第92話「新しい宿舎と必要物資と、マーサの願い」

「こちらが、ユウキ=グロッサリアC級魔術師の新しい宿舎になります」


 案内役の女性はそう言った。

 彼女の名前はメリディアさん。『魔術ギルド』の事務職員だ。


 俺たちの前には、石造りの建物がある。

 前よりも敷地は広く、小さめだけど庭もついてる。

 これが俺たちの、新しい宿舎らしい。


「こちらが宿舎の鍵です」

「ありがとうございます」


 メリディアさんが差し出した鍵を、俺はマーサに渡した。

 俺が持ってると落としそうだから。


「それでは、こちらの書類にサインを」

「どうぞ、ユウキさま」


 メリディアさんが羊皮紙ようひしを差し出すと同時に、マーサがペンとインクつぼを渡してくれる。さすがマーサ。


「……ユウキ=グロッサリア……と、これでいいでしょうか」

「はい。確かに」


 俺が羊皮紙ようひしを渡すと、メリディアさんはサインを確認し、お辞儀じぎをした。


「これで手続きは完了となります。宿舎はユウキ=グロッサリアさまがC級魔術師でいらっしゃる限り、使っていただいて結構です。もちろん『魔術ギルド』に所属する限りにおいてですが」

「わかりました」

「また、C級魔術師にはギルドの図書室を、申請しんせいなしで閲覧えつらんする権利が与えられます」

「通常は申請が必要なんでしたっけ」

「そうですね。D級以下の方は、なかなか申請が通らないので、C級の方に同伴してもらう、というのが一般的ですね」


 なるほど。

 じゃあ今度、オデットを連れて行ってみよう。

 彼女には、いろいろお世話になってるからな。


「それから、C級魔術師は『魔術ギルド』の中でも上級魔術師に近いものになります。ギルドの権威や品位を落とさないような行いが求められます。それをお忘れなきよう、お願いいたします」

「わかりました」

「といっても、堅苦かたるしく考える必要はありません」

「そうなんですか?」

「ええ、権威や品位を落とさないようにということで、必要なものは支給されることになっているのです。具体的には、服装や身だしなみを整えるためのもの。生活に必要な資金などですね。もちろん、限度はありますが」


 メリディアさんはうなずいた。


「ですので、なにか必要なものがあれば手配します。いかがでしょう」

「なにかある? マーサ、レミー」

「布と糸をいただきたいです」


 メイド服姿のマーサは、俺の耳元にささやいた。

 それを見たメリディアさんは苦笑して、


「私に直接、話していただいてもかまいませんよ。私は魔術師ではなく事務員です。貴族の方の執事や、メイドの方々ともよく話をしておりますので」

「ということだよ、マーサ」

「では、失礼します」


 マーサは緊張した顔で、メリディアさんの方を見た。


「いただきたいのは、ユウキさまの制服に使われているのと同じ布と糸です。ダンジョン探索たんさくに行かれると……戦闘中にすり切れたりしますので、つくろえるようにしたいのです」

「ごしゅじん、わんぱく」

「『魔術ギルド』の制服は上質の生地でできていますから、実家から持ってきた素材を使うと、修繕した部分が目立ってしまうのです。ですから、制服用の素材をいただければ、と思います」

