5 ただ心配なだけ
巴はあの短時間であの奇妙な狭間が何なのか気付くものがあったようだ。彼女はもう仕事モードにある。
とはいえ、それは好き好んでそうあるわけではないのだろう。
不思議なものを見るような巴に来留芽は真っ直ぐに目を向けた。
「私は別に仕事になってもいい」
細は問答無用で仕事になった。巴ももうやることを決めている。そして、この場にいない叔父と薫もきっとそれぞれ休暇から離れているのだろう。
だからというわけではないが、このまま海水浴を満喫し続ける気にはなれなかった。
「というか、細兄が心配」
「来留芽ちゃんは細が好きだね。本当にお兄ちゃんっ子だ。ちょっと羨ましいね」
そう言いながらまた来留芽を撫で始める巴はにやにやとした笑いを浮かべていた。
からかわれている。
そう思った来留芽はそっぽを向いて呟いた。
「好きって……そんなのじゃないから」
――ただ心配なだけ
言い訳をするように心の中でそう呟いて巴を軽く睨む。
「えっ……恋愛的なものと思っていた……のに」
なぜか予想とは別の方向から来留芽の主張を疑う声が上がり、そちらに目を向ける。
「恵美里? 私と細兄は血はつながっていないけど兄妹みたいなもの。ずっとそう過ごしてきた。生徒と教師でもあるし……恋愛的な“好き”はない」
あっては困るのだ。心が乱れるような何かは浮かぶ前に閉じ込め、深く沈めてきた。だから、ないと断言する。
「そ……そうなんだ……」
恵美里は少し困ったような微妙な笑みを見せている。来留芽が言ったことを信じていないのだろう。それに納得がいかなくて眉を寄せた。
「はいはい。でもまぁ真面目な話、最初に見つけた来留芽ちゃんがいるとだいたいの場所が分かるから助かるよ」
「あ、巴姉。狭間を見つけた場所は結構深かったから調査ともなると潜水の術でも使わないといけないかもしれない」
「了解。こういう情報が欲しかったんだ。来留芽ちゃん、潜水用の呪符ってあったっけ?」
「車の荷物の中だけど」
本当に油断していたからこの場には持ってきていなかった。盗まれても困るし、そもそも呪符はあまり水に強くなかったりする。もっとも、工夫次第では使えるので心配はいらない。
「それじゃあ、車に取りに行ってこようか。翡翠、鍵借りれる?」
「はい。これですよ。場所は……」
翡翠がポケットから取り出した、音符のキーホルダーが揺れる鍵を巴に渡す。そのまま車の場所について話そうとしていたが、巴はそれを止めた。
「あたしが知っているから大丈夫」
「あぁ、そういえばそうでしたね」
そして、来留芽と巴は車へと一旦戻ることになった。来留芽はそのままだと目立つので恵美里の上着を借りて羽織っていく。
正直に言えばそこまで軽減されていなかったりする。綺麗なものには例え隠れていようと目が引かれるものなのだろう。
「ところで、守叔父さんと薫兄は? 仕事に行ったものと判断していたんだけど」
今更だが泳いで狭間に追いかけられ、疲れ切って戻ったときには既に無かった二人の行方を尋ねる。
「ああ、その認識で合ってるよ。社長はさっさと別の依頼主の話を聞きに行って、薫がそれに巻き込まれた形になるかな?」
「別の依頼主……。そういえば、会議で言ってた」
「たぶんそう。あたしも詳しくは知らないんだけどね」
「後で薫兄に聞けば教えてくれるかな」
「人手がいると判断したなら教えてくれるだろうね」
雑談しながら駐車場の入り口付近にやって来たのだが、わいわいがやがやと騒がしい人だかりが出来ていた。若い男性や女性が多いように見える。彼等は道を防ぐ形に広がっており、通れそうになかった。
「邪魔だね。何かあったのかな?」
巴は人だかりを睨むとそう呟いた。
何があったにせよ、通らないと駐車場に行けないので二人は人だかりに向かって歩いていく。
「リーカさん、サインください!」
