第11話 京都

 俺はとある危機的状況に追い込まれていた。ひと月前のあの戦いにおける『特異種』とはまた異なる、別の意味での特異な存在に追われているたのである。


「はい、逃げないで。待ってよ、ユウちゃん!」


 俺の天敵の名は、高田貴美子きみこ。マッド・ドクターであるというか、正確に言えば精神科医ではありながら、なぜか10年以上も前より俺に付きまとう変態女である。そして、俺に触れても精神が崩壊しない数少ない相手でもあった。


 本来であれば、俺に触れられる相手は諸手を挙げて歓迎すべきなのだろうが、如何せんこいつは性格がおかしい。有体に言えば、変態なのだ。

 黙っていれば、それなりに可愛いと思える部分も持ってはいるのだが、俺に対して行ってくるのはもっぱら逆セクハラ。しかも、俺よりも二つも年上の29歳。すなわち三十路直前。これは大人の振る舞いではない。


 以前里にいたころから、この変態性は全く変わっていない。そう、この女も『御社おやしろ』出身者。伝統ある社会の影を支える任務とは言え、それにより得られる報酬はスズメの涙。そんなに頻繁に異形に関する問題が起こる訳ではない。

 だが、この仕事に就く人間の数が減少すれば組織そのものが衰退するしかなく、一度絶えれば復活はまず無理。政府からの秘密支援があるとは聞いているが、それでも能力のある者たちは、里の外に出て普段からボディーガードや整体師、あるいは貴美子のように医師として働いていたりしている。


 そして、今俺はおおよそ10年ぶりにそんな京都の里に来ていた。京都とは言え、場所は京都市よりも随分と北の方に位置する。園部という町から山奥分け入った誰も知らない筈の場所。そして、かつて俺がもう決して戻ってこないと誓った場所に。


「こらこら、こんな場所で浮かれてはしゃぎ回るでない」


 とは、じじいの言。なぜに年端もいかぬ幼女が俺に常識を諭しているような、意味の分からないシチュエーションが生まれなければならないのか。まったくもって理不尽な話である。


「どこが浮かれてるように見える。俺は身の危険を感じて逃げているだけだ!」


 そう、今、俺はじじいの保護者としてこの地に来ている。


 いや、足を踏み入れた瞬間からこの変態女に追い回されている。大股を広げて、スカートをまくりあげて追いかけるな。走り方からして、女性としてはしたないから!


「わしは里の長に挨拶がある。お前は付き添いじゃ。一緒に来い」

「はいはい、行く行く。行けばいいんだろ」


 走りながらも俺が醸し出す行きたくないオーラは、じじいに軽くスルーされてた。そして、ほんの少し前のこと。俺の左隣には追いついた貴美子が、これでもかと組みつきその胸を押し付けてくる。150cmを少し超える程度と小柄だがややふくよかな貴美子は、言いかえれば少し小太りとも称する。少なくとも、俺の好みの体型ではない。

 そして、いちいち押し付けられているこいつの胸など見たりしない。見つかると、更なる言葉の攻撃が来るからである。こういう手合いは無視するに限る。どうせ、館までは付いてこれないのだから。


「素直でよろしい」


 だから、なぜに俺が引率されている様に見えるのか。何度も繰り返すが、俺の何が悪いのか。きっと生まれた星の下なのであろう。


 じいいの魂のメンテナンスは、予想以上に少なくて済んでいる。最低でも週に一度は必要かと考えていたが、このひと月で二度だけなのだ。しかも、二度目はほとんど必要とないと思えるほどにわずか。これは俺にとっても驚きだった。ここまでの定着が見られるなど、全く予想していなかったのだから。


「ちぇっ。」

「この先は、口のきき方に気を受けるんじゃぞ」


「はいはい、分かってますよ。というか、俺は何も話さないからな!」

「うむ? お前、緊張しているのか?」


「誰が!」


 そう言いながら、一緒に立派な茅葺の家を目指している。そう、ここにもう十数年も前からこの里でお館様と呼ばれ、指揮を取っている辻村文三がいるはずだ。別名を『絶遮ぜっしゃ』、今は引退しているがかつて最強の退魔師だった男。そして、その力は今でも。


 この人里離れた山深い里、落ち武者の隠れ里にも似た雰囲気の場所は、見ただけでは水田や畑のある離村にしか見えない。おそらく、仮に運悪く、あるいは運よく迷った末に足を踏み入れてしまったとしても、ここの特殊性には容易に気付くことも無いだろう。


