12 現世で力を持つということ


 今夜は空のほとんどに雲がかかっているらしい。あわいという場所にある妖食街を抜けて天生目区にやってきた来留芽は空を見上げてそれを確認した。星も月も見えない夜はどこか不安がつきまとう。とはいえそれは、一人だったらの話だ。


「よ~し、食べた分は動いて消化しないとね~」

「腕が鳴るぜ」

「あたしも妖酒を結構飲んだから充分に戦えるよ。とりあえず、人払いはしておくよ」


 軽くストレッチをして体をほぐす樹。気楽そうに構えていて、そのくせ目は獣のように鋭い薫。ほんのり上気した頬に飲酒の余韻が窺えるが足取りはしっかりしている巴。

 単独ならともかく、仲間と共にいれば比較的安定している面々だ。

 来留芽もまたしかり。今日は腰に佩いている仕込み杖にそっと手を置いた。


「魔祓も、力を貸して」

『もちろんです、主様』


 ふわりと宙に浮かんだ仕込み杖が人の姿に変化する。人払いをしているからそうしたのだろうが、現世で突然そうされると驚く。


「んなっ、それつくも神じゃねぇかっ!?」

「そうだけど」

「お嬢、それ、俺に突き付けていたよな。あっぶねぇ……」

『おや、主様の仲間であれば傷付けはしませんよ? ええ、裏切ることさえなければ』


 ずいっと迫って薫をのけ反らせた状態でにこやかにそう言う魔祓。おそらく、薫はそこに鋭い刃のきらめきを見たはずだ。顔を引きつらせながらその脅しに対してコクコクと頷くとようやく解放される。


「はぁぁ……仕込み杖かよ。物騒な」

「まぁまぁ~。扱いさえ間違えなければ心強い味方だよ~」


 何の憂いもないといった態度で笑い飛ばす樹に、さらに肩を落とす薫。裏切る、というか道を違える予定はなさそうだが、オールドア内の力関係を考えると何となく嫌な予感を覚えていたのだった。

 そんなつかの間の休憩を取っていたとき、前方から人の姿が見えてきて来留芽達は緊張に身を固くする。シルエットから推測するとどうやら着物を着た人のようだった。しかし、この場所は既に人払いをしているのだ。そのような空間に来ることができるのは裏側にいる者達だけ。


「何者だ……?」

「あれは、幽霊っぽいね~」

『いえ、あれは……』


 やって来たのは白い傘を手に持った上品なおばあさんだった。老婦人と言いたくなる上品なおばあさんだ。もう夜だからか傘は閉じている。来留芽達のすぐ側までやって来ると彼女は口元に控えめな微笑みを作った。


『こんばんは。少し時間をいただいてよろしいかしら?』

「「っ!?」」

「零さんっ!?」

「零叔母さん?」


 その声に即座に反応し、よろっと一歩下がったのは樹と薫だ。一瞬のうちに青ざめて距離を取ろうとした様子だった。本能にトラウマとして刻まれているようだ。

 零、とは来留芽の叔母にあたる人のことだ。渡世悟の妹になる。そう頻繁に会っているわけではないのでよく知らないのだが、どうやら目の前の幽霊の声は零にそっくりだったらしい。


『うふふ。そうなの。私、こんなにおばあちゃんですけど、渡世零さんに声がそっくりだと言われてね。もう少しだけあの世に呼ばれるまでの猶予を戴いているのよ』


 寿子としこと名乗った彼女は零の式神として幽霊としての時間を長く過ごしている存在だという。声が似ていたり姿が似ていたりする場合、自らに紐付けて式神化することによってその存在をこの世に引き留めることができるらしい。ただし、その式神が受けたダメージは術者にも向かう。それを考えると迂闊に使うことはできないだろう。


「そんなデメリットがある術なのに平然と使っているからあの人は怖いんだよね~」

「本当にな……」


 まだ精彩を欠いたままの二人に、叔母はそれほどまで怖い相手だっただろうかと首を傾げる来留芽。巴と魔祓は苦笑いを浮かべていた。

 そんな様子を少しだけにこにこと見てから、寿子はパン、と手を打った。


『ああ、そうだったわ。零から言伝を預かっているのですよ。ええと、これだったかしら……アウェイク』

『……我が眠りを妨げる者は誰じゃ』


 寿子が呪符のようなものに唇を寄せ、何事か囁いた。すると、遠い銀河のきらめきのような細かい光が渦を巻き、その中心から簡易な衣を纏った何者かが現れる。そして不機嫌そうに眉をひそめると術を使った寿子に目を向けた。


