13 流れのままに


 ***



 夜の闇のなか、静かに立つ姿があった。足を置くのはびっしりと張られた蜘蛛糸の上。しかしそれを弛ませることもなく立っていた。まるで無重力に生きているかのようだが、そこに確かに存在している。まとうのはまるで外つ国の貴公子のように豪奢な衣服。翻るマントには見る者を惹きつける金銀の輝きがあった。しかし、それは不思議な力によって隠されており、誰も目にすることはない。


『さぁ、見せてもらおうか――』


 この場所に巣くう蜘蛛にはを与えた。見る間に育ったその蜘蛛は母を知らず、世界を知らず、脅威を知らず、悪意を知らずにいる。ただ傲慢に人を食い物にしてきたそれには近く討伐せんとする刃が迫るだろう。

 極限の時に思うことはただ一つ、守ること。執着しているものを守ることだろう。血を流し、涙を流しながら守ろうとするその姿はきっと、とても美しいに違いない。


『命をつなごうとする、尊き戦いを』


 ここに場は整った。

 それは歪に口の端を吊り上げ、愉しげな顔を作る。箱の外には剣を持たせる予定の演者の姿があった。順調に進んでいることを感じ取り、嗤いを深くする。入ることを心配しているようだが、本当のところは心配せずとも良いことだった。


『さぁ、来ると良い』


 糸を手繰るように戦いの流れを呼び寄せる。

 幕を開こう。演目は――『大蜘蛛退治と生徒エサ争奪戦』とでもしようか。



***



 翌日。鳥居越学園では特に問題なく普通の日を過ごす来留芽。可能な限り天生目東高校のことは考えないようにしていたが、穂坂が目に入るときだけはどうしても気になってしまう。


「はぁ……」

「来留芽さんが溜め息を吐くのは珍しいですね」

「確かにねー。あ、もしかして、恋煩い? 今日は穂坂くんの方をよく見ていたよね!」

「ッ、ゴホッゴホ……八重、違うから」


 昼食中、ちょうどお茶を口に含んだところで思わぬ邪推をされて来留芽は咳き込んだ。穂坂が恋の相手とかとんでもない。別に嫌いだというわけではないのだが、そういう相手にはどうしても思えないのだった。

 視線を向けてしまうのは、そう、やはり明日のことが不安だからだろう。

 そんな来留芽の事情を知っている恵美里はうんうんと頷く。


「何か……心配なんだよね……。こっちの事情だけど……」

「そっちの? って、穂坂くんも何か巻き込まれているんだ。ちょっと意外だね」

「そう……かな。あ、他言無用でお願い……します」

「それはもちろん」


 昨夜、夜の見回りを終えた辺りで天生目東高校の件を共有した。そのため、恵美里も経緯を知っているのだ。ただ、今回のところはいろいろと制限があるので直接的には関わらないことになっている。翡翠も同じだ。

 そもそも、大蜘蛛と対峙して平気でいられる女性は少ない。

 来留芽自身もどうなるかは分からないが、裏一般的なものとして陰陽術師はあやかしに対して少しだけ有利だという相性関係がある。ちょうど細が教師業で手が空かないということで、来留芽の参加が自動的に決定してしまった。