 実際には、俺も詳細は知らない結界の様なものが掛けられており、絶対とは言えないが、普通の人が迷い込むことは無いとされる。まるでおとぎの世界の様な状態。子供時代には当たり前に感じていたが、今考えると絶対にこれはおかしい。科学技術全盛の現代において、この里の存在の奇妙さが際立つ。


 だが、俺とじじいを見る村人たちの表情は硬い。そりゃそうだろう、この里をかつて追い出されるように逃げ出した俺と、全くの関係者ではない幼女が歩いているのである。俺に密着し引きずられている付属物に関しては、気にしないでおく。


「あの建物じゃな!?」

「そうだ」


 『あれが兎野郎か』とか『よく顔を見せられたものだな』とか、『あいつらが…』という呪詛にも近い憎々しげな視線による熱烈な歓迎の様である。だが、そんな言葉はこれまでも散々聞いてきたし、そうした態度にも接してきた。今さらどのような反応を見せられたとしても、大した感慨はないし何の痛みも感じない。


 里からの出迎えすらないというのが、この里における俺たち、あるいは俺の現状。ちなみにこの面倒な女が出迎えだとは、俺が絶対に認めない。

 さらには、これほど嫌っていて忘れたいと願っている場所にも関わらず、向かっている建物の場所を覚えていたという、自分自身の記憶力に対して腹を立てていた。


「狭量なやつじゃのぅ」

「昔から、出来が悪いものでね!」


 俺の精々の皮肉ではあるが、これも華麗にスルーされた。そう言えば、じじいはこの地を訪れるのは初めてだと思うのだが、なぜに俺の手を引きどんどんと歩みを進められるのか。これは、今さらながら浮かび上がる疑問。


「あんた、ひょっとしてここは初めてじゃないのか?」

「当然じゃ。わしを誰だと思っておる」


 どう見てもか弱い幼子ではないか。かつて大きく育て上げた会社は、今や完全に乗っ取られており実権がないらしいし。つまり、じじいが自由に使える資金だって限定されている。そもそも、この姿で再び地位と権力の両者を取り戻すことなどできる訳もない。つまり、今じじいが持つ力は今ではさほどのものではない。


 あと、多少の権力を握ったからといって容易にこの里に足を踏み入れることはできない。そういう風にできている。斉木繋がり程度ではできないことなのだ。

 すなわち、じじい以外の誰かが、いやそれ以上の組織や機関が介入していると考えられるだろう。国とか。


 俺の期待に反し、貴美子は屋敷の中まで俺に付いてきた。というか、へばりついている感じ。じじいの歩みが遅いため、ひきずっても遅れて困る訳じゃないのだが。それでもまあ、いつものようなセクハラ発言が出てきていないのは助かっている。


 館の門からはさすがに案内が付いた。だが女性ではなく、ごついおやじ。そう、『鬼霞』のおやじである。がははっと笑いながら、親しげに俺の背中を叩く。痛い!


「息災の様で何より」

「お主も、新しい武器の用意は出来たか?」


「それは、ちと難しい。あれほどの技物は早々に手に入らないからな」

「そうかもしれんが。それが容易に折られるとは。まったくもって困ったものじゃ」


 この二人、知り合いか!? しかも、幼女と気軽に語り合う、山のようなおやじ。じじいと出会ってから、俺には常識というものがわからなくなった。

 屋敷の奥の間に通される。大きいとはいえ、茅葺のレベル。直ぐに大きな広間に到着した。さすがにそこで貴美子とはお別れ。名残惜しそうに見ているが、俺の方は全く惜しくないから。


 部屋の中を見渡すとそこには、俺が知るお館様と、他に五人がいろりを囲むように座っていた。いずれも知らない顔であるが、そのうち一人は軍服。言うまでもなくそういうことであろう。


「遅いぞ。澄田!」


 そう呼びかけたのは、和服にて胡坐をかいて座るこれまた以前の身体のじじいと変わらないほどに皺だらけの老人。だが、その姿勢は背筋がピンと張り、眼光は鋭い。


「この身体では、速く歩けぬ。だから、車で来たかったのじゃが」


「ご苦労をおかけするが、里では禁止が掟故」

「うむ。承知しておるからこのとおり里の外から歩いてきたぞ。じゃが、久しぶりに良い空気を味あわせてもらい、むしろ感謝したいくらいじゃ」


 お館様である辻村文三がじじいに向かって口を開いた。50歳を超えているが、未だ現役でも何の問題もないような圧力。本来ならば、常に控えのものが付いている筈だが。それが見当たらないことが、この会合の意味を示していた。


