2 体育祭を行います
いよいよ始まった体育祭。生徒の集合は普段より若干遅めの八時半ころになる。九時から開会式を行い、九時半から最初の競技が始まる予定だ。
「来留芽、今日は私達も合間合間に見に行くからな」
朝食を食べているところへ守からそう言われる。もともとその予定だったとはいえ、あえて言葉に出したということは何としてでも見に行きたいという気持ちの現れだろうか。入学式のときは予定通りに来られなかったということを思った以上に気に病んでいるのかもしれない。
「分かってる」
「そういや、お嬢は何に出るんだ?」
「大縄跳び、綱引き、仮装競争。あとは全員参加の応援合戦に大玉子転がし」
「……最後の何だ?」
おかずのだし巻き玉子を箸で切り分けながら薫が首を傾げる。
「大玉子転がし? 確か、生徒会のオリジナル競技だったはず。巨大な卵型のボールを二列になった各組の生徒達で転がしていくという内容」
「ほー、普通のとは違うんだな」
「まぁ、見ている方がたぶん面白いと思う」
「何か面白そうだね~。それだけでも見に行こうかな~。薫、何時からか調べて」
「自分で見ればいいじゃねぇか。ええと、四時二十五分からみたいだな」
文句を言いつつも大人しくプログラムの紙を見て確認する薫。それを聞いて樹はニヤァと笑った。
嫌な予感を覚えた来留芽は手を止めて樹を睨み、行儀悪くも持っていた箸の先を突き付ける。
「笑うためだけに来るの禁止」
「え~、別に良いじゃん。来留芽をというわけじゃないんだから」
「別に良くない」
結局の所笑うために来るのだ。それを分かっていて許す気にはなれなかった。確かに、高校の体育祭はやけに遊び心があるものが多い。しかし、それは生徒会や体育祭実行委員会がしっかり考えて結論を出したもの。
学園の生徒という立場から、軽く見られるのは癪に触る。
「はいはい、お仕事もちゃんとするよ~」
「見咎められないようにだけ気を付けて」
朝食を食べ終えて立ち上がりながら来留芽はそう忠告する。それを聞いて、樹と薫は手を止めていた。二人の視線が背中に刺さる。
「なぁ、お嬢。……何か来るのか?」
「薫、言葉が足りないって~。ね、来留芽。警戒しなきゃならない誰かしらが来る可能性があるのかな~?」
先程までと比べるとずいぶんと警戒を高めた様子の二人に来留芽は内心で戸惑う。重苦しい雰囲気を出して言ったのは確かだが、ほんのいたずら心によるものだったからだ。
もっとも、完全に警戒なしで良いとは言えないのも間違いない。
「……私の先輩に木藤黄金という人がいるのだけど、彼は紫波の縁を汲んでいるから万が一のことは考えておくべきかもしれないってだけ」
「「紫波ぁ?」」
そろって顔をしかめた二人だがほぼ同時に何かを思い出したかのような顔をする。
「そういえば……聞いたな、四月くらいに」
「さっぱり忘れてたよ~」
紫波は協会幹部の家だ。古くから続く血筋に継いできたえげつない術を持つ。要警戒対象だが、それを言うなら今の幹部の家はほとんどが警戒しなければならない相手だったりする。
「まぁ、意識の隅にでも置いといて」
そして、いつもよりはのんびりと来留芽は学園へ向かう。これが体育祭実行委員などだったらもっと早く行かなくてはならないのだろうが、今回は実行委員に当たらなかったので気楽なものだ。
「来留芽さん、おはようございます」
「おはよう、千代」
朝の通学路で千代と会うのは珍しい、と思いながら来留芽は並んで歩く。
「そういえば、八重は実行委員だっけ」
「ええ、ですから、私とは時間が合わなくて」
千代と八重はよく一緒に登校している。千代の家と八重の住む寮がちょうど同じ方向だからだ。
「八重も張り切っていましたし、私も頑張らないとなりませんね……」
学園が近付くにつれてそんなことを言いながら自信なさげな顔を作る千代。彼女は運動は得意ではないが、できないわけではないという普通の子だ。
