12 誘導されたあわい

 

 日が沈み、夜がやって来た。今日もまた来留芽の仕事は見回りがてらのタマテバコ探しだ。心情的には見回りよりもタマテバコを優先したいところだったのだが、一つでも物事を疎かにすると後になって後悔することが多い。自制、自制と言い聞かせて蓮華原を俯瞰していた。


 〈聞こえるか、来留芽〉

「(うん、聞こえる)」


 昨晩の夕凪とも似たようなやり取りをした。しかし、今日一緒に見回りに参加するのは彼ではない。来留芽は夜の闇によってよく見えないが、とりあえず豆粒ほどには見えている相手の方を向く。


「(――だけど、呪符のイヤリングはちょっとセンスを疑うけど)」

 〈仕方ないだろう。思いついたのは昨晩だし、今日になってからの試作第一号なんだから〉

『お嬢、細と何か話しているんだろ? 俺様にゃ何にも聞こえないのな』


 自分が蚊帳の外に置かれている感じがするからか、どこか不機嫌そうな唸り声を漏らした茄子。少しだけその頭を撫でればその態度は雲散霧消する。素直とみるか、素直じゃないとみるか。どちらにせよ、しっかり仕事をする気になってくれているのは良いことだ。


 そう、来留芽は今日、久しぶりに細と二人で組んで見回りしていた。鳥居越学園では部活動が原則午後五時までということになったので自動的に教師の方も部活動の監督に割く時間が減ったからだ。

 その代わり、生徒が不必要な外出をしていないか確認する必要が出てきたのだが、その辺りは別に徹して行わなくても良い。

 とはいえ、言い出した今日ばかりは振りだけでもやっておきたいという教頭のありがたい命令が下されたので、貧乏くじを細が引くことにしたのだという。

 どうせ見回るのだから、そのついでにふらふらと遊びに出た馬鹿どもを見つけるくらいわけないとのこと。きっとイケメンだと持て囃されるような態度で引き受けてきたのだろう。彼はその辺りは外さないし、細かくても積み重ねていけば信頼につながり、何かあったときに自分の思う通りに動いてもらいやすいことからも、快諾してきたものと思われる。


「まぁ、それはともかく。(細兄、朗報)」

 〈ん? タマテバコでも見つけたのか?〉

「(人物指定、しっかりできてるみたい)」

 〈そっちか〉


 遠目に黒いフクロウの式神が来留芽の方へ旋回するような素振りを見せたが、すぐに器用にも空中でずっこけるような動作をする。よほど操作に慣れていないとできない動きだ。

 非生物系の式神の扱いの腕についてはきっと細に追いつけはしないだろう。来留芽の場合はそのような式神を操るよりは茄子のようにあやかしの式に頼んだ方が動きやすかったりする。


「今のところタマテバコの気配はしない」

『だなー』


 神力と妖力が絶妙に混じり合ったようなあの独特な気配は比較的察知しやすいものなのだが、今のところはそれが現れている様子はなかった。今日はあやかしである茄子の鼻も利くだろうかと考えて連れてきたのだが、この猫も気紛れなので役立つかどうかはまだ分からない。


「ファントムもいないみたい」

『あー、大層な仮称だけど、あやかしのなり損ないだったか?』

「たぶん、そう。タマテバコの凝りから生まれたらしい。厳密にはあやかしと言えない存在」

『ま、生まれ方が悪かったんだと諦めるしかねぇだろな』

「茄子達はそう考えるんだ」


 意外に達観しているというか諦観している。


『そもそも今の浮世で普通にあやかしが生まれて生きていける場所ってほとんどねぇんだよ。何しろ自分の身になる妖力はまるまる妖界に流れちまっているからな』

「確かに」

『生まれるなら、あっちで生まれりゃ良いものを……妖界じゃまったく新しい種族ってのはたぶん現れていねぇ。新しく生まれれば快挙ってもんだし、きっと一躍話題の中心になるだろうぜ』


 茄子が言うには、妖界においてあやかしは世が二つに分かれるまでに存在していたものしかいないのだそうだ。彼等の子孫は第二世代と呼んでいるらしい。妖界に満ちている妖力のおかげで親よりも強い力を持つ者も現れたりするらしいが、新しい種族はいないという。

 ふと、思う。

 妖界ならファントムもちゃんとしたあやかしになれるのだろうか。向こう側であればファントムもその性質を問わず新しいあやかしとして歓迎されるのかもしれない。


「知らなかった」

『うんにゃ、人間は人間だけの世界で完結しちまっているからなぁ。そういうシステムにした伊織は何を考えていたんだか』

「伊織……」

『お嬢のばあさんだな。自己犠牲が得意な怖ぇ女だった』


 それは果たして、相手がそうなのか、それとも見ている方がそうなのか。

 祖母のことは写真でしか見たことがない。来留芽が生まれる前に亡くなっているので当然なのだが、その祖母を知っている者はあやかしを含めれば存外幅広いのかもしれなかった。

