10 続・捜索組


『お嬢ー、目ぇ開けてるかー! すごい景色だぞー。ほれほれ』

「……開けられるかっ」


 暢気に掛けられた声に来留芽は余裕の無い声で返していた。現在位置は鬼化した薫の背中。ある意味中空にいると言ってもいい。潮風が髪や背中を撫でていく度にひやりとしてしまう。高所恐怖症ではないはずだが、目を開けて下を見たら怖くなってしまう気がして必死に目をつむっていた。

 来留芽ですらこうなのだから茄子の背中に乗っている二人はもっと怖いのではないだろうかと少しだけ心配する。いや、向こうは一応しっかり掴まれる毛皮があるからそうでもなかったりするのかもしれない。


「薫兄、あとどれくらい?」

「もう少しだな。斜めに降りたところにちょうど良い岩場がある。そこからならお嬢も一人で動けるんじゃねぇか」


 それならばさっさとその場所へ行ってもらいたいという意思を込めて腕にぎゅっと力を込めた。今最も感じたいのは風ではなく土だ。来留芽は地面が無性に恋しくなっていた。

 それから少しして薫は無事に岩場に降り、来留芽は足に地面を感じてほっと一息をつく。


『なっさけねぇなーお嬢。やはり人間も空を飛べるようになるべきだろうよ』

「物理的に不可能だから」


 ふわふわと飛んだまま黒猫は無理にも程があることを言う。ちなみに翡翠と恵美里はすでにその背中から降りている。身軽になった茄子はあっちへふわふわこっちへふわふわ忙しなく動き回り、来留芽を苛つかせた。こういったことに関しては、この猫は本当に才能がある。


『いやいや頑張れば飛べるさ。あいきゃんふらーいってな』

「物理的に不可能だから……というか茄子、戻らないの?」

『あー、久しぶりの浮世だからなー。一仕事してサヨナラは寂しいなー』


 本気で思ってはいないだろう声音と態度だ。しかし、確かに茄子を現世へ呼ぶのは久しぶりだった。案外言葉通り寂しい気持ちがあったりするのかもしれない。


「分かった。良いよ、ついてきて」

『褒美もまだだしなー』

「アレを私に用意しろと? その場合、社長と細兄と樹兄と巴姉……少なくとも四回はズタボロにされると思うけど、それで良いなら」

『……冗談だぜ、お嬢』


 へたった黒い尻尾に勝利を確信した来留芽はよろしい、と言うように頷いた。


「まぁ、ついてきたいなら好きにして」


 どのみち戻るも戻らないも茄子の好きにさせている。戻りたくないというならば同行を許可する以外になかった。それに、年経た猫又である茄子は戦力になる。


「えぇ? エロ猫と一緒かよ」

『ククッ。お嬢達にはまだ戦力が必要だろうに』

「ぜってぇ本音は違ぇだろうが」

「うん。私もそう思う」


 本音の部分に関しては来留芽も薫に同意する。それはエロ猫がエロ猫たる理由がある故に。どうせ茄子が目当てにしているのは姉人魚達なのだ。彼女達は妖界でも美女で通っている。水妖以外の前には滅多に姿を現さないことによる神秘性もあるかもしれない。とにかく、茄子はただ美女を見たいだけだろう。


「まぁ、いいか。とりあえず目標はあの洞窟だ」


 岩の上に立った薫は一方を指さした。その方向を見ると確かに穴がある。今は干潮で水が引いているから歩いて行けそうだった。


「昨日はあの奥にある地底湖のような場所に人魚達がいたんだ。たぶん今日もその辺りにいるはずだぜ」

「つながっているの?」


 来留芽が確認した限りでは人魚達が来たのはつい先程のことだった。つまり、干潮時にあの狭間から現れたのだ。あの入口から中に入ったということはなさそうである。それならば別の入口がどこかにあるということになる。


