第45話 黒き森


 バロニア西の黒き森。


 その森は実際に黒色をしている訳ではなく、太陽の光の一切が届かない鬱蒼した様子からそう呼ばれていた。


 鬱蒼としていて、じめじめとしていて、むせ返るような森の匂いが一杯に漂っていて……広い広原や、草原に家を持つパストラー領の人々からするとその光景はまるで異世界かと思えてしまうものであり、そういった畏怖の念もあっての名前なのだろう。


 そんな黒き森の暗く恐ろしい光景もシンとドルロにとっては、アヴィアナとの日々を思い出す懐かしい光景であり……森の入り口に置いていかれるのを嫌がったヴィルトスを連れたシン達は、黒き森の中をなんとも楽しげに、まるでピクニックでもしているかのような足取りでずんずんと突き進んでいた。


 ドルロは両手両足を元気に振って、シンは片手にヴィルトスの手綱、片手に鞘から抜いたクラウソラスを掲げて、ヴィルトスは恐る恐るシン達の背中に隠れながら、森の中をずんずんと。


 途中で薬草を見つけては摘んで、ベリーがあれば口にして、水場があればヴィルトスを休ませてやって……と、そんな風に黒き森の中を歩いていると、シン達の前方、立ち並ぶ木々の間を、いくつかの光が駆け抜けていく。


 地面すれすれの低い位置を行くその暖かそうなオレンジ色の光は、数え切れない程の数があり、右へ行ったり左へ行ったりと忙しそうにしていて……シンとドルロとヴィルトスが、一体何の光だろうと警戒心を高めていると、木々の間からその光の持ち主がちょこんとその顔を見せてくる。


 何枚かの木の葉を差し込んだ緑色のとんがり帽子を被り、全身を覆う茶色のローブを身にまとい、木製のとんがり靴を履いて、暖かな光を放つカンテラを手に持って、森の中を元気に駆け回る、シンの頭程の大きさの小人達。


 小人達の姿を見たシンは、その正体が何であるかに気付いて……優しげで寂しげな表情となって、小さな声を漏らす。


「……ああ、そうか、ここは精霊の……妖精達の住まう森なんだ」


 精霊。実体を持たない世界の住民。

 その中でも人のような姿を、子供のような姿をした存在をアヴィアナは『妖精』とそう呼んでいた。


 自然の中から産まれ出る精霊とは違い、妖精は人の魂から産まれ出る存在であるらしい。


 物心がついてから死んだ人間は、自らが死んだものと理解して納得して大地に還るか、あるいは納得しきれずにゴーストに成り果てる。


 物心がつかずに死んだ人間は生死のなんたるかが……自らが何であったかすらも理解が出来ず、大地に還ることもなく、ゴーストになることもなく、ただただそこに漂い続ける。


 そうやって漂う内に、魔力を吸うか精霊の力を借りるかして……目の前の小人と呼ぶに相応しいような姿を得て妖精となるのだ。


 妖精となった者達は、ただただ純粋で、何処までも無垢な精神を持つことになる。

 一切の悪意を、悪辣さを持たず、毎日を仲間達と楽しく遊んで過ごし、そうやって大体人間の寿命と同じだけの時間を過ごしたら、大地に還って新たな生命となるのだ。


『もし妖精達を見かけたら、同情するでもなく悲しむでもなく、ただ微笑んでおあげ。

 でないと妖精達は、自分達はこんなにも楽しくて幸せなのに、一体何がそんなに悲しいのかと混乱してしまうからね』


 そんなアヴィアナの言葉を思い出したシンは、木の陰からちょこんと顔を出して、こちらをじぃっと見つめてくる妖精達に、精一杯の微笑みを返す。


 すると妖精達は満面の笑みとなって<わーい!>と元気いっぱいの声を上げながらシン達の方へと駆けてくる。


『妖精達にとって人間は、同じような姿をした不思議な縁を感じる……親戚というか家族というか、仲間の一種に見えているらしいね。

 だから妖精達は、人間を見かけるとその人間を幸せにしてあげようと考えて、家事だとかを手伝おうとしてくるのさ。

 時には生前の家族達の下に現れて、家事を手伝ったり、仕事を手伝ったり、金貨銀貨を持ってきたりするそうだよ』


 更に思い出されたアヴィアナの言葉を受けて、シンはその微笑みを崩しそうになるが、どうにかこうにか維持してみせて……微笑んだままそっとしゃがみ込む。


 そうやってシンが妖精達との距離を縮めると、シンの足元へと集まって来ていた妖精達は、満面の笑みをキラキラと輝かせて<わーい! わーい!>となんとも嬉しそうに声を上げる。


 そうして一頻りに声を上げた妖精達は、シンの足や手にそっと触れながら、


<どうしたの? 何か探しもの?>

<それとも迷子? お家まで送ろうか?>

<なんで言って? お手伝いするよ>


 と、そんな声をかけてくる。


「僕達は薬草を探しに来たんだ、友達の怪我を治してあげたくて」

「ミミ~! ミィ~!」


 シンとドルロがそう声を返すと、妖精達はにっこりと微笑んで、


<良い子だ! とっても良い子だ!>

<薬草、いっぱいあるよ、薬草!>

<待っててね、今持って来てあげるからね!>


 と、そう言って木の中、あるいは地面の中へとすぅっと溶け込んで姿を消してしまう。


 そんなこの世のものとは思えない光景を見てなのか、シン達の後ろに控えていたヴィルトスがその顔でもって、シンの後頭部をぐいぐいと押してくる。


 恐らくは突然姿を消してしまった妖精達のことが怖くて仕方ないのだろう、ここから早く立ち去ろうと急かしてくるヴィルトスの顔を、そっと撫でてやって落ち着かせてやるシンとドルロ。


 そうやって数えるほどの僅かな時間を過ごしていると、森の奥から妖精達が様々な物を手にしながらシン達の下へと駆け戻ってくる。


<はい! 薬草だよ!>

<こっちは甘い花の蜜だよ! 舐めると元気になるよ!>

<この木の実はとっても美味しいから、帰り道で食べると良いよ!>


 何枚もの薬草を重ねて植物の蔓で縛ったものと、自分達の体程もある大きなガラス瓶と、大きな木の葉で包んだたくさんの木のみを妖精達から受け取って、


「こんなにたくさん……! 本当に助かるよ、ありがとう!」

「ミミミ~!」


 と、シンとドルロが礼の言葉を口にすると、妖精達は満面の、今日一番の笑みを浮かべて、笑い声を上げながら森の奥へと駆けていく。


<そろそろご飯の時間だからお家に帰るね! またね~!>

<また来てね~~!!>

<いつでも遊びに来てね~~~!!!>


 そんな妖精達の声を耳にしながら、妖精達から受け取ったお土産を手にすっくと立ち上がったシンは、そのまま来た道の方へと向き直り、何も言わずに振り返ることもなく歩を進めて、優しき妖精達の住まう黒き森を後にするのだった。

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