3 ほのぼの海水浴


 青い空に白い雲、そして黄金にきらめく砂浜。

 八月の中旬、オールドアは社員旅行にやって来ていた。目的地である海水浴場は中々の賑わいを見せている。


「あ~、いい天気で良かったね~」


 真っ先に車から降りて伸びをしたのは樹だ。燦々と照らす太陽が天使の輪を作り出している。


「そうだな。絶好の海水浴日和だ」


 次に降りたのは細で、車内が窮屈で筋肉が凝り固まってしまっていたのか、腕を回して軽くストレッチをしている。彼に付き従うようにして降りた薫はサングラスをずらして周りを見渡していた。


「そうっすね。まぁ、黒い影だとかは欠片も見えないっすけども」


 男三人が口々に言うのを聞きながら来留芽もまた海に目を向けた。眩しげに目を細めた先にあるのは楽しそうに、そして幸せを体現するかのようにして遊んでいる親子連れ、カップル、さらにその向こうには地平の先まで続く青があった。そこは太陽を反射して金に彩られている。


「海は、久しぶり」

「そう……なの?」


 ポツリと呟いた声に反応したのは恵美里だ。彼女は風に飛ばされないように麦わら帽子を押さえていた。


「オールドアは結構山の手の依頼が持ち込まれる。海は珍しい。位置的な関係もあるけど」


 今回も本部組が海方面の仕事を受けてこなければ来ることはなかっただろう。


「おーい、五人とも、私と翡翠は車を置いてくるから必要なものだけ持って先に着替えていてくれ。今日は海を楽しんでおこう」


 社長が助手席の窓を開けてそう言った。今回、車は二台でやって来ている。運転を請け負ったのは社長と翡翠だった。駐車場も浜辺も混み合うことが予想できていたため、来留芽達は先に降りて場所を確保しに向かうのだ。


「は~い! やったね~」


 殊更子どもっぽく喜んで見せた樹は嬉々として浮き輪やビーチボールを取り出している。それを見て苦笑しながら他の面々も遊ぶために用意した物を取り出した。


「まぁ、時間はたっぷりあるし」

「一八二時間くらい」

「なぜ時間で換算したの、来留芽ちゃん」

「何となく」


 案外来留芽も海にやって来て浮かれているようだ。表情は変わっていないが返答がおかしかった。


「じゃあ、男どもは重たい荷物を頼むよ」


 巴はにっこり笑って有無を言わさずに細や樹にサーフボードやビーチパラソルを持たせていた。


「はいはい」

「巴……やっぱりそのうちに“姉御”で定着するぜ……いや、何でもないデス」


 薫だけは不満げな顔をしてそんなことを呟いていたが、巴が笑っているのに笑っていない威圧的な表情を向けたら光の速さで目を逸らしていた。力関係がよく分かるやりとりである。


「それじゃあ、あたし達も行こうか」


 男女で別れた更衣室で各自手に持った水着に着替える。来留芽や恵美里はパレオ付きのビキニと少し冒険した物だ。


「やっぱり……恥ずかしい……かも」


 恵美里が選んだのは白に青い花柄のフレアで、清楚な感じにまとまっている。恥ずかしさに上気した肌に胸元を隠そうとする仕草は逆効果ではないかと来留芽は思い、どうしようかという意思を込めて巴を横目で見た。


「うーん……恥ずかしがっていたらかえって余計な羽虫を引き寄せそうだね。来留芽ちゃんも似合っているからこそ、気を付ける必要があるかも」


 来留芽は黒の無地のホルター・ネック。パレオも含め、全体的に黒でまとめてあり、色合いは恵美里とは対照的だ。普段は下ろしている髪も今日はポニーテールにしてある。


「とりあえず恥ずかしいならパーカー羽織っておこうか。少しはましだよね?」

「は、はい」


 巴は恵美里にパーカーを着せてやる。そんな彼女はビキニではなくタンキニを選んでいた。


「巴姉はビキニにしなかったんだ」

「まぁね。あたしはサーフィンやるつもりだし、タンキニの方が動きやすいのよ」

「ラッシュガードも……色気の欠片もないよね」

「透がいないのに色気を見せてどうするのさ」


 透は巴の婚約者だが、オールドアの所属ではないので今回は来ていない。一応声をかけたそうだが、家のことがあるため断られたらしい。巴はバッグを探って何かに気が付いたかのように声を上げた。


