6 夜の見回り
夜は人ばかりが羽を伸ばす時間ではない。幽霊やあやかし、ときには神様だって密やかに星の下を彷徨くのだ。しかし、そのようなことを一般に知られてしまうのは困るので来留芽達霊能者は普段からその隠蔽に東奔西走していたりする。
街の見回り。この仕事は外せないものだった。
そのため、自動的に他の仕事はそれと平行して行うことになる。いつもならばオールドアに誰かいないかを確認し、いればその誰かと、いなければ式を適当に見繕って夜の街中を見回るのだが、本日は見回り以外の他の仕事の都合で気の知れた相手以外と一緒に行動することになっていたのだ。
「……暇」
合流予定の場所に相手が一向にやって来ないため、来留芽はどうにもできない時間を持て余していた。あまり遅くなると今度は睡眠時間に響くので本当なら待たずにさっさと進めてしまいたいのだが、それはそれで相手方の心象が悪くなる可能性があるため迂闊に動けないのだ。
現時点の待ち時間、優に二時間を超える。
そのため、来留芽から相手に対しての心象は今の時点で最悪に近いので向こうが同じようになっても良いのではないかと思ってしまう。このようなところが連携しづらいだとか付き合いづらいと言われる原因なのだろうが、自分を変える気にはなれなかった。
「呪符でも数えておこうか。……攻撃一枚、二枚、三枚……一枚足りない……?」
「お皿を数えて八つ当たり気味に死者を出す定番の幽霊の真似か?」
「解釈が少し違う。だいたい、私が数えているのは呪符であって皿じゃない」
掛けられた声に反論しつつ呪符を仕舞ってから振り向くと、見覚えのある人物がいた。
「あなたは……巴姉の」
「久しぶりだな。巴の兄の夕凪だ。覚えているか?」
「覚えてる。……お久しぶり、です」
「無理に丁寧語にしなくて良いよ。普通に話すといい。僕もそうするからな」
一応気を遣ったのだが気にしなくて良いらしい。来留芽は肩をすくめると周囲に人払いをかけ直す。
「遅刻の理由は? 三笠さんがこちらの予定を伝え損なっていたとか」
「いや、僕達側の問題だ。ちょっと追われていてね。まぁ、いつものことだけど。撒くのに時間がかかった」
「……それも、いつものこと?」
「ハハハ。そう、いつも僕達が勝つ追いかけっこだ」
清水茜、一色暁、夕凪の三人はいつも追いかけられているようだ。それが自分の親だというのだからどうしようもない。とはいえ、彼等にしても親を引きずり落とそうとしているのだから諍いになるのは当然の流れなのだろうが。
大変そうだな、と他人事のように思う。
「とりあえず、今日はよろしく」
「こちらこそ。残念ながら僕にこの辺りの土地勘はないから探し方は君に一任しよう」
「探し方、と言われても……」
来留芽は言葉を濁して街を見やる。二人がいるのは、繁華街の寂れたビルの屋上だった。
「宝箱のつくも神の狙いが良く分からないから、何とも言えないけど……これは、あくまでも私の勘。つくも神が力を蓄えるとしたら、その対象は人間になると思う。蓮華原市の繁華街なら狙われやすい人が多いから、そこを探せばあるいはと思ってる」
人の負の思いが力を持ち始めて表れる“もや”というものがある。今いる繁華街は普通よりも少しだけそれが多かった。もやは力が凝っているだけなので妖力にも霊力にも神力にも変換することができる。難易度は今挙げた順に高くなるのだが。
しかし、これが多い場所は異形が寄りやすい場所でもあるのだ。
「なるほど。勘なら従っておいた方が良いかもしれないな。それに、ここはオールドアが基本的に管理している霊場だからね」
捜索対象のつくも神が力を蓄えなくてはならない状況にあるとなぜ知っているのかと問われたら少し困ったかもしれないが、幸いなことに夕凪はその部分を尋ねてこなかった。
とはいえ、どのみち彼等の方も察してはいるのだろうが。
「繁華街に行く前に、相談。私は補導される危険性を最小限に留めるために気配を薄くして回るつもりだけど、あなたはどうする?」
「ああ、君くらいだとそういったリスクがあるのか。それなら、僕も似たような感じで動こう。ただし、二人で同じところにいると不信感を持たれてしまうからある程度距離を離して歩いた方が良いかもしれない」
「見失わない?」