 茄子にも彼女との思い出があるのだろうかとふと思ったが、それを尋ねる前にこの猫又は話を変えてしまう。


『それはともかく、妖界のこととファントムとかいうものを見ていりゃ分かる。あやかしは人なくして生まれりゃしねぇってことがな』


 それは、きっと何かの真理を突いていた。あやかしである茄子が言ったからこその意味も含まれていたはずだ。ありのままを知り、ありのままを受け入れて、諦め、妥協し、悟ったのだろう。

 しかし、そのすべてを来留芽が理解することはまだできなかった。


「どういうこと?」

『そこからはお嬢が自分で考えなきゃな。伊織からの宿題ってことで。確かに伝えたからなー』


 にまにまと笑っている気配がする。それは、来留芽がこの問題に対してどのような答えを出すのか楽しみにしているようでいて……そうでもない、ような。


 〈――来留芽、見つけたぞ〉


 推し量ることのできない自分の式の心に思いを馳せようとしたそのとき、耳朶に響くのは細の声。後になって思えばそれは、タマテバコを奪い合う戦いの幕が開いた合図でもあった。


「(場所は)」

 〈見世通りの中程だな。霊視を強めればはっきり分かる〉

「……見えた。茄子、追いかけるよ」

『よしきた! 俺様の妖力が火を噴くぜっ』


 豪快に炎のようなものを足から出した茄子の頭に来留芽は拳を落とす。


「目立つの厳禁」

『ぐべぇ』


 十メートルくらい垂直に落ちてから何とか空を掴み直した茄子は今度こそその黒い体躯を夜の闇に溶かしながら目標に向けて風を切ったのだった。


 日が落ちても煌々と明るいのは別に繁華街ばかりではないが、独特な温かさと冷たさが混在するのはやはり飲み屋街だろう。熱と冷気を交互に与え続けたら脆くなるように、人の心もまたこうした空気の中でその壁が脆くなってしまうのかもしれない。別に悪いことではなかったりするが、人以外の者が関わるとそうは言い切れなくなってしまうのが困ったところだ。


『お嬢、何か追われているみてぇだぜ』

「私達が追っているのとは違って?」

『別のモンだ……何だあれ、ちゃっちい式神だな』


 来留芽達が追いかけているタマテバコはどこか焦った様子の女性を追いかけていた。彼女達をまとめて追いかけている様子を見せているのは茄子が言った通り、どこかぎこちなさを残した人型の式神だった。

 式神としては二流どころか三流以下だと言えそうだ。とはいえ、脅かすこと・驚かすことについて言えばあれほど適した式神はいない。

 ゾンビパニック映画のゾンビのように手と足が同時に出ていたり、首が可動域を無視した方向に傾いていたり、妙に速く走ったり遅く走ったりと速さが安定しない様子だが、それが却って相手を恐怖に追い詰めそうだ。


『細の方も気付いたみてぇだな』


 反対側からやって来た細も何者かの式神に気が付いたらしい。道端に捨てられたゴミを見るような目をすると一枚の呪符を飛ばした。

 出来損ないの式神は呪符によって燃やされてしまう。


「ヒッ!」


 追いかけてくる何者かが突然燃えたら、それは驚くだろう。

 追いかけられていた女性は小さく悲鳴をあげると足を止めてしまう。

 これで追いつけると思ったのだが、彼女を追いかけていたタマテバコは来留芽と細を一瞥するとニヤリと笑うと女性にこう囁いた。


『まだ危険は去っていない。次に狙われるとしたら君だ。逃げないと……さぁ、その奥を右だよ』

「っ! 私はまだ、死にたくないっ」


 それは正しく魔の囁き。酔いと恐怖で正常な判断力を失っていた様子の彼女はふらふらと立ち上がるとまた走り出し、タマテバコに言われた通り、道の奥を右に曲がってしまう。生存本能に突き動かされた結果が最悪のものになるなど、思いもしなかったのだ。