「まぁ、そこは運動部の子とか八重とかが頑張ってくれるはず」
「そうですね……それでも、良いところを見せたいと思うので頑張ります」
「お互いにね」
そう返したところで、来留芽は先程の会話に違和感を覚えて首を傾げる。
「でも、さっき良いところを見せたいと言っていたけど、ご両親が来る? それとも、他にも?」
「はい。両親もそうなのですが、実は、特別な人と再会できまして、体育祭のことを話したら来てくれると」
「へぇ。どんな人?」
「今の私より大人の人です。おそらくですが、来留芽さんも知っている人ですよ?」
いたずらっぽく笑うと千代はそれ以上の情報は出さないと言うかのように唇の上へ人差し指を当てる。
少なくとも二十歳以上で来留芽も知っている男性という二つの条件は分かった。とはいえ、推理していくには情報が足りない気がする。
「考えてはみるけど、出て来なそう」
「遅くとも午後には分かるでしょう」
つまり、午後までには千代の彼氏(?)がやって来るのだろう。来留芽も知っているということは、千代との共通の知り合いということになる。しかし、そうすると選択肢がなくなってしまう。どこかの店員だろうか……。
「さて、そろそろ学園ですね。もう皆来ているみたいです」
「勉強じゃなければ早いと」
「ふふっ。勉強よりよほど楽しいですから。運動に自信がないと緊張もそれなりにしますけど」
「生徒会長……じゃない、団長の意気込みもあるしね」
とはいえ、来留芽としても周囲につられて祭り騒ぎ特有のふわふわとした高揚を感じてはいるのだ。やる気もそれなりにある。
「今日は私も仕事を頭から放り投げるから。できる、できないは別として」
「予想以上に本気ですね……あぁ、もしかして」
「「八重のせい」」
ぴったりとそろった言葉に、来留芽と千代は顔を見合わせて目を丸くする。そして、千代の方が先に思わず笑い出していた。
「ふふふっ」
来留芽も肩をすくめた。よくつるんでいる相手だと、どうにもいろいろと影響してしまうようだ。
「と、笑っている時間もそうないんだった」
「そうですね。急ぎましょう」
体育祭の会場は学園の敷地内にある運動場だ。トラックと芝生のフィールドがそろっている。一般の運動競技場よりも立派なんじゃないか、とは生徒よりも細かいところを見て回れた細の言葉だった。
ともかく、会場が学園の敷地内なので来留芽達生徒は体育館に荷物を置いて良いことになっている。校舎では教室は開放されず、更衣室のみ使えるそうだ。
〈ただいまより、開会式が始まります。生徒の皆様は運動場へお集まりください。もう一度繰り返します……〉
放送部よりアナウンスが入ったことで、生徒は水筒などの必要なものだけを持ってぞろぞろと運動場へ向かう。来留芽と千代もその流れに乗って運動場へたどり着いた。
「結構いるね」
「私達は遅い方だったみたいですね」
全体的に見ても集まりの良い青組の中では遅れた方だった。
「あ! 来た来た。おーい、古戸さんに竹内さん!」
「詩織さん、もう点呼ですか?」
「や、早いとは思ったんだけど、うちのクラスは早く集まってくれたからね。まぁ、まだギャル組が来てないんだけど」
来留芽と千代を見て大きく腕を振って呼び掛けてきたのは滝詩織だった。学級委員の仕事として点呼をしていたらしい。
そして、ギャル組というのは一組の中でも特にそれっぽい見た目と態度の子達を指す。松山小夏を中心にして四、五人ほどいたはずだ。来留芽は性格的に合わない気がしてあまり親しくない。
「松山さん達ですか」
「そそ。見てない?」
「体育館にはもういなかったと思うけど」
「えー、じゃあすぐに来るかな……。ま、それはそれとして、二人も並んで並んで!」
その後は、遅れていた面々も普通にやって来て開会式が始まった。例によって学園長の言葉は長く、疲れてしまう。いつもならそれを慮ってか生徒会長の挨拶は短いのだが、今日はどうだろうか。期待と不安が半々の気持ちを皆が持つ中、生徒会長が台に上がる。
