4 樹の記憶と清流筆紋
そこは第二会議室。社員用ラウンジの奥にある扉から中へ入ることが出来る、基本的には社員が使う会議室である。茜達は巴の親戚なのでついそちらに通してしまったのだった。もっとも、機能的には変わらないので問題は無い。そもそも、依頼者が連続でやって来たときにはこちらの会議室も使うので完全に内々で使う会議室とは言えなかったりする。
「……斬新な登場の仕方ね、巴。どうしたの?」
樹の顔面をむんずと掴んだまま引きずってきた巴に向けて茜が呆れたように言った。
「少し看過できないことを樹が知っているみたいだから、連行」
「連行って、酷いよね~。僕悪いことしてない」
その後ろから細や薫達がやって来る。最後に来留芽がそっと運んできたラテアートを見て茜達は思わず息を飲んでいた。
「っ!? それは……」
彼等が息を飲んでそれを凝視したのも無理はない。巴さえも動揺した絵柄だからだ。
「確かにこれは詳しく話を聞かなくてはならないね」
「あはは~」
「返答によっては痛い目に遭ってもらうかもな?」
「あはは……」
スチャッと樹の首に手を掛ける双子。いつでも絞め落とす準備が万端だということだ。それを受けて、樹は乾いた笑いを浮かべながら両手を大人しく上に上げた。
「皆して脅しかけなくてもちゃんと話すからさ~。その物騒な手はどけてくれない?」
今の状況は樹を中心に正面を巴がとって、左右を双子、背後が茜という万全の滅殺体制を敷いている。来留芽と薫は少し離れたところで傍観しているだけだが、助けに向かうつもりはない。流石に本気で殺しにかかっていれば別だが。
「……なぁ、お嬢。自業自得ってああいうことを言うよな。つーか、樹の悪癖はまだ治っていなかったのな」
「それについては社長ですらもう諦めているから。というかまだその悪癖のせいだとは限らないけど。ただ、今回みたいに吊し上げられても助けには向かわないと決めているみたいよ」
社長もこの会議室に来ているのだが、一人定位置に座って黙々と持ち込んだ書類仕事を行っている。我関せず。ザ、他人事。
「樹、といったかしら。この絵柄をいったいいつ、どこで見たのか余すところなく話しなさい」
「いえす、マム……」
――僕がこの紋章を知ったのはもう……数年前になるかな~。正直に言うと、あまり話したくないことだけど、君達にも関係してくるかもしれないから一応話してあげるよ。
あの日、僕は外せない用事があって紫波家を訪れていた……んだけど、肝心の当主には会えなくて少し待たされていた。その日は紫波家の総会があったから仕方がない面もあったかもね~。使用人もばたばたと忙しなくしていた。
「やあ、青波。当主はどこにいるの? 向こうから呼び出したのに待たせるって酷くない~?」
顔なじみの執事の一人を呼び止めて当主がどこにいるか聞き出そうとした。僕が青波と呼んだ彼は昔一緒に修行した間柄なんだ。
「……樹か。まったく、お前は相変わらず当主様に失礼だな。あと、“当主”と呼び捨てるのは止めておけ。当主様もしくは……柚姫様と呼ぶんだ」
「はいはい、青波はずいぶんとこの家の空気に染まったね~。で、当主サマはどこにいるの?」
実は青波も昔は紫波柚姫を毛嫌いしていた者の一人だったんだよ。少なくとも一緒に修行していた時期は彼女の暴挙について四六時中文句を言うほどだったのだ。けれど、僕と袂を分かち、正式に紫波家で働くようになってからかな~。彼は次第に紫波家への疑問を持たなくなっていったらしい。しかも、あの時に再会してみれば紫波柚姫に傾倒しているという有様だった。少し、信じがたいことだったね~。
「お前は当主様に呼び出されたと言ったな。だったら屋敷内にはいらっしゃるはずだ。こちらで確認しよう。そこの部屋で待っていてくれ。呼びに来るのは別の者かもしれないが……泣かすなよ?」
「いい子だったら僕だって泣かさないよ~」
「どうだかな……」