「あ……」

「どうしたの」

「あたしの日焼け止め、車に置いてきちゃったみたい。一応塗ってあるけど……少し心配だね」


 確かに巴は車の中で日焼け止めを塗っていた。おそらくそのまま忘れてしまったのだろう。


「あの……それなら……わたしのを貸しましょうか?」


 恵美里が自分の持ってきた日焼け止めを差し出した。しかし、巴は手のひらを見せて断る。


「いや、いいよ。あたしの場合、肌に合う合わないがはっきりしているんだ。悪いけど、自分の日焼け止めが確実だからさ」

「それじゃあ、先に行っていればいい?」

「そうだね。出来るだけうちの男どもの誰かと一緒にいるようにしてよ」

「分かった」


 来留芽が頷くと巴は少し心配を漂わせた表情をしつつも別れた。


「……あ、お嬢達」


 少し歩いた先にある休憩所で来留芽達の姿を見付けて近寄ってきたのは薫だ。素肌の上にアロハシャツを着てサングラスをしている海パン姿。派手なナンパ男といった出で立ちだった。

 知らない相手なら近付くことも躊躇っただろうが、そうではないため遠慮なく側に向かう。


「薫兄。ごめん、待たせた?」

「いんや。……巴はどうした?」

「日焼け止め、置いてきちゃったって」

「あーなるほど、車に戻ったのか。んで、先に行けって?」

「うん」


 巴がいない理由に納得すると薫は来留芽と恵美里の背中に腕を回して歩くように促した。


「じゃあ、さっさと行こうぜ。あの二人が先に場所を取ってるはずだからな。今日は遊び倒すぞー」

「満喫する気満々だね」

「ぶっちゃけ、今もわりと満喫してるけどな」


 少しだけ笑い混じりに言われた言葉だが妙な感じがして来留芽は首を傾げる。


「……それはまた、どうして」

「若い子二人が化けたから? 両手に花ってな。二人とも可愛くなっているからかなりの優越感」

「そっ……そう……ですか?」


 初心な恵美里はさっと赤くなったが、薫が特に意識して言ったわけではないと知っている来留芽は呆れたように首を振って断ずる。


「今だけだろうけどね」

「どうせルックスでは細に負けるさ。愛嬌は女性陣を通り越して猫被った樹がぶっちぎりだ。んで、社長がいればそれ全部かすむ。んなもん、分かってるっての」


 そんな会話をしながら、それなりに注目されつつ来留芽達は細に樹が待っているところまでやって来た。


「細兄、樹兄、お待たせ」

「おっ……お待たせ……しました!」

「お~! 来留芽も恵美里も可愛いじゃん。二人ともよく似合っているよ~」


 樹が笑顔でさらっと褒めてくれる一方で細は少し浮かない顔をしていた。


「似合っているが……目が離せなくなりそうだ。誰か一人は付いていないと」

「細兄は過保護すぎ」

「そうか? まぁ、本当に似合っているぞ、二人とも。来留芽も何か羽織っていた方がいいんじゃないか」


 そう言うとポンと軽く頭に手を置いて撫でてくる。それがどうも子ども扱いされているようで来留芽は面白くなかった。


「……やっぱり過保護すぎ」


 ぷくり、と何となく膨らませた頬に樹が手を当てて萎めさせる。


「過保護にもなるって。まぁ、心配は要らないよ~。二人に手、出そうとした奴は潰してあげるからね~」

「樹さん……意外と過激なんですね……」


 良い笑顔でさらりと物騒なことを言う彼に恵美里は少し引いていた。流石に本性を知らないわけではないのだが、どうしても見た目に騙されてしまうらしい。


「少し泳いでくる。恵美里も行こう」

「う、うん……いいけど……でもその……」


 来留芽は恵美里の手を取ってくるりと海へ向き直ったが、恵美里が躊躇して引き留められる。


「あ、水着見せるの嫌だっけ」

「そ、そっちじゃなくてっ。……わたし……あまり泳げないから……浮き輪、欲しいなって……」

「ああ、そうだった」


 どうやらカナヅチなのを恥じてのことらしかった。そういえば恵美里は運動全般が苦手だった、とようやく思い出す。それでも最近はそれなりに改善が見られたので気にしていなかったが、どうもそれは陸上での運動に限るようだった。