「まぁ、たぶん? しっかり確認してないから分からねぇけど」


 それでも待ち合わせ場所がその地底湖のような場所だというので来留芽達は洞窟に踏み込んだ。


「奥に着くまでそう長い時間かかりはしねぇけど、体調が悪くなったりしたらちゃんと言ってくれ。エロ猫が快く乗せてくれるだろ」

『うむうむ』


 荷運び係、台車扱いされたのに乗せる対象が女性であれば文句はないのか、茄子は普通に頷いていた。それでいいのか、お前……と来留芽は猫をじとっと見るが、主の視線をものともせずに猫は悠々と先を飛んでいく。


『それよか、近いぞー……妖力がこの先五つ、六つばかり控えてる』

「姉人魚さん……かな?」

「普通に考えれば」


 洞窟の壁に張り付き、そっと先を覗く。来留芽の視界に数人の人魚が映ったところでさっと頭を引いた。そして、後ろに続いていた恵美里、翡翠、薫に頷いてみせると壁から離れて堂々と一歩踏み出し姿を見せる。茄子は来留芽を守るようにその背後へ大きくした身体を回してきた。


 まず来留芽を迎えたのは警戒の視線だった。人魚達は自分に有利な水中へその身のほとんどを隠し、胸から上だけ覗かせている。その中で最も大人っぽい人魚が口を開いた。


『人間……』

「あー、姉ちゃん達、そんなに警戒しなくていいぜ」

『お前は、昨日の……恐くない方の奴ね』

「『っくく……』」


 来留芽と茄子は“恐くない方の奴”という言葉で不覚にも吹き出してしまう。似た者主従だ。しかし、翡翠や恵美里とて吹き出すまではいかずとも口元が笑いを浮かべる寸前だった。薫は機嫌が急降下したのを隠さずに口をへの字にして咎めるような視線を向ける。


「お・じ・ょ・う? エロ猫は後でシメル。俺と一緒にここへ来たのは社長だ。風格で負けるのは仕方ねぇだろ」

「風格……まぁ、社長がヤクザの親分なら薫兄は下っ端チンピラにしか思えないだろうし……。それは分かるんだけど、あんまりな覚え方されてるよね」

「やっぱ印象的だったんだろ。それより、人魚の姉ちゃん……」


 盛大に逸れた話を薫がさっさと戻す。


『何かしら。私達の依頼、引き受けられないとでも? 人間の霊能者がだめだったらもう後がないのよ』


 マイナス思考もあらわにして姉人魚達は口々にそういったことを話してくる。


「あー、悪い方に考えねぇでくれるか」

『と言うと……』


 姉人魚の瞳が期待にキラキラと輝き始める。もちろん、来留芽達にその期待を裏切る予定はない。


「うん。妹人魚については急いで救出する必要があるとみて今日から探し始めてる。あなた達の依頼は引き受けた、ということ」


 来留芽がそう言うと人魚達は互いに手を取り合って喜んだ。


『ああ、これで、スティーナに会えるのね……私達の大切な妹に!』

「……スティーナ?」


 来留芽が疑問混じりに一つの言葉を反芻すると、それが聞こえたらしい姉人魚がさっと顔を青くした。


『あ……』

『だ、大丈夫よ、姉様。あの子はもう既に名前を託しているもの。だからあの人間にも普通に聞こえたのでしょう?』


 あやかしはよほど親しくない限り霊能者に対して名乗らない。それは、彼等にとっての“名”が彼等自身の存在を定めるものであり、霊能者にとっては支配の起点となるからだった。

 とはいえ、名無しでいるのも面倒なので呼び名というものがあり、基本はそれを名乗ることになる。


 もちろん、全ての霊能者があやかしを支配下に置くために彼等の名を聞き出そうとするわけではないし、大妖怪相手ではたいてい失敗する。

 それに、すでにその名を何かに使っている場合……例えば大妖怪の下につく契約を名によって行っている場合などでは、霊能者が相手を支配下に置くためにはその大妖怪を下さなくてはならなかったりする。そのため、名前が知られてもそこまで大きな問題にはならない。


「スティーナというのは、妹人魚の名前?」

『……まぁ、そうなるわ』


 来留芽の問いに姉人魚は肯定した。

 妹人魚の名前が分かったからと言って何かが進展するわけでもないと思っていたが。そうでもなかったのかもしれない。

 スティーナ

 もしその名前を彼女の“探し人”に託していたとしたら。


「彼女は自分の名前を誰……もしくは何に託したの?」

『人間だそうよ。昔、あの子が浮世へ逃げたときに出会った人の子。あの子の願いは自分の名前を広めることだったからきっと相手は人間の社会でも影響のある子なのでしょうね』