「追いかけて! 茄子!」

『おうよ!』


 タマテバコの誘導なのだ。その先があまり良い場所ではないのは明らかだ。彼女が傷付けられてしまう前に引き留めなくてはならない。

 路地は狭いので来留芽と茄子が先に向かう。細は上から行くことにしたようで離れていく羽音が聞こえた。


「回り込める?」

『できなくはねぇ……いや、無理だ! あんにゃろう、あわいみたいなものを作り出しやがった!!』

「あわい……私達も入り込める?」

『正面からなら……な。まるで誘い込んでいるような入口だぜ。女の誘いなら乗らないわけにはいかねぇがタマテバコとやらは男だし、ぜってぇ罠が張られているだろーけど』

「行くしかないから、進んで」

『へいへい。振り落とされんなよ、お嬢!』


 女性は廃墟の中へ駆け込んで行ってしまった。来留芽は廃墟の上階から回り込めるか茄子に尋ねたのだが、その直後に廃墟全体を対象にしたあわいが展開されてしまう。あわいの成立には多大な力を要するのだが、タマテバコ単体でそれをまかなえてしまったというのだろうか。

 あわいを作った者はしばらくの間はその空間を改造することができる。そのため、できたてほやほやのあわいに飛び込むのは自殺行為に等しいと言える。罠が透けて見えそうなこの状況だが、来留芽は進むという選択肢を取った。

 そうしなくては、何も始まらない。


「私があれを叩きのめすのは決定事項」

『おぉ、怖ぇ……流石は伊織の孫。もっと遡ればあの紫の子孫なだけあるぜ』


 茄子はわざとらしく震えてから、けろりとした様子で『ま、俺様にその矛先が向かなきゃどうってことない』と続けた。この猫又も大概神経が太い。とはいえ、圧倒的な力を持つ相手に対しても萎縮しないのは心強い。

 そして、来留芽と茄子はタマテバコが作りだしたあわいのようなものに飛び込んだ。


「茄子、上ギロチンっ」

『マジか』


 入ってすぐのところで出迎えてくれたのは上から落ちてくる刃。下手をしたら茄子の尻尾が切り落とされる。流石にその未来は嫌だったようで、猫又はグッと力強く空を蹴り、一気に体を滑り込ませた。

 ガション! と金属の音が響く。刃は下まで到達したあと、ギリギリギャリギャリと耳障りな音を立てながらまた上がっていった。次なる犠牲者を作るつもりか。来留芽の後に入ってくる者などいないはずだが。


『お嬢、もしかしたら細の奴もあそこから来るんじゃねぇか?』


 茄子にそう尋ねられてハッとする。入り口が本当に一つしかなかった場合、細も来留芽達が入ってきた所から来るしかない。それでは危ないのだ。


「(――細兄、聞こえる?)」


 忠告をするために呪符イヤリングを使うが、返事が来ない。やはり、あわいは特殊な空間なので術が通る道が途切れてしまうのかもしれない。ただ、妖食街では舞首が仕組んでいたようなので、それなりに力のあるあやかしであれば妨害できるのだろうことは分かっている。タマテバコも力が強いため、彼によって妨害されてしまっている可能性はある。


「だめ。通じない」

『なら、お嬢が頑張るしかねぇな』

「茄子にも働いてもらうから」

『仰せのままにってな』


 とりあえず、屋内で茄子に乗っていると頭を打ちそうなので降りることにする。そして、なおざりになっていた周囲の観察を進めた。

 入り口こそあんなギミックが仕掛けられていたが、そこを抜ければ普通の廃墟のようだ。木箱やカゴ、カートにドラム缶など廃墟にありそうな諸々が揃っている。細かいところまで確認したが、タマテバコが仕掛けた罠らしいものは特にない。


「となれば、あの女の人を逃がした方が良いかもしれない」

『お嬢、タマテバコは捕まえねぇのか?』

「もちろん叩きのめすつもりだけど、今はあれにこれ以上の力を持たせたくない」

『まぁ、確かにな』


 来留芽の言いたいことを察した茄子はしたり顔で頷くと鼻を動かす。


『ただ、残念ながらさっぱり気配や痕跡が掴めねぇけど』

「仕方ない。地道に探そう」


 茄子の鼻も利かないのはこの空間自体にそうなるように仕掛けられている可能性も考えられる。とりあえず、考えていてもどうにもならないので一階部分を歩き回った。


『いねぇなー』

「二階以上に上がってしまっているのかもしれない」


 普通なら考えないことだろうが、彼女は泥酔しており、さらにタマテバコによって恐怖も植え付けられてしまっていた。まともな判断力を期待出来ないのだ。

 とはいえ、上階へ向かう階段の前にやって来て来留芽は躊躇う。下から窺うだけでも二階の荒れた様子が垣間見えたからだ。


『お嬢、ここ見てみ』

「靴跡?」


 茄子が見つけたのはヒールの靴跡だった。それは、階段を上っている。

 それならば、行かないという選択肢は消えた。

 そう思って階段を上ろうとしたその時、ガッション! ギリギリギャリギャリと耳障りな金属音が響き渡った。


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