第22話 桃源郷

 迷いの結果がどうなったのか? それは……俺の性格を知っていれば、分かるだろう。周りの空気に逆らえない。今回の場合も、その空気に負けて、はぁ。彼女の膝に甘えている。最初はかなり戸惑ったが、いざ、その上に頭を乗せると……ふわふわの天国が待っていた。

 ドキドキすらも忘れるくらいに。彼女の膝には、とんでもない魔力が秘められていた。健全な男子高校生を天国に送る。世の主人公(主にラブコメの主人公)達は、この極楽を年がら年中楽しんでいるのだ。そう考えると、言いようのない怒りが込み上げてくる。

 

 俺はその怒りを抑えながらも、夢心地に彼女の膝を味わいつづけた。


「う、ううん」


 チャーウェイは、俺の頭を撫でた。


「どう?」


「ううん。マジで天国だよ」


 それ以外の言葉が無いくらいに。


「お前は、本物の女神だわ」


 一瞬、彼女の顔が赤くなった。


「フフフ、そう? なら」


 彼女は、悪戯っぽく笑った。


「もっと良い事してあげる」


「もっと?」と訊いた時にはもう、彼女の胸が顔を覆っていた。鼻先から伝わる、甘い匂い。それに伴って、柔らかい感触が静かに伝わってきた。この世のモノとは思えない……そう、桃源郷のような感触が。


 俺はその感触に酔い痴れて、しまったんだから仕方ない。彼女の胸はもう何度か味わっているが、それでも、この感触は絶品以外の何ものでもなかった。


「うううっ」


 俺は予鈴のチャイムが鳴るまで、その感触を味わいつづけた。


「う、ううう、ありが、とう」


「うんう」


 チャーウェイは優しげな顔で、俺の頭を何度も撫でつづけた。


「サーちゃんが良かったら、また明日もしてあげるよ?」


 心臓が飛び出そうになった。


 俺は床の上から素早く立ち上がり、間抜けな顔で彼女の顔を見下ろしつづけた。


「マジ?」


「マジ」


「本当に、本当?」


「本当に本当」


 彼女は、楽しげに「クスッ」と笑った。


「あたしも、すごく気持ちいいから」


 理性のリミッターが外れた。戻そうと思っても、残念ながら戻らない。暴走特急の如く、本能に向かって突っ走るまで、だ! 


 胸の高鳴りを抑える。


 俺は口元の笑みを隠すように、彼女と連れ立って空き教室の中から出ようとしたが、俺が先に出たところで、学校の中を巡回していた神崎に「あっ!」と見つかってしまった。

 

 神崎は米神に青筋を浮かべると、不機嫌な顔で俺の方に歩み寄った。


「貴方達、こんな所で何をしているの?」


「え? あっ」と、戸惑う俺。チャーウェイの方は、何も臆する事無く「サーちゃんと一緒に遊んでいたの!」と答えた。


 彼女は「ニコッ」と笑い、自分の胸に触れて、その頬を赤らめた。それを見て、神崎の顔も真っ赤になった。彼女に「ニコッ」と笑う事無く。


 神崎は鬼のような顔で、俺の顔を睨みつけた。


「不純異性行為! 貴方達、ここを何処だと思っているの!」


 そうと言われたら、何の反論もできない。俺達はガチで、「不純異性行為(モドキ)」を楽しんでいたのだから。


 暗い顔で、彼女の目から視線を逸らす。


 俺は、彼女に対して何とか言い訳しようとした。


「な、なぁ、神崎は」


「ううん?」


 その声に重なって、チャーウェイが彼女に「ねぇ?」と話し掛けた。


「あなたってさ! もしかして、サーちゃんの事が好きなの?」


 場の空気が固まった。それを聞いていた俺達も。俺達は複雑な、でも何処か温かな顔で、互いの顔を見、そしてまた、その視線を逸らし合った。


「ば、馬鹿じゃないの? 貴方! 私がこんな人の事を」


 と言いつつも、その顔は明らかに赤くなっていた。


 え? マジで? 神崎が俺の事を?


 俺は、神崎の顔をまじまじと見た。


「かんざ」


「だって、校門の前で服装検査を逃げられた時」


 チャーウェイは、彼女の顔(メッチャ、動揺している)に目を細めた。


「あなた、とても嬉しそうだった。口じゃ、厳しい事を言っていたけど」


「うっ」と怯んだ神崎だったが、ふとある事を思いだしたらしく、鬼の首を取ったような顔で、彼女の顔を睨みつけた。「そう言えば、あなた」


 神崎は、彼女の前に詰め寄った。


「どうして、学校の制服を着ていないの?」

 

 今度はチャーウェイが怯んだが、それもすぐに落ち着いてしまった。


「さあ、どうしてでしょう?」


「茶化さないで!」


 神崎は、彼女の顔を指差した。


「制服、不着用の校則違反! 学校の先生に報告するから」


「待って!」


「なに?」


「学校の先生に言っても無駄だよ」


 チャーウェイは「ニコッ」と笑って、元の姿、キューブの状態に戻った。


「あたしは、人間じゃないから。存在しない人間を訴えても、意味ないでしょう?」


 神崎はその言葉に青ざめたが、やがて何かを思ったように、その場からサッと歩き出してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る