「それにしても、忙しそうですね。来留芽さん、睡眠などは大丈夫ですか?」

「そこは大丈夫。恵美里もそうだけど、まだ高校生だということを勘案して夜の見回りは一日おきくらいだから」

「仮に……夜に仕事があっても、終わってから三、四時間は寝れるから……」


 来留芽と恵美里がそう言うと、八重と千代は顔を見合わせていた。


「あまり悪いことは言いたくないけどさ、それってやっぱりブラックだよね……」

「でも……帰ってから少しだけ眠れば……合計で六時間にはなるから……」

「まとまった睡眠は大事だよ、恵美里っ!」


 八重がそう強く主張しながら恵美里の両肩に手を置いて揺さぶる。どうやら彼女は睡眠について一家言を持っているらしい。

 睡眠時間は足し算できないのだと強く主張していた。


「まぁ、本当にやっていけなければ社長に言えば良い。改善してくれるから」

「うんうん、そうできるのは良いことだよね!」


 その横で、来留芽は千代と話していた。勉強についての話から恋人となった青波のことまで他愛のない話題が続く。どうやら青波とは無色忍葉としてではなく竹内千代として上手く付き合っているらしい。前世を覚えているというのは良いことばかりではないので心配していたのだが、楽しそうで何よりだと思う。


「……来留芽さん。実は、中隠居君から面白い話を預かっているんです」

「中隠居くんということは、噂話?」

「いえ、それがどうも都市伝説らしいですよ。あまり来留芽さんの仕事には関係ない娯楽としての話だと思います。ただ、それについて書かれているものを忘れてきてしまって。また来週見せますね」


 そして、午後の授業も終えたところで部活動の時間になる。この日は心霊研も休みではなかった。そのため、授業中に寝ていたからか今は元気な八重と連れだって一階に向かう。ちなみに千代は情報部で恵美里は書道部だ。


「こんにちは-!」

「こんにちは」


 部室にやって来てすぐに確認してしまうのは会長である木藤が何の本を読んでいるか、というものだった。確か、初日は妙なタイトルの本のカバーをかけた羅生門だったか。


「こんにちは。今日は二人が最初ですよ」

「いや、最初は木藤会長ですって!」

「……では、二番手で。いつもは小野寺さんが早いですが今日はお二人が早かったですね」

「そう言う会長はいつもいますよね!? 何なんですか。三年ってそんなに授業少ないんですか?」


 八重が笑ってそう返す。木藤先輩はそうでもないですが、と言って苦笑すると本を置いて立ち上がると、来留芽達が荷物を教室の隅の方にある机に置いている間に椅子を出してくれた。

 ちなみに、今日の本は『おとぎ話の変じやすさ』というものだったらしい。


「それでは、小野寺さん達が来るまで何か話していましょうか。何か聞きたいことはありますか」

「それじゃあ、今日の本について! どんな内容なんですか?」

「本? ああ、これですか。これは……そうですね、一言で言うなら“おとぎ話は解釈の仕方も複数あるということについて考える”という感じでしょうか」


 どうやら、意外に裏向けの内容なのかもしれない。来留芽は木藤先輩の言葉とその表情を見て、そう思った。

 しかし、八重は良く分からなかったらしく、首を傾げている。それを見て、先輩は追加で説明することにしたようだ。


「例えばペロー童話集とグリム童話集にある共通話のように、同じ話であっても人がどう介するかによってその性格がまるっきり変わってしまう物語というものはどこにでもあります」


 しかし、それは仕方のないことでもある。表現というものは無数にあるようでいて、限られているものだからだ。そもそも言葉というものは二者の間で共通の前提がなければ通じないものだ。表現もまたしかり。

 逆に、共通の前提とするものが少し変われば言葉も表現も変わるということでもある。


「ほんの些細な噂だったとしても悪意をもって歪ませることだってできますね。それで誰かを陥れることだってできてしまう。我々はそのことをよく知っておかなくてはならないのです……」


