18 抗う者達


 ***



「……――う! ……ょう!!」


 体を揺すられてハッと目を開けば、青空に金髪の尖った髪型が目に入った。


「薫兄?」


 むくりと体を起こして周りを見回す。どこかの土手の草むらでうっかり寝入ってしまっていたようだ。どこかといっても、おそらく学校からそう離れていない場所のはずだ。来留芽も薫も制服を着ているのだから。


「おう。お嬢、こんなところでどうしたんだ? 風邪引くぜ」

「そっちこそ……」


 逆に聞き返そうとして言葉が止まってしまう。


「痛っ」


 チリッとした頭の痛みに、胸を過ぎった疑問がフッと消えてしまう。その違和感に来留芽は眉をひそめた。薫はただ、姿の見えない来留芽を探しに来ただけだろう。そう、


「どうした?」

「何でもない。そろそろ帰る」

「うーん、ちょっと遊んでからにしねぇか?」

「遊んでからって……それで良いの、受験生」


 薫は受験を目前に控えていたはずだ。軽い調子で遊びに誘ってくるその様子に来留芽は呆れる。


「いーいんだよ。たまには息抜きもさせろー!」

「ふっ、何それ。薫兄っていつも息抜きばっかりだと思うけど」

「ぎくっ。っまー良いだろ。ほら、行こうぜ」


 薫に手を引かれて来留芽は学生らしい遊び場を回ることになった。途中で寄ったゲームセンターで思わぬ相手と遭遇する。


「あ、来留芽ちゃんに薫。珍しいね」

「巴姉と……透さん?」


 なぜここに……という来留芽の疑問を見透かしたかのように巴が笑って言う。


「そそ。ちょっとあたし達はデートでね」

「うわぁ、巴に振り回されているのか。透さん、大丈夫っすか?」

「別に? ともと一緒にいるのは楽しいからね」

「せっかくだから、二人とも一緒に回る?」

「でも、デートなんじゃ」

「そうだけど、二人きりに拘っているわけじゃないし。楽しいのが一番!」


 はしゃいだ様子の巴に振り回されるようにして来留芽達は遊び回る。


「あれ? 珍しい集まりだね~」

「あ、樹。って、細もいるんだ。そっちこそ珍しいね」

「俺はこいつに連れられて仕方なく、だ」


 溜め息を吐きつつ細は樹を指さしていた。無理矢理引っ張られてきたのだろうが、大人しくついてきている辺り、彼は優しいというか柔軟だ。とはいえ、二人とも大学受験前のはずなのでこんな場所に来ているのは珍しいと言える。


「あ……来留芽ちゃん」

「恵美里? 翡翠も」

「久しぶりにこういった場所に来たくなってしまって。ね、恵美里。それで、途中で藤野くんにも会えたんですよ」

「私は何て言うか……青嵐の見張りだ」

「酷いな、守。そんなに信用ないのか」

「彼女に関してはな」


 面白い組み合わせでやってきた四人は内情を知っていれば何らおかしいものではなかったりする。しかし、やはり今までにない。

 ズキッとまた頭が痛んで来留芽は影で額を押さえた。


「何て言うか、結構な大人数になっちまったな」

「じゃあ、ボウリングとかカラオケに行く? 人数いた方が盛り上がるよね」

「巴、それは別に人数いなくても盛り上がるだろう」

「まぁまぁ、どっちにしろこのメンバーで遊び回れる機会ってそんなにないんだから、さ」


 今を楽しく過ごすことだけに全力を出しているかのような時間を来留芽も共有していた。一緒にいてほっとするメンバーだけで過ごせるこの時間はかけがえのないものだと心から思う。

 ずっと浸っていたい夢の時間だ。

 来留芽はそっと目を閉じて微笑んだ。そう、これは夢の時間。そして目を開くと自分を見ている、夢の登場人物達を見た。


「どうしたんだ? お嬢」

「どうしたの? 来留芽ちゃん」

「どうしたのかな~?」

「どうかしたのか、来留芽?」

「どうか……したの……?」


 不思議そうに見てくるその態度自体はこの場所、この状況に合っている。しかし、どうしても違うのだ。


「夢は夢、現は現……私がいるべきは、ここじゃない」


 確かな意思を込めてそう言えば、薫に巴、樹に細、恵美里達が黒く塗りつぶされ、ドロリと溶けてしまった。


「っ!」


 夢の世界と判断したその場所も黒一色となり、平衡感覚が掴めなくなる。

 そこに、声が響いた。


『――安穏とした夢はお嫌いかな?』


 今は覚えている。これは、魔祓が対応していた相手の声だと。

 あの夢を見せたのはこの声の主なのだろうか。だとしたら、ああ、気に入らない。


「あり得ないものを見せられるのは不愉快」

『ずっとそこにいればそれが真実になるのに?』

「でも、私が生きるべきは、夢の中じゃない」

『現実なんて、辛いだけなのに? 楽しくもない日々を過ごさなくてはならないなんて、可哀想だ』

「生きるのは義務であり権利だから。それに、生きるってそれだけじゃない」

『では、君が生きる意味は本当にそこにあるのかい?』


 ある、と言えればどれだけ良かったことか。来留芽はこの問いに即答できなかった。


『君が否定したあれは君がいなくては成立しない世界さ。あそこであれば君は絶対的に必要とされ、存在すること自体に意味が生じる。明日の心配なんてしなくて良い。悲しいこと、苦しいこと、辛いことなど何もない。しかも、理想が叶い続けるんだ』


