策では無い。しかも馬は完全に怯えてしまって馬車は使えない。


「救難発信に気付けば、日向様たちが来てくれるはずです……それまで全員で持ち堪えましょう」


 周りを囲んだ騎士達に向け、パティーユは励ましの声を掛ける。


「はっ」


 盾を装備した二人が、正面のポリポッドマンティスに向かい三歩程前に出る。


 残りの三人はパティーユを中心に、左右と後方に展開する。


「我が力に呼び起されし清浄なる飛泉よ、連なる者を護り万物を退ける壁となれ……キャスケードウォール!」


 呪文の詠唱を終えパティーユが叫んだ。


 ポリポッドマンティスの前に三層の水の壁が立ち昇る。


 水の上位魔法。D級以下の魔物であれば完全に防ぐ事ができるが、C級のポリポッドマンティスには足止め程度にしかならないだろう。


 だが、今はそれだけで十分だ。


 騎士達は、襲い掛かるブルートベアを次々と切り伏せてゆく。


 キャスケードウォールがポリポッドマンティスを足止めしている間に、できるだけ魔物の数を減らし、何とか逃走の為の突破口を開く。それができないまでも、日向達が来るまで持ち堪えれば、合流してポリ ポッドマンティスを倒す事も可能だろう。


 パティーユは更に魔力を籠める。


「……もう少し、耐えて……」


 だがその願いも空しく、立ち昇る水の壁を切り裂いて、ポリポッドマンティスの前脚が盾を構えた騎士の一人を吹き飛ばした。


 それからは、一方的な蹂躙だった。


 五人全員で掛かれば、もう少しは善戦できただろう。


 だが、それでは魔物の群れからパティーユを守る事ができない。


 それはつまり、ポリポッドマンティスが現れた時点で、この場にいる全員の命運は尽きていたという事だった。


 パティーユの目の前に一人の騎士が吹き飛ばされて来る。


 前脚の攻撃を受け流そうとした剣は半ばで折れ、腕はあらぬ方向に曲がっている。


 ごぽっ、という音とともに口から血を噴き出した様子から、折れた肋骨が肺に刺さってしまったのが分かった。


 それでも騎士は、折れた剣を握りしめている。


「今治療します!」


 パティーユは傷ついた騎士に駆け寄り、治癒魔法の呪文を詠唱する。


「生命の輝きよ、かの者の傷を癒したまえ……ヒールっ」


 淡い光が立ち昇り、傷を癒し始める。


 だが、一頭のブルートベアがその隙を見逃さなかった。


「殿下!」


 声のした方に顔を上げると、一人の騎士がこちらに走っていた。


 その顔は大きく目を見開き、焦った様子で何か叫んでいる。


 パティーユは後ろを振り向いた。


 鉤爪の並んだ太い前脚を振り上げ、覆いかぶさる様に迫るブルートベア。


 パティーユの目にそれはスローモーションの様に見えた。


 ゆっくりと迫る確実な死。


 実際は叫び声さえ上げる暇のない一瞬。


 パティーユは顔を背ける。


 激しい痛みだろうか。


 其れとも痛みさえ感じる事の無い死、だろうか。


 最後の一瞬、パティーユはそんな事を考える。


 刹那。


 一陣の疾風かぜ


 いや風さえ追い越し一つの影が木々の間から飛び出す。


 影はその猛烈な速度のまま、ブルートベアへと襲い掛かる。


 そして、横倒しになったブルートベアに深く剣を突き立てとどめを刺す。


 パティーユは顔を上げて、死をもたらすはずであった者を振り向く。


 剣を突き立てられ、横たわったブルートベア。


 その傍らには、まさにパティーユの死を振り払った影。


 パティーユの時間が元通りに動き始める。


 そして、その影は優しく問いかける。


「遅くなってごめん、大丈夫? ……パティ」


 その涼し気な笑顔はよく見知った顔。


「……ええ、きっと。来てくれると信じていましたよ」


 パティーユは感慨を籠めてその名を呼んだ。


「……僚」




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