固く握り締めたその手を離さない

「メアリーの奴、どうしちまったんだ?」

 ローザに手を引かれ、山道を走りながらジェリーは疑問を口にする。

「ああ、なんて事をしてしまったの! ああっ!」

 ローザは声を上げながら自らが犯した過ちをなげいているようであった。

 ジェリーにはその言葉の意味が分からず、首を傾げるばかりである。


 二人は山道をどんどん進んで行く。

 先導するローザが村から離れていくかのように正反対に走っていったので、ジェリーも黙ってそれについていった。


「どこに行くんだ?」

「この村から出ましょう!」

 ジェリーの問いに、ローザが端的に叫んだ。

「村から出るだって!?」

 ローザの言葉に、ジェリーは余程驚いたようだ。声を上げ、それまで動かしていた足もピタリと止めてしまう。


「嫌なの?」

 そんなジェリーに、ローザが悲し気な視線を送る。

「いや、嫌って言うか……」

 突然のことで、心の準備が出来ていない。

 それに家財道具一式を残したまま、村を出るというのは如何いかがなものだろう——。


「私とこの村を出て、都会の町で一緒に暮らしましょうよ」

 ローザが笑みを浮かべながら手を差し出してきた。

 それは、駆け落ちのお誘いであった。

 その笑顔が余りにもまぶしくて、ジェリーにはとても輝いて見えた。

——このまま村の中で退屈に暮らすよりかは、ローザと都会の町で一緒になりたい。そんな思いが、ジェリーの心の奥底に湧き上がってきていた。


「よし、行くか!」

 ジェリーは再びメアリーの手を握り締めた。

 今度は簡単に離してしまわないように力を込めて、固く手を握り合う。


 泥濘ぬかるみに足を取られて転びそうになっても、木枝に服のすそが引っ掛かって足がもつれても——お互いに支え合い、ひたすらに前へと進んで行った。


 そんな二人の前に、行く手をさえぎるかのごとく巨大な壁が立ち塞がった。

 コンクリートで出来た無機質なその壁は高く、とても乗り越えて行けるような高さにない。

「なんなの、これは……」

 予想外の障害に、ローザが歯噛みをする。


「……駄目だよ……」

 風に乗って、どこからか声が聞こえてきた。

 振り向くと、草むらの陰から、誰かがこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。森の奥から姿を現したそれは——メアリーだ。

