6 邪魔はさせない

 

 ***



 一方で。

 昼過ぎに、太陽はぎらぎらと照りつけ始める。気温は上がり競技場内が陽炎に揺れていた。

 ちょうど今、生徒達が競技場のフィールドに並び、応援合戦が始まる。細は教師の待機場所に立ちつつ彼等とその空をじっと見ていた。そして、周囲の人には聞こえないように口の中で呟く。


「滅紫、消霊の仕事だ」

『あい、さー。あれくらいならよゆー』


 細の背中辺りからふわっと小さな影が浮かぶ。そして普通の人には見えない蜘蛛が空を伝って行った。

 幽体蜘蛛は幽霊と相性が良い。いや、見方を変えれば相性が悪いとなるかもしれないが……。ともかくこの蜘蛛は消霊する能力に長けているのだ。ただし、意思の薄い、今にも消えそうに漂っているものに限る。

 それは意味がある能力なのか? と正直最初は細も思った。だが、能力について知ったのは式神となった後のことだったので……つまりは遅かったわけだ。


「ま、気付かれ難く後々問題になりがちなああいった幽霊を消せる力は、たまには役に立つということだな」


 そのとき、ふ……と細の周囲から音が遠のいた。今いる場所にも響いていた応援の声も、観客席からのざわめきも一気に小さくなったのだ。まるで世界中の音から隔離されてしまったかのように。その異変に気付いた彼は眉間に皺を寄せると周囲を警戒する。ぐるりと周りを見回せばそれを感じているのは自分だけだと分かった。


「細~、ちょっと報告」

「……何だ、樹か。驚かさないでくれ」


 シュタッと上から影が降りてきて細の横に並ぶ。ふわっとした髪に人畜無害な微笑みを貼り付けている胡散臭い少年姿。その実年齢二十八歳。彼が関係者立入禁止のこの場所まで来たということは、やはり問題だと判断したのだろう。どうやら、音が遠のいたように感じたのは樹が何かしらの術を使ったかららしい。原因が分かって細は少しだけ息を吐く。


「あ、ごめんね~。結構急ぎだからさ。あのさ、あの浮遊霊達、人為的につなげられた奴らみたいなんだよね~」

「なるほど。偶然ではなく故意。そんなものに運動会を妨害されるのは目障りだな」

「そそ。だから、ちょっと“お話”してこようかと思ってね~」


 お話、の部分だけ妙に強いニュアンスを込めて樹は笑った。その意味を理解している細も冷ややかに笑う。


「滅紫に頼もうか。一部は糸を繋いで送り返し、あとは応援合戦のフィナーレに合わせて一気に消霊を」


 細と滅紫の距離はずいぶんとあるのだが、指示は伝わっていた。蜘蛛の糸が声を伝えていたからだ。いわゆる糸電話の要領だ。


『あい、さー』


 そして、指示通りに消霊を進めた滅紫によって上空がきらきらと光った。“見える人”であれば、それはとても幻想的だと思うことだろう。裏に関わりがあり、かつ情の欠片でも持てる者であれば、それはとても残酷な光景だと思うだろう。

 樹も細も残酷さは分かっているが、目を逸らすことはしなかった。


「樹、つながったようだ。……糸はこれ、あとは任せて良いな?」

「もちろん。それじゃ、行ってくるよ~」


 樹は気楽な様子で滅紫の糸を手に巻き付けると簡単に狭間を開く。不思議なことに、糸はその狭間の先へ続いているようだ。狭間を開くもの以外にも何かの術を使っていそうだが、どんなものを使ったのかは皆目見当も付かない。

 樹を見送った細はとりあえず浮遊霊の問題は解決したと判断し、体の力を抜いた。

 しかし、しばらくして綱引きが始まった頃、また新たな問題がやって来る。


『細ー、奴が出てこようとしてるよー』

「奴、というと……」

『白うねりー。狙いはあの綱みたいねー』


 滅紫からの連絡に細は深く溜め息を吐く。狙われている綱とはもちろん、綱引きの綱のことだ。よりによって競技中の綱が狙われるとなると、それの阻止は難しくなる。どうしたものかと思って細は顎に手を当てて少し考え込んだ。


