第8話 黒魔術の代償

 サーラが事件に巻き込まれる少し前、イザベラは知り合いのエミリーから不思議な話を聞きました。



「ねぇエミリー、噂で聞いたんだけど、おじさんに付きまとわれてたって本当?」


「あぁ……やっぱり誰かに見られてたんだ……アレ」


「たしかエミリーのお父さんよりも年上の人だったんでしょ? 災難だったね」


「うん、まぁあれは私も悪かったから……」


「どういうこと?」


「……実はね、この間とある人に惚れ薬を譲ってもらったの、だけど、本当に効果があるとは思わないじゃない? だから軽い気持ちで試してみたらあんなことになっちゃって……」



 エミリーはそう言うと、苦々しい表情を浮かべました。



「惚れ薬……なんて本当にあるの?」


「うーん……私も信じられないけど、話したこともないおじさんがいきなりプロポーズしてきたから、効果はあったんじゃないかな……?」


「ねぇ、その薬って誰から譲って貰ったの?」


「あー……ごめん、薬をくれた人から口止めされてて言えないんだ」


「そっか……」


「誰か好きな人でもいるの?」


「ううん、別にそういうわけじゃないんだけど……あったら将来便利かなって」


「でもやめておいたほうがいいよ、失敗したら面倒なことになるし」


「フフッ、そうだよね……」



 惚れ薬、そんな物がこの世に実在していたなんて……イザベラは平静を装いつつ、内心エミリーの話を聞いて動揺していました。なぜなら彼女はエミリーが片想いしている相手であるフィリップのことが好きだったからです。


 エミリーには失礼な話ですが、彼女は今までこの町で恋敵になる相手はサーラぐらいだと考えていました。しかしもしも惚れ薬が実在したのならば話は変わってきます。もしかしたら、自分以外の他の誰かがその薬を使ってフィリップの心を射止めてしまうかもしれません。

 何としてでも阻止しないと……イザベラは逸る気持ちを抑えつつ、まずは惚れ薬の提供者を特定しようと考えました。



「じゃあね」


「うん、さよなら」



 イザベラはエミリーと別れるフリをしつつ、こっそり彼女の後をつけます。なぜなら分かれる間際、これから用事があるので町の外へ出かける予定だとエミリーが話していたからです。

 おそらくエミリーは別の街へと向かい、そこで買い物をするつもりでしょう。運が良ければ惚れ薬の製作者に会えるかもしれません。


 エミリーに気付かれないように、こっそりイザベラが後を追うと、なぜかエミリーは街のある方角ではなく、西の森へと入っていきました。イザベラは一瞬躊躇しましたが、もしかしたらこの森の中に惚れ薬の製作者が住んでいるかもしれないと思い直し、エミリーの後を追いかけることにします。


 静かな森の中をしばらく歩いていると、ふいに一軒の古めかしい家が見えてきました。イザベラが様子を伺っていると、エミリーはその家の前に行き、ドアをノックします。すると家の中から一人の老婆が出てきて、二人はしばらく話し込み始めました。

 イザベラが息を潜めてその様子を伺っていると、なぜか突然老婆がエミリーの頭を掴み、呪文のようなものを唱え始めました。その後エミリーは老婆から何かを受け取ると、そのまま元来た道へと引き返していきます。イザベラは一連の行動を見て、あの老婆こそが惚れ薬の製作者に違いないと感じました。


 エミリーの姿が見えなくなったことを確認すると、イザベラはすぐに老婆が住む家へと向かい、トントン、と軽くドアをノックしました。すると家の中から不機嫌そうな顔をした老婆が現れこう言いました。



「なんだい、しつこいねぇ……ん? お前さん、誰だい?」



 老婆は相手が見知らぬ人間だったため、少し警戒している様子でした。イザベラは若干緊張しつつも、老婆に向かって自己紹介をします。



「初めまして、イザベラと言います」


「イザベラ? あんた、エミリーの知り合いか何かかい?」


「はい……あの、もしかしてエミリーに惚れ薬を譲ってあげた方ですか?」


「あの小娘、アタシのことを言いふらしたんだね。まったく、これだから子供は嫌いなんだ」


「いえ、私が勝手に後をついてきただけです。エミリーから直接聞いたわけでは……」


「フンッ、本当かねぇ……それよりあんた、今日はアタシに何の用だい? まさかあんたも惚れ薬を作って欲しいのかい?」


「あっ……その、実は……」



 イザベラは老婆に向かって事の経緯を手短に説明しました。すると老婆は意地悪そうな笑みを浮かべつつ、イザベラに対して一つの提案をしてきました。



「なるほど、あんたの考えはよくわかったよ。要はそのフィリップとかいう男をあの小娘に取られたくないんだね? ならアタシに一つ、良い考えがあるんだ。どうだい? 興味あるかい?」