「この遠耳イヤリングで連絡を取り合えるようにすれば良いだろう」
夕凪はそう言って茶色っぽく濁った石がぶら下がっている耳飾りを手のひらに転がした。来留芽は一つをつまんで目の前に持ってくる。夜の光にぼんやりと見えるだけだが、お世辞にもきれいだとか可愛いだとかお洒落だとか褒め言葉を向けられない見た目だった。しかしアンティークというには金属部分のくすみがない。
「何の石? というか、石……?」
「いや、これは双頭蛇の胆石だ」
「は?」
摩訶不思議な言葉が聞こえた気がする。加えて、あまり聞きたくない言葉も。
「何のどこの何と?」
「双頭蛇の胆嚢の胆石だ」
「冗談?」
「いや、本気でそれなんだって」
来留芽は無表情でそれを突き返そうとした。しかし、夕凪はにこにこと笑って手を後ろに回したまま。
「だがスグレモノだ。電話じゃつくも神に捕捉されてしまう可能性があるが、これなら気付かれない」
「生理的嫌悪感で動きが鈍る」
「つけてしまえば自分には見えない。だからそのうち気にならなくなるだろ」
そう言うと、なぜか夕凪は突き返されまいとして隠していた手を出し、来留芽がつまんでいた耳飾りを取る。
急な転換に一瞬呆けたそのとき、彼はさっと近寄ってくると抱き締めるかのように来留芽の体に腕を回す。
「何を!?」
ギョッとして身を引いたら、夕凪は何もなかったかのように下がった。しかし、耳に違和感を覚えて手を持ち上げたら、何かに触れたのだ。
「いつの間に……」
いつの間にも何も、つい先程近寄られた際に付けたのだろう。耳飾りを付けられた感覚がないことにも驚いたのだが、それよりも手慣れた様子だったことも微妙な心持ちにさせられた。
〈聞こえるか?〉
「聞こえる」
夕凪の声だということは分かった。耳飾りの効果でそれが頭の中に響くような感じに聞こえていた。彼の方を見れば口を動かしている様子がなかったので声を出さずに話せる道具であるようだ。携帯電話よりも便利かもしれない。
〈そうか。聞くのは問題ないみたいだ。で、話す方は話すように意識した言葉が相手に伝わる感じだ。心の呟きが全てダダ漏れになるわけじゃないからそこは安心すると良い〉
「(ダダ漏れは私だって困る……こんな感じ?)」
〈ああ、よくできているな。あとはうっかり口に出してしまわないように気を付けるだけだ〉
「分かった……あ」
「見回りの最中は本当に気を付けるんだぞ」
忠告されてすぐに失敗した来留芽は苦い顔を浮かべて肩を落とした。しかし、使っていけばこれも慣れて何の問題もなくなるだろう。そのまま夕凪と軽く視線を交わすと、繁華街へ身を躍らせる。
今夜のタマテバコ探しの始まりだ。
「あー、飲まなきゃやってられねぇな。ほんと、嫌になるぜ。また発注のヒューマンエラー。よりによって桁を間違えるとかねぇよ、マジで……方々へ連絡するのダルい」
「あー、お疲れさま。あちこちに頭を下げなきゃならないものねぇ。でも、クレーマー担当業務もキツいわよ?」
呑みにやって来る者達は誰も彼もそれなりに淀んだ気持ちを抱えている。酒の力を借りて少しだけでもそれを晴らそうとしているのだ。皆が皆そうだというわけではないのかもしれないが、来留芽が今いる繁華街はどちらかというと鬱屈した気持ちを抱える者が多い様子だった。
それはそれで力の質によっては役に立つので無視できない。呪詛などマイナスの感情を糧とする術はこのような空気の中だと若干威力を増したりするのだ。
「(タマテバコがどのようなものを狙うのかは知っているの?)」
〈生憎と、出没したと考えられる場所から狙われているのは人間だろうということくらいしか分かっていない。ただ、これまでにタマテバコが現れたと考えられる界隈では心神喪失者、部分的記憶喪失者がいたりする〉
「(なら、狙われるのは――人の記憶や感情みたいな見えないもの?)」
夕凪に対してはそう呟きつつ、来留芽は内心でそれを否定する。天生目東高校で襲ってきたとき、タマテバコは来留芽達を取り込もうとしていたと記憶している。そもそも、大蜘蛛を取り込んでいるはずなのだ。形ある者を喰らえないというわけではないのだろう。
〈タマテバコの狙いが良く分からない。それに尽きるね。こちらを
「(予告状を出すような丁寧さ……というか、のんきさがあれば楽なのに)」
