これは本当にありえないことなんだけど

紡(つむぐ)

だってあなたはひと言も

それは昨日のことだった。

まさか彼女の方から連絡が来るとは思ってもいなかった。


大好き、好き……

夢見るようにつぶやき、僕の胸に頭を預ける姿が、まだ頭を離れない。

心が見せた幻か、と疑うくらい一瞬の出来事だった。

我に返ったのか、すぐにカァっと顔を赤らめてうつむくと、走り去ってしまった。

呆然とたたずむ僕は、皿がないことに気づいた。


”ふはははは皿を返してほしくば

明日ランチに付き合ってもらいましょう”


とんちんかんなメッセージが届いて、

もちろん今日はランチへ向かっている。

こんなやり方をしなくても、僕は君に会いたくて仕方がないのに……


最寄りの繁華街のデパートの前、僕らが会うときの待ち合わせといえばそこだ。

彼女は文庫本を開いて待っている。

お待たせ、と声をかけるとちらっとこちらを見て

うん、とうなずいたきりこちらを見ない。

文庫本をしまって隣を歩き、何を食べる?とか

ちょっと歩くけど空いてるレストランがあるかも、とか

ランチをする店のことを話している。

僕はそれらに適当に答えながら、彼女の様子を伺っていた。


店が決まって黙々と歩く段になって、僕は切り出した。

「何も、皿を人質にしなくても良いのに」

彼女は、ぎくりと固まり、下を向いてしまった。

「ご、ごめんなさい……だって理由がいるもの。絶対、来なきゃいけない理由が」

……なぜかは分からない。ただこの言葉を聞いて、自分の気持ちが伝わっていないのだと悟った。

「皿がなくても、一緒にご飯食べるの嬉しいよ。」

それは自分にとっては十分来る理由になる、と続けたときには、彼女はこちらを大きな眼を開いて見つめていた。

「あの、意味がよく……?じゃあ、ただご飯に行こうと言っても、今日は来てくれた、ということ?」

僕はうなずいて、少し念を押そうと思った。

「昨日のことだけど……」

「あ、ちょ、ちょっと待って心の準備ができてないから

そのへんでちょっと止まって聞いていい?」

僕の言葉をさえぎると、空き地の像のそばの、通行の邪魔にならなそうな場所へ向かった。

「よ、よしおっけー。覚悟できました。」

その顔は全然覚悟できている様子ではなく、完全に最悪のケースを予測している顔だった。


勇気を振り絞って、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「僕は、君といるのが楽しい。会えるなら十分、来る理由になるし、会いたいって思ってる。好きだ。……大好きだ。」

聞いている間も訝しげな顔をしていた彼女の顔は、最後の言葉を聞いて、くしゃっと崩れた。

涙がこぼれそうなくらい目尻に盛り上がり、声が震えるのを抑えて言葉を絞り出す。

「だって、今まで一度もそんなこと言わなかったじゃない……!私ばっかり好きだと思ってた。昨日あんなこと言ったから、もう、会うのは迷惑がられると思った。だから君の大事な皿をとって……」

透明な涙が静かに頬を伝っていく。

「じゃあ、もう保険をかける必要はないの?会いたいときに、誘って構わないの?」

僕はその言葉に破顔する。

「もちろん。……僕も誘うよ。」

両腕を彼女の背中に回す。

おずおずと背中に彼女の腕が回るのを感じた。

ひし、と抱きしめるその時間はとても短かったと思う。

すぐにハンカチを出して渡したから。でも、その時間は、永遠にも感じられるくらいだった。

彼女は、僕に皿をそっとのせた。


僕は心で思うばかりで、一言だって好きだとか会いたいだとか、言ったことがなかったことを反省した。そのせいで彼女は、僕の好意を知らないばかりか、彼女の僕への好意を迷惑がっているかもしれないとすら思っていたのだ。


その後の食事は、お互いに恥ずかしくて、ろくに何を話したか覚えていない(もったいないことに!)。ただ、そのレストランで出されたきゅうりのフルコースは、最高だった。


ーENDー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る