第4話

 アルマが〈脱走〉したという情報は瞬く間に研究所中に広がり、機密保持のためにも見つけ次第殺せとの司令が、研究所員はおろかヒヅルたち人工全能にも下された。かくまえば同罪となり、同じく〈処分〉の対象となる、とも。

 せっかくアルマを助け出したはいいものの、彼女をどこで生活させるか、ヒヅルは困っていた。いかに常人離れした知能の持ち主とはいえ、研究所内にはいたるところに監視カメラが仕掛けられており、星二や明子といったごく一部の例外を除けば味方はいないに等しい。以前アルマの処分をめぐって高神と対立していたため、ヒヅルは真っ先に容疑をかけられたが、証拠は何ひとつ残していなかったため、難を逃れた。

 アルマは研究所内のある場所にいるのだが、それは極秘情報のため読者諸兄にも教えるわけにはいかない。とにかく、アルマをずっとそのままにしておくわけにはいかず、誰にも見つからないように飯や水を与え続けなければならない。そこでヒヅルは調理当番が回ってきた際にアルマの分をこっそり保存しておき、皆の眼を盗んではアルマの元に持ちこんでいた。アルマは助けてもらった身であるためか文句ひとつ言わなかったが、ずっと一箇所に閉じこめられ続けてまともでいられるはずもない。まして彼女は完璧な人工全能ではない。高い知能を持つものの、肉体や精神は脆弱なのである。

 星二や明子に助けを請うこともヒヅルは考えたが、彼らは彼らで研究員同士の相互監視の眼が厳しく、しかも部屋には定期的に高神やヘリオス関係者の検査が入る。もしアルマを彼らに預けて発見されたら、アルマだけでなく星二や明子も死ぬことになるかもしれない。それだけは避けなければならなかった。

 ではアルマを外に逃がすか? でも研究所の外に助けを求められる人間はいない。ならば、いっそ自分とアルマのふたりで逃げ出すか。逃げ出したとして、今や全世界に支部を持つヘリオスからいつまで逃げ切れるか……。いくら明晰な頭脳を持っていても、ヒヅルは任務以外で外の世界に出たこともなければ、信頼できる友人や仲間を外部に持っているわけでもない。たったふたりで、しかもアルマを守りながら、未知の広大な世界を生きていける自信が、ヒヅルにはなかった。


「お前は潔白か。ヒヅル」

 ある日午前中の射撃訓練の時間、唐突に高神がいつもの柔和な口調とは打って変わって、高圧的な口調で、ヒヅルにそう訊ねた。

「何の話です」

「決まっているだろう。アルマが自力で脱走したとは考えにくい。手助けしたやつがいるのは明白だ。先日お前は私に、アルマを殺すな、と、食ってかかったな。いやいや。私としては、あれはお前の一時的な気の迷いで、本気でヘリオスに楯突くほど愚かではないと信じている。だがまあ、一応お前本人に確認しておこうと思ってな」

 言動とは裏腹に、高神の眼は限りなく黒に近い凶悪犯を尋問する刑事の如く鋭かった。

「当然でしょう。私がそんな無謀な人間に見えますか」

「アルマはお前の妹なんだろう? しかもお前は今や優秀なヘリオスの諜報員で、常に任務を成功させてきた。アルマを助け出す勝算もあっただろう」高神は唐突に低い声で尋問しはじめた。

「はて。何の話でしょうか」ヒヅルは微笑みながらしらを切った。


「朱井星二は、反逆容疑で拷問部屋にぶちこんだ」


 高神のそのひと言で、ヒヅルの顔が強張った。

「以後、ヒデルの育成は助手の神崎明子にやらせることとなった。このままアルマを連れ出した犯人が出頭しなければ、朱井には犯人として反逆罪が適用され、アルマ同様〈処分〉されることになるだろうな」

「星二がいったい何をしたというのですか」

 ヒヅルは突然激昂して語気を荒げ、高神の胸ぐらを掴み、威嚇いかくした。

 が、すぐさまヒヅルの首に、冷ややかな感触が伝わった。

「手を放せ。ヒヅル。命令だ」

 従わなければ、今すぐにでも高神のナイフがヒヅルの頚動脈を切断する。そう判断したヒヅルは、やむなく高神を解放した。

「星二は私の友人です。なぜ彼が拷問部屋など入らなければならないのです。説明してください」

「お前がそこまで友達想いだとは知らなかったよ。やつはアルマがいなくなる直前に管理室へ入室していてな。理由を問い詰めたら、何者かにカードキーを盗まれたと。眼が泳いでいたがな。最終的に朱井の〈処分〉は私に一任されている。拷問して口を割らせるのも、反逆罪で銃殺刑にするのも私次第ということだ。さて、もう一度確認しよう。お前は潔白なんだな、ヒヅル」

 自分の罪を認めれば、星二を解放してやる。

 ヒヅルには、高神がそう言っているように思えた。

 逆に言えば、罪を認めなければ星二の命の保証はない、とも。

 ヒヅルは、追いつめられていた。

 汗が頰を伝うのが、わかった。

「何を躊躇ためらっている。本当のことを話すべきか、迷っているのか?」高神が急に優しい口調で訊ねた。そしてヒヅルの肩に手を置き、こう付け加えた。「お前は将来有望な人間だ。ヒヅル。もしお前が犯人だったとして、罪を認めて自己批判し、アルマをおとなしく私の前に連れてくれば、今回だけは許してやろう。問題は解決され、星二も釈放される。世は事もなし。くれぐれも、アルマを連れてここから逃げ出そう、などとは考えないことだ。もう一度だけ言う」

 高神の言葉は、ヒヅルにとってもはや呪いだった。

「朱井の〈処分〉は、私に一任されている」

 彼女の言葉は脅しなんかではない。以前研究成果の利用を巡ってヘリオス相手に金をせびろうとした研究員の男がいて、その場で高神に銃殺されてしまった。元より世間から隔離された極秘の研究施設。ここではヘリオスこそが法律であり、高神はその執行人なのだ。

「わかりました。ならば、私が真犯人を見つけ出して、あなたの前に連れてきます。それで良いですか」

 ヒヅルの苦し紛れともいえる切り返しに、高神は意外そうに眼を見開き、笑った。

「ははは。そうか。真犯人を見つけてくれるか。頼もしいな。それでこそ最高の〈人工全能〉。で、いつまでに見つけてくれるんだ」

「一週間」

「そうか。三日で見つけてきてくれるか」ヒヅルの言葉を遮り、高神が大きな声で言った。「ついでにアルマのやつも見つけてきてくれ。同じく三日以内にな。期待しているぞ、我が優秀な教え子よ」

「私に、妹を差し出せと」

「できないのか? ならば、お前もアルマを匿った反逆者と見做す。そんなやつに真犯人の捜査を任せるわけにはいかんな。星二の釈放もなしだ」

「あなたという人は」

「当たり前だろう。〈敵〉に対して譲歩するやつがあるか、ばかたれ。私に頼みごとをするなら、まずはお前自身が〈我々〉の敵でないことを示せ」

 もはやヒヅルに選択肢は残されていなかった。

 いくらアルマを生かすためとはいえ、自分のせいで巻きこんでしまった星二を見殺しにしていい道理などあるはずがない。アルマと星二、どちらも救う手はひとつしかない。

「わかりました。三日ですね。私にお任せください。真犯人もアルマも、あなたの前に連れてまいります」

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