白ワンピースの女の子 4
その日の面接の帰り道、和成は変わらぬ渋谷の街を横切っていた。いつもと同じ道には、いつもと同じように人々の喧騒が空気を鳴らしている。
いや、いつもより足取りは重いな、と思った。
変わらぬ日常の中に居続けていることを再度認識して腹が立ったからかもしれない。目に映る物事がいつも同じに見えることが、自分の変化のなさを表しているように感じるのだ。
和成は、時々見かける白い少女の存在を忘れるほどに、不変な生活を送っている自分を惨めに思っていた。
そのせいか、今日受けた面接はいつも以上にうまくいかなかった。
受験理由を尋ねられて一人称を間違える(私というところを僕と言ってしまった上に噛んだ)。先方に合わせて準備していた自身の長所をアピールするエピソードを忘れる(噛んだことにテンパっているのに、物事の冷静な判断ができるとあたふたしながら説明した)。社長の名前を間違える(競合他社の社長名を言ったし、やはり噛んだ)。箸にも棒にも掛からぬ、大失態だった。
帰り際、「彼の言葉には信念を感じられない」と面接官が呟いた。それがトドメのように耳に残り、自分の不出来に愕然としたのだ。度重なるミスを余計に苦くする相手の態度と、何も言い返せない自分の態度に苛つきを募らせながら会社を出た。おまけに出口で階段を踏み外して踊場で派手にこけた。物理的にもやられてしまい、散々な結果となったのだ。
『心のこもってない言葉は届かないよー』
カフェでの別れ際に届いた、和佳奈の言葉がよみがえる。
今日の結果を聞いたら、盛大に笑うに違いない。腹を抱えて笑い倒すだろう。彼女の笑いのツボは不思議で何もないところでこけても、ぶつかられてこけても、同じように笑う。今回のこけ方は、おそらく過去最高のウケ具合になるだろうな。
和佳奈の捧腹絶倒ぶりを思い浮かべて気分が少し和んだ。が、その原因が自分の失費であることに気付き、複雑な気持ちになった。和佳奈に会うときにいじられる覚悟をひそかに決める。
気付けばすっかり日の落ちたスクランブル交差点に来ていた。立ち止まる人波の中に和成も混ざり、青信号を待つ。
この街は日が落ちても昼のように明るい。多くの街灯や電光掲示板が人であふれる通りを照らしている。夜の空は暗いがゆえに、視界に広がる明るさが際立って見えるのだ。煌々と照らす人工の光が、人の多い地面でも変わらず影を落とす。
暗がりの中、1人真面目に働く労働者がカンデラに照らされていた、映画のワンシーンをふと思い出した。自分の影も、周りのスーツの人々と同じように足元から伸びている。その想像だけで、働いて頑張っているのかもしれないと錯覚した。先ほどまでの心労に、仕事での疲れを重ねて少し面白くなる。これがワーカホリックという奴だろうか。
信号が変わり、黒い集団が進むのに合わせて歩き出す。ざっと足並み揃えて進む軍団はいつもと同じはずなのに、なぜか普段より黒色が濃く感じた。
今日は疲れているんだ。早く帰ろう。
前の黒い壁を抜けていこうとして、
「久しぶりですね、元気にしていましたか?」
と脳を揺らした声につんのめった。
一瞬、自分が呼びかけられたとは思えなかった。
だが、ざわざわとするいつもの無意味な音を黙らせるように響く澄んだ声に、足を止めないわけにはいかなかった。転ばなかっただけましだと思いながら振り返る。
スーツの一団が行き交う道の中心付近。黒く染まる交差点の真ん中。
白いワンピースをすらりと着こなし、5月にかぶるには早く感じる麦わら帽子を目深にかぶった少女が、そこに立っていた。
それが今朝までに何度も見かけた、白いワンピースの少女であると、一目で和成は近くした。これまでになく明瞭な幻影に驚きを隠せず、半身で振り返った腑抜けた姿勢のまましばらく固まっていた。
「和成さん?渡らないと、危ないですよ、早く行きましょう」
これは、本物か?目の前にいるのは、生きているものなのか?
己の目を疑う問いでいっぱいの頭に、涼やかな声が響く。
この世のものとは思えない声に意識が一瞬で塗り替えられ、和成は我に返った。その自覚をした時点で、これまで見てきたものが幻影ではなかったことを認めた。何より呼びかけた本人は目の前にいる。白いスカートから伸びる細身の足の先、黒いスニーカーが彼女を現実と結び付けているような気がした。
幽霊じゃない、よな?だって足、生えてるし・・・。
回らない頭で自覚と現実の答え合わせをしていると、和成の疑問などお構いなしにその手を取って歩き出した。急なことに、抵抗する構えにもならず、2人そろって横断歩道を渡り切る。手に感じる体温に、他人の手は温かいんだなと暢気な感想を覚えた。状況に似合わない感情と不可思議な現象に脳を支配されながら、彼女の導くままに駅に向かった。
滑るようにホームに向かい、滑り込んできた電車に2人で乗り込む。いつものように電車が進む。ようやく和成は自分の状況に違和感を覚えた。
連れられて乗ったために立つポジションがいつもと違う。列車のど真ん中、左右に少しだけ余裕のあるスペース。目の前には会ったばかりの少女がいて、じっと見つめてきている。いつの間にか両方の手が握られている。思っていたよりも背が小さく、自然見下ろす形になる。
だが、街中で相対したときよりも存在を大きく感じた。ようやく本性を現したのだ。実際に触れることで彼女が生きて存在しているとはっきりわかる。パーソナルスペースが狭い和成にとっては耐え難い状況だったが、いろいろな疲れもあり抵抗するのも面倒だった。
いつもの駅で電車を降りてからも少女は隣に張り付いてきた。
「今日の面接も駄目だったんですか?」
話してもいないのに、見透かしたように問いかけてくる。その顔はからかいの色で満ちていた。声は落ち着いているのに、無邪気さが隠せていない。
いったいどこで知ったのだろう。
気分はいっそう暗くなった。少女の胸を刺すような指摘よりも、知らない少女と歩いていることの気まずさに押しつぶされそうだ。道行く人の怪しいものを見る視線が痛い。
まあと曖昧に返事をし、この幻影の少女はいつまでついてくるんだろうかと頭の隅で思いながら、和成は家に向かう。白く輝く月光が、少女を明るく照らしていた。
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