碧瑠璃小編

憧れは朽ちない


 十年前、両親に連れられて子どもが演じる歌劇を見に行った。まだ六歳だったボクは渋々と母親に改まった格好をさせられることを受け入れ、楽しげな両親と期待に興奮した兄に手を引かれて観客席に座った。その時のボクはとても演者に失礼だったのだと今なら分かる。

 だけど、その歌劇で運命を見つけたんだ。


「ねぇ、マサ兄」

「なんだ、真澄。劇に集中しろよ。せっかく来たんだから」

「あのこ、だれ?」


 ボクが指さす先を見て兄の雅章まさあきが目を眇めた。誰のことを指しているのかイマイチ良く分かっていないようだ。


「ほら、あのこだよ。頭に羽みたいなの刺してる!」

「父さんに聞け」

「じゃあ父さん、あのこだれ?」

「ああ、ええと……あの役だと、確か、あった、白鳥響子ちゃんっていうみたいだね」

「しらとり、きょうこちゃん……」


 表情豊かなその少女にボクは一目惚れしたんだ。だから、両親にねだってボクは彼女が所属していた歌劇団で演劇を学ぶようになった。

 だけど、半年もしないうちに彼女は親の都合で引っ越して行ってしまった。引っ越し先は残念だったけど分からなかった。

 どこに行けば会えるのだろう――恋い焦がれたあの子の姿が見つからない。

 ボクは塞ぎ込んでいた。それをどう勘違いしたのか両親と兄は辛いなら歌劇を止めてもいいなどと言ってきたけど、止められるはずがなかった。歌劇だけがあの子とボクをつなげるたった一つのものだと思っていたから。

 実は、小学校高学年になるとふとした切っ掛けであの子が引っ越した先を知ることができた。その時に一人で行ってみたけれど、結局会えはしなかった。ただ、一人で行ったことが少し問題になってそれからは一人旅が禁止されてしまった。

 もっとも、禁じられれば禁じられるほど想いは強くなっていくから、それが少しばかり楽しくもあったけど。


「お前……一途と言ってしまえば聞こえは良いけど、それフルオープンにしたらたぶん引かれるぞ」

「分かっているって。別にそんなつもりはないから良いもん」

「歪んでいるなぁ。頼むから父さんと母さんには残念な中身を気付かせないでくれよ。あと、その気の毒な少女にも」

「失礼だよ、マサ兄。ボクがそんなヘマをするとでも?」


 そして三年前、兄に招待されてとある演劇を見に行った。大人の歌劇団と高校生がコラボして行うというのだ。中学生になったばかりのボクはまだ歌劇を続けていて、その身になるだろうと思ったらしい兄が情報を持ってきてくれた。


「真澄もさ、二年後には高校を考えなきゃならないわけ。どうせならこういったユニークなことやっている高校も考えてみても良いと思うわけよ」

「とはいえ、鳥居越学園ってマサ兄が行っているとこじゃん」

「はっはっは……実を言うと一人でも観客が欲しいんだよ。だから真澄来てくれ」

「仕方ないなぁ。高く付くよ」

「ふっ、どうだろうな」


 時が来て、兄も参加する演劇を見ていてボクは泣いた。本当にもうボロボロと。ぐっと大人っぽくなっていたけど、あの子がいたから。

 兄はきっと気付いていたんだ。だから、ボクを誘ったときに妙に余裕のある返事をしたに違いない。


「どうだ、って、泣いたのか真澄」

「だっで、いたんだもん……」

「あー、やっぱりあいつがそうだったのか」


 それから――ボクは念願の鳥居越学園の演劇部に入部した。寸前になっていろいろと妨害してきた兄という存在もいたけど、障害は全て壊して自分の意志を貫いたんだ。


「白鳥先輩ー! 今日も指導お願いしますっ」

「はいはい。でも、有栖川くんは私より“アリス”できているわよ」

「白鳥先輩には敵いませんっ! なので、もっといろいろ教えてください。あと、ボクのことは真澄でってお願いしたじゃないですか」

「はいはい、真澄くんね。……それにしても、雅章先輩とは似てもつかないわね……」

「兄は兄、ボクはボクですよ。ちなみに、兄の彼女にはボクはあまり好かれていなかったりします」

「あら、真澄くんには真澄くんの良いところがあるわよ」


 たった一年だけだけど、同じ学校の同じ部活、同じ空間にいられるようになった。それに、同じ学校だからたぶん進路先も情報が入るはず。どこまでも追いかけて、いつか――勇気を出す切っ掛けがあったら。

 ボクは子犬の皮を被ってにっこりと笑う。



          Fin.


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