第2話:考え

  彼は娼館を出ると、早速 《宮廷御用絵師》とはなんたるか、情報を集めることにした。父や姉に聞いた方が早かろうと思う者もあるだろうが、王宮に関係した仕事をする二人に話を聞くことをチェフィーロはよしとしなかった。

 とはいえ、変わり者のチェフィーロは友人が多くない。どうしたものかとフラフラ歩いていると、ふといつもひいきにしている小さな雑貨屋に来ていた。なるほど、無意識ではあったが、この店の主なら何か知っているに違いない。

 「ごめんくださいませ……」

 店の扉を開けると、カランカランとベルの音が来客を伝えた。店内には様々なインクや紙、筆やペンなどといった画材が所狭しと並んでいる。また、画材だけでなく子供向けの玩具や嗜好品などもあった。全て店主の趣味のものである。

 チェフィーロが画材の棚を見ていると、奥の方からガタガタと音が聞こえてきた。この店の奥には工房が併設されており、“彼 ”は主にそこにこもっていることが多いのだ。

 「はいはーい、っと。……って、なんだチェフィか」

 「なんだとはなんですか、ワール」

 「いや、こないだインク買ったばかりなのに珍しいな、と」

 そう言いながら、少しグレーがかった青い髪をかき上げる青年こそ、この店の主―アッスワール=ライード。チェフィーロの数少ない友人の一人だ。作業中だったためか、薄汚れたシャツとズボン、髪もボサボサで目の下にクマもあるが、これでいて頭の回転がとてつもなく速い頭脳派である。新緑の優しい瞳には知的な光が確かに宿っていた。 

 「ああ、その節は世話になりやした。まさかビボルス・インクを指定してくる客がいるとは思いもしなかったので……」

 「君はテパイル・インク派だものな。俺もビボルス・インクのあのクセのあるにおいは苦手だな…」

 人工着色料から作られたビボルス・インクはチェフィーロの愛用するテパイル・インクよりも発色は良い。が、同時にとてもきつい香りがするため、絵を描く人の中でも好みが分かれるインクだ。チェフィーロはあまり好ましく思っていないが、依頼とあれば話は別だ。

 「あの時は死ぬ思いでございましたなぁ……」

 ため息をつくチェフィーロを見て、だろうね、と苦笑するアッスワール。話が長くなりそうなのを予期してか、カウンターの椅子をチェフィーロに進め、自分はカウンターの上にどかりと腰を下ろした。

 「で?今日はインクではなさそうだな。どうした?」

 アッスワールは不思議そうな表情でチェフィーロを見る。本来チェフィーロは出不精者なので、用もなく店に寄ることはない。買い物に来たわけではなさそうなので、彼がそう感じるのも無理はなかった。

 「ああ、これは失礼……。ワールに聞きたいことがござんして」

 「なんだい?」

 「王宮からお触れの出た《宮廷御用絵師》の詳細、ワールは知っておりますか?」

 チェフィーロが首を傾げながら訊ねると、アッスワールは、ああ、と少し考えるそぶりを見せた。ややあってから彼はカウンターを下りると、一旦工房へと入っていく。そして戻って来た彼は一枚の紙をチェフィーロに差し出した。

 「まさか、本当に興味を持つとはね……。念のために取っておいてよかったよ」

 「ああ、さすがワール。わちきが興味を持つことを予見するなんて。素晴らしいです」

 チェフィーロは早速渡された紙に目を通した。どうやら選考の前に、仕事の内容や見学を行う技術者ミーティングが三日後に行われるらしい。これは嬉しい、もしも選考に通り、晴れて《宮廷御用絵師》になれたとしても、自分の思い描いた仕事が何一つできないのでは意味がない。このミーティングには絶対参加すると心に決めてチェフィーロは紙面から目を離した。すると、目の前でアッスワールが少し心配そうにチェフィーロを見つめている。

 「なぁ、本当に目指すのかい?」

 おずおずと彼が言う。煮え切らない言葉を不思議に思ったチェフィーロは首を傾げる。

 「何故です?」

 「いや、チェフィは地位とか権力とか、そういうの嫌いだろ?今までだって嫌な思いしてきたんじゃないのか?」

 アッスワールの言に、そういえば、とチェフィーロは思った。

 チェフィーロの家は名家である。父は騎士団長として公爵位を持つ者だ。親の七光りだのなんだのと、随分勝手なことを言う輩も多かった。チェフィーロが今母方の姓である《ネーベル》を名乗るのも、そういう輩を避けるためであった。

 「……まだ決めたわけじゃございません」

 チェフィーロはそう口にしたほんの一瞬だけ、憂いの光を目に宿した。アッスワールはそれを見て益々心配そうに目を細めた。

 「じゃあ《修復師》は?今回のお触れはそっちがメインだし……」

 何も《絵師》にこだわらなくても……、とアッスワールは続けようとしたその言葉をギリギリでのみ込んだ。チェフィーロが手にしていたあの細長い包みで床を勢いよくついたためである。まるで、その先を聞きたくない、と言うかのように。否、彼の心はそう叫んでいた。長い付き合いのある彼にはそれが手に取るようにわかった。

 「……悪かったよ、覚悟はあるんだな?」

 「ええ」

 発せられたチェフィーロの声はいつもと違う色を帯びていた。それを受けたアッスワールは深く息をつくと、再びカウンターの上に腰かけた。

 「わかったよ。君がその気なら、俺は支えるだけだ。その代わり、決めたんなら本気でやれよ?泣きわめいて『わちきには無理です』なんて言ったら、ただじゃおかないからな!」

 アッスワールがそう言うと、チェフィーロはようやく瞳から憂いの光を消して静かに嬉しそうに笑った。

 「まだ決めてないと言いやしたよ。……でも、もしそうなったとき、ワールの支えがあるなら百人力でございますなぁ…」

 「まぁ、君のことだからきっとなるだろうとは思うな。俺の見立てではね……」

 アッスワールが不敵に笑って見せると、チェフィーロは、おやおや、と意外そうな表情をこしらえて見せた。

 「ずいぶんと買って下さるのですねぇ……」

 チェフィーロの言に今度はアッスワールが意外そうな表情を作る。

 「当たり前じゃないか。俺は君の絵のファン一号なんだからさ」

 「ふふ、ではわちきはワールの発明品のファン一号でございますなあ」

 二人はお互いを見合うとクスクスと笑った。

 「君が友人で本当によかった、チェフィ」

 「わちきもそう思います、ワール」

 二人の楽しそうな笑い声が、その日は一日中店の中に満ちていた。チェフィーロの心はこの時、とても晴れやかであった。

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