「滅紫、奴がこじ開けようとしている場所は分かるか?」

『当然さー』

「それなら、そこを糸で縫い付けてしまえ。それでしばらくは持つだろう」

『あい、さー。でも、雑ねー』

「文句を言うなら奴を倒せと命令するぞ」

『めんどい』


 最後の返答は普段の間延びした感じがなかった。あれは本音だろう。できないと言わないあたりは滅紫のプライドの高さが窺える。倒せと言われないようにと考えてか、割と本気で空間を縫い付けていた。

 そんな裏舞台は知らず、体育祭は順調に進んでいく。


「あ、一位は取れなかったか」


 担当のクラスがいる青組の得点は順調とは言えないようだ。そう思った細は苦笑する。どこからか、『式神にばかり仕事させて自分は観戦ー? 良いご身分ですねぇー?』と文句が飛んできた気がするが黙殺した。



 ***



 さて、来留芽は綱引きのあと、次の競技にも出るため待機場所にいた。次に行われるのは仮装競争だ。この競技は参加者枠が多く、何と一クラス七名も出るのだ。全員一斉に行うことは出来ないので一年生、二年生、三年生の順で行うのだが、最終的な順位はタイムで決まる。この競技の面白いところはこれだけの人数がいるというのに一切衣装の被りがないところだという。ただ普通の服から奇抜なものまで当たりと外れの差が大きい。当然のことだが、この仮装競争の準備が一番時間かかったそうだ。手芸部に洋裁部、有志のお針子募集に乙男の動員で乗り切ったという笑い話がある。


 〈次は、仮装競争です。準備に少し時間がかかるので十分間の休憩になります〉


 仮装競争は足の速さよりも如何に着替えやすい衣装を引けるかという運の要素が強いため、選手のほとんどが文化部の生徒だ。去年の話だが、一番時間がかかったのは十二単じゅうにひとえだったそうだ。本気で小袖こそでからまで丸ごと用意したのだろうか……。そうだとしたら、着替えに時間がかかるのも頷ける。もしかしたら、今年のものにも入っているかもしれない。袋の時点で大きいものには注意が必要だ。


 〈ここで、応援合戦の順位が確定したのでお知らせします。一位黄組、二位青組、三位赤組でした〉


 青組は残念ながら一位を逃してしまったらしい。応援合戦の得点は高く設定されているという噂があるので、ひょっとしたら黄組に追い付かれてしまっている可能性もある。確証がないのは昼以降、総合得点が隠されているからだ。


「あ~あ、残念。さっきの騎馬戦も綱引きも一位は取れなかったしひょっとして青組ヤバい?」

「さて、それはどうだろうね。少なくとも午前中に大きく引き離していたのは間違いない。そのため、多少なりとも点が入っていれば――そうそう追い付かれることはないと僕は考えるがね」


 近くに固まっている一組のメンバーが真剣に考え出す。特に中隠居が話すとなぜか納得する人が多くなる不思議があった。全く詳細な話でもないというのに、だ。


「何にせよ、この仮装競争も手を抜けないということ」

「そうなりますよね」

「その通りだ、古戸さん」

「え、でもまだ優位性あるなら別に気楽にしてても良くない?」

「よく考えたまえ。この仮装競争には一位から六位までのすべてを青組で埋め、得点を総取りできる可能性があるのさ。ただし、それは他の組についても同様のことが言えるわけだ」

「ヤバいねそれ」


 頑張らないと語彙が死滅しそうなほど追い込まれてしまう種目なのだ。


「一、二ポイントでも良い。取られないように努力したまえ」

「そう言う中隠居くんもちゃんとやるよね?」

「もちろん、努力はするとも。ただし、僕の運動能力に期待は不要だ」

「でもウチら、だいたいそうじゃない?」

「ヤバいね」


 青組一年生でこの種目に出ているのは文化部の子がほとんどだった。そして、運動は壊滅的。


「あ、でも古戸さんはそうでもないよね?」

「頼みの綱!」

「拝まれても困るんだけど」


 来留芽を中心にぐるりと手を合わせて拝む円ができあがり、戸惑う。普段あまりふざけない千代まで一緒になっていた。他の組の人からは何をやっているんだろう、と好奇心の覗く目で見られて恥ずかしい。溜め息を吐きつつ遠い目をしたところで観客席に腹を抱えて笑っている薫の姿を見つけてしまった。

