虹色L!VEON!!~偶像刷新~
二階堂彩夏(§AーMY)
プロローグ
「おぉっ」
それまで大音量で繰り返し流れていた音楽が止むと、野太い声が空間にこだました。
しかし、それも一瞬のこと。
再び音楽が流れ始めると、肩すかしを食らったかのように、めいめいが準備のため、光る棒の点滅を繰り返したり、顔見知りであろう者たちと談笑する。
光が闇に散り注いでは消えてゆく。
その光景は、桶にためられた水のたゆたいを思わせるようであった。
今か今かと声を上げた者たちは、そわそわしながら幾度となくステージを見上げる。
何度目かのル―チンに入ろうかとしたところで、ふっと音楽が止まった。
「皆さん」
スピーカーから声が流れ、場内にざわめきが湧く。
それまでじっとこらえ、力をためていた人々が、その声に弾かれたように筋肉を弛緩させたという感じであった。
「本日はご来場していただき、まことにありがとうございます。開演に先立ちいくつか注意事項を申し上げたいと思います」
少し幼さの残る声が、たどたどしい調子で言葉を紡ぐ。
それがただの陰ナレであり、未だ始まらないことに気付いた一部の者たちが、再び談笑に興じ始めた。
「まず初めに、会場内は撮影および録音は禁止となっています。携帯電話並びに録音機器――」
影ナレの最中だというのに、一部の観客は千羽万羽のカラスが鳴きたてるがごとくかしましい。それらの者の周りにいた観客は、辟易として眉をハの字に曲げる。
「――また、周りの迷惑となる行為を行う方には、退場をお願いすることもありますので、ご了承ください」
「イェッタイガー!!!!!!!!!」
注意喚起をあざ笑うかのように、会場内に目立ちたがり屋の汚い声が響き渡った。
その声を契機として、観客席の一部分はさらに動物園状態へと陥った。
周囲においては、表情に不快感を貼り付けた者が徐々に増えていく。それが舞台裏にまで伝わっているからか、影ナレが急に中断された。
ライブを真に楽しみにしていた者たちが、突然の出来ごとに驚きと不安の入り雑じった表情をする。
対照的に、騒いでいた者達は自分たちのことばかりで、その異常事態に気付いていないのか、盲目的に盛り上がっていた。
「黙りなさい」
今まで影ナレをしていた声とは明らかに異なる、遠い鐘の音めいた声がひとこと告げた。
その一言で観客席は完全に静まり返った。
その様は、波立っていた水面が、ふいに凍結でもしたかのようであった。
「今どこぞの誰かが叫んだ言葉は、もともと頼りないアイドルを鼓舞するための言葉だったはずよ。私たちにそれはいらないわ。今のが応援の意味でなくて、ただの自己顕示欲の露呈であって、ただ暴れたいだけなら、今すぐ退場することをおすすめするわ。はっきり言って、ここはそういう場所ではないから」
本日の主役からの声に、騒いでいた者どもは借りてきた猫のようにおとなしくなった。
スピーカー越しにふぅ、と婀娜
あだ
っぽい吐息が漏れる。
「というわけで、少し厳しい言い方になってしまいましたが、本当に私たちを応援してくださるという方々は、節度をもって応援してください。別に声を出してはいけないというわけではありません。盛り上がるのは結構ですが、常識の範囲内での応援に留めてください。でなければ、問答無用で退場していただきます。では、まもなく開演いたしますので、もうしばらくお待ちください」
ぷつん、と放送が切れた後にはもう雑談をする者さえいなかった。ただただ、本日の主役達がその場に姿を現すのを待っていた。
「何やりきった顔をしているのかしら、まだ何も始まってはいないのだけれど」
たった今、注意喚起をした緋色の髪を背中に流した女性――漕代ひばりの声が耳に届いていないのか、当初影ナレをしていた、白髪を紫と赤のリボンで結った戸田
ましろの指先は、かすかに震えていた。