 一拍おいて、声は鋭く突き刺さる言葉を放ってきた。


『それに比べて……現世は君に報いてくれる世界かな?』

「報いてくれるとか、くれないとか関係ない」


 世界というものはただそこにあるだけなのだ。大事なのは、そこで自分が何をするか。


「いつか、を期待できる未来がある限り、私はを肯定する。明日が良いものばかりじゃないし、未来だって確かじゃない。でも……」


 未来に希望を持てる人はたくさんいるし、来留芽はそんな世界が嫌いではないから。


「私は――」

「来留芽は――」


 どこからか、樹の声が被さってきた。ああ、きっと側にいるのだ、と心に余裕ができる。だからだろうか。珍しくも来留芽は強い意思を込めて言い放つ。


「「お前が思うように堕ちはしない!」」


 樹の声も来留芽のものと一寸違わず。互いに互いの存在を確信したことによるものか、来留芽の目には樹と魔祓がじわりと滲むように姿を現したように見えた。背中越しに視線が合う。


「来留芽っ!」

「樹兄、魔祓」


 合流できたこと、そして見たところ二人とも無事だったことへの安堵が少しばかり顔に出てしまう。しかし、まだ気を弛めるわけにはいかなかった。


『勘違いしないでもらおうか。君達が今そこにいるのは……まとめて葬るためなのだからっ!』


 その声と同時に、来留芽達の頭上にばらりと黒っぽく小さい粒が撒かれる。


『何かの糞でしょうか?』

「うわ、ばっちぃ~」


 とりあえず、来留芽もあまり触れないように気を付けることにした。黒い粒が自分に触れないように結界を張る。何が目的なのかは分からないし、次に何が起こるかも想像できないが、今いる場所を考えれば警戒はどれだけしてもし足りない。


『……容赦はいらなさそうだ。時よ、今進め。種に対する答えをみせよ』


 キラキラと細かい光の線が床に落ちた黒い粒を撫でるようにして走った。その途端、黒は二つに割れ、小さな緑が芽を出す。双子葉はシュルシュルとその長さを伸ばし、来留芽達を囲む檻となる。


「この程度?」


 魔祓はもとより、樹や来留芽も少し力を入れれば破れそうな簡易な檻。完全に囲まれる前にそれぞれ切り払い、焼き払っていた。

 強度としては普通のものだ。先程の言葉に反して殺意が足りない。


『ふっ、それだけなものか』


 パチン、と指が鳴る音。その次の瞬間、切り払い、焼き払ったはずの蔓が逆再生されるかのように元に戻ったかと思うと三人の手足を拘束した。


「あ~、面倒なやつだね、これ」


 どうやらそれだけではなく、蔓自体が魔祓の刀に対応し、火への耐性を持ったようだ。思わず引きちぎってしまえば次はそれにも耐性をつけてくる。楽に逃れさせはしないという執念深さを感じた。


『これはすばしっこい蜘蛛にさえ有効だったもの。簡単に対処できると思わないことだ。さぁ――干潟に対する答えをみせよ』


 次に来るのは? 種に対するは蔓だった。つまりは生長した植物。干潟に対するとしたら。

 来留芽は蔓を払いながら必死に頭を働かせ、次に来る攻撃に対応しようとする。そのとき、地面が微かに揺れて背後から何かが迫ってきている気配がした。嫌な予感を覚えたままゆっくりと振り返る。


「波!?」


 干潟に対するとしたら湿地のはずだけれど。

 納得のいかない気持ちのまま、これはさすがに厳しいかもしれないと冷静に判断する。今はまだ寄っては引いていく波でしかないが、少しずつその高さが増しているのだ。すぐに津波となるだろう。

 しかし、一体誰が学校という場所に赴いて津波に遭遇すると思うだろうか。しかも、天生目東高校は海岸からほど遠い位置にあるのだ。


『溺れ苦しんで屍をさらすが良い。その前に迫り来る死の恐怖に歪めた顔を見せてもらえるのかな? ああ――これもまた、劇的というものだろうか。これで幕を下ろすのも悪くない』


 勝手なことをほざく声に今は対応している余裕はなかった。来留芽達は蔓から逃れることができず、もはや地面に縫い付けられるのも時間の問題といった危機的状態にまでなっている。