「── (もがが)」


 ちっちゃなレミーの口を押さえながら、マーサは言った。

 俺はマーサからレミーを受け取って、うなずく。


 マーサの言う通りだ。

 ダンジョンの探索中たんさくちゅうは飛んだり転がったりするからな。

 どうしても服が傷んでしまうんだ。

 時々、自分で直してはいたんだけど……布と糸の素材までは考えてなかった。

 さすがマーサだ。


「さすがC級魔術師ユウキどののメイドさん。たいしたものです」


 メリディアさんも感心してる。

 俺も、ついでにレミーも同じ顔をしていたと思う。

 マーサ、真っ赤になって顔をおおってるから。


「さしでがましいことを申し上げてすいません……」

「いえ、どうしてC級魔術師ほどの方が、メイドを2人しか連れていないのかよくわかりました。これほど優秀な者がいれば、心置きなく仕事ができるというものですね」

「そうですね。マーサのおかげで助かってます」

「やめてくださいユウキさま……人前で頭をなでないでください……」


 ごめん。

 つい、前世で子どもをほめるときのくせが出た。


「それで、他に必要なものはあるでしょうか」


 事務所員のメリディアさんはメモを手に、そう言った。

 マーサは (俺の手が頭に乗ったままで)気を取り直して、


「そうですね。ユウキさまの髪をとかすくしと、髪を洗う石けんと、保湿用の油などをいただければ助かります」

「そっちは急ぎません。むしろ、遅ければ遅いほどいいです」


 俺は言った。

『魔術ギルド』に入ってから、マーサは俺の髪を念入りに洗うようになったから。

 時間もかかるし、お湯や泡が目に入るし、結構大変なんだ。

 正直なところ、ダンジョンは暗いから、髪なんか整えなくてもいいんじゃないかと──


「わかりました。早急に手配いたしましょう」


 メリディアさんは無慈悲むじひだった。

 不思議なくらい優しい笑みを浮かべながら、必要なものをメモして、一礼。

 そうしてメリディアさんはギルドの方へ帰っていた。


「で、これが新しい宿舎か」

「……立派な建物ですね」

「おおきいねー」


 俺とマーサとレミーは改めて、目の前の建物を見た。


 新しい宿舎は、石造りの1階建てだ。

 前の宿舎は2階建てだったから、小さくなったようにも思えるけど、実はその分、敷地しきちが広くなってる。


 部屋数は倍になっているし、なによりここは『魔術ギルド』の本部に近い。

 遠くには王宮の屋根が見える。

 宿舎が1階建てなのは、王宮を見下ろすことがないようにという配慮はいりょかもしれないな。


 服や着替え、重要な荷物は持ってきた。

 あとの荷物は、おいおい届くそうだ。今日明日は片付けかな。


 アイリスとオデットとは打ち合わせして、ダンジョンに潜るのは明後日以降ということにしてある。

 アイリスは王女としての業務が、オデットは調べ物があるそうだ。

 俺は空いた時間で『グレイル商会』に行って、ローデリアと会うことになってる。


黒王ロード=オブ=ノワール』を召喚しょうかんしたことを手紙 (コウモリ経由)で伝えたら、「それはさておき、新装備ができました」って連絡が来たからだ。『エリュシオン』第4階層を探索する前に見ておきたい。


