23 いつかまた逢うために


『なぜ』


 行き場のない怒りが、憎しみが、愛情が、青年の瞳の中に渦巻いていた。小夜子が今さっきまでいたその場所に向けられたかと思うと、すでにそこには目的の人物の姿がないことへの悲痛が加わり、来留芽へと矛先が向く。


『なぜ』


 青年は巴とホヅミの押さえを弾きかねない力を出していた。腐っても月の徒。大妖にも劣らぬ力を有している。しかし、それも殺意の方向が分かっていれば押さえるのも受け流すのも可能だった。

 突き刺さる視線と殺意を真正面から受けつつも、来留芽は一歩ずつ青年に近付いた。


『なぜ……!』

「それが彼女の選択だった。ただそれだけのこと」


 青年の目の前まで歩いてくると、来留芽は端的にそう告げた。


『くそ! こんな、こんな形で失いたくはなかった!』


 青年は悔しげに、そして苦し気に拳を床に叩きつけていた。ドゴ、という重い音がして、その部分が陥没する。


『俺は、小夜子のことを考えているときが一番人らしくいられたんだ』


 それだけ恋い焦がれていた。合わせて、彼の中には小夜子への怒りもあった。人を止めることになってしまった彼にとっては彼女への想いだけがかつて人であったという証になっていたのだ。


『このままでは、いつか小夜子のことすらも忘れてしまう……!』


 青年が危惧しているのは忘れてしまうこと。それも、人らしい心の動かし方を。

 それを恐れる気持ちは尤もだと来留芽は思う。あやかしはたいてい、人よりも長く生きる。神様と共に行動する月の徒など、悠久の時を生きることになりかねない。だから、本来ならば人らしい心など幾年かすれば消えてしまうものだった。

 しかし、不思議なことに彼は人らしさを失っていない。何か理由があるのか、それとも、月神様が手心を加えたのか。


「忘れるということもまた、人に許されているものだけど」

『そんなこと、知るか。俺は、小夜子がそばにいてくれればそれで良かったんだ。それなのに……』

「あーもう、うじうじと見苦しい!」


 巴がついにキレてびしっと青年を指差す。来留芽もそろそろ付き合いきれないという気持ちになってきた。


「彼女は生まれ直しを選択したんだ。あなたが生きていることを知った上でね。それを良く考えてよね」

『だから何だと……』

「か・ん・が・え・ろ。なぜ彼女がその選択をしたのか、その理由をさ!」

『っ!』


 青年からは反抗的な意思の見える瞳で睨まれる。しかし、考えなくてはならない問題であることは分かっているらしく、反論はなかった。


『やれやれ、お前もまだ青いな』


 そのとき、月神様がふっと現れた。しょうがない、と言うように微笑むと青年の頭をぽんぽんと叩く。完全に子ども扱いだ。


『良いか、あの者は転生の準備に入った。ただ、彼女が選んだ道は寿のの祝福がついている』


 そうだろう? と言うように月神様は肩越しに視線を寄越す。来留芽はそれに頷いた。


「その通り、寿絆編王による生命の祝福を使った」

『やはりそうか……あれはなぁ、新たな命を助ける祝福よ。今回の場合はあの幽霊の願いを支えるものとなろう』

『小夜子の願い……?』


 月神様はまた困ったような、それでいてどこか嬉しそうな顔をして青年の頭に手を置く。


『愛したい、というあれであろう』


 青年はハッとしたように顔を上げた。彼は確かに小夜子の思いを聞いていた。しかし、信じることができなかったのかもしれない。初めから自分が愛されるという選択肢を見ていなかった……見えていなかったような気がする。


『なら……俺は、自分は、また小夜子と逢えるのか?』

「逢えると思う。記憶はどうなるか分からないけど」


 これは言うつもりはないが、彼女が転生をあっさりと受け入れたのは「次は、愛したいと思うままに愛せる」という言葉だった。愛したいと願う相手は月の徒なのだ。きっと、彼女はこの青年を愛するために生まれてくるだろう。

 来留芽は皮肉げに唇を歪ませてこう続けた。


「――また見つけ出して愛し愛されるために、精々努力するといい」



 ***



 月白の誘拐事件から始った今回の件は、他にも様々な思いが重なっていたのだと思う。誘拐犯の方も“依頼”という言葉があった以上、何らかの関わりを持たねばならず大人の判断が介在しない彼等は誘拐という突飛な手段を取ったのかもしれない。その依頼主については残念ながら分からなかったのだが。


