転校生は人気者⑧

 翌日、蒼は暗い気持ちで登校していた。

 いつもと変わらず、早い時間に来たため、教室には蒼一人。自分の席について、黒板の上にかけられた時計を眺めていた。時刻は七時四十五分。

 校外で偶然会うという降って沸いたような幸運に舞い上がっていたが、現実はそう甘くないということを、冷静になってみて実感する。

 今後また、二人きりになれたあの奇跡のような時間が訪れるとは限らないけど、こればかりは自分なりに努力するしかない。と、蒼は前向きに考え直した。

 そんな下心とは別にして、あの猫のことを蒼は心配している。

 瑚白が見た今日、その猫は河川敷にいない。悪い想像をすればきりがないし、誰か優しい人に引き取られてあの猫が幸せに暮らしていくことになったとしても、蒼と瑚白にその未来を知る術はない。

 随分暗くなるまで、猫のことをじっと見ていた瑚白のことを思い出す。きっと、寂しく感じたに違いない。蒼自身も、ほんの少しの間面倒を見ただけのあの子猫ともう会えないと思うとなんだか切ないし、元気でいてほしいと未来を案じるほどには愛着がわいてしまっている。

 今日はきっと落ち込んでいるだろうから、気分が明るくなる話でもできたらいいな。蒼は、なにか話題がないかと考えながら、瑚白が登校してくるのを待った。

「今日も早いね、蒼ちゃんは」

 登校してきた樹が、こちらを向いて椅子に座る。

「ん、まあね」

 蒼が時計を確認すると、八時を少し過ぎたところ。振り向いてみるが、瑚白はまだ来ていない。昨日はもう少し早くに来ていたのに。

「転校生、まだ来てないねー」

 蒼の視線に気づき、樹も後ろを振り返って言った。

「そうだね……」

「蒼なんか暗くない? もしかして、もうフラれた?」

「フラれてないわ!」

 無神経な樹に、蒼は思わず声を大きくする。

「まあ、そう怒りなさんな」

 樹は、けけっと笑う。

 始業の時刻を迎えても瑚白は登校せず、ホームルームで早瀬から、瑚白が体調不良で欠席だということがクラスに伝えられた。

 蒼は心配になる。昨日、遅くまでずっと外にいたからだろうか。昼間は暖かくなってきたが、四月中旬の夜はまだまだ肌寒い。もしくは、転校して慣れない環境からくるストレス性の不調だろうか。それとも、あの猫との別れが、よほど精神的なダメージだったのだろうか。蒼はいてもたってもいられないが、どうすることもできない。ただ、一日中、瑚白のことを考えていて、授業が全く耳に入らなかった。


「蒼、今日ひまだよね?」

 放課後、樹は断定的な言い方で蒼に聞いた。

「なんで決めつけるんだよ」

「予定あるの?」

「……ないけど」

 河川敷へ行くつもりだった。欠席している瑚白の様子が気になって仕方がないが、家を訪問するわけにはいかないし、そもそも家は知らない。ただ、昨日、瑚白はという未来を見たと言っていた。つまり今日、瑚白が河川敷にいる時間が存在するはずだ。可能性は低いが、行ってみればもしかしたら会えるかもしれない。

 その話を樹にしたくなかったため、思わず予定はないと言ってしまった。

「だよね。じゃあ、俺と一緒に来なさい。ポテトおごってやる」

「……うん」

「よし、いこうぜ。元気ない蒼ちゃんは面白くない」

 樹が蒼の肩を抱く。蒼が一日中物思いに耽っていたため、どうやら心配してくれているようだ。

「俺が恋の相談に乗ってやろうではないか」

 バンバンと肩を叩く樹は、やはり心配ではなく、面白がっているのかもしれない。


 樹とよく訪れるファストフードは、山のふもと辺りにあった。

 店内に入って、フライドポテトをおごってもらったのは約束通りだったが、あとは蒼の相談に乗るどころか、樹の下品な話を延々と聞かされ、に男はどう動くべきか、ということを、頼んでもいないのに詳細にレクチャーされた。(頼んではいないが、最後まで聞いた)

 樹は自由奔放に喋っていたが、途中で電話がかかってくると、「俺帰るわ、蒼ちゃん元気になったよね?」と、またもや断定的に言い、にこっと笑うと足早に帰っていった。先ほど蒼にレクチャーしていたことを実践するに違いない。

 蒼は溜め息を吐いて、残りのフライドポテト三本をまとめてつまんで口の中に放りこんだ。時刻は十七時。トレイを返却して店を出る。

 バス停で待つ時間は五分ほどで済んだ。市バスに乗り、一般学校を超え、川を渡ったところのバス停で下車する。

 橋の横の階段を下りる。猫がいた橋は一丁先だが、河川敷を歩いていくことにした。道は真っ直ぐで見通しがいいし、前方に意識を向けていれば、遠くだとしても瑚白がいたらわかる。バスで迂回している間にすれ違ってしまうことは避けたかった。

 目を凝らすが、人の姿はない。前方にも気を配りつつ、地面や川の向こうにも時折視線をやる。万が一にもあの子猫が移動していたら必ず見つけなければ。

 もしここであの子猫ともう一度会うことができたら、瑚白との接点を取り戻せるのではないか、という邪な雑念があった。

 小心な蒼にとって、子猫の世話をするという大義名分のもと瑚白と会える環境は、二日で失うのは大変惜しいものだった。

 注意深く視線を動かすが、瑚白の姿もなければ、猫の姿もない。幾人かの、ランニング中の男女が横を通り過ぎていっただけだ。

 あっという間に一丁先の橋の下までついてしまう。瑚白の隣で、しゃがんで箱の中の猫を覗いていたところ。そこには、昨日いた猫はおらず、ブランケットの入った箱も見当たらなかった。瑚白もいない。彼女はもう来たのだろうか、それともまだ来ていないのだろうか。

 蒼は念のため、その橋の下を通りすぎ、さらに向こうの橋まで歩いたが、猫とも瑚白とも会えることはなく、結局何も情報を得ることはできなかった。


 蒼は来た道をとぼとぼと戻る。日が落ちて夜がやってきている。やはり猫は諦めるしかなさそうだ。瑚白とお近づきになる方法は、また別に考えよう。蒼は未練がましく視線を周囲にきょろきょろとやりながら時間をかけて歩いたが、蒼の期待に応えるような奇跡は起きなかった。

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