 もっとも、それは明日の話だ。今日は宿舎の方を片付けないとな。


「それじゃ中を確認してみようか、マーサ、レミー」

「はい。ユウキさま」

「はいですー」


 マーサが宿舎の鍵を開けた。

 そうして、俺たちは新しい宿舎に入ったのだった。







 新しい宿舎は、きれいに掃除されてた。

 部屋数が多いだけじゃなくて、部屋そのものも広くなってた。


 念のため、魔術的な仕掛けがされていないか確認したけど、それはなし。

 あったら『侵食ハッキング』で遊ぼうと思ってたのに。


警戒けいかいしすぎたか」

「いえ、必要な警戒だと思います。マーサの楽しみを、他の人に見られるのは嫌ですから」


 俺の髪をとかしながら、マーサは言った。

 宿舎に移って、数時間後。時刻は夕方。


 広くなった風呂で俺の髪を思う存分洗ったマーサは、新しいくしを手に満足そうなため息をついてる。

 ちなみにレミーはベッドの上で昼寝中だ。


「ユウキさまの髪をとかしているところを誰かが見たら、このお役目をマーサから取っちゃうかもしれないですからね」

「誰も取らないと思うぞ」

「それはまだ、誰もこれを体験していないからです」

「前にルーミアと2人がかりでやってなかったか?」

「ルーミアさまはいいんです。あの方の髪を洗うのも楽しいですから。ユウキさまと、髪質が似てますからね」

「でもマーサ、こっちに来てから、念入りに俺の髪をいじるようになったよな」

「マーサは男爵だんしゃくさま──いえ、子爵ししゃくさまからユウキさまのことをお願いされていますので」


 マーサは穏やかな口調で言った。


「今は、常に王女さまと公爵令嬢こうしゃくれいじょうさまがご一緒ですからね。失礼がないようにしないと、です」

「そっか。苦労かけるな」

「マーサは……魔術には関われませんから」


 ふわり、と、短いため息が、俺の耳をなでた。


「マーサはこういう形で、ユウキさまをお助けしたいと思います」

「ひとりで王都に来てたら、どうなってたんだろうな。俺」

「たぶん、制服の裏地は破れたままだったでしょうね」

「破れてたのか?」

「なにか固いものに引っかかった跡がありました」


 たぶん『黒王ロード=オブ=ノワール』を身につけたときだ。

 内側にでっぱりがあったから、それに上着が引っかかったんだろうな。


「ごめん。今度から、上着のボタンを留めるようにするよ」

「だめですよ。つくろいものもマーサのお仕事なのですから、取らないでください」


 俺の髪をまとめたあと、マーサは俺の前にやってくる。

 ハンガーにかけた上着を取り、裏地を俺に見せた。

 破れた跡は、きれいにつくろわれてる。直した跡が見えないくらいだ。


「ほんとすごいよな。マーサは」

「さっき届いた糸を使いました。それで……ひとつお願いがあるんです」

「お願い?」

「この前、話してくれましたよね。『魔術ギルド』には、ふたつの派閥はばつがあるって」

「『カイン派』と『ザメル派』な」

「でも、マーサは『ユウキ派』です」

「そういう派閥はばつはないんだけど」

「はい。だから、こっそり主張したいと思います」


 湯上がりのマーサは、ガウンの胸元を押さえながら、俺の前にひざをついた。

 それから、制服の裏地を指さして、


「ここにこっそり、『ユウキ派』のマークをつけてもいいでしょうか?」

「いいよ」

「いいんですか?」

「裏地にマークを着けることは禁止されてない。人に見せるわけじゃないし、それに……マーサもダンジョン探索たんさくに協力してくれてる仲間だからな」

「ありがとうございます。ユウキさま!」


 マーサは俺の制服を抱いて、笑った。


「どんなマークがいいでしょうか。やっぱり、ユウキさまのトレードマークですから、コウモリさん、でしょうか。それともそれとも……」

「目立たないようにして」

「はい。もちろんです。でも……」


 いたずらっぽい顔で、片目をつぶるマーサ。


「ユウキさまのお仲間に見つかってしまった場合は、しょうがないですよね?」

「マーサ」

「はい。ユウキさま」

「本気で『ユウキ派』のエンブレムを作ろうとしてない?」

「そんなことありませんよー?」


 それから俺たちは『ユウキ派』のエンブレムデザインについて話をした。

 マーサは熱中しすぎたのか、うっかり、夕食のスープをがしかけてた。

 レミーも、コウモリのディックも加わって、デザインが決まったのは夜中。

 朝までに完成させると言い張るマーサに「だったら俺も寝ない」と主張することで、無理矢理寝かせて──

 それでも、俺が寝て起きたら完成してた。


 しょうがないから、マーサは今日1日強制的にお休みにしたけど。







「おはようございます。ユウキ」


 翌朝、俺が出掛ける支度をしていると、オデットが宿舎しゅくしゃにやってきた。


「今日はギルドで調べ物をするって言ってなかったっけ」

「お引っ越しのお祝いを届けに来たのですわ。はいこれ、わたくしとアイリスからですわ」

「果実入りのクッキーか。ありがとう。お茶を淹れるから一緒に食べよう」

「ありがとう。そういえばユウキも制服姿ですが、どうしましたの?」

「これから『グレイル商会』に行くんだ」

「そうなんですのね。では、ローデリアさんによろしくお伝え──おや、制服の裏地になにか模様がありますわね。これは……コウモリ?」

「破れたところをマーサがつくろってくれたんだ。俺の派閥はばつのマークらしいよ」

「そうですの。ふむふむ……なるほど」


 オデットは不意に、ぽん、と手を叩いた。


「それではわたくし、用事を思い出したので失礼しますわ。これは手配したお菓子です。マーサさんとレミーさんによろしく、それでは」

「あれ? オデット?」




 ──王宮、西の離宮にて──




「オデットにマイロードへのお引っ越し祝いをお願いしたのですが、無事に届いたでしょうか……あ、ニールさん、戻ってきました。あれ? 羊皮紙ようひしを持っていますね。絵が描いてあるようですけど……?」







 その後、マーサがデザインしたエンブレムが、パーティの印として正式採用されることを俺が知るのは、少し先の話になるのだった。

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