「そいつが噂の『闇兎』ですか?」


 丁寧な言葉なのになぜか酷薄さを感じさせる問いかけをしてきたのは、グレーのスーツを着こなす目つきの鋭い、このメンバーの中ではやや若い男。30代後半ってところか。細いが引き締まった体つきは、相当の肉体修練を積んできたことが見て取れる。ただ何となくではあるが、あまり深く関わりを持ちたい感じはしない。


「それでは、わしが皆の紹介をするとしよう」


 じじいが男の質問には答えず、口火を切った。俺とじじいが空いている席に座り、背後には『鬼霞』のおやじが仁王立ち。緊張感張りつめた空気。初夏にも関わらず、冷やりとする。


「まずは、わしの隣にいるのが芦田祐樹。わしの保護者兼、ボディーガードじゃ。辻村は昔から知っているな。そして、左手からこの里の長である辻村文三。制服を着てるのは防衛省統合幕僚長の橋本隆、隣にいるグレーのスーツを着ているのが同じく統合幕僚監部の堂垂どうたれ大志二尉、そしてこのタヌキおやじが衆議院議員の佐々木典史、和装のご老体は神社本庁の明階めいかいである神楽坂天心殿、最後に一番右にいるのが出雲の舞巫女である珠音たまね様だ」


「おいおい、さすがにタヌキおやじはないだろうに」


 そう笑いながら答えたのは、議員と紹介された佐々木。だが、その言葉に誰も反応しない。どちらにしても、この紹介が俺のために為されたのは皆の様子を見る限り明らかだろう。俺以外はお互いに顔見知りの様である。


 さらに、じじいはこの場を仕切るように話を進めた。


「では、さっそく本題に入るとするか。まずは、多くの犠牲を払わなければならなかったこと、辻村の長には深くお詫びする。今回はかなりの恨みを買ってしまった様じゃ」

「お役目でのこと。謝罪には及ばぬ」


 その朴訥とした話し方は、俺の知っている10年近く前と何ら変わらない。


「最終的な犠牲は、御社関係者で死亡2名、負傷は4名、精神的虚脱状態が8名。自衛隊関係者では死亡8名、負傷11名、こちらもPTSDになっているのが20名以上です。その上で2名の行方不明も出ています。いずれも自衛隊員ですが女性です」


 堂垂二尉が、情報を冷静かつ淡々と述べる。感情を感じさせない男である。


「酷いな。それほどなのか」


 とは、再び佐々木議員。さきほどの軽い口調から転じて、両腕を組んで目を閉じると祈るような声でつぶやいた。


「あれは、普通の『犬神』どころではない。まったく別種の存在だと考えた方が良いじゃろう。その強さは、そこにいる『鬼霞』が良くわかっている筈じゃ」


 じじいに促され、おやじがおもむろに口を開いた。


「正直、全く歯が立ちませんでしたな。追い返したというよりは、むしろ見逃されたと考える方が納得できる結果でしょう」

「『破魔』の第4位であるお前でもか」


「はい。このふがいなき状況、忸怩じくじたる思いです」


 お館である辻村の問いかけに、『鬼霞』のおやじは拳を握りしめながら、震えて答えた。さすがにあの戦いは堪えたのだろう。俺とて、あんな目に何度も会いたくはない。だが、奴が残した言葉。奴以外の化け物も日本に乗り込んでくるという内容。あるいは、もう既に日本に来ているかもしれないという事実。

 早々に対策を協議しなければならないのは言うまでもない。だが、対策といっても何をすれば良いか、今の俺には想像もつかない。


「『獣人』でしたか、あの『犬神』もこれまで私が対してきたレベルとは明らかに違いましたな。全く別物と考えた方がよいでしょう。ですが、『特異種』と呼ばれる存在は、それすらも遙かに超えて危険ですな」


「具合的には?」


 そう、か細い声で聞いてきたのは珠音たまねと呼ばれる巫女装束の女性。声からすると年齢は若そうだが、顔を覆うベールのようなものにより表情は見えない。


「通常の武器や兵器はほぼ通用しないと考えていいでしょう。加護を受けている私の『青龍』ですらほとんど効果がありませんでした」


「精霊の加護も通じないと」

「皆無とは言いませんが、今のままでは通じるとは言い難い状況ですな」


「通常の銃弾は、『ビースト』、『特異種』共に全く通用していません。アメリカからの情報でも、ミサイルすら通用しなかったと聞いているので、おそらく間違いないでしょう。電磁パルス弾は『ビースト』には効果がありましたが、これもかなり限定的です。相当の連射が無ければ足止めすら難しいと思われます。」


