4 時は交わり変貌を遂げる


 譲羽芙美子

 その名前を聞いて松山は驚きに目を見開いた。知らぬ名ではなかったからだ。かつて松山が刑事としてのキャリアを積んでいた中で、この鳥居越学園が関係する事件があった。その被害者に彼女がいたのだ。


『譲羽芙美子さん、か……やはり、文珠と関わりがあったんだな』

『はい』


 少し沈んだような顔で肯定した譲羽を見て、松山は考え込んだ。

 事件のことは今も覚えている。彼女が遺したこの学園の図書館の貸出カード。酷く不自然な最後の記載の部分にはなぜか柊文珠の名前も書かれていた。それを見て松山は内心では酷く驚いていたのだ。それと同時に不安とも安堵ともつかない複雑な気持ちが浮かんだことも思い出す。

 ――あの時は文珠のことまで深く考える余裕は無かった。いや、考えないようにしていた

 幽霊だとか、鬼だとか、非現実的な存在の証明など出来るはずがなく、公的機関はそんな情報を必要としていなかったからだ。あの事件の解決については譲羽芙美子が精神的に追い詰められていた、そのことが分かれば十分と言えた。だから、柊文珠のことは個人的には気になっていたが調べることはしなかった。


『なぜ、君はここにいる?』


 おそらく、彼女もまた幽霊だ。そして、幽霊として今ここにいる以上、松山と同じように何らかの強い想い・未練が残っているのだろう。それを知りたかった。


『私が、そう望んだからです。柊文殊さんのそばにいたいって』

『文殊のそばに?』


 松山は怪訝な顔をして譲羽を見た。柊文殊はまず間違いなく彼女に自殺か何かを持ちかけたはずだ。現れた当初の柊の叫びを聞いていればそれは容易に想像できる。柊文殊は譲羽芙美子を殺そうとしたのだ。いや、譲羽は実際に亡くなっているので間接的にかもしれないが殺したと言っていいのかもしれない。それなのに柊のそばにいたかった、などと言う気持ちが松山には理解出来なかった。


『理解してもらおうとは思いません』


 理解出来ない、という松山の気持ちはどうやら目の前の少女には見透かされていたようだ。間違ってはいないので特に否定もせずに頷きながら小さく息を吐いた。


『確かに、人を害そうとする文珠に寄り添おうとする君の気持ちが俺には分からない。同情か? だとしたら甘いとしか言えない。あいつは意外とプライドが高く、そういったものを嫌っているからな』


 もっとも、その性格は生前の柊文殊にあったもので、あれから何十年と経っている今はいろいろと変質しているのかもしれないが。


『それだけ分かっていながらどうしてあなたは間違えるのですか?』

『間違える……?』


 間違えるも何も、正しいことなど何も分からないのだ。何が正解か不正解かも。


『あなたは助けてあげたいと仰っていました。でも、それは上位にいる人だからこそ考えられるものなんです。あなたは無意識の部分でもう柊さんを見下している。――そうでしょう?』


 譲羽の視線が松山を貫く。さも当たり前のことを言うかのような言葉は想像以上に鋭かった。松山はどうしても彼女と目を合せ続けることができず、逸らしてしまう。

 無意識の部分で見下している――その言葉によってかつての罪が刃となって突き刺さったような気がした。いや、罪はもとからあって……じくじくと痛むその心の場所が改めて曝され、抉られたのだ。


『そんな、ことは……』


 ない、という言葉は口の中で小さくなって消えてしまう。謝るのも、救われてほしいと願うのも、すべて自分勝手なことだと分かっていた。傲慢な考えで動いていること、それは指摘されるまでもなく認めている。しかし、それが上から目線のものだとまでは認識していなかった。いや、思考から外してしまっていたのだ。