「「ッ!?」」


 たったそれだけの動作なのに凄まじい圧を感じた来留芽達は膝を落とし、跪いてしまう。立っているのはその圧をもたらした存在とぽやっと首を傾げた寿子だけ。現れたのはおそらく、力強き神様だ。


『あら? 中主様』

『零? ではないな。寿子か』

『あらあら、間違えてしまったみたいだわ』

『そそっかしいのは死んでも治らぬな。まったく……』


 深く深く溜め息を吐くと中主様は何かを払うかのように手を動かした。すると、来留芽達にかかっていた圧が嘘のように消えていく。


『鈍いにもほどがあろう。見ていて不安になる。ほれ、この力を持っているが良かろ』

『あら、毎回ありがとうございます。零さんにまた呪符にしてもらえば良いかしら。中主様にも心配させて申し訳ないわ』

『……寿子を心配しているわけではない! 見ているこちらの不安を軽減するためという意味しかないのだぞ』

『うふふ。そうなのですか』


 にこにこと笑う寿子から中主様はふいっとそっぽを向いて背を向ける。しかし、どう見ても照れ隠しにしか見えないのだった。


『まったく、次こそ間違えるでないぞ。見よ。とばっちりで可哀想なことになっているではないか』

『ええ。ごめんなさいねぇ』

「い、え……その、神様?」


 自分でも変な質問に聞こえるかもしれないと思いながら、とりあえず間を持たせるために尋ねてみた。どうやら一番に我に返ることができたのは来留芽のようだったからだ。


『如何にも。しかし、私はそなたら霊能者であったとしても馴染みのない存在だ。そこの巫女も気にすることはない』

「はい。ご配慮ありがとうございます」

『そもそも、寿子が間違えたのが悪いのだ。ほれ、さっさと目的のものを使わぬか』

『ええ、と、これだったかしら……スタート』


 不安を感じさせる手つきで呪符を取り出すと寿子は小首を傾げながら使った。

 今度のものは正しいものだったらしく、呪符は零の姿を折り上げる。


『ようやくコンタクトを取れたわね。あら、中主様。また寿子がやらかしたのね? いつもお世話になっています』

『実にな。まぁ、私のことは気にせず話すと良い』

『ありがとうございます。それで、そこにいるのは……樹に薫、巴と来留芽かしら? 特に来留芽は久しぶりね』

「久しぶり。零叔母さんも天生目東高校の異変に関わっているの」


 何とか気持ちを落ち着けた来留芽がそう尋ねると、零は首を傾げた。


『関わっているといえばいるのかしら。天生目東は寿子の大切な場所なのよ。少し前に異変が起こる可能性が視えたから念のため結界を張らせていたの』


 零は妙に勘が鋭い。その精度はまるで未来が見えているのかと思うほど。だから、来留芽は達よりも早くに異変を察知して式を送り込んでいたのだろう。


「でも、寿子さんって」


 ほわほわとしている寿子を見て、言い淀む。しかし、零には来留芽の言いたいことが伝わったようだ。


『バリバリの後方支援ね。でも、こっちはこっちで手が離せなくて。幸いその子でも異変の範囲を高校の敷地内で抑えるくらいはできるし……っと、言いたいのはそれじゃなかったわ』


 そこで、零は言葉を切って一瞬の沈黙が落ちる。


『――忠告するわ。そこの高校にいるのは厄介な育ち方をしてしまった大蜘蛛。先に場を作られてしまったから、その中には学校の関係者と招待客くらいしか入れなくなっているはず。気を付けなさい。今回は少人数でしか取りかかれない』