「そもそも、今の影ナレは何かしら? 原稿を棒読みしているような口調で、アクセントもめちゃくちゃ。挙句の果てに中断? なんの冗談かしら、酷いものだわ。……って、聞いてるのかしら?」
そう辛辣な言葉を吐いたひばりのマイクを握る手には、脂汗が滲んでいる。
ましろからの反応はない。
憑かれたように手元のマイクを見つめ、気持ちをその一点にのみ収斂しているようだった。
ましろの額に浮き出ていた汗が、頬を伝い、顎の先から床へと落ちる。
「ひばりちゃん、ましろちゃんをいじめちゃ駄目やで」
「いじめだなんて人聞きが悪いわね、陸香。私は事実を言ったまでよ」
「たしかに、ましろちゃんのナレーションはたどたどしいもんやったけど、初ライブなんやから仕方ないとウチは思うけどなぁ。それに、ひばりちゃんは緊張せぇへんの?」
内部から膨れ上がる緊張感を表現するかのように、お守りを握る手を震わせながら、琥珀色の髪をサイドテールに結った石切陸香が訊ねた。
「私が緊張? するわけないわ。この程度なら、Pieuvreで歌ってたときと大差ないもの」
ひばりはフン、と鼻で笑う。
「ウチよりも年下やのに、ひばりちゃんはすごいなぁ」
「年齢はそうだけれど、あなたと踏んできた場数が違うもの」
「控室でお守りを持ちながら、『私なら大丈夫』って、ぶつぶつと呟いてた方がよく言いますね」
彼女たちのプロデューサー兼マネージャーでもある片仮面を被った女性――明
星黄金がくすり、と笑いながら、さらりとひばりの秘密を暴露した。
「ちょっと、明星黄金、何で知って――」
「お守りって、ウチのところのん?」
ひばりと陸香が初ライブ前だとは思えないような他愛もないやり取りをしている間も、ましろはマイクから眼を離さない。
二人同様に緊張もあったにはあったが、ましろの場合は、はやる気持ちをおさえるためというほうが勝っていた。
夢への階についに足をかけたと思うと、身体の底から練り上げられる気の弾みをどうしても制することができなかったのだ。
「ひばりちゃん、いつん間にかウチのところのお守り授かってくれてたんやねぇ」
「別にあなたのところのだから授かったわけじゃないわ。たまたま、その日のラッキーアイテムがお守りだったけで、偶然が折り重なった結果よ。それ以上でも、以下でもないわ。そもそも、私、神様は信じない性質なのよ」
「ウチのところで主祭神として祀られている天児屋根命様が奏じた祝詞は、天照大神様も聞き惚れたくらいやから、きっとこのライブでもウチらに力を貸してくれると思うで」
「人の話を聞いてるのかしら? 神様なんて信じてないわ。信じられるのは自分自身だけよ」
「やから、このライブ終わったら、ぜひとも、またお参りしてくれたらうれしいわぁ」
「少しは人の話を聞きなさいよ!」
「お二方。仲がいいのはよろしいですが、場所を考えてくださいね。そろそろ始まりますよ」
黄金が二人の会話を遮るように声をかけた。
「いよいよやなぁ。倒れんように頑張るわぁ」
陸香が両脇の下で小さくガッツポーズをして、気合いを入れる。
「陸香、あなたが言うと本当になりそうだから、無理はしないようにしなさいよ」
ひばりがペットボトルの水を口に含みながら、ため息まじりにつぶやく。
それぞれがステージの準備をしている最中も、相も変わらず、ましろはじっとマイクを見つめていた。
ましろの額に再び玉の汗が浮かぶ。
大きく息をつき、呼吸をととのえた。
再び、顎先から地面に落ちようとしていた滴は、差し出されたタオルによって、遮られた。
「ましろさん、汗をかくのが早すぎませんか? 今からそうだと、陸香さんより先に倒れますよ」
ポン、と黄金に背中をたたかれ、ましろは現実にピントを合わせた。その目に百合の花をモチーフにした眼帯を嵌めた女性が映る。
彼女はにこり、とましろに微笑んだ。
「紫歩さん、ありがとうございます」
所属する事務所の代表でもある美旗紫歩からタオルを受け取って、ましろは汗をぬぐった。
『頑張って』
紫歩が、スケッチブックにそう記入してみせた。
