3 紛失


 やらなくてはならない仕事を終えた細は誰も残っていないのを確認すると学園から出ようとする。そのとき、フッと前方に人影が現れた。


『ああ、京極先生。お疲れ様です』


 そう掛けられた声に細は一礼する。


「いえこちらこそ、お疲れ様です、松山さん。これから見回りですか?」

『ええ。それが仕事ですからね。たまに肝試しと称して学校に残っている悪戯っ子がいますから、気が抜けません』

「今時いるんですね。俺が小さいときはよくやったものですが」

『ははは。そうですね。でもまぁ、この学園の旧校舎は本当に老朽化していましてね。それに、あまり良くないものが集まりやすいので気を付けないと。最近は開かずの扉が頻繁に現れているんですよ。私も何とかならないかと思っていますがね……』

「開かずの扉ですか。それは危険ですね。まぁ、ほどほどにお願いします」

『もちろん、迷惑はかけませんよ』


 しばしその背中を見送る。彼の歩き方は非常に滑らかだ。いや、歩いているとは言えないか。彼の足は


「『用務員の松山さん』、か……あれは元々地縛霊だったのだろうな。何らかの要因があって妖化したのか……幽霊にしては異質な感じがするな。まぁ、悪いものではないし、無理に成仏させる必要も無い。深夜に行き会ったら怖いだろうが、そんな夜中にいるのが悪いからな」


 彼は学園の『七つに留まらない七不思議』の一つになっている。学園長には彼は害が無いし、むしろ生徒に霊的な危険が無いように努めてくれている存在だからそっとしておくべきだと報告してある。


「それにしても、開かずの扉か。松山さんが危険視するレベルともなると、俺達も動かなくてはならないかもしれないな」


 オールドアではそろそろ日高親子にも本格的に仕事を割り当てようかという話が出ている。この学園の七不思議は丁度良いものになるかもしれないと思っていたが、流石に開かずの扉は何が起こるか分からないから、少し様子見した方が良いだろう。


「問題は一般の生徒によって扉が開かれてしまった場合だな。俺か来留芽が間に合えばいいが、間に合わず囚われてしまったら大変だ」


 この学園の七不思議は無害なものがある一方で本当に危険なものも出てくるからこちらも気が抜けない。

 それを改めて思って細は溜息を吐いた。


「まぁ、今日は帰るか……」


 オールドアに帰って、細は来留芽に学園の開かずの扉について話す。食事時にするにはあまり向かない話題だったが、来留芽は平然としていた。その辺りはやはり裏側に染まっているなと思ってしまうところだ。


「ふーん。旧校舎ね……分かった。気を付けておく」


 旧校舎等という場所は怪談の宝庫だろう。実際に人が来なくなった建物は怪異を起こすもやが集まりやすいのに、人の喜びの感情などを受けることが無くなるので浄化されずに鬼となってしまう可能性が高い。


「ああ。出来れば日高にも話しておいて欲しい」

「そうだね。話しておく。でも、恵美里は星夜祭の実行委員だからあまり気を払えないと思う」

「だが、知っているのと知らないのとでは大きく違ってくるからな」

「確かに。あ、そうだ。細兄、白黒メンコ作るの忘れないようにね」

「あ、そうだったな。鈴木先生に怒られるところだった」


 細は先輩にあたる鈴木から預かった折り紙を思い出す。結局学園にいる間で作ることはできなかった。裏関係の仕事もこなそうと思うと時間が足りない。



 ***



 翌日、細は朝のホームルームが終わるときに細は完成した白黒メンコを恵美里に渡した。


「日高。昨日はすまなかったな。これもクラスの分に加えておいてくれ」

「分かりました。ええと……忙しいのに、ありがとうございます」

「いや、忙しいのは日高も同じだろう。……あとで来留芽から学園についての話がある」


 ささやくようにして付け加えられたその言葉に恵美里は笑顔から一転し、真面目な顔になる。学園についての話で、それも来留芽からとなると間違いなく裏関係だからだ。


「……分かりました」

「まぁ、基本的には俺と来留芽が注意しておく。日高は最優先するのは学校のこと……つまりは星夜祭の実行委員としての仕事だ」

「はい」

「恵美里ー、次体育だから急ぐよ!」

「あ……ちょっと待って! ……京極先生も頑張ってください」

「ああ」


 そして昼休みになった。来留芽と恵美里は新たに作られたモノクロの飾りを保管するために鍵を持っている麓郷を探しに三年生のフロアへ向かっていた。


「恵美里。今のうちに言っておくけど、どうやら旧校舎に開かずの扉というものが現れているらしい」


 歩きつつ雑談のように来留芽は重大な話をしようとしていた。昼休みであまり注意が払われていないとはいえ、大胆なことだと思うだろうが、そこは来留芽の呪符で誤魔化していた。