『負い目だけで行動されても全く響かないでしょう。それに、柊さんも高校卒業を前にしたあの日で止まっているのですから……』

『あの日で止まっているから何だと言うんだ?』


 ささくれた心のまま、松山は譲羽を睨む。


『高校生の女の子に対する配慮が足りないと言っているんです』

『いや、そういう問題なのか……? 何か少し違うような』


 毒気を抜かれてしまい、今度は頭を抱えてしまう。結局の所、どういった態度で、どういった言葉を掛ければ良いのかさっぱり分からないのだ。


『そういう問題もあるんです。けれど……今悪霊になられても困るので』

『ああ、そうか……悪霊になる可能性もあったんだっけな』


 柊文殊はともかく、松山普賢にもその可能性はあった。今もじくじく痛んで主張している心の部分、それが強まれば強まるほど松山のバランスも崩れていく予感がある。譲羽が少し問題点を外したようなことを言ったのは、傷が広がりすぎないようにあえて言ったのだろう。

 死亡当時高校生だった少女に手玉に取られているということに納得がいかない気持ちもあったが、実際のところは彼女のおかげで松山は今度こそ間違えずに柊文殊に向き合えそうな気がしていた。

 ――この痛みは自らの罪に、本当に向き合おうとしていることの証だから


『とりあえず、力になってくれそうな方々のいる場所へ案内します』

『他に誰かいるのか?』


 そう尋ねてから松山はすっかり意識の外に飛んでいた霊能者達のことを思い出した。もしかして、と思い譲羽を見ればその通りだと言うかのような頷きが返ってくる。


『柊さんの闇に飲まれないほど強い霊能者の方々をようやく見つけました。彼等と松山さんが一緒であればあるいは、と思っています』



 ***



 一方その頃、来留芽達の方はどうなっていたか。

 まず、来留芽は張り直した結界内にいた。周囲は相変わらず闇色をしており、近くにいるはずの巴、樹、薫の様子はさっぱり分からない。ただ、少しだけ安心できる要素としては柊文珠の闇が松山さんを飲み込んでから妙に大人しくなっている点だろうか。先程までの攻撃性は一切見られなかった。それが返って不気味な様子で、何が起こるか分からないという緊張を抱えることになるのだが。


「外……というか闇の中では一体何が起こっているのか。松山さんは大丈夫なのか心配でもある。けれど、何が出来るとも思えないのがまた何とも……力不足を感じる」


 悔しさを表情に滲ませながらも考える。

 ここからどう動くべきか。動かない方が良いのかもしれないが……いつまでも結界を張っているだけでは解決することも出来ないのだ。


「心配なのは薫兄かな。物理的な衝撃には強いけど、今回のは純粋な物理じゃないから……」


 位置的には来留芽の右斜め後ろ辺りにいたはずだ。闇の腕への対処に多少動いたとしてもそう大きな移動はしていないだろう。

 そう考えて、来留芽は薫を拾いに向かうことにした。たった一人で詳細の分からぬ闇を抜けて松山さんを助けに向かうよりは複数人の方が成功する確率が高いからだ。


「来い、【茄子】」

『おう! 仕事か、お嬢……って何じゃこりゃ。というか、一体ここはどこなんだ』


 呼び出された茄子は自分で考えたらしい登場シーンを一通り演じてから周囲の様子に気付き、カッと目口を開いた間抜けな顔になる。

 ちなみに、この一連の動きは来留芽にはぼんやりとしか分かっていない。


「幽霊が作り出した闇の中」

『げぇっ! やっぱりか! 今の浮世にもそんな強い怨霊がいるもんなのなぁ』


 昔はそこら中にいたとでも言うのだろうか。しかし、実際、茄子は人がまだ車を牛に引かせていたような時代からいるあやかしだ。柊文珠のような強い霊をいくつも知っているのかもしれない。


「とはいえ、その幽霊がここまで強くなってしまったのは樹兄が霊的な力が強化される空間にしてしまったからというのもあるけど」

『へぇ。ってことはこちらの力も増幅されていそうだな』


 言葉を言い切る前に茄子は結界内を跳ねて自分の能力を試し出していた。にゃごにゃごといった鳴き声に闇が僅かに払われるのを見て、来留芽は自分の目論見が正しかったことを知る。


