第50話 母への想い(9)

 少し時間は遡り――。


 未来は俺の後ろで、音無さんに「少し聞きたいことがあります」と切り出した。お前今まで我関せずの態度だったのになんで今更前に出てきてんの? 正直うざす。


 そしてそれに不敵な笑みを浮かべて、対応する音無さん。お前さっきまでマイナス思考一直線じゃなかったか? わんわん泣いとけよ。なんかめんどくさい気がするし。


「それで話って何かしら……?」


「……すぐに終わります」


 おい、待て、なんでこんな険悪な雰囲気なんだよ。目から何か出てバチバチしてるよ?……何お前ら仲悪いの? さっきまでそんな雰囲気はなかった……とは言えないけど、体裁は整えてただろ……。


 でも剣呑とした雰囲気から察するに…未来にはもうその『体裁』を守る気はないようだ――。


「なんで絆さんに父親のことを教えないんですか?」


「…………」


 音無さんは針刺すような敵意を未来に向ける。

 はぁ……これまでの音無さんの言動を見てわかるだろ……明らかに未来の言葉は一番触れてはいけないタブーだ。


 まだおっぱい触らせてとか、服を脱げと言った方が怒られないですむ。

 だが……そうか。音無さんも未来の『タブー』を踏んでいたのか……。


「くっ……」


 音無さんが眉間にしわを寄せ、その場から立ち上がり口を開く。


「それは私が絆の親だからです……」


それはまるで……自分自身に言い聞かせるように……。


「絆の親は私だけです。父親なんていません」


「そんなはずはありません……絆さんには父親がいたはずです。子供はひとりでは作れない。そんなの今時の中学生でも知って――」


「ふざけないで!!!」


 未来の挑発したような言葉に音無さん思いっきり噛みつく。

 音無さんは普段は真面目で理性的な人間だ……だが、それは絆ちゃんを除いた事柄以外の話だ。

 絆ちゃん、家族のことで馬鹿にされれば怒るし、悲しむ。

 誰よりも苛烈に――でもそれは未来も一緒だ――。


「ふざけてるのはあなたじゃないですか!!!! あなたは絆さんのことを何も考えていない!!!」


「……つっ」


 ……未来が叫ぶのなんて――いや、こんな感情的な未来は初めて見た……。

 いつもの無表情な顔を怒りでゆがませて、ただ音無さんをにらみつける。

 許せない――そんな感情が下で座っている俺にも伝わってくる。


それだけ我慢ならないんだろう。音無さんと絆ちゃんの関係が、音無さんの考え方が……未来には父親を軽視しているように見えているのだろう。


「私は何もふざけてない!! 私は絆のことを一番に考えてる!!」


「それなら……なんで今すぐに絆さんを迎えに行かないんですか? 居場所なんかわからなくても、がむしゃらにでも探すものではないですか? 私ならそうします」


「くっ……」


「おい、お前ら落ち着け」


「お父さんは黙ってください。音無さん、あなたが一番に考えてるのはあなたのことです。『絆さんが本当のことを聞くと傷つく?』『父親が最低の人間だったから言う必要がない』そんなの全部あなたが傷つかないための言い訳でしょう?」


 皮肉をたっぷり込めて言い放つ。その言葉に音無さんは下唇噛みながら、わなわな身体を震わせる……未来の言葉に自覚があるのだ……だからこそ安易な言葉で言い返すことができない。


 そして、そんな音無さんの様子を見た未来は鼻で笑う。


「ふっ、私には――あなたたち親子はひどくぶかっこうなお遊戯に見えます。家族はあなたを満足させる玩具じゃない」


 バチン!


 乾いた音が部屋に鳴り響いた――音無さんが未来の頬を叩いた。涙を流しながら……何もできずにただ相手を叩くことでしか意志を伝えることができない自分恥じるように……。


「音無さんさすがにやり過ぎだし、未来も言い過ぎだ」


 俺は立ち上がり、音無さんと未来の間に入ろうとするが……未来が俺に向かい首を左右に振る。


「手を出すなってか……はぁ、ガキの喧嘩にしてはハード過ぎんだろ。でもこれ以上こじれるなら止めるからな」


 未来は静かに頷き……そして、ただ無表情で音無さんを見つめる。


「何ですか……言いたいことがあるのなら言葉を使って下さい」


「私は――それでも私は――」


 嗚咽を漏らし、それでも何かを言葉にしようともがくように見えた。


「私は絆を愛している!!!」


 それが全てなんだろう――。それだけは嘘ではないんだろう――。

 だからこそ絆ちゃんが家出した時、あそこまで慌てて、あそこまで絶望していた。


「どんなに自分を理論武装しても、絆に嫌われても、それだけは変わらないの!!!」


 ただ叫ぶ。まるで子供の様に……感情をあるがままに……。


 ガンガンガンガン!!!

 突如鳴り響く、扉を乱暴に叩く音、そして――。


(まさか……)


『まんまあああ、まんまああああああああああ』


「絆っ!!!」


 音無さんは玄関に向かい、すぐに扉を開ける。

 そこには涙や鼻水で顔を濡らした絆ちゃんが立っていた。


「ごめんなさい! きずな、わるいこだったぁぁ!わあああああああああああんん」


「絆!!!!!ごめんなさい。ごめんなさい。こんな母親でごめんなさい」

 

 音無さんは絆ちゃんを強く抱きしめる。

 ボロボロと涙をこぼしながら、感情をあふれさせながら……ただひたすらに。


(絆ちゃんなぜここにいるかは謎だけどな……なんか実花と夢野さんもいるし……友達って夢野さんかよ)


「ふんっ、最初から素直になればいいんです……」


 俺はそんな二人を見てふてくされながらも、目の端に涙をためる未来の頭を優しく撫でた。

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