6 鎧の中の人
来留芽、細、樹の三人は蔵の中にいた。一樹も入りたそうにしていたが、何が起こるか分からないこと、場合によっては守ることができなくなることなどを理由に遠慮してもらった。今、彼には外で待ってもらっている。
「なかなか年季の入ったつくも神もいるね~」
「巴が見たら欲しいと言いそうな神具もあるな。……ああ、起こしてしまいましたか。すみません。最奥に用事がありまして」
来留芽たちの霊力に反応してか姿を現していなかったつくも神が様子見に現れたりしていた。入り口付近にいる彼等は大人しいものだ。それらの特徴を紙に書き出しておく。あとで報告として上げるのだ。
『あまり奥には行かん方がええぞ。
神具の神様がそう忠告してくれたのだが、「はい、そうですか」といって引き下がれるわけではないのだ。
「鎧のつくも神が荒れていることは知っています。私達はそれを鎮めに向かうのです。そうしなくては花丘家の人達が危険だから」
『花丘家、のぅ……あれからどれほど経ったのやら。あれは見えるだけの子孫であったが、理はよう知っておった。鎧子を諫めるために我等を集めたのじゃがなぁ』
「もともと荒れていたのですか?」
神様はあぐらをかいて髭を撫でながらウム、と頷いた。
『ああ。荒れたままでは人の世に小さくはない混乱をもたらしてしまうと気付いたあれが我等に頼んでいったのじゃ。もっとも、まだ宥めきれていないがのぅ。お主等はどうしても行くのか?』
ここにいるつくも神達は現当主の祖父の頼みによってやってきたのだという。鎧のつくも神をどうか宥めて欲しいと頼み込まれたのだそうだ。だからどれだけ荒れているのか、どれだけ危険なのかを把握している。顔を曇らせて心配そうに問いかけてくる彼はとても良い神様だと思う。
――けれど、その言葉に従うわけにはいかない
「はい、行きます。白蛇さんから少し聞きましたが、奥のつくも神達もそろそろ限界が来るらしいので……私達がやるしかない」
お友達がたくさんできたと言っていた白蛇さんだったが、その友達がどうしてこの場所に集まったのかを悟っていたのだろう。鎧の子も大切だけど友達も大切なのだ。助けて欲しいと真摯に頼んできた。あの時の会話があるから来留芽は鎧を止めないといけないと強く思ったのだ。
『白蛇というと……根付の子か。あの子がそう言ったのなら奥の連中は確かに限界なのであろうなぁ。しかし、鎧子の想いは深いぞ』
「分かっています。それでも、行かないという選択肢はありません」
今度こそ強く引き留めるものは現れなかった。
***
蔵の最奥に鎮座している鎧。その傍らにはともに過ごしてきた刀もあった。彼は霊能者が踏み込んできたことに気付き、その力に反応してかつてを思い出した。
――戦乱の世の中。かつて鎧の使用者はある殿に仕える者だった。
我は殿の乳兄弟として育ち、元服の折には生涯にわたって殿を守っていこうと決意していた。もっとも、その働きは守りの部分が大きかったのだが。
「殿! また屋敷を抜け出されたのですか!?」
「別に構わぬだろう。見よ、我が民は我の姿を見て親しげに応じてくれる。危険などあるまい」
「そりゃあ皆慣れてしまったからですよ!!」
殿の脱走癖は幼い頃から変わらなかったな。小さいときは我も一緒に連れ回された。大きくなるうちにそれがどれだけ危険な行為か分かってお止めする側に回ったのだが、終ぞ未然に防ぐことはできなかった。
「ハッハッハッハ。良いことではないか。戦に慣れてしまうより我が悪戯に慣れるという方が民も平穏のうちに生きていると思えるだろうさ」
「殿……」
「だから少しばかり見逃してくれてもいいのだぞ」
「なりませんっ!!!」
殿の評判は民には良かったが、年を召した重鎮の一部は良い印象を抱いておらず、“化物”と陰で囁かれていた。その理由を知っている我は殿の力を認めない彼等を苦々しく思っていた。
殿の母君は妾で、どこからともなく彷徨ってきた女だったという。そのような者は、普通は受け入れられるものではないのだが、当時民を悩ませていた怪異を解決したことで受け入れられた。
その怪異は夜中に死者が村の中をさまよい歩くというものだった。朝には消えており、また家の中に入り込むことはなかったが、気味が悪く、さまよっていた死者が自分の家族だったという者達は自分達が何か足りないせいで彼等は死の安らぎを受けていないのではないかと心配になって相談する者が後を絶えなかった。それを殿の母君が解決したのだ。聞くところによるとあの方は古の陰陽術師の血を引いているのだとか。
殿は母君の力を受け継いでいたらしく、異形をその目に映すことができたのだ。我と民はそのことを信じた。しかし、信じられなかった者もいた……。それが我等に危機をもたらした。
「殿! お逃げください!」
「冗談を言うな。一人逃げろと言うのかっ」
「大丈夫です。御大が
「冗談じゃない。そもそも我が彼奴等を御しきれなかったのが原因なんだぞ!! それを……父上に責任を取らせると!?」
我が一番に考え、御大からも頼まれたのは殿を逃がし、その生を見届けることであった。御大には頭が下がる思いだった。しかし……後半の願いについては反故にしなくてはならなかった。
「殿。この先を急げば誰も追いかけては来られないでしょう。お行きください」
「お前はっ! お前はどうするのだ!!」
「決まっております。殿を脅かす者どもを駆除してまいります」
幸い、殿と我は背格好が同じだった。鎧もほぼ同じものを用意してもらっていた。特徴的な兜だけを交換すれば我と殿を見間違える者も出てくる。
様々な覚悟を決めて我は殿を連れて行ってくれる馬を撫で、誘導する。
「さぁ……行けぃ。殿に追っ手が掛からない場所まで!」
「お前はっ! どれだけ変わっても! 我の元に戻ってこい!!」
声に出して約束することはできなかった。しかし、どれだけ変わり果てようとも殿の元に行ってもいいと言われたその言葉に我は“欲”を持った。
殿が去ってから少しして、見慣れた兵達がやってきた。その手には御大の首があった。それを以て我に降伏を迫るとは片腹痛い。恩を仇で返すとは!!