 真剣な瞳は八重を見て、そして、来留芽に向けられる。

 何かを知っているのだろうか。そう思わせる不思議な空気に思わず疑問をこぼしそうになったとき、ガラガラと部屋の扉が開かれる音がした。


「こんにちはー。おや、来留芽ちゃんに八重ちゃん。今日は早いね」

「「こんにちは」」

「こんにちは、小野寺さん。連続二番手の記録は二十四日でした」

「そういえば、そんなカウントもしていたね。でも、二番手とは?」

「一番手は僕だそうですよ」

「あはは、確かに。会長はどうしても外せない用事が入ったとき以外はいつもいたから」


 先程の不思議な空気が霧散した。別に深く考える必要はないのかもしれない。それでも、なぜか来留芽の中には“おとぎ話の変異性”というものが心に強く残ったのだった。


「さっきは何を話していたんだい?」

「木藤先輩の本の話ですよ! おとぎ話の解釈はいろいろあるというもの? でした」

「ああ、そういえば以前にも読んでいたね。私のときはそう……優しい物語にしたいなら真実ばかりを伝える必要はなくなる、だったかな」

「何か深いですね!」


 八重は、あまり深く考えてはいなさそうだ。そのくらいの方が楽しく過ごせて良いのかもしれない。

 一度、興味を持ってしまって抜け出せなくなってからでは遅いのだから。


 そう考えると、STINAのメンバーはもう後戻りはできないところまで来ているのではないだろうか。

 部活も終わり、オールドアに帰ってきて思ったのはそんなことだった。


「ただいま……何をやっているの」

「何ってスタンプ大会かな~?」

「「お邪魔していまーす、古戸さん」」


 既にオールドアにやって来ていたのは和泉と穂坂の二人だった。おそらく天生目東高校の二人は遅くまで作業があるのだろう。文化祭の時はどこもそんな感じだ。

 それよりも、来留芽が驚いたのは二人の周囲に明らかにあやかしの子どもだと分かる丸っこい姿があったからだった。


「今日はちょっと子守りを頼まれちゃってね~。ちょうど手があるから手伝ってもらっているんだよ~」


 彼等はラウンジの机や椅子を片付けて子ども用のマットを敷き詰めたその上で作業していたのだ。丸い形の机に和泉と穂坂が白いカードのような物を置き、子ども達はそれぞれ両手に樹の手製のはんこを持ってきゃらきゃらと笑いながらカードにペタペタと押して回っている。そして、はんこを押されたカードは回収され樹の元へ。

 おそらく、子どもが遊び疲れるまで永久運動できそうだ。とすると、少し離れているところで毛布に包まれて寝ているのは遊び疲れた子ども達なのかもしれない。


「古戸さん、古戸さん」

「何?」

「手伝って」


 差し出されたのは白いメッセージカードの束。まだまだありそうだ。来留芽は途端に鞄が重くなった気がして、肩を落とす。


「荷物置いてくるから、少し待っていてもらえる?」

「うん。できれば早くお願い。おれ達、もう三時間ばかりこれ続けているんだ」


 何という。

 来留芽は絶句してしまった。何という体力だろうか。小妖の方にも驚く。しかし、よく見てみれば小さいながらも頭の部分に角が生えていた。これはどちらも鬼の子だ。

 どうりで三時間も遊び続けられるわけだ。

 来留芽は溜め息を吐いた。


「飽きるまで続きそう。分かった、すぐに戻ってくるから」


 自分の部屋に鞄を放り出して、来留芽はすぐに踵を返そうとする。しかし、先程の光景に少しだけ懸念を抱いた。もちろん、あの場には樹もいたので滅多なことは起こらないように調整されてはいるはずだが、来留芽が用心しない理由にはならない。