「ちょっとまずい、かな~」

『こちらの手がなくなったときが最後ですね』

「あまり水位が高くなると動きにも支障が出る」


 寄る波はそう遠からず水の壁になるだろう。時間的な余裕はない。


「そうだね~。急ごうか。というか、始めからこうしていれば良かったんだよね~」


 徐にやる気を出した樹が一瞬で蔓を何かの苗にしてしまった。すぐさま来留芽、魔祓の順で蔓を同じように大人しくさせる。彼が何をしたのか、来留芽はさっぱり分からなかった。それは蔓を仕向けた者も同じだったようで、狼狽したような声が響く。


『何をした!?』

「そんなの、言うわけないよね~」

『ちっ、早速使うことになるとはね……糸繰り』


 蔓から逃れた途端、今度はどこからか糸が張られ、来留芽達を足止めした。なぜならば、その糸が刃物と変わりない切れ味をみせたから。それは、来留芽にとって覚えのあるものだった。


「くっ、油断した!」


 避けきれなかった糸が樹の脇腹を抉っていた。見る間に赤黒い染みが広がっていく。来留芽は糸に気を付けながら彼に近付くと止血に入る。


「これ、あの蜘蛛の?」

『おそらく、あれを喰らい、取り込んだのでしょう。そして、力を自分のものとした。物の悪食はあまり良くないことなのですが……』


 眉をひそめ不愉快であるという感情を隠さずに魔祓は一閃した。しかし、キィンと硬質な音を立てて弾かれてしまう。


『同じ手を二度も食らうわけがない』

『ということは、記憶も取り込みましたか』


 どうやら最初に問題になった蜘蛛はすでに亡いものと考えて良いらしい。それが良い情報とは言えないのが悲しいが。

 とはいえ、声の主が大蜘蛛に対した“同じ手”を警戒しているのならば、それを逆手にとれば良い。似て非なる術ならばきっと警戒を抜けることができるだろう。


「ここは、私がやる」

『どれだけ足掻こうが無駄になるに違いないが――全ての手段が潰えた方が深く絶望してくれるか。あぁ、きっとそれは良い糧となるだろう』

「その悪趣味もいつまで続くか」


 来留芽は手が切れない程度に糸に触れる。そして、そのまま身の内に秘めた呪詛を切り取り、流し込んだ。


『あ、ガッ……ぐ、ぅ……バカな』

「私を何だと思っていた?」


 ここまで、来留芽は呪を使えることを見せていなかった。それが今良い方向に作用している。

 箱の中のものは見通せない。同時に、人の中のものも見通せないのだ。隠しておいた意味が今ここに現れる。


「古戸の持つ呪詛に耐えられるものはそういない。簡単に取りこませはしない……破れろっ」


 抵抗させる間も与えず、来留芽は呪詛を敵に叩きつけた。


『ぐぅあああアアアアッ!』


 苦悶の叫び声が響き渡る。すると、どこかからピシリとヒビが入ったかのような音がして周囲の景色はまるでガラスが割れたかのように粉々になった。その一瞬のガラス片に来留芽でも樹でもましてや魔祓でもない姿が映り込む。金銀の豪奢な刺繍の色と、憎悪のような昏い瞳が糸を引き……そして、消えた。

 気が付けば、三人はどこかの教室に立っていた。周囲に蜘蛛の糸は見えない。大蜘蛛を喰らった何者かを撃破したためすべて消えたのだろう。


「何とかなった……はぁ、疲れた」


 来留芽は思わず座り込んでしまう。自分の中にある呪詛を引き出すのはとても神経を使うものだからだ。一歩間違えれば来留芽自身の破滅につながる。そんなものを気軽には使えない。


「お疲れ様~。それにしても、あんなの、一体どこから、持ち込まれたんだろうね~? それとも、持ち出されたの、かな」


 痛みに耐えながら話すからか、樹はいつもより呼吸が多い。本当は話すと余計に血が出るので良くないのだが、話していた方が気が紛れるのだろう。来留芽はとりあえず止血のために呪布を取り出して使う。

 結局、あの声の主と思われるものの姿は見つからなかった。消し飛んだのか、それとも、逃げたのか。それは分からない。

 しかし、今回はそれでも良いのだ。一番の問題が解決したのだから。天生目東高校はもう大蜘蛛の脅威に怯える必要はなくなった。その結果さえあれば良い。


「あれについてはたぶん巴姉と薫兄の仕事」

「まぁ、そうなんだけどね~。でもほら、御杖によれば箱のつくも神という話、じゃん。意外と厄介だからね」

「私達も動くことになる?」

『その可能性は高そうですね』

「一応、覚えておく。……樹兄、立てる?」

「大丈夫、だよ~」


 近い内に再戦することになるのかもしれない。きっと、今度は相手も油断してはくれないだろう。

 ――でも、叩きのめす

 来留芽はそう決意する。

 樹に大怪我をさせたことを許すつもりはなかった。



          操躯之章Fin.


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