本能オートマチズム
ぜろ
第1話
誰も側に居ないんだから。
それはつまり僕が誰に対しても要らないってことなんだから。
無くなったって良いって事じゃないか。
自己防衛本能、不随意運動。意識と関係なく身体を反応させるいくつもの要素がこの肉の中には埋め込まれている。そのシステムを実際に見る事は身体を開いても不可能だし、頭に電極を付けたって抽象的な風景が覗けるだけだ。波形で全てを見通せるというのならば、僕達は生きる必要なんて無い。仮想現実な映画のようなもののなかで惰性と堕落に耽れば良い。
何も見えないこの身体の中が一番にキモチワルイ。吐き出して内臓全て掃除してみたい、なんて考えたこともあるぐらいには。不確定で不安定なものはどこか心を落ち着かなくさせて、色々なバランスを失わせていく。そして空隙に入り込む歪みが、ゆっくりと侵食をする。
形成されるのは鍵穴。開錠されてしまえば混沌が溢れ出すドア。正しくそれは、パンドラの厘。開けてはいけない禁断の鍵――希望なんて都合の良いものは入っていない。汚いものに塗れた希望なんていっそ無くても良いとも思うけれど。
鍵穴が形成されたのはもう随分前。
鍵が入り込んだのはつい最近。
ゆっくりと溢れ出すそれが僕の身体を覆っていく。
時間を掛けて満ちる潮が口元を覆うように、緩慢な混沌への坂道。
壊れていく音に気付かず、防音性の棺の中で綺麗な死体の振りをする。
原始に逆らう僕らのさかしま、オートマティックに踊り狂え意識の間に間に。
†
「何やってんのん」
はし、と握られた手に、僕は我に返った。伝わるのは高い温度、奴は子供体温なのか妙に手が熱い。握られるのは気持ちが悪くて嫌いなのだけれど、なんとなく僕は手を掴まれたままにしておいた。一呼吸、それとなく身体を落ち着けて、僕は奴を見る。怪訝そうな顔を怪訝そうな顔で見れば、溜息を吐かれた。
「そのまんま踏み出したらお陀仏やん。キミ、最近ボケッとし過ぎやで?」
言われて僕は自分の足元を見た。石段だ。近所の神社に来たのは、受験の合格祈願のために、と奴に連れ出された所為。どの色のお守りを買うか悩んでいた奴に呆れて僕はぼけっと空を見上げていた、ような、気が――一瞬で記憶が繋がり、宙に浮いている右足を戻す。危ない、確かに落ちていた。ここの石段はうさぎ跳び訓練用と噂されるぐらい長いし。
僕はやっと奴の手を振り払い、少し深く息を吸い込んだ。肺腑に満たされるのは新しい酸素、それが血中に吸収されるイメェジをする。よし、これでいい。
「根詰めすぎとんのと違うん? キミは思いつめるタイプやからかなり心配やで?」
「受験生の言葉とは思えないな。神頼みで世の中渡っていけるとでも信望してるのか?」
「流石にそんな考えはないけどなー、無理は無意味なんと違う? 自分の実力以上の場所なんて行ったって、延々しんどいだけやん。てな訳でほいっと」
とん、と掌に青いお守りを置かれて、僕は瞠目する。装飾的な金糸の刺繍と神社の名前、合格祈願の文字。奴を見ればその指先にも同じものを引っ掛け、にしし、と人懐っこい笑顔を浮かべていた。細められているドングリ型の眼に、僕はなんとなく視線を逸らす。
「ここまで案内してくれた礼な、お互いがんばろー言うことで?」
「……別に、近所だっただけだし」
「せやかて、こっち引っ越してきたばっかでなーんも知らんかってんで? こっちの八幡様のご利益はどないなもんかなー? 向こうでは北野の天満さんに頼んどってんけど」
「お前、神頼みのために大阪から京都に出張してたのか」
「な、なんやその馬鹿にしくさった眼は! 天満さん強いんやで、御所に雷落とすんやで!? 上手くすれば学校に落ちてテストのうなるかも、なんて期待しとったわけとちゃうでー!」
「アホか」
のんきな言葉に溜息を吐いて僕は一歩足を踏み出す、今度はちゃんと下を見て。待って、と言われて一瞬止まれば、手を掴まれた。伝わってくる子供体温に微妙な不快感を覚えながらもあえてそれを伝えることをせず、僕はまた足を踏み出しなおす。
とん、と石段にスニーカーが落ちた。
「でもほんま、冗談抜きにして、最近のキミはちっと危なっかしい思うわ」
「……何が?」
「赤信号無視して行ってまおうとしたりなー、色々多いやんこの頃。なんやボケボケし過ぎな感じやで?」