 ――帰ったら覚えてろ、薫兄

 来留芽は距離がありすぎて届かない呪の無念を込めてグッと拳を握るのだった。


 〈お待たせしました。ただいまより、仮装競争が始まります。一年生の参加者はスタート位置に移動してください〉


 いよいよ始まるようだ。来留芽はあれよあれよという間に気付けば一番前まで押し出されていた。つまり一位を取ってこいと。

 仕方ない、やるか、と気合いを入れたと同時にパン! とスタートの合図が鳴る。来留芽は本気で走りだし、トップに躍り出た。そして特に問題なく百メートルを走り抜け、多くの黒い袋が置かれているゾーンに来る。言わずとも知れているがこの袋の中に衣装が入っているのだ。


『あー、お嬢ー、ちょっと手伝っ……』

「今、邪魔をしないで欲しい」

『シャーッ!?』

『おぉう、お見事ー』


 目の前に開いた狭間へ来留芽は反射的に容赦のない呪を放った。奥に何かがいたのか、苦しげな声を残して消えていく。

 滅紫がいたのでおそらく良くないものだったのだろう。

 何もなかったかのように、来留芽は袋を選びにかかった。重いもの、やけに膨らんでいるものは省く。薄すぎても今度はタイツ系の可能性があるので遠慮したい。そして、直感的にこれだと思ったものを抱えると女子用の更衣テントへ駆け込んだ。


「これ、は……」


 中身が何か分かった来留芽は反射的に着替える。そう、仮装として持ち出されているが、来留芽にとってはそれなりに着慣れた服でもあった。

 それは、いわゆる巫女服。少しサイズが合っていなくて紐を使って調整したが、当たりの衣装だ。


「よし」


 体操服を黒い袋に仕舞い、テントから出るとトラックへ向かう。反対側の百メートルを駆け抜けてゴールだ。

 来留芽の艶々とした黒髪が走るのに合わせて揺れる。つぅ……と汗が頬を伝うのを感じていた。ただの学園の行事なのにここまで必死になって走ることがあるとは思ってもいなかった。しかし、悪くない。


 〈……ぉ! 巫女さん……!〉


 この種目は放送部によって積極的に実況されるものだったりする。そのため、よく盛り上がっていた。

 ――目立つのは嫌いだけど……

 目立たない仮装はない。まぁ、たまには学生生活に本気になっても良いかもしれない。


 〈一年生の一位は青組巫女さーん!〉


 手を振って―という要求に応えつつ、来留芽は上がった息を整える。

 何とか一位を取れた。問題は全体での順位に入れるかというところだろう。狭間がなければもう少しタイムを縮められたかもしれなかったが、一位を取れただけでも良いとしよう。


「わぁー! 古戸さんナイス!」

「巫女服って着るの大変そうだけど早かったね」

「慣れているから」


 青組で良いタイムと言えるのは来留芽くらいのようだった。もちろん、一年生の中での話だ。つまり、この後に行われる二年生、三年生に重圧がかかることになる。

 とはいえ、後は見ているだけなので気楽にしていても良いだろう。

 仮装競争は見ている方がきっと楽しい。


「皆、お疲れさま! 来留芽ちゃんは一位おめでとう!」

「ありがとう」


 応援席に戻れば口々にねぎらいの言葉やお祝いの言葉をかけられる。衣装は着たままだったのでそれぞれ友人が集まって写真撮影会のようになっていた。ちなみに、一組の参加者が引いた衣装は巫女服、鏡、セーラー服、海賊、探偵服、紳士セット(シルクハットに杖)、トランプの兵隊(赤)だった。どれも悪くないチョイスだったとは思うが、セーラー服だけは男子が引いてしまったこともあって笑える絵面となっていた。引いた本人はそれでも楽しそうだったりする強メンタルの持ち主だ。

 撮影会も落ち着き、来留芽は自分の荷物が置いてある場所まで来ると飲み物を取り出して一気に煽った。そこへ恵美里が近付いてくる。


「来留芽ちゃん……袋のところで何かあった……?」

「一瞬だけ狭間が開いた。中へ呪を飛ばしたら消えたから問題ないはず」

「そっか……何か、所々で……体育祭を妨害するようなものが起こるね……」

「まぁ、それでも滅紫がいるからかなり楽させてもらってる」

「そうなんだ……」


 来留芽と恵美里は空を見上げる。その視線の先に滅紫による蜘蛛の糸が半球形に張り巡らされていた。幸い、今はそれに触れるものはないようで蜘蛛の姿も見えなかった。


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