「はい!」
元気のいい返事とともに、ましろは紫歩にタオルを返した。
「ましろ、ステージ上ではさっきみたいな見苦しいところは、見せないようにしなさいよね」
「ましろちゃん、楽しもなぁ」
そうして、ステージに向かおうとした三人の背に、声が投げ掛けられる。
「お三方、そのままステージにあがるつもりですか?」
「えっ、何かおかしいですか?」
「いえいえ、あなた方の大先輩達はライブ前には、必ず円陣を組んでおりましたので」
「そうなんですか?」
「はい、三人だった時から欠かさずやってましたよ。まぁ、あながたがそれをやるというのならば、あまり時間がありませんので、早く済ませていただかないといけませんが」
黄金に言われて、ましろは二人に視線を配った。
そして、右手の甲を上にして、腕を伸ばした。
「せっかくなんで、私たちもやりましょう!」
「ウチも賛成やわぁ」
陸香がましろの手の上に、そっと自身のそれを置いた。
「まだリーダーも決まっていない中で、あなたが勝手に仕切っていることだけは気に食わないけれど、彼女たちと同じことをするのは賛成よ」
ひばりは可愛いげのない返事をして、後ろ髪をなでると、手を前に出した。
三人の手が重なる。
個々では緊張からか震えていた手が、三人合わさると自然と止まっていた。
「それで、ここからどうすればいいんでしょうか?」
ましろがこてん、と首をかしげる。
「ふつうに考えたら、何か掛け声を掛けるんとちゃう?」
「だったら、掛け声はひばりさんにしてもらってもいいですか?」
「はいっ?」
突然、役目を振られたひばりはきょとんとした。
「私が?」
「ひばりさんもさっき言ってたみたいに、私たちのグループはまだリーダーが決まってません」
「そうね」
「でも、恥ずかしながら、この3人の中でリーダーが務まる人って言えば、ひばりさんぐらいしか実際いません」
「あなたはやりたくないのかしら?」
「やりたい、やりたくないじゃなくて、こういうのはふさわしい人がやるべきです。それに、私は影ナレで恥ずかしいところ見せちゃいましたから」
あはは、とましろが乾いた笑みを漏らす。ひばりは、ばつがわるい顔をした。
「ましろはいいとして、陸香は私がリーダーで問題ないのかしら?」
ひばりは、陸香に同意を求めるように声をかけた。
「ウチも問題ないよ。病弱なウチがリーダーなんて務まらんのは明白やし」
「けれど、一応、最年長はあなたよ」
「さっきも言うたけど、ひばりちゃんに比べるとウチは経験がかなり不足してるやん」
「それは否定しないけれど……だからって」
「ええねん、ええねん。グループって必ずしも最年長がリーダーやらなあかんていうルールなんてないやろ?」
「そうだけれど……」
「もう! 煮え切りませんね、ひばりさん! 赤って戦隊モノだとリーダーじゃないですか。そういう点からもやっぱりひばりさんがふさわしいと思うんですよね」
ましろが、ひばりの赤を基調とした絢爛なアイドル衣装を指して、駄目押しをした。
陸香とましろの二人がじっとひばりに視線を注ぐ。
彼女は犬猫が胴震いでもするかのように首を横に振ったあと、額にかかった髪を指でかきあげながら言った。
「そこまで言われたら、仕方無いわね」
ひばりはきっと顔を引き締める。
「なってあげるわ、リーダーに。ただ、……」
「ただ?」
「掛け声はましろ、あなたが決めなさい」
「えっ」
今度は、ましろがきょとんとする番であった。
「リーダーは仕方ないからやってあげるけれど、そもそも三人でアイドルをするきっかけを作ったのはましろなのだから、掛け声を決めるのはあなたの方がふさわしいわ」
「たしかに、ましろちゃんがおらんかったら、ウチもこうしてアイドルになってなかったやろうしなぁ。うん、ひばりちゃんの言うとおり、ウチもましろちゃんが決めるのに賛成やわぁ」
陸香が、水辺で休む動物のようなのんびりした口調で同意した。