「……開かずの扉? そんなものが実在しているんだ……」

「まぁね。開かずの扉というのは狭間の世界への扉なの。現世うつしよと妖界……あやかしが住まう世界の間をさまよっている空間。それを私達は狭間の世界と呼んでる。一般の人は一度入ってしまうと戻っては来れない」

「一般の人は、ってことは……」

「たいていの場合、私や細兄は何とかして戻って来れる。恵美里は鏡があれば道を間違えずに済むはず。もっとも、多少訓練を積んだからそのままでも大丈夫かも」

「あれ……ちょっと待って……“”なのに入れるの?」


 そう尋ねて首を傾げた恵美里に来留芽は頷いた。


「うん、開けれるし入れる。あの扉は開けてはいけないからそんな呼び名になったらしい。“開けてはいけない”と言うと開けたくなるでしょう。でも、“あそこは開かないから放っておけ”と言えば気にしない人の方が多くなる。それに、開かずの扉は本当に普通の人は開けられないことが多いから」


 というか、そもそも現代の普通の人は開かずの扉を見つけられない。だから本当ならそこまで注意する必要はないのだ。

 しかし、来留芽達のように霊能者としての力を有していたり、負の心が強くてかなりのもやに纏わり付かれていたりした場合は開けることが出来てしまう。特にこの学園は怪異を引き起こすもやが集まりやすいので開けられそうな人が時折いたりする。


「そうなんだ……世の中は不思議なことがいっぱいだね……」


 そうやって思考停止せずによく考えて行動してほしい。軽い気持ちでいては危険だから。

 そんな風に注意したのだが、まだ恵美里は実感が湧かないようだった。


「あ……麓郷先輩だ」


 そんなやり取りをしていると、ちょうど教室を出た麓郷先輩を見つけた。来留芽はすかさず呪符を回収する。


「先輩」

「うん? えっと、君達は……」

「あ……一年一組の星夜祭実行委員の日高です。ロッカーの鍵を借りに来ました」

「付き添いの古戸です」

「あー、そっか。日高には昨日会っていたな。ちょうどこっちも生徒会室に用があって行くところだったから一緒に向かうぞ」


 生徒会室に来て、恵美里は鍵を借りて資料室に向かった。来留芽は麓郷先輩と雑談する。今日はこのメンバーだけしかいないようなのでいろいろ聞けるかもしれない。


「そういえば、古戸は心霊研究会に所属しているのだったか。様子はどうだ?」

「小野寺先輩のことだったら、元気ですよ。先日は先輩の家の方が幽霊に取り憑かれていたらしいですけれど」


 麓郷先輩が何を念頭に置いて聞いてきたのかは知らないが、彼と小野寺先輩は付き合っているそうなので、まず小野寺先輩のことを話す。


「ああ、うん……椿は元気なのか。というか、幽霊に取り憑かれていたって……」

「大丈夫ですよ。無事に解決しました。そういえば、先輩もありますよね? 霊感」


 まさか、ないとは言いませんよね? という気持ちを込めて見つめてみれば、先輩は面白いほど動揺してくれた。


「はっ、いや、あのな……ええと……ああ、あるぞ、霊感。何だ、何か相談したいことでもあるのか?」


 四月のときにはさらっと話していたが、本来ならば隠しておくべき事だったのだろうか。だが、今の学園は結構気を付けておいてもらいたいことがある。


「相談というか……霊力持ちはいろいろと狙われやすいので気を付けてもらいたいということです」

「あー、そうだな。この学園、もやが多すぎるよな。しかも、隙あらば取り込もうとしてくる攻撃性の高いやつ。もちろん、普段から気を付けているぞ。……それだけか?」


 ずいぶんと警戒した目で来留芽を見てくる。敵意まではいかないが、それに近い意識を持たれているのは間違いない。これだけ慎重な人なら話しておいて損はないかもしれない。

 そう判断すると、頭を横に振って声を潜める。


「いえ、実は、旧校舎のことですが、開かずの扉が現れたという情報があるんです。この学園はもやが多いから万が一の可能性も考えなくてはならなくて……先輩も出来れば気を付けておいてください」

