3 鬼の依頼


 夏休みも明けて来留芽や恵美里は学園へ二学期の授業を受けに向かい、細は教員として彼女達二人よりも早い時期に学園へ戻っていた。そして、その他のメンバーは通常の仕事を行う。例えば、巴と薫はいつも通り本部関係の仕事を、樹は山から山へ飛び回りたまに守屋お祖父様とかち合ったりしてたまに行方不明になる。

 そんな日々が少し過ぎた頃、オールドアの住居部分では来留芽と細がダイニングテーブルの上で頭を抱えて向き合っていた。


「……この点数は流石にマズいぞ、来留芽」


 頭を抱え、今にも底無し沼に沈み込んでしまいそうな重い調子で細が言った。言及しているのは新学期始めのテスト、その名も夏休み課題確認テストのことだ。珍しく、来留芽は失敗していた。


「分かってる。でも……」


 同じように頭を抱えた来留芽は苦々しくそう返した。そう、来留芽も分かっているのだ。

 テストがあったのは英語、数学、国語など科目全般だ。戻ってきた結果の点数の中に目立つのは正答なしを示すゼロ。普段から良くもなく悪くもない点数を目指している来留芽としては痛恨のミスがあった。


「解答欄がずれていることに全く気付いていなかったんだから、仕方ない」


 答案用紙が戻ってきてから気が付いたのだ。解答欄をずらして書いていたというミスを犯していたことを。しかも、その教科は全部で三つ。英語に社会、生物だ。全て選択問題というある意味やりやすい形式だったのが災いした。


「いやそこは見直せば何とかなったはずだろう。寝ぼけてでもいたのか?」

「うぅ……ボケていたことは、否定できない」


 もちろん、見直しはした。それでも気付けなかったのだ。ボケていたと言われても来留芽には反論できない。


「これだと補習は免れないな。社会はまぁ、全体的に見れば良い感じだったから補習なしにしても良いが……他はタロ、じゃない、鈴木先生の話だとそこまで良いとも言えなかったらしい。補習はきっちりやることになるそうだ」

「やっぱり。じゃあ、多少仕事を請ける量が減ると思うけど……」


 そう言いながら来留芽はちらりと誕生日席……つまりは社長である守が座る場所を見た。


「学業優先だとは、入学時に言っておいたはずだ。学業を優先できる程度の仕事ならば請けても構わない。だが、あまりにも成績が低いようならば――分かっているな?」


 組んだ手に口元を隠して睨み上げると、社長は脅すようにそう言う。成績が低いようならば――仕事から手を引かせるのかもしれない。


「社長の許可もあることだし、来留芽は各科目の補習をしっかり受けるんだぞ」

「……はぁ……分かった」


 気が重い。そんなため息を吐いて来留芽は戻ってきた答案用紙を持つと自分の部屋へ向かった。テスト後には毎回テスト直しという宿題が出される。今回ゼロを取ってしまった科目については全問解き直しだ。気が重くなるに決まっている。

 とりあえず、一教科だけテスト直しをしてみたところ、来留芽の解答は解答欄がずれてさえいなければほとんど正解であったことが分かった。それは採点した先生も気が付いただろうが、それでもマルにしてはもらえないのだ。


「本当にもう……新学期早々に最悪」


 九月上旬はまだ夏らしい暑さが世界を支配している。外に出れば暑さに溶けてしまいそうだ。積極的に外へ出掛けたくはない来留芽にとっては空調の効いた室内にいるのが最も良い選択肢となる。その代わり、しっかりと宿題をこなさなくてはならないのだが。何せ今日は細がいるのだ。教師がいる空間でさぼることは難しい。

 とはいえ、少しの休憩は許されるだろう。そう考えた来留芽はシャープペンを机の上に転がすと伸びをした。


「七不思議調査ももう少し頑張らないと在学中に終わらないかもしれない」


 用務員の松山さんが柊文殊と共に黄泉路へと向かったのは先日のことだ。あの一件で七不思議(七つ以上ある)のうち二つが片付いた。とはいえ、これまで助けとなってくれていた松山さんがいなくなるということはこれまで以上に七不思議の原因の発見が遅れるということでもある。


