第8話

 先手必勝。勝負事において、守り手よりも攻め手の方が原則的に有利、という考え方だ。守り手は相手が動いてから対処しなければならないが、攻め手は攻撃のタイミングを自由に決められる。ヒヅルたち人工全能が経験で勝るヘリオスの鎮圧部隊を無力化し、星二やアルマを救い出せたのも、周到に準備し、攻め手に回ることで攻撃のタイミングを一斉に集中させたためである。

 人工全能がどんなに有能であっても、二十四時間警戒し続けるのは無理がある。また今回の高神ら指導委の行動は迅速で、意思決定から即座に作戦を実行してきたため、ヒヅルたちに対策をしている暇はなかった。

 守勢に回った人工全能たちはヘリオスの鎮圧部隊に容赦なく夜襲をかけられ、手も足も出せず、ただ逃げ惑うしかなかった。ヒヅル個人がその気になれば兵士を何人かまとめて殺すことくらいはできても、彼女は人工全能たちのリーダーとして、非力な仲間たちを守らなければならなかった。いくら遺伝子改造されているとはいえ、第二世代の人工全能はまだ成人前の経験の浅い新兵にすぎず、百戦錬磨のヘリオスの兵士たちと正面からやりあえば勝ち目は薄い。ましてやアルマたち第三世代はまだ十歳前後の子供、第四世代のヒデルに至っては赤子なのだ。

「あいつらは俺とヒヅルで食い止める。お前たちは逃げろ」旭が兵士から奪った短機関銃MP5で弾幕を張りながら叫んだ。

「月世。暁人あきひと――いえ、所長にお願いして、彼の財団に保護してもらうのです。彼は味方です」ヒヅルが兵士から奪った二挺のベレッタで旭を援護しながら言った。

 星二を救出する際、ヒヅルは所長である白金暁人を人質にとったが、実のところ暁人はヒヅルとグルで、事前に作戦に協力してもらうよう交渉を済ませていた。暁人も星二を人質にとる高神の強引なやり方に苛立ち、どうにかしたいと思っていたのだ。さらにこれはヒヅル本人は知らないのだが、暁人にとってヒヅルは、自身の細胞を使って自らの手で生み出した最初の個体ということもあり、特別な愛着があった。娘の頼みを聞いてやりたいという親心だったのかもしれない。

 どかあん。

 膠着を破ったのは、ヘリオスの兵士が放った、一発のロケット弾であった。

 間近で炸裂したそれは、炎と大量の金属片と瓦礫と化して、ヒヅルたちに襲いかかった。

「大丈夫か。ヒヅル」

 旭の声が、聞こえた。

 咄嗟とっさに伏せたはいいものの、至近距離だったため負傷は避けられない。そう考えていたヒヅルだったが、身体のどこにも痛みはなかった。それより、上にのしかかっていた百二十キログラムをゆうに超す旭の巨体が、重かった。

「早く逃げろ」

 小声でそう呟いた旭の身体は、がくがくと激しく震えていた。

「あさ――」

 よく見ると旭の背中は爆炎に焼かれてしまったのか、自慢の赤きタンクトップは見る影もなく、人工全能特有の白い肌が広範囲に渡ってどす黒く焦げてしまっていた。さらにその左脚は膝から下が消失し、もはや走って逃げることが不可能なのは明らかだった。

 ロケット弾が炸裂する直前に、旭がヒヅルの上に覆い被さり、その大きな身体で、彼女を守ったのだ。

「俺はもう走れねえ。お前は行け。皆を守れ」

「だめ。だめです。旭。あなたも、生きるのです」ヒヅルは旭の惨状を直視できす、震えたか細い声で懸命にかぶりを振って否定した。

 これが物語ならば、お涙頂戴のお別れシーンが終わり、旭が息を引き取るまで敵も空気を読んで待っているのだろうが、これはまごうことなき現実。案の定高神らは反撃が止んだと踏んで無慈悲にも一斉に弾幕を張りつつ前進してきた。

「終わりだ」

 高神のグロック17の照準がヒヅルに向けられた、その瞬間であった。

「うおお」

 旭がヒヅルをはねのけ、MP5を乱射しながら、消失した左脚の〈断面〉を地面に引きずって高神らに決死の特攻を、かけた。が――

 そんな彼の抵抗も虚しく、非情な現実が突きつけたのは、瞬時に全身に風穴を開けられた、旭の無残な死に様であった。

 あまりに一瞬だったため、ヒヅルが逃げる時間を稼ぐこともなく、また弾丸に脳漿を抉られてしまったため、最後の感動的な愛の台詞を叫ぶこともなく、事切れてしまったのだ。

「うわははは。こいつは傑作だ。旭のやつ、アクション小説のヒーローのつもりか。まったく。お涙頂戴。これじゃ私が悪役みたいじゃないか。でも残念、現実は非情なのだ。ふっはっはっは」武蔵坊弁慶の如く立ち往生した旭を高神が指差し、わらった。

「麗那」

 激昂したヒヅルは咆哮し、怨敵誅殺おんてきちゅうさつとばかりに銃を乱射したが、動きを完全に先読みされ、難なく銃弾を避けられてしまった。

 そして怒りに我を忘れていたせいか、背後から急接近してきた剣持の存在に、気づくのが遅れた。

 振りおろされるは山姥切国広やまんばぎりくにひろ三尺二寸五分の名刀、剣術に関してはヘリオス随一の腕前を誇る剣持の、渾身の一撃。

 ヒヅルは剣持の存在を認識すると同時に回避行動に移ったため、首を落とされることだけは免れたが――


 ぼとり。

 

 ヒヅルの右手が、地面に落下した。

「馬鹿が。あっさり挑発に乗りおって。私の教えを忘れたのか。戦場で冷静さを失ったやつは死ぬ。こんなものは基本中の基本だ。未熟者めが」ありったけの侮蔑をこめて高神がヒヅルを罵った。

 そんな彼女の言葉は届いていなかったのか、ヒヅルは茫然自失とした表情で、自身の分離した右腕を、見ていた。

 頭の中が、真っ白だった。

 今まで死を意識するほどの、本当の修羅場を経験したことが、ヒヅルにはなかった。彼女の仕事は常に完璧だったが、それがかえって仇となったのだ。

 そしてとどめ、と言わんばかりに高神の銃口が向けられ――

 ぱあん。

 乾いた音とともに、一発の弾丸が、ヒヅルの心臓に向けて、正確に、放たれた。

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