「者共……かかってくるがいい!」
降伏しようとしない我に向けて部下だった者、
数えきれぬほどのかつての知り合いを切り捨てた。しかし、そんな我にも限界がやってきた。
「お覚悟!!」
一瞬の隙を突かれて致命的な傷を受けた。そのまま赤く染まった地面に倒れ込む。そして、追加でさらに太刀を浴びせられ我は果てることになった。
コツコツとこちらに近付く音が聞こえ始め、我はかつての思い出より舞い戻る。
どうやらやって来た霊能者は三人のようだ。我を消しに来たのだろう。しかし、消されるわけにはいかない。殿との約束があるのだ。
「あなたが鎧のつくも神?」
我は刀を抜き、返答した。
***
来留芽達は最奥までやってきた。周りを見ればなかなか厳ついモノ達がいる。彼等も白蛇さんの友達なのだろうか。鎧のつくも神を宥めるために集められたとか言っていたが……宥める(物理)ということなのだろうか。少しだけ花丘の先祖の思考を疑う。
「そろそろ最奥かな? 意外と距離があったね」
「いや、どうだろうな。結構他のつくも神に捕まっただろう?」
『ちょっと埃を払っていってくれ』やら『ここのひびを直せんか?』などと言われ続けてできる限り対処していたらだいぶ時間が経ってしまった。だから最奥がとても遠くに感じたのだ。
それでも最奥と言える場所に辿り着いた。影から問題の鎧を眺める。
「悪いつくも神ではなさそうだな」
「でも、禍々しい気配もあるよ~……。妖刀とか、そういう類いに通じる感じはするね」
近付くことを躊躇う程度には禍々しい。しかし、物陰に隠れて窺っているばかりでは進展しないだろう。来留芽は一番先を歩いて鎧に近付く。
「あなたが鎧のつくも神?」
『そうとも言えるし、そうでないとも言えるな』
刃を向けられてはいたが比較的理性的な返事が返ってきた。今はまだ話に聞くほど狂っているわけではなさそうだ。
しかし、危険ではないとの判断は下せない。
「そう。でも、ここのつくも神達はあなたを仲間だと認識しているけど」
『我は純粋なつくも神ではない』
――かつての武者の心が残っている故に
『お主等は我を消しに来たのか?』
――だとしたら、徹底的に戦い、抗って見せよう
「来留芽、下がれ」
鎧が暴力的な気配を見せたのを見て細と樹が来留芽を下がらせて前に出た。
『霊能者ごときに屈しはしないぞ』
「……こちらとしては落ち着いてもらいたいんだけどね~。……ええと、確かあれは紫波の力だったっけ……『汝の来歴を語れ』」
樹が無表情に霊力を乗せた言葉を紡ぐ。つくも神であるのは間違いないのだから、純粋でなくてもその来歴というものは覚えているはずだ。それを聞けば解決策を見出せるかもしれない。
『ヤ メ ロ!』
鎧は一歩後ろによろめいたかと思うと全ての動きを止めた。シン……と蔵の中が静まるが、それはまるで嵐の前の静けさのようだった。来留芽達はそれぞれ警戒を解かずに鎧を、ただの物のように動きを無くしたそれを注視する。
『――殿を守らねばならぬ。それこそが我が定め!』
一瞬だけ恐ろしく清浄でありながら狂気を感じる気配がしたか思うと、鎧が暴走し始めた。何がきっかけだったのか……。目の部分は赤く光り、どす黒い気を発し始める。そして、刀を持った手にグッと力を込めると斬りかかってきた。
「結界を! 来留芽!」
「分かった」
この蔵には他にも古くからいるモノが多い。彼等は今とても
『オノレ……卑怯者ガ!!』
もともと彼は周りのつくも神を暴走させるつもりだったのだろうか。もしそうだとしたら卑怯者と来留芽達を
しかし、良いことではないが戦っている内につい考えてしまう。忠義者だというこの鎧は主さえいれば狂うこと無く幸福でいられたのだろうか。
それが油断だったとは思わないが、細が吹き飛ばされ、樹が傷付けられ倒れ伏してしまった。助けたいが、今の来留芽では迂闊に背を向けられない。鎧は異様に強かった。
――ならば、我を呼び出せ
ドクン……ドクン……と己の心臓が立てる音がやけに大きく聞こえるようになった。今、微かに聞こえた声は来留芽の身の内の声……呪詛の声なのか。
――案ずるな。我がお主を傷付けることはない。ただ止めたいのだ、彼奴を。あの、馬鹿な乳兄弟を
「分かっ……た……」