「あまりのんびりもしてられないかも。やることはたくさんあるし」

「そんな来留芽ちゃんに悪いんだけど」


 返事らしきものが返ってきて、来留芽はハッとして跳ね起きた。慌てて机の上に転がしていたシャープペンを手にとってからおそるおそる後ろを見る。にっこりと笑っていたのは巴だった。その視線が向かっている先……まだほとんど埋まっていないテスト直しの白い紙二枚と妙に朗らかに見える笑顔とを見て来留芽の目が泳ぐ。


「……何かあった? 巴姉」


 何でもない様子を装って来留芽はそう尋ねた。巴は来留芽を咎めるつもりはないようで、肩をすくめる。


「ちょっと重要なお客さんが来ているんだ。下に来られるかい?」

「重要なお客さん?」

「裏、のね」


 詳しい話は後で、と言うように説明を放棄してさっさと行ってしまった巴。それに対して怪訝な顔を浮かべていた来留芽はハッとすると素早く立ち上がって後を追った。学業優先とされている来留芽までを呼び出すとは、相当な事態だ。呪術師の力が最重要な依頼でも来たのだろうか。


「巴姉、お客さんは会議室に通したの」

「そうそう。今いる皆で話を聞く必要があると社長が判断したからね。まぁ、今いると言っても――社長に細、あたしと来留芽ちゃんだけなんだけど」


 階段を降りて会議室の前に立つ。重要なお客さんとやらはすでにこの部屋に通しているらしい。


「「失礼します」」


 巴と揃って会議室に入ってみれば、重要なお客さんだと考えられる二人と目が合った。一人は社長と同じくらい厳つい顔立ちの男で、何故か肩に家鳴りを乗せている。もう一人は泣きぼくろが艶めかしい美女だ。ただ、獣耳と尻尾が生えている。

 後者の女性には見覚えがあった。それも最近の話だ。


「あれ……確か、妖狐の……」

『えぇ、先日ぶりですわぁ』


 はんなりと笑って手を振られたので礼を返す。つい先日に狭間に関する依頼状を持ってきた妖狐の一匹だ。STINAの面々……特に穂坂に対して洒落にならないイタズラを仕掛けてもいたか。


「何だ、三日月みかのつきはオールドアの姫君ともう会っていたのか」


 意外だ、とでも言うかのように目を丸くしたのは妖狐の女性の隣にいた厳めしい顔の男だった。こちらは普通の人間だろうか。しかし、肩には家鳴り、三日月と呼ばれた妖狐を隣においているのだから裏関係の人物ではあるのだろう。


「初めまして。古戸来留芽です」

「ああ。俺は白鬼の頭、白皇だ。名前くらいは知っているだろう」 


 確かに名前は知っている。まさかここまで社長と一緒にいて違和感がない……以上に顔面効果を増幅させるかのような存在がいるとは思わなかった。そう驚いているのはどうやらこの場では来留芽だけのようだ。社長と細、巴はすでに会ったことがあるのだろう。もしくは、もう自己紹介を済ませていたか。


「それで、これは三日月。一応、側近だ」

『白鬼頭、流石にその紹介はないですわぁ。お嬢、しっかり話すのは初めてですねぇ。……三日月と申しますぅ。白鬼頭の奥様の側近をしておりますぅ』


 彼女の名前は三日月と書いてみかのつき、と読むらしい。


「俺の紹介と大して変わらないではないか」

『大いに違いますぅ。と、こんな言い合いをしている余裕はないのではぁ?』

「そうだな。早速だが、オールドアに依頼をしたい」


 そう言った白皇に促されて来留芽も会議室の席に座った。そして、視線が彼に集まる。


「俺からの依頼内容はもちろん、バカ息子……月白の捜索だ」


 バカ息子、とは月白を悪く言うような言葉だが、何も怒っているから口を突いて出たというわけではないようだ。むしろ、込められている気持ちはその逆を行くだろう。彼にとってはあの子鬼はまだまだ未熟な存在で、守るべき子どもで、大切な息子なのだ。