〈予告状? 面白いことを言う。仮にそのような行いをしていれば僕達もここまで苦労しないけどな〉
夕凪の声はうんざりとしたような気配が滲む。夜な夜なこうしてタマテバコを探し回っているのに一向に成果がないということでイライラしているのだろう。来留芽もその気持ちは良く分かっている。最近の睡眠時間に影響してくるので、できるならばさっさと解決してカフェインで無理矢理脳を起こす生活から離れたいものだ。
「うん……?」
ふと来留芽は違和感を覚えて足を止めた。何が引っかかったのかは分からないのだが、妙に気になる路地がある。珍しくも何ともない場所だが、ふらふらと何かに導かれるかのように、何かに引き寄せられるかのように足を進めた。
足元の見えにくい路地裏だ。俯きがちに歩いていると温度のある光が靴先を照らし出す場所に出る。路地裏を抜けたのだろうか、と顔を上げてみれば、目の前にあったのは……『食事処 めくらまし』
「ここって……」
ハッとして来留芽は右を見て、連なる店から漏れ出た光が先の方まで続いている様子を確認する。左を見て、同じように連なる店とそこへ出入りするあやかし達を認識した。背後を見れば、来留芽がやって来た路地裏の形はなく……それが却って自分が紛れ込んだ場所の理解につながる。
ここは、あわい。妖食街と呼ばれる場所だ。
「何で?」
『おぉ嬢ちゃん、入らんのかーい』
『ここは美味いぞぉ』
『酒も美味いぞぉ』
声をかけてきたのはへべれけに酔っ払った様子の三つ首だった。振向いたらすぐ目の前に迫ってきており、口からは呼吸に合わせて小さく火が出入りしている。来留芽の頬を舐めるように火を噴かれたときはさすがに顔が引きつった。
「ええと、食べに来たわけでは……」
これは、舞首と呼ばれるあやかしだろうか。あまり良くない性質を持っている存在だと記憶している。
もちろん、それは人に対してはというだけで、当のあやかしにとってその分類は心外かもしれないが。
『何だぁ、もったいねぇ』
『あ、もしかして金がないんじゃねぇか?』
『なるほど。だからぁ、嬢ちゃんはこんなに細っこいのか』
親からの愛情もなく、食べられるのは質素な精進料理に迫る面白みのない料理! 自由になる金もわずかで外食などしたこともない恵まれぬ子ども!
『『『う、おぉぉん! 何て不遇なんだ!』』』
酔っ払いの頭の中でいつの間にか来留芽の不遇物語が作られていたようだ。
まったく事実と異なる。
両親は確かに幼少の折に亡くなっているが、その愛情を疑ったことはない。確かに社長が作ってくれる料理は精進料理だが、普段食べているのは別にそればかりではないし何だったら自分で作る。お金についてはしっかり給料を貰っているのでむしろ平均的な高校生より自由にできるお金は多いかもしれない。
『おっちゃんが奢ってやろう』
「いえ、お金はある」
『遠慮するな。俺達ゃ頭が三つでも財布は一つだから高いものは買っちゃやれねぇが』
「それだと奢ってもらうのは悪いから」
『ここは良いぞぉ。何しろ酒は美味い、料理も美味い、そして安い!』
会話が成り立たない。
来留芽は不遇物語を信じ込んだままの舞首に背中を押されて食事処めくらましに入ることになった。酔っ払いとまともな会話はできないのだと思い知り、遠い目をしたまま。
『へぃ、らっしゃい!』
『四名様ですかー?』
頭の数で換算したのだろう。それは実に正しい。
『おぅ、とりあえずはそれで良いぜぇ』
『財布は一つだけどなぁ。ハッハッハ』
『ちゃんと払ってくださるなら良いですよー』
案内されたのは四人がけの席。ベンチシート側を舞首に譲った。詰めれば大きい首だろうと腰掛けられるはずだ。……言っていて酷い矛盾を覚える。
「ここからどうしろと」
耳飾りはどれだけ呼び掛けても沈黙しか返ってこなかった。薫を参考にして巴の悪口を言っても何も反応がないので間違いなく夕凪と連絡を取る手段を一つ失ってしまったと判断して良いだろう。今いる場所があわいであることが原因なのかもしれない。
たった一人でへべれけ舞首の相手をしなくてはならないことに軽く目眩を覚えつつも、来留芽は覚悟を決めて品書きを手に取るのだった。
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