 それだけ言うと、零の姿はなくなった。術の効果が切れてしまったのだろう。


『と、いうのが今の状況よ。たぶんですけど、入れるのは二、三人くらいでしょうね』

「ってことは、俺達は骨折り損か? 大蜘蛛の場になっているってんならつくも神も入り込めねぇだろ」

「そういうわけでもないんじゃない? 薫、あたし達の目的であるあのつくも神がまだ関係がないとは決まっていないよ」

「確かに。そういえばあんたは知らねぇか? たぶん、宝箱のつくも神なんだが」


 ふと、薫が寿子に尋ねる。しかし、残念ながら彼女は知らない様子だった。


『お役に立てなくてごめんなさいね』

「いえ、天生目東高校のを抑えていてくれるだけでも助かるので」

『では、私はいつもの見回りに向かいますね。中主様、御呼び立てした立場で言うのもなんですが、この辺りは少しばかり場として悪いのでお気をつけください』

『それくらいは来たときから分かっておるわ。そうじゃな……そこな巫女、とついでに呪の娘よ。念のため、言っておこう』


 中主様がひたりと巴を見据えた。ついでに、と指された来留芽も我知らず身を固くしてその言葉を聞く。


『一つのものは本来、二つに分けることはできぬ。分かれているならばそこには何らかの力が介入したことの証左。そして、分かれたものは長く離れてはいられぬ。狂う前に収められると良いがな』


 それだけ言うと、中主様はふっと姿を消してしまった。何を司るのかも分からなかった神様だが、その神通力は確かなようだ。きっと来留芽達には分からないものを見ていたのだろう。


「二つのもの、ねぇ……さっぱりだよ。手遅れになる前に理解できれば良いんだけど」


 神様は、手がかりだけしか与えない。

 そして一先ず巴と薫は周辺の地域を、来留芽と樹は天生目東高校を外側から見てみることにした。


「わぁお、こりゃ大変かもしれないね~。確実にあやかしの仕業だ」

「幻覚でもない。それにしても、樹兄のその話し方は大変そうに聞こえない」


 しかし、天生目東高校の状況は本当に厳しい戦い、駆け引きを想像させた。

 まず、校門にしっかりと糸が張られている。これはとても危険だ。何せ、門は内と外を区切るもの。言い換えれば、内に通じるものであり外に通じるものでもあるのだ。それがおそらくは蜘蛛の支配下に置かれている。

 ――それはすなわち

 来留芽はすっと両目を細くして鋭い視線を投げかけた。


「門を潜ればすぐに気付かれるね~」

「相手の巣の中に行くのは気が進まない」

「それ以前に、素直に入らせてもらえると思う~?」

「でも、叔母さんの話を考えると、関係者であれば私達でも問題なく入り込める可能性があるってこと」


 そう言えば、樹は少し沈黙した。表面に浮かべただけだった表情を消し去って真剣な目で考え込む。

 樹も当然、その可能性については頭の中にあったはずだ。そのくらい細かいことを取りこぼさない男だから。しかし、どのように道筋を作れば良いのかまだまとまっていなかったのだろう。今、彼の中では早急にその道筋が作られている。

 きっと、来留芽と同じ。いや、仮に違っていたとしてもそれは可能性の幅が広がると言うだけで、問題はない。

 ふと樹が顔を上げて、二人の視線が合った。


「入ることについては問題ないかもしれないね~。招待してもらえば良いんだから。ただ、それだと肝心の蜘蛛のところまで行けない可能性が高いかな~」


 来留芽達が欲しいのは校内を自由に歩ける立場。しかしそれは、招待客というだけでは得られないものだ。


「樹兄、一つ忘れてる。この学校の文化祭初日は生徒だけ」

「ああ~! それじゃあ、入れないじゃん」


 鳥居越学園は初日から招待客も来るので失念していたが、天生目東高校の場合、初日は生徒達だけで演劇を見るのだと、坂田と三井が話していたりする。樹もそれについては忘れていたのか、早速可能性を潰されて頭を抱えていた。

 しかし、来留芽は首を横に振った。まだ、可能性はあるのだ。


「でも、唯一学外者で入れる人がいる」

「え~? いたっけ?」

「STINAのメンバーとスタッフ」

「ああ、なるほどね~。でも、そこに僕達が混ざれるかな~」

「そこは交渉するしかないと思う」


 とりあえず、天生目東高校の異変があやかしによるものだということは確認できた。その上で、当日にどうするかはまだ決められなさそうだ。関係者として入り込む方法についても、STINAの側で許可が下りるかどうかが鍵となる。


「ま、何にせよ今日はここまでかな~」


 その言葉に頷きながら、来留芽はふと振り返って校舎を見る。至る所に蜘蛛の糸が張り巡らされているからか、妖気の気配も大きくなる。しかし、蜘蛛がここまで力をつけたことに対しては……何か作為的なものを感じていた。

 あやかしが現世で力を持つということ。それは簡単にできるものではないのだから。


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