『本当にすまねぇ、お嬢』

『面目ないです……』

「ううん、大きな怪我がないようで良かった。細兄も取り逃がしたと言うし……相手の方が一枚上手だったというだけ」


 そう、残念ながら彼等は全員がまんまと逃げおおせていた。だから、すべては仮定で考えるしかない。来留芽は反省しすぎて気落ちしている茄子と斑の頭頂部を眺めつつ思考に耽る。


「でも、名前は入手できた」


 三笠美穂、東雲穂摘、東雲美歌、鬼道岳人、加巳野時也、加賀沢康博、神小柴清子……これが彼らの名前だ。苗字だけでも一部についてはある程度どこに生まれ育ってきたか分かるのは、こちら側の世界が閉鎖的で縮小傾向にあるおかげだろうか。


「三笠はまぁ、分かりやすい。東雲は確か出雲の分家だった。鬼道も有名と言えば有名。良くわからないのが加巳野と加賀沢、神小柴か」


 神小柴については、ひょっとしたらあの紫波関係かもしれない。分家を持つような家はその分家との間に何らかのつながりを持たせるものだから、あり得ない話ではない。


『オールドアみたいに種類の違う術者がいんのか』

『闇鍋のようですね』

「煮えない関係……いや、似合わない関係?」

『オールドアは違いますよ?』


 そんな風に来留芽が式と話していると、社長から号令がかかる。つまりは、集まれと言われたのだ。


「全員いるな。今日はご苦労だった。月白は無事に戻ってきて湖月も胎の子どもとも健康だ。相手は逃がしてしまったが、ベターな結果に落ち着いた」

『俺からも礼を言う。覚悟はしていたが、それが杞憂になって良かった。それと、報酬についてだが……本当にあれで良いのか?』

「ああ、構わない。伝は多ければ多いほど良いからな。――そろそろ、本格的に準備に入らなくては」


 白皇からの依頼の報酬は白鬼の里とつながりがあるあやかし達への仲介、そして人手の貸与だった。

 この条件については社長の独断というわけではなく、オールドアの面々で確認してある。その上で何の問題なく通ったのはおそらく全員が察したからだろう。

 いよいよ協会の勢力を塗り替える戦いが始まるのだと。今までは水面下で少しばかり動くだけだったのがそろそろ明確に行動することになるのかもしれない。


『助力が必要なときは遠慮なく頼ってくれ。ミホとかいう少女も俺の追跡を振り切るくらいだ。今後も難しい場面が出てくるだろう』

「ああ。そこは遠慮なく頼らせてもらうぞ。白皇こそ、大婆様によろしく言っておいてくれ」

『知り合いだったのか。分かった、ちゃんと言っておく』


 社長と白皇がそんなことを言っている横で、来留芽も月白へ別れの挨拶をする。


「ハク、今回は幸い助かったけど次は分からない。正直に言えば今回だって間に合っていない」

『分かっているぞ……今回ことは我だって悪かったと思ってる。ありがとう、留芽姉。今度からは、我が守れるようになるから』


 少しばかり大人に近付いた瞳で来留芽を見上げてくる月白は、そろそろ子どもの殻を破ろうとする時が近いのかもしれない。

 来留芽はその頭に手を置いて軽く視線を遮った。


「ハクにはまだ早い。けど、本当に用心して。人間にはあやかしを使役する術者だっているんだから」


 特に鬼を専門に使役する家があったりする。使役は式とは異なり無理矢理に自らの支配下に置くものだ。そうなったあやかしは意志が希薄になり空っぽの人形のような印象になる。

 だから、あやかしの間では「使役に墜ちる」と言って嫌悪するのだ。


『な、しえき……は、ははうえぇ……』


 あえて刺した釘だったのだが、月白はひどく怖がり出し、目に涙を貯めるとすぐ横にいた湖月にすがり付いていた。

 まだまだ子どもだ。


『ハクよ、これに懲りたらもう一人で勝手に狭間を開き、遊びに行くでないぞ? 今しばらくは母が遊んでやれるからのぅ』

『ははうえ。うん、我は妹のためにもははうえもしっかり守るからな!』

『ほう、それならばもう少し力もつけねばな? 月白』


 話し終えていたらしい白皇が月白をひょいと軽く抱き上げた。


『白皇、あそこの流れがちょうど良いのではないかのぅ。彼等の屋敷の中庭辺りであろ』

『ああ、確かに』


 湖月が指差した場所を見て、白皇は頷くと無造作に腕を振る。たったそれだけの動作で狭間の穴ができていた。狭間を開くなど簡単だと言わんばかりの白皇もそうだが、狭間の先がしっかり見えているかのような湖月も相当の力を有しているようだ。