 そのため、来留芽は専らオールドアで裏関係の作業時に着る服に着替えることにした。動きやすく、それなりに頑丈になる加工を施したもの。


「お待たせ」

「待ち遠しかった! 悪いけど秀と交代で少し休ませて……って、珍しい格好だね、古戸さん」

「それってさ、作務衣って言うんだっけ?」

「そう。……で、このカードを並べていけば良い?」

「そそ。そうしたらこの子達が追いかけてくるからさ」


 一人はカードを並べながらぐるぐると。もう一人は回収しつつぐるぐると。適当なところで交代しているようだ。


「それ、目が回らない?」

『回るよ。すごく回る!』

『でもね、それがおもしろいの!』


 来留芽の左右からハンコを持った手を振り上げて子鬼がそう主張する。


「あは、は。実は目を回してくれたらな~とか浅知恵を働かせた結果なんだ」

「これは小さくても鬼だから難しいでしょ……まぁ、時間がかかるのは覚悟しないと」


 考えとしては良いと思うが、長期戦は覚悟しなくてはならない。

 来留芽は自分の体力を考えた速さでカードを並べていくのだった。


「これで……最後。ッ!?」


 しかし、小鬼がはんこを押したその時に起こった異変に息を飲む。その最後の一枚だけ霊力と妖力が歪な混じり方を見せたのだ。あまり良くない気配がする。

 それは小鬼にも分かったらしく、さぁっと青ざめた。

 霊力と妖力が歪に混ざったもの、それがふくれ上がる。抑えなくては、子鬼では耐えきれない!


「危ないっ! っ、囲め……!」


 咄嗟に異変を見せたカードを隔離したが、力が足りない。何とか最初の暴発は逸らせたが、電気系統に影響してしまったのかバチリと音がして部屋の明かりが全て消えた。


 ――まだ、終わっていない


 来留芽は手を伸ばして穂坂をカードから離れるように突き飛ばすと小鬼達を抱き締めて庇う。その瞬間、低く飛ぶようにして一瞬で距離を詰めた樹にグッと抱き上げられた。


「わ」『『わわっ』』


 バンッと危険な音を背後に聞く。


「やれやれ、危ない危ない~」


 樹は来留芽もろとも小鬼達も抱え込んで机から距離を取ったのだ。そして、来留芽達をそっと降ろす。

 ちらりとその顔を見れば、少しだけ安堵が覗いているのが分かった。彼にとっても予想外な要素があったに違いない。


「来留芽のおかげで楽だったよ~」

「それなら良かった。咄嗟にできたのはあれくらいだったから。樹兄もありがとう」

『『ふぐ……ひっく……わぁ~ん』』


 来留芽は自分の作務衣を掴んだまま大泣きし始めた子鬼二人の背中を叩いてなだめながら今は離れたところにあるテーブルを見る。

 霊紙は跡形もなくなっていた。来留芽の簡易結界の中で爆発して散り散りになってしまったからだ。


「こ、古戸さん」


 突き飛ばされて尻餅をついていた穂坂が何とか立ち上がっていた。そして、そっと近付くと子鬼の一人を抱き上げてあやしてくれる。一方で和泉はというと樹によって下げられていたらしく、他の小妖と一緒に部屋の隅の方にいるようだ。


「穂坂くん、突き飛ばしてごめん」

「いやいや! そうじゃなきゃたぶん巻き込まれていたし。むしろ感謝しかないというか。……あれって何だったのか聞いても良い?」

「たぶん、霊力と妖力が反発してしまったのだと思う。樹兄はどう思う?」

「その認識で良いと思うよ~。たまたまあれだけ作りが甘かったのかもしれないね~。他は問題ないよ」

「そうですか。カードを渡した天生目東高校の生徒が怪我を負うようでは困るので……」


 とはいえ、樹の瞳は普段よりも鋭くなっている。来留芽自身も先程の異変については疑問がある。しかし、それについては穂坂達に知らせる必要はない。

 樹の言葉を聞いてほっと安堵している彼を見て、来留芽はこれについて口を噤んでいようと決めた。

 そのとき、部屋の電気が点き明るくなる。来留芽達の視線は電気のスイッチがある、部屋の扉の方へ集中した。


「あんた達、どうしたの? 何か変な気配を感じたんだけど」

「巴姉」

「あ~、ちょっとね。でも、もう大丈夫だから~」

「そう。だったら、この子達を通しても良いかな」

「「お邪魔します」」


 巴の後ろから現れたのは坂田と三井の二人だった。もうこの二人がやって来る時間だったのか、と来留芽達は驚く。

 何にせよ、彼等が集まったのであればついに明日の打ち合わせに入れるということだ。


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