 詳しい話を聞けば、どうやら白皇達も今現在、月白の身に何が起こっているのか分かってはいないらしい。ただ、確実なのは狭間で何かがあったのだろうということだという。


「狭間……ハクはあやかしとして意外と強い?」

『ええ、そうですわぁ。ですが、圧倒的に実践が足りないのですよねぇ』

「とはいえ、家鳴りをしっかりと逃がしつつ伝達役とした点はめるべきところだろう」



 月白の危機を伝えたのは狭間から這々ほうほうの体で逃げてきた家鳴りだという。



 ――それはちょうど、里の者達が月白の捜索に取りかかってすぐのことだった。


『おーい、こっちに何か新しい狭間の穴が開いてるべ』


 鬼の一人が里の広場から少し外れたところにあったその狭間の入口に気が付く。だが、彼等の頭が開いた狭間の入口は全部で四つ。見つかったものを計上すると合計で五つになってしまう。つまり、それは白皇が開いた狭間とは別のものだった。


『実に怪しい』

『だども、妖界じゃ当たりめぇのことだ』


 時機を考えてみると不審にしか思えない現れ方の狭間だった。狭間の出現自体には慣れているあやかし達でさえ疑念を抱くほどの。だが、そこへしわがれた声が掛かる。


『――縁をつなぎおった。おお、坊の助けとなる手掛かりよ』

『ばっちゃ!』『婆さん?』


 どこかを見ている茫洋とした瞳で老婆はそう言った。坊、は月白のことだろう。その助けとなる手掛かり……鬼二人は示し合わせたかのように五つ目の狭間の入口を注視した。


『ちっと信頼性の薄いここへ入れと』

『ばっちゃ、ここへ入っていけば坊を見つけられるのかっ!?』

『きぃー』


 老婆の方を見ずに言ったそれぞれの言葉の後に妙な返事が返ってきて二人とも思わず振り向いた。とうとうあの婆さんも言語の使用を放棄したのだろうか、と驚いたのだ。だが、老婆は変わらずにそこにいる。


『きぃー!』


 音は、彼等の足元からしていた。


『お前は家鳴りか! 坊と一緒に遊びに出た奴か? そうだろう? 坊はどこに?』

『き、きぃ……』


 いつの間にか、老婆の姿はなかった。それに気が付かないほど、鬼の一人は家鳴りをひっつかんで質問攻めにする。よく見れば髪は普段よりも跳ねているし、服も少し焦げがあり、何か異常なことが起こったと察することが出来る。それ以上に家鳴りは疲れ切っているような様子で、ほんの少し泣いてもいた。


『落ち着くだ。家鳴りも泣いているのが見えていないべか? まずは皆に報告だ。……おーい、手掛かりが来おったべ!』


 そして、里に戻ってきた鬼達を交え、彼等の聞き取りづらい言葉を何とか理解出来るようにまとめて至った結論は“月白が人間に誘拐ゆうかいされた”というものだった。

 鬼達は怒りで視界を赤く染める。月白は鬼と妖狐の間に生まれた子どもだが、純粋なあやかしだ。鬼達が身を挺しても守ろうとする鬼子だった。


『許さぬぞ、人間……!』


 大騒動の幕が開く。だが――


『浅慮な行動は避けろ』

『鬼頭!』


 鬼達が怒りのまま行動しようとした矢先、重く響いたのは彼等の頭による制止の言葉だった。何人かはその言葉にハッとして理性を取り戻す。だが、怒りがなくなっていたわけではない。

 頭が何を考えているのか、それを読み取ろうとするかのように視線が集中する。白皇と、その少し後ろに控えている白狐に。


『人間の全てを悪としようとするのは我等の悪い癖だな?』

『きぃ』


 無言で下を向いた鬼達に代わってか、返事らしき声を上げたのは家鳴りだった。白皇は彼を掬い上げて笑った。


『月白が信を置いている人間がいるそうだ』

『湖月様のために動いている方々でもあるのですよぉ。それにぃ……人間には、人間を使うのが坊ちゃまを助ける一番の方法ではありませんかぁ?』


 里の鬼達は“人間を使う”と言い切った白狐へ畏怖を込めた目を向ける。平然としている白皇に対しても、抱いている怒りが透けて見えるようで思わず口をつぐんでいた。


『では、俺は行く。もしかしたら月白を攫った奴等が我が里まで来るかもしれない。お前達は万が一に備えて力を温存しておいてくれ』

『はいっ!』


 そして、白皇はオールドアへやって来たのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る