「明日応援してます!」
そんな声が聞こえてきて来留芽達は騒ぎの原因を知った。芸能人でもやって来たのだろう。人だかりの中心はリーカという人らしい。だからといって迷惑であるということは変わらない。
「申し訳ありませんが、人だかりが迷惑になるんで、ここで立ち止まらないでくださーい」
「すみません! 道を開けてください!」
あの中にも騒ぎを収めようとする人がいるようだ。
そして何やらチラシが配られたあと、次第に人が離れていき、通れるほどになる。ちなみにそうなるまで来留芽と巴は傍観していた。どうにも手を出せないと思ったからだ。
「……貴女方も、ごめんなさいね」
「いえ……」
ようやく姿が見えたリーカと呼ばれていた人物は夏らしい白に青やピンクの花柄のワンピースを着てお洒落なサングラスを掛けていた。あれだけ厚い人垣に囲まれていたのに来留芽達のことをしっかり認識していたようだ。
「貴女……確か、ルイくんの友達よね。隣の方はお姉さんかな?」
「ええと……そんな感じです。古戸来留芽です。あの、お名前を聞いてもいいですか?」
彼女がクラスメートの穂坂の知り合いであると分かった。彼と共通の知り合いで大人の女性といえば限られてくるため、何となく誰なのか気付いたが確信は持てなかった。
「ああ、これじゃあ分からないか。……これでどうかしら? リーカよ。穂坂ルイくん達の先輩になるわね」
「あ……久しぶりです」
サングラスを外してもらったおかげで誰なのかはっきり分かった来留芽はペコリと頭を下げる。
「来留芽ちゃんの知り合いだったのですね。私は一色巴と言います。こんな格好なので名刺も持ってきていないのですが……」
「この場所じゃ無理もないわ。しっかりしたお姉さんね」
感心したようにそう言われて来留芽と巴は軽く頭を下げる。
「ありがとうございます。ええと、リーカさん。今日は仕事ですか?」
「うーん……宣伝を兼ねたプライベートになるかな? 明日から少し先の特設ステージで夏の音楽フェスがあるの。私も出るし、STINAも出るし、その宣伝になればと思ってね」
見に来てね、と言われて渡されたチラシを受け取る。そこには“更なる高みへ、昇れ”と大きく書かれていた。
「盛り上がろうよっていう意味の言葉なんだけどね。私……“リーカ”もルイくん達“STINA”もまだまだ上を目指していくという決意もあるんだよ。もっと世界に自分の名を広めてやるってね」
「リーカさん、もうそろそろ……」
「あら、そうね。引き留めちゃってゴメンね」
マネージャーらしき男性に急かされた彼女はサングラスをかけながら来留芽達にウィンクすると颯爽とビーチの方へと歩いて行った。
それを見送ってから二人も車が置いてある場所を目指して彼女達とは逆方向に歩き出す。
「何というか……眩しい人だったね。結構しつこい、というか熱心なファンがいるのも分かる」
「モデルもやっているけど本業は歌手だって」
「ふぅん。どこ情報?」
「穂坂くんからの情報。クラスメートの」
来留芽がそう言うと巴は何かを思い出そうと来るかのように額に指を当てていた。
「うーん……もしかして、六月に相談に来ていた子?」
ようやく少し思い出せたようだ。巴の言葉に来留芽は頷く。穂坂の依頼で問題となっていた静谷光久の件は時間的にもぎりぎりで内心はらはらとしながら見守っていたものだ。
「そう。リーカさんとは穂坂くんの事務所に行ったときに初めて会った。でも、こっちの仕事については知らないはず」
「そっか。……ところで来留芽ちゃん、荷物は後ろだっけ」
二人はちょうど翡翠の車の前に来ていた。緑色なので意外と分かりやすい。巴は鍵を開けると荷物の場所を尋ねる。
「うん」
来留芽は自分の荷物を取りだし、目的のものを探す。長期滞在の予定なので仕事道具もかなり揃えてある。今回は海に行くと分かっていたので水中行動を可能にする呪符も当然用意していた。