「なるほど……」


 おそらく、その人物がシュウという名前で妹人魚スティーナの探し人なのだろう。これで光明が見えた。スティーナという名前は外国人にありそうなもので、つづりとして考えられるのは“Stina”だろうか。


 ――もしかしたら

 来留芽の脳裏に浮かんだのは最近知るようになった四人組だった。確証はない。しかし、そのメンバーの中には“シュウ”という名前の人物がいるのだ。無関係だとは思えなかった。


「来留芽ちゃん……スティーナって……とても聞き覚えがある……んだけど……。そうなの、かな……?」


 恵美里も同様に思い当たったらしい。スティーナという音は来留芽や恵美里にとってなじみ深いものになっていた。


「お嬢、何か知ってんのか?」


 薫がそう尋ねてきたので来留芽はそちらに顔を向けた。そして、ここまでの話で思いついたことを話し出す。


「薫兄はSTINAというバンド、知ってる? 表記はアルファベットのS(エス)・T(ティー)・N(エヌ)・A(エイ)で、読み方はスティーナ。そして、メンバーの一人に和泉秀という人がいる」

「バンド自体は知らねぇけどスティーナにシュウ、な……関係があるんじゃねぇの」


 腕を組み、そう言って首を捻った薫に来留芽も同意を示すように頷いた。


「ちょうど今日、彼等はあのビーチの近くでライブの予定があるらしい。この時機に“スティーナ”と“シュウ”がそろっていることには何か意味があるとしか思えない。和泉秀は妹人魚が以前に出会い、約束を交わしたという子どもじゃないかと思うんだけど……」

「なるほど。言われてみればそうとしか思えねぇな。そうすっと探し人については何とかなりそうだ。問題は探し物の方だったか」


 そこへ困惑の声が掛かった。


『あの……話がよく見えないのだけど、あの子の約束相手がいるの? この近くに?』


 声の主は姉人魚で、彼女達は不安げな表情を浮かべていた。何を懸念しているのかは分からなかったが、とりあえず話しておくべき事項を告げる。

 すると、彼女達はまた青ざめた。


『大変だわ……。約束を果たすべき時が来てしまっている』

『姉様、もしそのシュウという子が去ってしまったら……』

『たとえあの牢獄から出られたとしても、約束を果たせなかったことになるのだから消えてしまうわ。約束の内容によっては次回へ持ち越せるかもしれないけれど、五分五分ね』


 来留芽は途切れ途切れに彼女達の会話を聞いていた。そして何となく悟るものがあった。彼女達の問題はきっと“人魚姫”だ。あの有名なアンデルセンの人魚姫は泡となって消えてしまう。彼女達はその概念に左右される人魚なのかもしれない。