首を捻りつつ青波は走ってどこかへ去っていった。僕はその後ろ姿を冷めた目で見ていたよ。そして、見えなくなると同時に部屋に……入らずに散策に向かった。紫波家の屋敷はとても大きくて、庭園も凝っているからね~。時間つぶしには丁度良いんだ。……部屋で待てって言われていた? ああ、そうだね~。でも、あの屋敷の使用人はどこにいても見つけてくれるからね。部屋にいようが庭にいようが同じことだよ。
あの日は紫陽花が綺麗に咲いていたね。青いものと赤いもの、紫までコンプリートしていた。どんな土壌だよ~、と笑いそうになったけど、ま、原理が分かっていればやりようはあるからね~。……でも、椿まで咲いているのは流石におかしいと思ったんだ。
「この季節になぜ椿?」
僕は頭を捻った。椿って基本的には冬に咲くんだよ。で、あの日は特に寒くもなかったから咲いているのはおかしかった。ああ、でも椿が咲いている区画は夏にあるまじき寒さではあったね~。僕は興味が勝って先に進んでみた。椿が咲いていた理由は何となく分かったし。
そして、歩いて行けば……離れ、と言えばいいのかな~。飛び石の先に茅葺きの、素朴な小屋があった。そして、ベンベンベン……と楽器が奏でられる音が聞こえていたんだ。僕は何となくその主を見られはしないかと思って回り込んでみた。
「こういう小屋だと……たぶん縁側とかあるよね~」
落ちていた枝を頭に刺して両手にも葉っぱ付きの枝をもってこそこそと僕は回り込んだんだ。そして見た……とても美しい女性が琴を弾いているのを。彼女は雪のように白い肌に墨染めの髪、桜色の唇、スッと通った鼻梁……と本当に綺麗だった。
それはまるで人形のような――透明な美しさだった。
それで、彼女が弾いていたその琴に例の紋章が焼き付けてあったんだよね~。実は盗み聞きするまでそのことは忘れていたんだけど……って、やめっ、巴~っ! 痛い痛い!
……ふぅ、しょうがないじゃん。細かいことが霞むほどあの人が綺麗だったんだから。完全記憶持ちのこの僕がその能力を失いかけるほど衝撃を受けた美貌だったんだよ? この、僕がっ!
……あ、スミマセン調子に乗りました。手に力入れないでください。
それで、まぁ、見とれていたわけだけど、紫波柚姫の声がして正気に返った。
「……で、どうしても分からないの?
少し位置を変えてみれば女性がいる部屋の扉に背を預けた紫波柚姫がいた。あの人、もう五十が見える年だろうに、変わらず二十代のままなんだよね~。ほんと、化け物だって。
そんな化物と相対している忍葉と呼ばれた女性は凍り付くかのような冷ややかな顔をしていた。
『ええ、分かるわけがないでしょう。当主だったのは私の兄ですもの。清流筆紋の在処なんて……私は教えてもらった試しもないわね』
彼女は琴を弾きながら首を振る。
「……ハァ、役に立たないわねぇ」
『ならば、殺してくださる?』
紫波柚姫がこれ見よがしに溜息をついてみせたところで、忍葉が手を止めてそちらに真っ直ぐ目を向けていた。そして、静かな声でそう言ったんだ。
「ふ……ふふ。紫波に支配された人形の分際で死ねるとでも? 情報が無いなら末永く人形として使うまでよ」
『……だから、昔から操術師ってのは嫌いなのです。昔ほどの力も持てませんから……』
「ふふっ。持たせるわけがないでしょう。では、また何か思い出すことがあったら教えてね」
そう言って笑ってからそこを去った紫波柚姫の目はまるで家畜を見るような……そんな目になっていた。
「ま、そんな感じで清流筆紋を見たことがあるんだよね~。納得した?」
樹はさらっと締めくくって笑顔を浮かべていた。どうも話が中途半端な気がするが、一応茜達が求めた「清流筆紋をいつどこで見たのか」という疑問には答えている。
「そんなに昔から紫波家は清流筆紋を狙っていたのね」
「今回の一色家の当主からの要請は渡りに船だったということかもしれないね」
「というか、奪う気満々だよな。もしかして、意外と余裕が無いのか?」