『ところでお嬢、今日はどのような……』

「結界代わりに闇を払うこと。よろしく」

『今日は特に拒否権ねぇなぁ……』

「あ、それとついでに薫兄とかの居場所を嗅ぎ分けられればなお良いのだけど」

『お嬢、犬か何かと間違えないでくれ』


 しかし、無理ではないと思うのだ。妖気の有り無しは分かるのだから。


『人間の妖気……じゃなかった、霊気は昔とは違って掴み難くなってっからなぁ』


 そう言いつつも何とか薫や巴、樹のものにあたりをつけて見つけ出すのが茄子というものである。


『おっ、分かりやすい霊力見つけたぜ~。こりゃあ、薫だな』


 茄子がそう言って前足を一歩出す。その次の瞬間、風をまとった何かが黒猫の鼻先に迫った。


『おわぉうっ!』


 心底驚いたことによるものか妙な声を漏らしながら茄子は反射的に尻尾を来留芽に巻きつけ、飛びすさる。その際に反応しきれていなかった来留芽は強い圧力に息を詰めた。


「くっ……な、茄子、何が……!?」

『攻撃されたんだ、お嬢』

「攻撃? どんな……」


 文句のひとつでも、と思っていたのだが“攻撃”という物騒な単語に飲まれてしまう。


『ゴツい拳のように見えたな。なぁ、お嬢、もしや……』

「薫兄だと思う」


 薫の能力は鬼への変化だ。茄子が危険を感じる程度のゴツい拳ということは腕を鬼化していたのだろう。


「薫兄? そこにいる?」

「……来留芽か?」


 どうやら気が付いてもらえたようなので来留芽はそっと腕を伸ばす。この闇の中でも強い光源があれば見えそうなのだが、生憎とそういったものは持っていなかった。


「声の感じからして……この方向かな」


 伸ばした腕が何かに触れた。そう思ったらガシッと強く掴まれてしまう。


「いっ……たいっ!」

『お嬢っ! ぐぉらあ! なぁにやってんだこのバカちんが!』


 状況に気付いた茄子が動いて来留芽の腕を掴んでいたものに牙を突き立て、引き離した。


「ってぇ~……悪ぃ、来留芽。焦って力入った。……大丈夫か?」


 さらりと指が来留芽の頬を撫でたかと思うと、そのまま降りて掴まれた腕へと動く。無事を確認するかのようなその動きは最大限、来留芽に負担を掛けないように配慮しているかのような丁寧なものだった。逆にくすぐったく感じて腕を引っ込める。


「私は大丈夫だから。それより、薫兄で間違いないよね?」

「ああ」


 来留芽の腕を追いかけてきた薫の腕を逆に掴んで確認する。茄子が薫へ攻撃した場面を見てはいないのだが、鬼化していたはずの薫が痛がったということは相当強く噛んだか何かしたのだと思われる。来留芽の行動はいかに薫といえども傷の一つ二つあるかもしれないと思ってのことだった。


「傷はなさそう。でも茄子、噛んだか何かしたんだよね?」

『おう。ガリッと噛んだ。とはいえ、骨より硬かったから傷にもなっていない気がするけどな』

「ああ、めっちゃ痛かったけど血は出てねぇはず」

「それは良かった」


 しかし、骨より硬いとは……。本当に鬼という存在は肉体的に頑丈だ、と来留芽は呆れる。


「薫兄、この闇の中にいて何ともなかった?」

「あー、最初は何か吸い取られる感じがあったけど、鬼化してからはそうでもなくなったな。お嬢は大丈夫か?」


 吸い取られる感じがあったということは、何もしていない状態の霊能者は危険なのかもしれない。また、吸い取られた霊力が何になっているかも問題だろう。


「私は大丈夫。茄子が上手い感じに闇の効果を払ってくれるから」

「便利だな」

『例え便利でも男にゃ使われねぇからなー』


 薫の視線には便利な道具を見るような感情が含まれていた。茄子はそれに気が付いていたが、男はごめんだというようなことを言ってにゃご、と鳴く。その際に祓われた闇の範囲内には薫も含まれていたのだが、その辺りは特に思うところはないようだった。エロ猫がエロ猫たる言動をして見せたいだけだったのかもしれない。


「ところで、薫兄、茄子。気付いてる?」

「ああ。こりゃ気付かない方がおかしいっての。……闇がやけに濃くなっていることだよな?」

「そう」


 来留芽達が話しているうちに、なぜか周囲の闇がその色を濃くしていることに気が付いた。そして、それは来留芽達から少し離れた場所に吸い寄せられていくかのような流れを作り出している。

 闇の中で一体何が起こっているのだろうか。

 今もまだ、見通せそうになかった。


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