「あった。水系の呪符は全部持っていくべき?」
「どうだろうね。でも、細の支援には必要なんじゃない。流石に水中戦できるほど持ってはいないだろうし……」
細は海パン一枚で対応しに向かっていたのだ。例えポケットに呪符を仕込んでいたとしても十分な量ではないはずだ。
「呪符なしでという手もあるけど、霊力がもたない」
ウエストポーチを取り出して腰に回しつつ来留芽はそう言うと口を引き結んだ。
「そうなんだよねぇ。まぁ来留芽ちゃんの心配ももっともだけど、あれでも結構強いよ、細は。それに、約束を破るような人じゃない」
「知ってる」
来留芽はぶっきらぼうにそう言うと黙って荷物を車に積み直す。
「そこまで心配する必要は……」
「巴姉」
来留芽はバタンとハッチを閉めると巴の言葉を遮って向き直った。
「あの狭間、今思えばいろいろおかしかった。私達を捕まえようとしたのもそうだけど……何となく呼ばれていた気がする」
「やっぱり、自然にできたものじゃないってこと?」
幾分か真剣な表情でそう尋ねてきた巴に向けて頷く。
「たぶん。術者がいた感じもなかったから樹兄並みの特異霊能者によるものではない」
「となると……」
「うん。あやかしの可能性が高い。それで、狭間を使えるようなあやかしといえば……」
「たいていは大妖怪とされるような強いもの、だね」
言葉を引き継ぐようにして言った巴は唇を噛み締めていた。来留芽も同じようにして俯く。
「細兄は後で合流しようって言っていたけど、やっぱり心配。というか、合流場所決めてないし」
「そうだったの? 久しぶりにやらかしたね、細。仮にこちらから指定できたとしてもたどり着けるか分かったものじゃないし。……方向音痴だから」
付け足すようにして言われた言葉に「ああ、やっぱり……」と思ってしまう。
「来留芽ちゃんも流石に気付いたか。細は徹底的に隠そうとしていたんだけど。まぁ、仕事仲間を誤魔化せる訳がないよね」
そして、ビーチに戻ってきた二人は樹達のところへ一旦集まる。
「おかえり~」
「ただいま。恵美里、上着ありがとう」
「うん……」
上着を受け取った恵美里はどこか浮かない表情をしていた。明るいビーチにそぐわない顔だ。少し離れた間に何かあったのだろうか。
そう思ってちらりと樹を見るが、いつもと何ら変わったところはない。もっとも、彼は特に気持ちを隠すことが得意だからあまり参考にはならないだろう。
「恵美里、何かあった?」
「へっ? う……ううん……何でも、ない……けど……」
「樹兄に何か言われた?」
来留芽はそう尋ねながら呪符を取り出して確認する。これは水の中でも使えるように特殊な素材で作られているもので、霊力を込めた後に肌のどこかに押し当てるだけで使えるのだ。その時は呪符の模様が肌に刻まれ、それが消えるまでが持続時間となる。
来留芽が色々と確認している傍らで恵美里はうつむいた。
「その……ね、霊能者としての……覚悟とか聞かれて……。わたし、答えられなくて……」
「それは、当たり前。恵美里は……翡翠もだけどまだまだ霊能者としてひよっ子だもの。それに、そもそも霊能者としての覚悟って、何?」
「え……?」
ぽかんとする彼女から目をそらして来留芽は意地の悪い質問をしたのだろう、樹の方へ顔を向けた。
「霊能者という日陰者。それを甘んじてそれとして生きる覚悟? 人とは違う力を乱用しない覚悟? それとも、人に害をなす幽霊やあやかしを……最悪の場合は殺す覚悟? まぁ、幽霊は浄霊、消霊で殺すのとはちょっと違うけど」
「それ……は……」
霊能者として歴史に名を残すことなど出来ない。来留芽達が持つ人とは違う力は凶器になる。そして、その力は人の都合で悪とされた幽霊やあやかしを葬ることに使われる。