紫波柚姫は清流筆紋を数年前から虎視眈々と狙っていて、今回茜達が追われた。ということは、茜達を排除しても手に入れられる算段をつけたのか、それとも……茜達が何か鍵を握っているのか。
「巴姉。紫波柚姫は清流筆紋の在処を知ったと思う?」
「どうだろうね。けれど、無色家の者を匿って……いや、捕らえていた以上は、例えそれが人形だったとしても何らかの情報は得ていると思うんだよね。その上で茜姉様達を狙うとなれば……清流筆紋を手に入れるには一色か清水の血が必要だとか?」
巴の想像に茜は頷いて同意する。
「その可能性も無いわけではないわね。でもそうなると、出来るだけ早くに確保してしまいたいものだわ」
紫波に先んじて手に入れておかないと安心できないから、と続けた。来留芽もその意見には賛成だ。
あの家が得意としているのはあやかしの支配だ。それを利用していろいろと妖界に手を出しているらしい。実は鬼達が現世の術者でもっとも警戒しているのが紫波家の者だという。彼等と交流のあるオールドアとの関係は最悪だったりする。
「で、どうしようか、茜」
「というか、ここの人は今日中に動けたりするか?」
暁は考え込んでいる茜を覗き込んでいた。夕凪はこちらを見て聞いてくる。今日中となると、徹夜コースだろう。幸い明日は日曜日で休みだから問題は無いはず。
「ここにいるメンバーは動ける。……あ、恵美里は大丈夫?」
「うん。どうせ明日は休みだし……宿題も頑張れば終わるから」
そういえば宿題があった。数学の問題集を数問と古文の予習、あと英語の予習復習だ。来留芽は午前中に少しだけ終わらせている。
そんな二人のやりとりを聞いて、茜が結論を出した。
「今日これから、頼むわ。報酬は上乗せする」
「分かりました」「りょ~うかい」
「俺も力を貸すぜ」「呪術は任せてくれ」
「細兄と私は得意分野が被ってるけど。まぁ、出来る限りのことはする」
「……頑張りますっ」
その言葉を聞いてオールドアの面々が次々に返事をする。そして、最後に社長が手を止めて顔を上げた。
「契約成立だな。そこの奴等は好きに使え。そのメンバーでも心配だったら私も出よう」
そう言ってにやりと笑う。その表情は実に悪の親玉だ。しかし、それに慣れている来留芽達は社長が何を思って笑ったのか手に取るように分かった。その笑みの意味は……珍しいことに挑発、だ。
「いやいや、社長は社長らしくここでふんぞり返っていればいいよ~。今回は僕も全力を出すから」
「へぇ、樹の全力が見られるんだ。それは楽しみだね」
ゆるらかに巴が口の端を持ち上げる。だが、目は笑っていない。「社長の手出しはいらない」と、そう主張するかのようだった。
「社長の手を煩わせる訳にはいかないっす」
「これは私達の仕事だから。社長に介入されてしまうのは嫌だ」
「わたしも……ここまでの成果を見せないと……いけませんね」
薫・来留芽・恵美里もそう言ってプライドを見せる。
社長のたった一言だけで鼓舞されてしまう来留芽達はまだまだ若い。しかし、オールドアとして良くまとまっているのではないかと思う。どうして今回ばかりこのように煽りが成立したのか。それは、裏関係の仕事にしては珍しくお宝の匂いがしたからだった。古くから存続している清水家の屋敷だ。何やら珍しいものがありそうではないか。何らかの成果があれば給料に色がつく。それが理由だった。
「すごい煽り効果ね……」
「これが渡世の時期当主か」
「まぁ、暁なら渡り合えるだろうさ」
オールドアのメンバーはそれぞれが少しずつ違う能力を持っている。それでいてまとまっていられるのは操縦が上手い社長が上にいるからかもしれない。他の霊能者から見れば来留芽達の在り方はいろいろな意味で唖然とさせられる団体なのかもしれない。
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