 しかし姉人魚達からよく聞いてみれば、来留芽が予想したような概念に左右されるのは妹人魚くらいらしい。だからこそ、事は一刻を争うと言える。言えてしまう。


『あの子を助けてくれるというなら、助けた後にあの子を約束の相手の元まで連れて行って』


 今なら来留芽達も姉人魚の焦りを理解できた。解決を急ぐためにされたその要求は当然のものとしてのんだ。


「分かった。その、実はもう一つ聞いておきたいことがあるのだけど」

『ええ。何でも聞いてちょうだい。答えられるものなら答えるわ』

「髪飾り。ええと……真珠の髪飾りだったっけ?」


 問うように来留芽が薫を見ると、彼は頷いて口を開き言葉を引き継ぐようにして人魚達に尋ねた。


「ああ。妹人魚の髪飾りも探さなくちゃならねぇんだが、知らねぇか?」

『髪飾り……あの子の?』

『確か、私達の元で保管しておこうとしたのに取り上げられてしまったのではなかったかしら……』

「取り上げられた……誰に?」

『――海の盟主様のご子息様、よ。呼び名はレン様』


 海の盟主は海坊主一族が務めているそうだ。その息子だというのだからレンという者も海坊主なのだろう。


「髪飾りは返してくださいと言って返してもらえるもの?」


 もしそうならば姉人魚の誰かに頼んで持ってきてもらえば良い。それで探し物については解決だ。しかし、それが出来ないのならば最悪は戦いを覚悟しなくてはならないだろう。

 果たして、人魚の返答は――


『……それは、分からないの。話の通じない御方ではないから、言えば返してもらえるかもしれないわ』

「それなら――」

『けれど』


 上擦る気持ちのまま言おうとした言葉は口にする前に姉人魚が続けた逆接の接続詞によって落とされた。


『……けれど、私達とあの方は今、対立してしまっているから私達から言ってきちんと聞いてくれるかは分からないわ。そもそも近付けないのよ』


 妹人魚の処遇について対立したばかりで姉人魚達は自分達よりも強い海坊主に近付くことを恐れているのだという。


『結構酷い言い争いになってしまって。盟主様の仲裁で冷却期間を設けてもらったの。髪飾りの在処ありかを知っているのはレン様だと思うけど、もしかしたら盟主様に聞いても分かるかもしれないわね』

『ねーちゃん達はその“盟主様”に会うことが出来ねぇのか?』


 ここまで来留芽の背後でのんびりと腹を下にして大人しくしていた茄子が顔だけ上げるとそう言った。確かに人魚達が言い争った相手はレンだけであり、盟主は別のはずである。


『猫又……。私達としてもそう出来ればいいと思っているわ。けれど、万が一レン様と行き合ってしまったら今度こそ大変なことになってしまう』


 そう簡単に命を投げ出すことはできない。だから彼女達がそれをできないと言うのも理解している。

 では、どのようにして髪飾りに辿り着けばいいのだろうか。

 来留芽は目を閉じて考える。その間に薫が人魚達と話していた。


「なぁ、今ここから盟主のもとまで繋げることは出来るのか?」

『妖界へ、ということかしら。私達が全員で妖力を振り絞れば可能だと思うわ』

「だったら、俺等が行きゃあいいじゃねぇか。なぁ、お嬢?」


 薫が水際でしゃがみこみ、肩越しに顔を向けてきた。来留芽は閉じていた目を開け、視線を合わせて頷く。


「確かに私達なら今のところ海坊主と対立してはいないし、話を聞いてくれるかもしれない」


 人魚達が行けないのなら、もう来留芽達が行くしかない。考えてもそれしかなかった。


「……来留芽さん」


 遠慮がちに掛けられた翡翠の声に来留芽は振り向くと呪符を取り出した。


「うん。水中行動はこの呪符を使えば翡翠や恵美里でも大丈夫だと思う。けれど、今回はここで二手に別れよう」

『ん? お嬢、何で別れるんだ?』

「人魚達に妖力を使ってもらうから。疲弊ひへいした彼女達をそのままにはしておけない」

『大丈夫よ、たぶん。ゆっくり休めば妖力は回復するもの』


 その言葉に来留芽は首を振る。


「二手に別れるのはこちらの都合もある。私達は何もしていない状態では出口を適当な場所へ設定することが出来ないから、行きはともかく、帰りが問題」


 しかし、来留芽の呪符をこちらに残す人が持っていればその近くに出口を作れる可能性がある。


『なるほど……』

「来留芽ちゃん……残るのはわたしとお母さん……だよね」


 すぐそばに恵美里がしっかりと立って微笑んでいた。申し訳ないという気持ちを抑え込んで来留芽は口を開く。


「お願いできる?」

「もちろん」


 来留芽は呪符を翡翠と恵美里、薫、茄子に渡し、自分はすぐに使用する。そして地底湖の方を見れば、人魚達が作った円の中心に渦が出来ていた。


『準備が出来たわ、霊能者、猫又』

「ありがとう。……行ってくる」


 薫を先頭に来留芽、茄子の順で飛び込んだ。渦はすぐに消えてしまい、後には妖力のほとんどを使ったことで疲弊した姉人魚達と彼女達を介抱しに動く翡翠と恵美里が残される。


『どうか……無事で……』


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