 来留芽は頭が回っていなかった自分に対して反省する。その横で樹が荷物から浮き輪を取り出していた。


「じゃあ、急いで空気いれるよ~。ほら、薫早く」

「俺ぇっ!?」


 なぜかパラソルの影で傍観していた薫に指示が飛んだ。


「薫兄が出来ないなら私がやる。貸して」

「あ……いいよ……わたしでも出来るから」

「まったく……。俺がやりゃいいんだろ、やりゃ」


 薫は樹の手から浮き輪と空気入れをぶん取ると半ばやけっぱちに空気を入れ始めた。

 樹や細にいいように扱われるのは薫の定めというかげぼ……下っ端扱いが定常化してしまっている。


「ほらよ」

「ありがとう……ございます、薫さん」

「気にすんな。後輩の頼みならちゃんと聞いてやっから」


 つまり、さりげなく樹に指示されたことに対して不服を申し立てているわけだ。言外に文句を言われている樹だが、気付いていませんという顔をして笑っている。


「じゃあ、気を付けて行っておいで~。細とはぐれないようにね」

「今度は細兄が威嚇いかく役?」


 特に文句も言わずに来留芽と恵美里についてきてくれた細にそう尋ねる。


「そうみたいだな。来留芽も恵美里も寄ってくる男をあしらうのは慣れていないだろうし、俺が威嚇役……まぁ、防波堤になるから。何かあったら遠慮なく言えよ」

「分かった」

「その……よろしくお願いします……」


 過保護だとむくれた記憶は新しいが、それをいつまでも引きずっているほど子どもではない。それに、巴にも気を付けるようにと言われているのだ。細が防波堤となるということは割合素直に受け入れることが出来た。



 ザバザバと波が押し寄せる音を聞きながら来留芽はぼうっと青空とそこを流れる雲を眺めていた。完全に力を抜いた来留芽の体はうまい具合に海水面に浮かんでいる。

 ふと視界の隅に浮き輪が映り、来留芽はくるりと回って立ち泳ぎになった。


「恵美里」

「来留芽……ちゃん……。先生……激しすぎる……よぉ……!」


 来留芽に泣きついてきた恵美里は浮き輪に顎を乗せてぐったり力を抜く。しかし、如何せんその前に言い放った言葉のせいで思考停止してしまい、気にかける余裕がなかった。


「は……?」


 来留芽は投げられた爆弾発言に考え込みすぎて泳ぐことを忘れる。

 そして、水の冷たさのおかげで我に返った。


「……プハッ! ええと……水泳の特訓が厳しすぎる?」


 細が適当に指示していたが、恵美里には少し激しい運動に感じる内容だったのだろうか。


「そう……それ~……。明日……足腰立たなかったら……どうしよう……」


 気の抜けた恵美里の声に来留芽も脱力する。


「あのね、恵美里。その言い方は細兄の教師人生に優しくないからもっと考えて話して」


 今気付いたのだが、ひょっとしたら恵美里は感情が高まると失言しやすくなるのかもしれない。もしくはバカンス気分に国語力が逃げ出したか。

 今はまだ仕事に入っていないので多少浮かれていても咎められることはないだろうが、明日からは分からない。少なくとも今以上に気を引き締める必要はあるだろう。


「分かった……気を付ける……ね」


 曖昧な笑みを浮かべての返答だったので少し心配だったが、一応信じることにした来留芽は視線を外して陸の方を向く。

 いつの間にか、ずいぶんと沖の方に来ていた。


「そろそろ戻ろうか。……ところで細兄は?」

「何かおかしいなって呟いて……潜っていた……けど……」


 だから隙ありと見て逃げてきたんだ、と恵美里は続けたが、来留芽は聞いていなかった。

 そちらは重要ではないのだ。

 細がおかしいと思う“何か”があった。そのことに来留芽は警戒する。


「いくら細兄でもこんなに長く潜らないはず」

「あ……確かに……」

「何かあったのかもしれない。恵美里、ちょっと待ってて」

「え……来留芽ちゃん!?」


 来留芽は深呼吸をすると海に潜った。そして、周りを見回す。


(おかしいところはない……いや、待って。あそこだけ、何か暗い?)


 来留芽達がいる場所よりもさらに沖の方に不自然に暗い場所がある。そこに細の姿は見えないが……来留芽の勘が警鐘を鳴らした。


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