「……駄目、駄目。この村からは、誰も逃げられない……。帰りましょう、ジェリー。今ならまだ、間に合う……」

 メアリーが手を差し出した。


 そんなメアリーの手を拒絶するかのようにジェリーは首を横に振るい、ローザの手を握り直した。

「悪いがメアリー。俺は村には帰らねーよ。ローザと都会の町で暮らすって、決めたからな!」

 ジェリーが拳を突き上げて宣言すると、メアリーは頭を抱えて「はぁ……」と息を吐く。

「……その女と暮らす……? それが、ジェリーのすることなの……?」

 メアリーが呆れたように呟いた。

「……ジェリーはね、そんなことをしないのよ……」

「俺がどうしようと、そりゃあ、俺の勝手じゃねえか! 勝手に俺のことを決めつけないで、放っといてくれよ!」

「……勝手に……?」

 メアリーの表情が変わる。

 暗くよどみ、失意のどん底に叩き落されたような顔つきになる。

「……貴方のことなんて知らない。……私は、ジェリーの話をしているの……」

「はぁっ?」

 支離滅裂なメアリーの発言に、ジェリーは顔をしかめた。


「もう、やめて! それ以上話したら彼は……」

 それまで黙っていたローザが慌てて口を挟んできた。どうやらローザには、メアリーが発した言葉の意味が理解できているようだ。

「どういうことだよ、ローザ?」

 この場で事情を把握していないのは、どうやらジェリーだけらしい。

 答えを求めるかのように、ジェリーはローザの顔を見た。


「……この村に住むジェリーは、とても誠実な男の子……」

 ローザの代わりに、口を開いたのはメアリーだった。

「……彼の隣りに居るのは、いつもメアリー。そんなメアリーに支えられながら彼は生きてきた……」

「何を言ってんだ? 俺は、ローザと生きていきたいんだよ!」

 それは、ジェリーの心の奥底から湧き出てきた叫びであった。


「……ジェリーはメアリーといつも一緒。それがジェリー……」

 途端にメアリーは、ギロリと鋭い眼つきでジェリーを睨み付けた。

「……じゃあ、貴方は誰?」

 急に問われて、ジェリーは困惑してしまう。

「はぁ? ジェリーだよ、ジェリー。ジェリーに決まってんだろう!」

 当然の如く、ジェリーは言葉を返した。

「……貴方はだぁれ……?」

 ところが、メアリーはその答えを認めてはくれないようだ。再度、聞き返してきた。

「だから、ジェリーだって……」

「……貴方は誰?」

 まるで壊れたラジオの如く、メアリーが同じ質問を繰り返す。

 それが狂気じみていて、ジェリーは恐怖心から背筋に冷たいものを感じた。


 ふと、ジェリーは隣に居るローザに視線を向けた。彼女は顔を伏せたまま、頭を左右に振るっていた。

 そんなローザの行動の意味が、ジェリーは初めは分からなかった。


「ジェリーじゃ……ない?」

 それに勘付いたジェリーの口から、自然と言葉が出ていた。


——パチパチパチ。

 メアリーが無言のまま、パチパチと拍手を送ってきた。


 ふと、ジェリーの足元に、どこからか現れた黒いもやが漂い始める。

──幻覚だろうか?

 ジェリーはそれを足で払ってみたが、消えなかった。


 衝撃的な事実が発覚したことで、ジェリーは放心状態になっていた。すがるような目つきで、ローザを見詰めた。

——嘘だと言ってくれ!

「……貴方は、ジェリーじゃないの」

 申し訳なさそうにローザは呟く。否定はしてくれなかった。


「どういうことだよ!? だって、俺はずっと、みんなとこの村で暮らしてきたじゃないか! それなのに突然、ジェリーじゃないって言われても……」

——じゃあ、俺は誰なんだ?

 ジェリーが驚くのも無理はないだろう。これまでの生活のすべてが、嘘で塗り固められて作られていたものであったのだから。

 突然、その事実を突き付けられて、すぐに受け入れられる方が人としては可笑しいだろう。

「……ジェリーはこんなところに逃げて来ない。ここに来てはいけないことを、ジェリーは知っているから。……それに、ローザを連れてなんて……」

 メアリーが言葉を発するごとに、まるでそれに呼応するかのように、黒い靄は活発になって動き回る。ジェリーの足を伝い、上り始める。


 ジェリーは、ローザに向かって叫んだ。

「ローザ……! どういうことだよ、ローザ!」

 ローザは黙ったままで何も答えない。

 そんなジェリーの体を、黒い靄が覆っていく。

「う、うわぁぁあ!」

 叫び声を上げ、ジェリーは飛び上がった。


 メアリーは哀れみの目をジェリーに向けた。

「……ジェリーになり切れなかった貴方は、この村では不要。……さようなら、ジェリー……」

 クスクスとメアリーは邪悪な笑顔を浮かべる。


「嫌だ! 一人にしないでくれ、ローザ!」

 ジェリーは涙を流しながら叫んだ。身悶えするが、上がってきた靄は払うことができない。ジェリーの体は徐々にむしばまれていく。


 そんなジェリーの手を、優しく握る者があった。

──ローザだ。

 ローザは靄に侵されたジェリーの手を取り、真っ直ぐにジェリーの瞳を見詰めた。

「一人になんて、しないわよ」

「……ん……?」

 メアリーはローザの行動に困惑したようだ。てっきり、そのままジェリーを見捨てるかと思ったのに、ローザはそんなことを口にしたのである。

「ジェリー、私はね……。貴方がそうであるのと同じ様に、私も実は……」

 そんなジェリーの手を伝い、黒い靄がローザにも伝染していく。

「私もね。……実は、ローザじゃないんだ」

 ローザは微笑んだ。

 ローザの体にも、黒い靄が纏わり付いていく。

 ジェリーはそんなローザの体を抱き締めた。

──ローザは自らの秘密を、ジェリーに打ち明けた。

 そうすることでジェリーと共に、この村から旅立つことを決意したのである。

 黒い靄はやがて、二人の全身を覆い隠した。


 靄が晴れた先に現れたのは、二つの巨大な蓑虫みのむしであった。二体の蓑虫は重なり合うようにして地面に横たわっていた。


「……馬鹿な人たち……」

 一部始終を見守っていたメアリーの表情は沈んでいた。

「……この村からは、逃げられないのに……」

 まるで、自分に言い聞かせるかのように、メアリーはそう呟く。


「……私はメアリー。……私は、本当は……誰なのだろうね……。メアリー、メアリー、メアリー……」

 メアリーはブツブツと呟きながら、来た道を戻って行った。

 そして、自らを縛り付けている恐ろしい村へと再び帰っていくのであった。

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