「別に、僕だってポカぐらいするけれど」
「せやし、この頃多すぎやって。あれか、疲れ溜まってるのと違う? 確かキミ、親元離れて一人暮らししてんねやろ?」
「……そんなのもう二年もしてるし。むしろ快適だよ、息苦しくなくて」
僕が呟くと、奴はふぅんと生返事をしてみせた。喋っていないと呼吸ができないタイプの奴にとっては、一人暮らしなんて退屈地獄なんだろう。一度だけ連れて行かれたこいつの家は異様な明るさとフレンドリーさで僕を大変に退かせた。自分の家族と比べなくても、こいつの家庭のルクスは激しく高い。適当に納得して僕は息を吐く。
家族が嫌いなわけじゃなかったけれど、なんとなく一緒にいるのが息苦しいという感じは大分前から僕の中にあった。両親も弟も同じ、年末年始ぐらいしか会わないエンカウント率の低い親族なんて言うに及ばず。一日の大半を一緒に過ごさされるクラスメートなんかも例外ではなく、僕にとっては他人なんて一様に閉塞感を齎す存在でしかない。だから高校に進学すると同時に一人暮らしを始めた。奨学金を取って、特待生も受かって、悠々自適の生活を送っている。確かに最初は戸惑うことが多かったけれど――自宅は二層式だったから初めて買った全自動洗濯機と言うのには慣れるのが大変だった、とかね――今は本当に、不便はない。勉強していれば後は自分の時間、勝手にぼんやりしていられるし、誰も僕に文句を言うこともないし何も強制しない。
僕の人生で一番異質なのは、むしろこいつの存在だ。
夏休み明けの二ヶ月前に関西から転校してきて以来、こいつは妙に僕に懐いた。クラスでは殆ど誰とも話さず、ぼんやり窓を眺めて自分の世界を形成することで時間を潰していた僕の日常を、こいつが変えてしまった。休み時間には必ずやって来て下らないことを話したり授業の疑問を訊いたりするし、移動教室では一緒に行くぞーと引っ張っていくし。僕の心情としては迷惑以外の何でもなく、懐かれているというよりも絡まれているという感覚があった。だけど、まあ、慣れてしまった。むしろいちいち突っ込みを入れるのに疲れ果ててしまった。受け流し方も随分上手くなったと自分でも思っている。
何でも僕のボーッとした所を見ると、あまりの面白く無さに芸人にしてやりたくなるとか言ってはいたんだけれど――つい、と手を離し、僕は自分の手をパーカーのポケットに突っ込んだ。汗ばんだ手の感触は好きじゃない。
元々僕は一人で居るのが好きだ。
誰と戯れるのも嫌いだ。
それは家族すらも例外でなく。
物心付いた時にはもうそうだった。僕は誰と居ることも拒んで、笑っている同年代の子供をどこか冷ややかな視線で見ていたような気がする。対立することなく、迎合することもなく、僕はただなんとなく惰性で社会に適応してきた。今までそうだったんだからこれからもそうだろう、なんとなく生きていってなんとなく死ぬだろう。未成年にありがちな厭世思想だけど、僕は多分成人してもこんなことばかり考えるような気がする。まあ別に構わない、誰の迷惑にもならないんだから。足を踏み出し、僕は思う。
「ッせ、やからー!」
肘の辺りを強く掴まれ、僕はハッと我に返る。
目の前をクラクションけたたましく軽トラが通り過ぎた。
「……ぁ」
「そーゆーのをボッとしてるゆーてんねや! ほんま危なッ、眼ぇ離せんでキミ!?」
「……取り敢えず、ありがと」
「ほんまにーッ……」
ぎゅぅ、と再び手を掴まれて、僕は少し肩を怒らせ大股で歩く奴の後ろに続く。
あれ?
……僕はどうして、道の向こうに渡ろうとなんてしたんだろう……?
次の朝、僕は階段から落ちた。
アパートの階段で足を滑らせたのか、頭から血を流して倒れていたのを他の住人に見付けられたらしい。幸い大した怪我ではなく、頭部は元々出血しやすいから、と医者に笑われて帰された。
更に次の朝、僕は警官に呼び止められた。
歩道橋の上から飛び降りようとしていたらしい。まったく覚えは無いけれど、受験ノイローゼじゃないかとひどく説教をされた。
そしてその次の朝から、僕は外に出ることを放棄した。
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