「ええ、まぁ……」


「なあに、話は簡単さ。要はあんたの恋路を邪魔する存在を消してしまえばいい。そうすればあんたの望みは叶うよ」


「消すって……どうやって?」


「黒魔術だよ、あんたが儀式を行えば、人の心を操れるんだ。それこそ、代償さえ払えば相手を死に追いやることだってできる」


「……でも、自分のために人の死を望むなんて、私できない」


「まぁ、あんたみたいな小娘じゃ無理だろうね。手に入れたいものを自覚しておきながら、結局指を咥えて見てることしか出来ない、そんな根性無しにそこまで期待してないよ」


「酷い……! そこまで言う必要ありますか!?」


「事実は事実だろう? でもね、そんなあんたでも自分の手を汚さずに目的を達成できる方法が残されているんだよ」


「……?」


「さっきアタシが言っただろう? 黒魔術は人の心を操るものだって。要はあんたがエミリーの心を操っちまえばいいのさ」


「……どんな風に?」


「例えば……サーラのことを殺したくてたまらなくさせるとか、ね」


「……でも、そんなことをしたら私もその分大きな代償を払う必要がありませんか? それに、サーラに対する憎しみを強めても、エミリーが本当にサーラのことを殺すとは思えないし……」


「ヒッヒッヒッ、だからこそそういう時はここを使うのさ」



 そう言うと老婆は自分の頭を人差し指でコツコツと突きました。



「人を直接殺すことは心理的なハードルが高い、なら、間接的に殺すよう仕向ければいいのさ」


「間接的……?」


「呪いだよ、あんたはエミリーの心を操って、サーラを殺す呪いを掛けるよう仕向ければいい。そうすればあんたは大した代償を払うこともなく、サーラも、エミリーも殺すことができる……!」


「……? サーラはともかく、エミリーまで殺せるんですか? その方法で?」


「……まぁ、たしかにエミリーが死の呪いをかけたとしても、術者を絶命させるほどの代償までは求められないだろうね。寿命が削られるとしても、せいぜい二十年間ぐらいってところかねぇ」


「それじゃ結局フィリップと結ばれても、エミリーが邪魔してきそう……そうだ! 記憶を消してしまえばいいんじゃないでしょうか? エミリーが惚れ薬の記憶を失えば、薬を使って奪われる心配はしなくていいわけだし……」


「無理だよ、黒魔術はあくまで人の心を操るものなんだ、記憶まではいじれないね」


「じゃあ、いっそのことフィリップのことを嫌いになるように仕向ければ……」


「それも無理だね、黒魔術はそこまで万能じゃない。本人の価値観を真逆にするようなことはできないんだ。例えば死を望んでいない人間を自殺させることはできない。なぜなら心を操ろうにも、そもそも操るべき希死念慮自体が存在していないんだからね。惚れ薬で例えるなら、動物や無機物に恋をするよう仕向けることは難しいってわけさ。まぁ、その人間に獣姦の趣味があれば話は別だろうけどねぇ。ヒッヒッヒッ」


「……あの、それならエミリーの寿命を知る方法はありますか?」


「うん……? 寿命なんか知ってどうするんだい?」


「……もしもエミリーが短命で、残りの寿命が三十年間しかなかったとしたら……二十年間寿命を削ったとしても残り十年間しか生きられないわけですよね? それならもし仮にフィリップと付き合ったとしても、十年間我慢すれば合法的にフィリップと再婚できるチャンスがあるわけじゃないですか? 私、そのぐらいの期間なら待てます」