「やっ、えっ、あ、あの……」
ましろは、何か言わなければならない、と考えたが、適当な言葉が見当たらず、口を横一文字に結んでいた。その姿を見て紫歩がクスリ、と笑みをこぼしたので、ましろは不思議に思い、目で問いかけた。
『昔の私たちを見てるみたい。懐かしい』
「そういえば、お姉ちゃん達はどういう掛け声をしていたんですか?」
ましろがためらいがちに言った。
『L!VEON!!!!!!』
達筆の字で紫歩により、スケッチブックにはそう書かれた。
紫歩が書いた文字に、三人は顔を見合わせた。
三人の頭の中に疑問符が飛び交う。
「紫歩さん、それだとおそらく、そこにいるお三方にはわからないと思いますよ」
会場に音楽を流していた者に、もう少しだけ伸ばすよう押しの指示を出しながら、黄金が言う。
「あのー、えっとですね、紫歩さんの補足をいたしますと、その!の数はメンバーの数なんですよ」
「ということは初期メンバーの時は!が3つだったってことですか?」
「そうです。と言っても!なんて声に出さないので、本人たちの意識の問題ですけどね。そして、意味が――」
『生き続ける』
黄金が言おうとする前に、紫歩がスケッチブックに力強くそう書く。
「まったく、紫歩さんは、いつも言葉足らずですよ。それだけだとわからないと思います」
黄金はそれを見て、溜息をついた。
「live onとlive on stageの二つが重なってて、アイドルはライブを行うステージ上で生き続けるって意味らしいですよ。考えた方の頭の中にはアイドル氷河期なんてどうやら存在してなかったようですね」
「らしい?」
「そうです。私も聞いただけですから。掛け声を考えたのは戸田輝赤さん。つまり、ましろさん、あなたのお姉様ですから」
「お姉ちゃんが……」
ましろがぽつりとこぼす。場を沈黙が支配した。やがて、ひばりが口を開いた。
「皮肉なものね。生き続けるって言った張本人たちが、終止符を打っただなんて」
「そうでもないと思いますよ。確かに生き続けています。なぜなら、ここにはあなた方がいるじゃありませんか。あなた方はアイドルですよね?」
黄金は挑戦的な笑みを三人に投げ掛けた。
「生き続ける」
ましろがもう一度大切そうにつぶやいて、目を閉じた。
あとの二人も無意識のうちにごくり、と唾を飲み込み、目を瞑った。
時間にして一、二秒程度経った後、三人がゆっくりと目を開ける。
「それでいいですかね?」
ましろが確かめるように言った。
「ウチはそれがいいと思うよ。ウチらはいわば彼女たちのニセモノやん」
「言ったでしょう、私はあなたに決定権を委ねるって」
ましろは一つうなずくと、大きく深呼吸をした。
「!m!Utate! L!VE―----------」
重ねられた手に、グッと力がこめられる。
「ON!!」
この世に向けての宣戦布告ともいうべき掛け声を張り上げ、三人の熱い想いは、空へと放たれた。
声を発した者も含め、そこにいるすべての人々の鼓膜をびりびりと震わせる。
三人の顔にはもう緊張の色は微塵も浮かんでいなかった。
音楽が止まり、会場のスクリーンに!m!Utate!の優雅な筆跡が浮かび上がった。
場内にざわめきが湧く。
ひしめきあいステージを見つめる観客の熱気は、舞台裏のましろたちにまで漏れてきていた。
「もう時間がありませんよ!」
急かす黄金に対し、弾かれたように、三人はステージに上がっていく。
「あいつらの意志は、生き続けてるみたいだな」
まるで、兵士を送り出すときの指揮官のような表情を浮かべた黄金の口から、紫歩にだけ聞こえるようにかすかに漏れたつぶやきに、彼女はこくん、とうなずいた。
黄金と紫歩が三人の背中を見つめていると、しだいに、一曲目のイントロが大音量で流れ始めた。
直後、凄まじい勢いで前途を切り拓く力声が響いた。
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