来留芽は常に自分は、自分の力は危険なのだと言い聞かせてきた。それでも人の社会を生きると決めたのだ。それこそが覚悟なのかもしれない。
「恵美里も考えておいて。でも、これはすぐに出さなきゃならない答えじゃないから。私だってまだ答えを出す途中だし」
それだけ言って踵を返したところ、腕を掴まれて足を止める。
「あの……く、来留芽ちゃん……! もう……調査に行くの……?」
「痕跡が残っているかもしれないし、万が一あれが何かを残していて普通の人が傷付くようなことがあっては困るから」
引き留めた恵美里はどこか申し訳なさそうで、不安そうで、少しだけ恐怖の気持ちが滲んだ顔をしていた。
――ちょっと放っておけないかな
来留芽は恵美里の肩に手を置いて安心させるように口の端を持ち上げる。
「心配しないで。“こっち側”で何もかもすぐに出来るようになるわけじゃないのは分かってるから。ゆっくりで良い。慣れてしまうのは、ね」
それだけ言うと来留芽は口を出さずに様子を見ていた巴の腕を引いて海へと向かう。急に引かれた巴はたたらを踏んでバランスを取ろうとしていた。
「ちょっ、来留芽ちゃん!」
「いってらっしゃ~い」
「あ、樹兄もほどほどにしないと怒るから。覚えておいて」
「はいはい」
また海に向かった来留芽と巴は大した成果が無いまま戻ってくることになる。海中に現れ、細が調査に出向き、来留芽達を追いかけ回した狭間は本当に何も痕跡を残していなかった。今は海中も海上も穏やかなものだ。
それは逆に来留芽の心に影を落とすことになった。
***
とあるホテルの会議室にて。
「リーカさん、お疲れ様です。今日の昼は一応オフでしたが、騒動になったようですね」
ビーチでの騒動については関係者間ですでに情報が広められているようだった。リーカは深い溜め息を吐く。
「ええ。そうなの。騒ぎを起こしてしまって申し訳ないと思うわ。ノブくん達は明後日だったかしら。ライブ後はもっと騒ぎになるかもね」
「俺達の方は誰か一人を生け贄に他の三人が楽しむということも出来るので」
「仲間意識が薄いのね」
少し笑いながらリーカはそう言った。対するノブも笑っていたが、肩にポンと手を置かれてその笑みが引き攣る。
「ねぇ、仲間意識薄いって俺等の事だったりする? ノブ」
「しゅ、秀」
「うーん……生け贄はノブで決まりかなぁ? ね、ルイ、悠里。ボク等、仲間意識薄いみたいだしー、ノブも文句言えないよね」
そういうところが仲間意識が薄いとからかわれるのだ。もっとも、秀のこの言葉はわざとだろうが。
彼等のやりとりを一通り笑って見ていたリーカだが、ふと思い出したように手を打つとルイの方を向く。
「あ、そうだ。ルイくん、今日行ったビーチで前に事務所に来ていた子……古戸来留芽さんだったかしら。その子と会ったわ」
「え、マジですか!?」
ルイは一気にテンションを上げて身を乗り出していた。
「嘘はつかないわよ。チラシを渡しておいたから明日来てくれるかもしれないわね」
「だといいですねー。ちょっと心配なのがここのところ不運続きなことですけど」
「そうねぇ。確かに間の悪いことが続いているわね」
ギターの弦が切れたとか、マイクの音が入りづらいなど一つ一つは大したことではないのだ。だが、それが連続して起こるというような不運が続いていた。それが明日のライブに影響しないかという不安があった。
「特に機材トラブルとか、おれ達じゃどうしようもなかったりするので……」
「まぁ、臨機応変にいくしかないんじゃない? 君達は本番に強いから大丈夫よ」
「そうっすね……」
何事も万全とは程遠い状態で本番に臨まなくてはならない場合の方が多い。大切なのは如何に機転を利かせて切り抜けるかだ。
***
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