「皆さん、元気ですかー?」
「「「おー」」」
「やる気は十分ですかー?」
「「「いぇーす」」」
「よし、今日は体育祭を楽しみましょー」
「「「おー!!」」」
「僕からは以上です」
「おー! ……あ」
多くの生徒の期待通り、生徒会長の言葉は簡単なものだった。もともと、皆のやる気を引き上げるという目的があった様子だ。
来留芽は周囲に倣って控えめに声を出しつつ、意気が上がるようならこちらとしても助かると考えていた。学園で見かける負の心が人に影響する前に消えてしまう可能性が高まるからだ。となると、問題は祭りの気配にふらふらとやって来るあやかしということになる。流石に手が空かないので様子見にやって来るというオールドアの面々に頑張ってもらいたいところだ。
〈ただいまより、鳥居越学園の体育祭を行います。生徒は各組の指定の場所へ移動してください。また、第一競技に参加の方は入場ゲートへ集まってください〉
がやがやとした騒ぎに乗って来留芽も青組の待機場所(応援席)へたどり着いた。
「あ! 来留芽ちゃん、おはようっ」
「おはよう、八重」
実行委員をしている八重も自分の担当の競技が来ない限りはこの場所にいるらしい。とはいえ、一組の出場者管理をしなくてはならないそうなのでここと入場ゲートを行ったり来たりすることになるのだろう。実行委員はやはり大変なものしかない。
「あー、えっと、注目ー!」
クラスのメンバーが大体集まったころ、八重は立ち上がると前の方に出て声を張り上げた。何だ何だと騒いでいたのも大人しくなる。
「いろいろ注意事項があるから、一応言っておくよ!」
内容は簡単なことだ。自分が出る競技の前の競技が行われている間に指定の場所へ向かうこと。ハチマキは競技中は普通につけておくこと。応援席は前から五列目まで。それより後ろは立ち入り禁止。適度に水分補給。何かあったら実行委員まで。今日は頑張ろー! とのことだった。最後は何も注意事項になっていない。
「よろしくね!」
八重がそう言ったとき、横から応援団の団服を着た人が近寄ってくる。ピシッと背筋を伸ばし、堂々としたその姿に頬を染める女子達は一様に胸の前で手を組んだ。一部の男子も思わず視線を向けている。
「しっかりやってるようだね、八重ちゃん」
「小野寺先輩!」
「わぁー、小野寺先輩! 格好いいです。モデルにして良いですか?」
早速食いついていたのは白鳥だった。美術部の所属の彼女は一度モデルにふさわしいとみたら無許可でもモデルにする。結局の所、選択肢はないわけだ。
何となくそれを察した小野寺先輩は苦笑して曖昧な笑みを浮かべた。
「光栄だよ。だけど、残念だけど私はずっと座って描いてもらうのは気恥ずかしくてね」
「写真だけで良いので一枚!」
「まぁ、それなら。おっと、それはもう少し後に」
では早速! とカメラを構えた白鳥に掌を向けて押し留めると小野寺先輩は様子を見ていた一組へ振り向く。その瞬間、ほんのり薄桃色に色づきそうな空気が一気に引き締まった。
「青組の各クラスに同じ事を伝えている。団長からの、連絡だ」
ごくりとツバを飲む音が聞こえてくる。ついでに囁き声も。「まだ始まったばっかりだぞ……」や「こんな
「……簡単なことだよ。この体育祭、全力で楽しんで優勝するのは青組だー! せーの」
「「「おー!」」」
その次の瞬間、皆が詰めていた息を吐いて空気が緩む。
「なぁ~んだ~。焦っちゃったわ」
「というか、今さらっすよ!」
「おや? このクラスは反応がずいぶん違うね。まぁ、頼もしい限りだ」
「その苦笑姿、もらいました~!」
どうやら一組のほとんどはそれぞれに体育祭を楽しむ準備ができているようだった。
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