雑務部の雑な日常
里海勇魚
あの時君は
自分が初めて笑ったり、泣いたり、怒ったりしたことを覚えているだろうか?俺は覚えていない。でも、唯一覚えている人のものがある。
小学生の頃、俺の家の近くに越してきた笑顔の似合う女の子。
「私……もうダメかも」
「どうしてだ?」
「どうしてって……私は勉強も、運動も全然出来ないし、ガサツだし……」
「それで?」
「え?」
「いいだろ、それで。別に死ぬ訳でもないし」
彼女は一瞬戸惑ったが、すぐに笑って言った。
「そうかも」
そうして、彼女は小学6年の頃に去ってしまった。何も言わずに。今となっては名前も忘れ、顔も朧げだ。残っているのはあの時の屈託のない笑顔、それ……だけ、いや違うまだ残ってる彼女は最後に————
「……さい。……ください。起きてください」
「ん……。今何限めだ?」
「先程一限が終わり、休み時間です」
「マジかよ……まあいいか国語ぐらい」
少しの後悔を吐き出す様に俺はあくびをした。目元にたまる涙が変に熱い。
「クマができてますが、テスト勉強のしすぎですか?睡眠もパフォーマンス発揮には不可欠な事はあなたも知っているはずです」
眉一つ動かさず機械的に質問を飛ばしてくるこの女こそ
「してねぇよ、あんな不必要な暗記テスト」
「単なる夜更かしですか。若干心配しかけて損しました」
心配まで王手かかってんのに届いて無いのかよ。薄情な奴だ。
「悪かったな、心配しかけさせて。てか、なんで英語が暗記重視になってんだよ。単語ならまだ分かるが、教科書の文をそのままってのは納得いかん」
「確かにそうですが、このままだと成績不振で留年まで秒読みです」
俺は先程言ったとおり、テスト内容が気に入らないという言い分で
「だ、大丈夫だ。この前の定期テストで平均点プラス10点の貯金があるはず……」
「あれはその前のテストで負った借金を返済しただけで貯金になっていません」
「知ってるか?正論って人を傷つけるだけで誰も救わないって」
「あなたは救済に値しませんから」
「選民思想とはいただけないな」
その時、ふと俺は思い出した。
コイツも過去に二回ほど定期テストで謎の欠席を決め込んでいるではないか。その影響を受けているならば俺と似たような状況下に置かれているに違いない。
「そもそもお前だって例外じゃないはずだが?」
部屋の隅の埃を見るかのような侮蔑と親とはぐれた子犬を見るような憐憫とを含んだ目でこちらを見る仙花を俺はニヤリと笑って指さした。奴も奴でそれなりに崖を背負った状況にいる事に変わりはないのだ。
「ですが、私はこのテストで80点以上を取ればギリギリ許容の範囲内です」
「ぬ、抜け駆けとは卑怯な奴だ……」
「そもそもあなたとここまでを共にした覚えは無いです。あと、もう始まりますよ」
そう言われて机にあったノートやら筆箱やらをしまうと英語の担当教師がやってきて、テスト用紙を配り終わると、教壇に立ちこう言った。
「よし、全員揃ったな。制限時間は50分、始め!」
そうして問題用紙をめくった瞬間から昨夜の睡眠不足も加勢して一時的に脳が活動を停止、パルプ紙に印刷された活字は網膜をすり抜け、遂に脳へ到達することはなかった。
*
その日の帰り道はいつもより重い足取りだったし、道ゆく人全員を憎むほど落ち込んでいた。まあ、今思えばそれはそれで意味があったのかもしれない。
というのは、それがこれから話す、なんというかよく分からない文字の羅列みたいな日常———よく言えば物語、悪く言えば散らかった自室で過ごすような、妙な日常に繋がったのだから。
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