「白皇、これの固定は任せて大丈夫なのか?」

『ああ、問題ない。この程度なら消費のうちにも入らん』

「呆れた力だ。頭を張る鬼って奴は敵に回したくはないな」


 そして、来留芽達は白皇、湖月、月白の三人に見送られて狭間を潜った。ちなみに、月神様と月の徒は一足先にどこかへ帰っていった。ひょっとしたら仕事があったのかもしれない。

 何にせよ、彼等と再会する時は遠い。むしろ今回が最後かもしれない。人の身では遠い将来まで見られないのが残念だ。



 ***



 ――近くて遠い将来――

 それは、あるかもしれない未来の話。


『おかあさま、さよはおおきくなったらおとうさまとけっこんするのです!』


 ぴこぴこと白い狐耳を動かしながら幼い娘はそう宣言した。この子は白皇がデレデレになって甘やかしたからか、父大好きな娘になってしまった。


『おや、白皇がそれを聞いたら手放そうとはせぬであろうな。だが小夜子、白皇は母のための男よ。小夜には小夜のための男がいるであろうよ』

『どこに?』

『さて……どこであろうな』


 湖月は明るい月の浮かぶ空を見上げた。娘の小夜子も母の脚を枕にして寝転びながら月を見上げる。今宵は満月。湖月は毎月恒例の儀式を終えたところだった。

 愛しげに母親は娘の頭を撫でる。小夜子は妖狐として生まれていた。狐耳と尻尾は白皇の色を継ぎ白くなったが、髪と瞳は黒い。きっと、その心となった彼女の色なのだろう。ぱっと見ると一家から浮いているかのように思えてしまうが、色彩だけで爪弾きにするようなろくでなしはいない。小夜子は月白と並んで里の者からも溺愛されていた。彼等の目にかない、父親である白皇に認められねばならないと考えるとこの娘の夫になろうとする男は相当な苦労をすることだろう。


『ふふ……いつ迎えに来るのかは知らぬが、覚悟はしてもらわねばな』


 湖月はまだ出逢ってもいない小夜子の夫候補を思い描くと密やかに笑いを漏らした。

 娘を幸せにしてくれるのであればその素性も気にしない。とはいえ、素直に嫁に渡してやるほど優しくするつもりはない。


『――覚悟はとうに決めてあります』

『おや、ようやく来られたのか』

『分かっているなら焦らせるようなことはしないで頂きたいところですが』

『ふ……選ぶ権利はこの子にあるのだ。大いに焦ると良い』

『月神様と同じことを言う』


 感情豊かになった月の徒は湖月へ文句のようなものを言いつつも愛しげな視線はすやすやと眠ってしまっている幼子から離れなかった。


『この子が大人になったら迎えさせてもらいます』

『ふふ。選ばれるように精々努力することよ』

『ええ、精進しますよ。……あの人間にも言われましたからね』

『そういえば、言われていたのぅ』


 月の徒は湖月の許可をもらってから寝ている幼子の髪を撫でようと手を伸ばす。その寸前でぴたりと止まると視線を幼子に向けたまま尋ねた。


『この子の名は?』

『――小夜子だ。知っておろう?』


 まだ赤ん坊であったというのに、その名前以外は決して認めなかったのだ。それを見て湖月は察した。運命などないあやかしだが、この子はあの青年と添うことこそを自ら運命としているのだと。


『そうか……小夜子、また逢おう』


 月の徒の声が震えていたことには気付かない振りをする。

 いつか……


『小夜子、自分の妻になって欲しい。どうか、一緒に来てくれないか』

『ええ、仕方ないから行ってあげる! 私がいないとあなたは泣いちゃいそうだもの』

『ありがとう――これからは自分のことを清太郎と呼んでくれ。これは、小夜子にしか呼ばせない特別な名前だから』

『うん。嬉しい……清太郎さん、愛してる!』


 ……いつか、小夜子が自ら嫁にもらわれに行くまでは。目一杯の愛情を注いでやろうと湖月は思った。



          魂語之章Fin.


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