「……なるほど、一度確認してみるのも悪くないねぇ。それじゃさっそく、寿命が短いと分かった時のために、黒魔術の契約を行おうか」


「……」



 イザベラの浮かない顔を見て、魔女は怪訝そうな表情を浮かべました。



「なんだい、怖気づいたのかい? このチャンスを逃せば、二度とあんたの恋は叶わなくなるかもしれないよ?」


「そう……ですよね」


「大丈夫、あんたがやることはエミリーの憎しみを増やすことだけ。そこから先の行動はあの小娘次第さ。あんたが手を汚すわけじゃない」


「……」



 躊躇するイザベラの態度を見て、次第に老婆は苛立ちを見せ始めました。



「フンッ、人がこれだけ親切に相談に乗ってやったっていうのに、ここまできて躊躇するのかい。まぁ別にいいよ、アタシとしちゃあんたの恋路がどうなろうと知ったこっちゃないからね。契約を行うつもりがないなら帰りな」


「いや、そういうつもりじゃ……」


「じゃあどういうつもりなんだい? 答えは単純だよ。やるのか? やらないのか? どっちなんだい!」


「……やります」



 イザベラが老婆の気迫に押され承諾すると、老婆は初めから素直にそう言っておけばいいんだよとイザベラをなじりました。

 イザベラは心の整理がつかないまま決断を下してしまったことに内心後悔しつつも、老婆に命じられるまま契約を行います。


 イザベラが儀式を行ってから数日後、サーラが西の森で殺されたという報せを聞き、イザベラは罪悪感を抱きました。しかし、いくら謝罪の言葉を口にしようとも、もうサーラは蘇りません。

 イザベラは後ろめたい気持ちを抱えつつ、自分の未来にも思いを馳せました。おそらくこの後、エミリーは惚れ薬を使いフィリップと付き合うのでしょう。

 しかし老婆の話が正しければ、あと十年、いや、二十年掛かってしまうかもしれませんが、これでいつかはフィリップと付き合える未来がくるはず……イザベラはその希望だけを頼りに、胸に抱えた秘密と罪悪感の重みに耐えようと考えていました。





 サーラの事件からしばらく経ち、町にも平穏が戻って来た頃、今度はエミリーが若くして亡くなったという情報が町に飛び交いました。

 サーラに続き同年代の少女が亡くなったことで、人々の間では呪いでもかけられているのではないかという噂がまことしやかに流れます。


 イザベラはその噂を聞いて、あることを思いつきました。サーラとエミリーの共通点といえば、どちらも生前フィリップに好意を寄せられていたということです。この事実を利用して、フィリップに好意を寄せられた女性は呪い殺されるという噂を流せば、町中の女性が怖がり彼から距離を置くのではないかとイザベラは考えたのです。

 そしてフィリップが周囲から距離を置かれた頃合いを見計らって彼に近づけば……イザベラは、次から次へと浮かぶアイデアを頭の中で整理しながら、その日一日を過ごしました。


 エミリーが死んでから数週間後、傷心のフィリップを健気に支え続けたことがきっかけとなり、イザベラは彼と付き合うことになりました。もちろん惚れ薬は使っていません。

 一度は使うことも考えましたが、呪いの恐ろしさを間近で感じた分、イザベラにとっては利便性よりも恐怖のほうが上回ってしまったのです。

 また、イザベラは黒魔術だけではなく、近頃は共に儀式を行った老婆のことも怖く感じるようになりました。なぜなら彼女だけは、一連の事件の真相を知っているからです。そのため時々町の中で例の老婆を見かけると、イザベラはその度にいつか秘密をバラされてしまうのではないかと怯えるようになってしまいました。


 イザベラは儀式を行う前、代償とは一度支払えばそれで終わるものだと思い込んでいました。しかし実際は、代償を支払った後も秘密と罪悪感を抱え込み、その上いつかこの幸せが崩れてしまうのではないかという恐怖心と戦い続けなければいけない人生が待ち受けていたのです。イザベラは自分が使用してみて初めて、黒魔術がなぜ禁忌とされていたのか、その理由を思い知らされることになりました。


 願わくば、もう二度と誰も黒魔術に興味を持ちませんように……イザベラは心の中でそう願いながら、一人静かにエミリーの墓標に花を手向けます。ウェディングベルを聞くことも無く死んでいった少女の上で、紫色のカンパニュラは今日も小さく風に靡いています。

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