第1発 地獄の入り口で断られる
人生の道の半ばにして、
正しき道から遠ざかり、
気がつくとお先真っ暗であった。
温厚で快活な中年の男は、
就職氷河期という氷山にぶつかり、
割れて砕けて裂けて散ったのであった。
地獄の門の入り口まで来た男は、
悪魔の姿を見て、思い出した。
そうだ、俺は死んだのだ。
俺もついに地獄に入る時が来たのか。俺は地獄の門番と思しき悪魔と対峙した。
悪魔「あなたには3年以上の職務経験はありますか」
男はうな垂れて、細い声で力なく答えた。
男「私には、職務経験は全くありません」
悪魔は、容赦がなかった。
悪魔「そうですか。他所でのご活躍を、お祈りいたしております」
悪魔は、男に、地獄の門をくぐる権利を与えず、追い返した。この門は、3年以上の職務経験がある者だけにしか開かれていないとのことだ。男は、いつものように、失礼いたしましたとだけ挨拶し、引き返した。
地獄の入り口には、「地獄は人を自由にする」という看板が掲げられていた。男は、死んでも自由になれない自らの不遇を嘆いた。
ああ、いっそのこと俺はここからもう一度死にたい、と。
そこに、この世のもの、いや、あの世のものとすら思えないほどの美しい天女が現れ、軽く会釈をし、こう告げた。
天女「お待ちしておりました。あなた様は、救済されます」
男は目を合わさなかった。というよりも、男には長らく世間の女性と目を合わす習慣も機会もなかったのだった。
天女「うふふ。ちゃんとこっちを見て」
天女は、男の顔に両手で触れた。
天女「申し遅れました。私はベアトリーチェと言います。実は、この世界自体とこの世界にある地獄は単なる悪夢なのです。あなた様の本当の姿は、一般人男性などではないのです。現実世界での本当のあなた様の姿は、畏れ多いことに、皇帝 兼 総大主教 なのです。」
男「あわわわ?!」
天女「あなた様の今までの悪夢世界での不運の連鎖。その不運の連鎖に対する反作用から生成された幸運はあまりにも膨大です。もはや、山よりも高く、海よりも深いのです。本当の現実世界はあなた様専用の幸運のエネルギーで充ちあふれています」
男「・・・・・・。」
天女「ですが、聞いてください。このままでは現実世界が幸運のエネルギーで滅んでしまいます。ぜひ幸運を、湯水のように贅沢にご堪能ください。あなた様の充たされた生活だけが、現実世界を救う唯一の方法なのです」
天女はそう言い終わると、可愛らしく微笑み、男を見つめながら、羽織っていた絹の衣をするすると脱ぎ、下着を緩め、そして瑞々しい全裸となった。そして、男の頬に軽く接吻した。
天女「さあ、皇帝陛下 兼 総大主教猊下、あなた様を真の世界へとご案内いたしましょう。今まで本当にお辛かったことでしょう」
天女は、うっすらと涙をたたえながら、微笑んだ。これまでの人生で誰もこの男に向けて見せてくれたことのない、深い慈しみの笑顔であり、そして、つらさを分かち合う心からの涙であった。
天女「本当の世界で、本当の人生の喜びというものを、ひとつひとつ手取り足取り、丁寧にお教えいたしますわ、陛下」
嘘のような展開であるが、男には、不思議と戸惑いの気持ちはなかった。なぜなら、男はこれまでの人生ですでに精神的に大きな深手をいくつも負っており、もはや判断力も落ち込んでおり、絶望だけが微かに精神を構成していたのであった。
天女「あら、陛下は脱がないのですか? ずるいです」
全裸の天女ベアトリーチェは、男のズボンのチャックを下すと、男の精神を露わにさせた。そして、それに最敬礼の接吻をした。
男にとって、それは今までで初めて男として扱われた瞬間であった。その嬉し涙であろうか、精神液がぽたぽたと漏れる。
天女「精神は無理に鍛えなくても良いからね? 毎日尊敬しあって生きていく人がいてくれるだけで、その人たちとの営みを重ねるだけで、自然と無理なく鍛えられるものです。一緒に頑張りましょう、陛下。ね?」
天女「それと、地獄の門前で語るのも何ですから、一緒に現実世界に旅立ちましょう? そこでゆっくりお話ししましょう」
天女はそう微笑むと、男を優しく抱きしめた。聖なる光が二人を包み込むと、二人は本当の世界へと転移していった。
(つづく)
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