「開かずの扉!? また厄介なものが現れたな。分かった。出来る限り注意しておく」


 そこで、資料室に行っていた恵美里が戻ってきた。しかしその手の中にはまだ飾りがあり、彼女は困惑した表情をして来留芽と麓郷先輩の顔を見て視線をさ迷わせる。何かトラブルが起こったのだろうと判断して来留芽は恵美里の肩に手を回すと座るように促した。


「どうしたの、恵美里。何か問題でもあった?」

「来留芽ちゃん……どうしよう……クラスの飾りが入った袋が……無くなってて……」


 それは一組の飾りだけ全て無くなってしまったという情報だった。昨日の今日で一体何が起こったというのだろうか。来留芽も麓郷先輩とともに確認したが、確かに来留芽のクラスの飾りだけなかった。袋ごと持ち去られてしまったのだろう。


「これは困ったな……星夜祭まであと二日だったか? 袋を探すにしても見つかるかどうか……」

「でも、もう一回……クラスの皆に作ってもらうのも……申し訳ないですし……見つけられそうなら……探したいです」

「あー、そうだよなぁ。先生に話すか。実は俺の持つこの鍵は生徒会顧問の望月先生もスペアを持っているんだ。昨日から今日の昼休みまでなら鍵を借りた人を絞れるだろうから、盗んだ人が分かるかもしれない」


 確かに、候補を絞り込むことは出来そうだ。その盗んだ人がすでに飾りを捨てていたりしたら困るが。


「では、職員室に行きますか」

「そうだな。……すまないな。こういうことが無いように鍵付きのロッカーが用意されていたんだが」

「仕方ないです……完璧なんてものはそうそうありませんから……」


 職員室は南校舎の一階にある。三年生のフロアはその上の二階で、生徒会室もこの階にあった。だから、来留芽達は階段を降りることになる。ちょうど降りた先、職員室の前で困ったようにうろつく用務員姿のおじさんの姿が目に入り、そこで来留芽達は足を止めた


「あれ、用務員さんか? どうしたんだろうな。職員室に用があるなら遠慮せずに入ればいいのに」

「あの……来留芽ちゃん……あの人って……」


 麓郷先輩はあの人を普通の人だと思ったようだ。しかし、恵美里はあの人のおかしいところが分かったらしい。


「うん。『用務員の松山さん』だね。あの人は幽霊的なものだから職員室に入りたくても入れないんだと思う。あそこには細兄の護符が貼ってあったはずだし」


 来留芽がそう言うと麓郷先輩はさびたロボットのようにギギギギ……と首を回してこちらを見てきた。


「……幽霊的なもの、だと?」


 ちょっと恐怖の表情が浮かんでいる。霊感があるというのに耐性が無いのだろうか。


「見えているのに気付かないんですか? いや、見えているから気付けないのか。よく見ればあの人、足無いですよ」

「っ!! マジか……本当だ」

「……こんな昼間から……堂々と現れるんだね……」


 恵美里の感想は否定しておく。


「いや、流石に普通は松山さんが日中に出ることはないから。大抵は生徒も先生も帰った頃に現れるらしいよ。細兄が前にそう話してた。悪いモノじゃないそうだからあれは本当に困っているんだと思う」


 来留芽は用務員の松山さんに近付き、声をかけた。


「こんにちは。今日は早くから出てきているんですね。何か問題事が起こりました?」

『ああ、あれ、君は私が見えるのかい。助かった! すまないが、京極先生を呼んでもらえるかな』

「分かりました。少し待っていてください。先輩と恵美里は当初の予定通り、生徒会顧問の先生と話してきて。私は京極先生の所へ行くから」

「ああ、分かった」

「ええと……手伝えそうなら手伝うからね。その……私にも……遠慮無く頼ってね」

「二人でも大変そうならそうする」


 すれ違いざまに先輩と恵美里は松山さんに頭を下げていた。見えるのだから当然だが、当の本人……本幽霊は大変驚いた表情になっていた。大半の生徒は見えないので素通りしていくため、二人の反応は本当に予想外だったのだろう。

 しかし、用務員の松山さんほどの幽霊が細に助けを求めるほどの事が起こっているのだとしたら少しまずいかもしれない。ただでさえ忙しいのがこの七夕の時期であるのに、どうしてこんなにも問題が立て続けに起こるのだろうか。

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