スルリと意識が入れ替わる。声の主が外側で来留芽の体を動かすつもりのようだ。来留芽の意識は内にあり、外の様子はまるで映画のように映っていた。
『今のお前に言われとうないわ。この馬鹿者がっ!!』
樹も倒れ、鎧が斬りかかって来るのに合わせて来留芽の体を使っているモノは叫びながら数珠を取り出し、刀を受け止めた。
「一体どういうことだ? 来留芽……」
そのとき細は飛びそうな意識を何とか保たせて来留芽の変貌を注視する。今までに無い異変が起こっていた。
『哀れな
そして小さく来い、と言う。その言葉に従ってか、結界の向こうから一振りの刀が飛んできた。来留芽は……いや、来留芽の体を借りた何かはそれを掴み取り、構える。
『何故ソノ名ヲ知ッテイル! 名ヲ呼バレタカラ止マル我デハ無イゾ!』
『……それでいい。刀が答えてくれるだろう!』
二人は何度も何度も切り結ぶ。
――来留芽よ、よう見ておれ
その声が届くと同時に来留芽の体を使っている存在が霊力を使い出した。刀に込め、鎧がまとっていた黒い気を吹き飛ばしている……。“霊力を込めて殴る”これで正気に戻そうとしているのだ。確かに効果的のようだが、この方法ではすぐに霊力が無くなってしまうことが難点だろう。
終には妖力も霊力も一切使わない純粋な刀技だけになったとき、均衡が崩れた。
『ナッ……コレ、ハ……コノ癖ハ……
『もらったぞ! 影正ぁ!!』
影正が何かに気付き、動きが鈍ったところで刀を喉元に突き付けて止まった。
『清様……
鎧が刀を手放し、膝をついて頭を下げた。
『ようやく気付いたか、この阿呆影正が』
『幽霊となられているのですか? 女子の体なぞに入り込んで……』
マジマジと上から下まで見られていた。見た目は鎧なのにやけに人間くさい。視線を受けた清政は頬を掻いた。
『説教臭いのも変わらぬなぁ……全く。これは不可抗力だ。我は末期の呪詛でしかない。若いとき、お前一人を残して逃げ出した後悔が呪詛となってしまったのだ。清政としての記憶も経験も残っているが、本人とは言い切れぬ。まぁ、お前を正気に戻すことができただけでも十分だ』
『清様。約束を守れず、申し訳ありませんでした』
『ふっ、今その約束が叶ったであろう。積もる話はあの世に行ってからとしようではないか、影正よ。お前のために長らく“戻る場所”でいたんだ。いい加減に戻って来い。共に行こう』
彼は跪いていた影正の肩に手を置くと頭を上げさせ、立ち上がらせた。
『は……しかし、自分にあの世に行く資格はあるのでしょうか……』
『お前は自らをつくも神と認識しておるようだが、厳密に言うと違うぞ。お前の一部をつくも神として分離し、残すことができるはずだ。ほれ、やってみろ』
『無茶ぶりは生きているときだけにしていただきたいものです』
そう言いつつも清政の言う通りにしてみたら、気付けば影正の幽霊だけ分離していた。
『我も抜け出さねばな。世話になった、来留芽』
そうして二人の男性の幽霊は親しげに肩を組むとスッと消えていった。鎧の方は憑き物が落ちたように静かなものとなって元の場所に鎮座している。妖力を盛大に使っていたから今しばらくは休眠するのだろう。霊力を盛大に使われた来留芽も休眠したいところだ。
「……何だったんだ? 今のは。来留芽は分かっているのか?」
一連の出来事を見ていた細は不可解な気持ちを来留芽にぶつけていた。来留芽は曖昧に頷く。
「まぁ、何となくは。……私の力じゃなかったけど」
「そうか。とりあえず後で報告にまとめてくれ」
そして、蔵にはこれ以上に厄介な存在はいなさそうだったので完了の報告をすることにした。樹を起こし、手当てをして蔵を出ると待っていたらしい一樹が駆け寄って来留芽達の状態に目を見開いた。
「お疲れ様でした。……って、大丈夫ですか!?」
「あ~、大丈夫大丈夫。かすり傷程度だから」
来留芽は最後にもう一度蔵を見る。休眠していたつくも神はそれなりにいた。わざわざ起こす必要はないと思ってそっとしておいたが、起きたとき暴れるようなことが無ければ良いと思う。
――まぁたぶん大丈夫だろう。あの蔵にはかなり力のある存在もいるから
そんな楽観的に思考してから来留芽は背を向けて立ち去った。
花丘家之蔵Fin.
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