 相変わらず、冷たい視線で淡々と情報を述べていく軍人である堂垂。まるでアンドロイドの様な感じすらする。


「さらに、化学兵器も限定的に使用されたケースを聞いていますが、それも効果が無かったと方向を受けています」


「それは、シリアのケースじゃな」

「仰せの通りです」


 一瞬の静寂の時間。


「ここで意気消沈しても何も始まらにゅわゃ!」


 じじいが一括するが、少し舌を噛んだようで、思わず吹き出しそうになる。俺の態度に気づいたじじいがキッと睨みつけてくるが、それがまた妙に可愛い。そもそも、フリルが付いたピンクのワンピースを着て、威厳もくそもない。


「そうだな。考えることを止めてどうなる訳でもない」


 とは、辻村の長の言葉。


「うむ。精霊の加護には間違いなく効果がある。それはわしの車で実証されたと考えておる」

「確かに、翁の車にはあやつらも手出しをしなかった。それは私も見ましたぞ」


「それに祐樹の攻撃は、間違いなくダメージを与えておった」

「精神兵器…」


 ぼそっと、堂垂二尉が口を挟む。だが、その言葉にはやはり誰も反応しなかった。


「私どもの分析では、『特異種』の攻撃は主に精神的なものと判断しています。光、熱、圧力、その他の計測機器への反応が非常に少ない結果が出ています」


 これは、橋本の説明。自衛隊ではこの前の戦いを様々な観点から分析しているようだ。同じことは斉木も行っているだろう。


「つまり、どういうことなんだ? 俺にわかるように説明してほしい」


 とは、佐々木からの質問。これには、堂垂が答えた。


「我々は物理的な攻撃を仕掛け、大した成果が挙げられず、相手からは精神的な攻撃を受け、我々は物理的な被害を受けた。そういうことです」


「それが『特異種』、ということか」

「はい」


「わしから少し補足しよう。堂垂君の説明は客観的事実としてそうなんじゃが、あの『特異種』は魂の質が我々人間とは異なっておる。そういう意味で新種の生物じゃと考えた方が良い」


「魂の質だと? それに新種の生物だと?」

「佐々木よ。既に報告は行っているだろう。『獣人』、今は『ビースト』じゃったか、あれのDNAが人間とは全く異なっているという分析結果を」


「ああ、読ませてもらった。DNAレベルで50%以上異なっていると書いてあったが、俺にはその意味が分からん」


「簡単に言おうか。鶏のDNAと人間のDNAは60%近くが同じじゃ。更に言えば、果物であるバナナでさえ60%近くのDNA配列が共通しておる。サルの遺伝子が、90%以上人間と同じというのは聞いたこともあるじゃろう」


「おいおい。それじゃあ、俺たちは一体何を相手にしているんだ?」

「おそらくは、新しい種。新人類、もしくはミュータントと呼んだほうが良い存在」


「それは人類の進化形ということなのか?」

「わからぬ。じゃが、人類にとっての脅威であることは間違いないのぅ」


「のぅ、、って、どうしてそんなに落ち着いていられる!」


 タヌキおやじと紹介された議員の佐々木が一人興奮しているが、他のメンバーは冷静なまま。


「わしが、人の魂を見えるようになったのは連絡していたじゃろう」


「それも聞いているが、それがどうした? 子供の体に転生したことで、霊媒体質にでもなったか」

「この里でいる『眼』を手に入れたのじゃ。それもかなり上等な」


「話は知っている。だが、俺は現実主義の政治屋だ。それの意味が分からなけりゃ話にもならんぞ」

「その場に、どれだけの『眼』が来ておった?」


 じじいは再び振り返り、『鬼霞』のおやじに聞く。


「里のものは全てが『眼』でしたな」


「つまり、15名全てがあれを見た訳じゃな。で、感想は?」

「位階の低い者には、輝きのあまり姿を見ることさえ叶わなかったようですな。私も正直実体をどれだけ見られたか、自信が無いといったところでしてな」


「つまり、実体をつかめなかったと?」

「仰る通りですな」


「ここからは、わしの仮説もかなり入るので確定的な話ではないが、堂垂君の言っていた精神攻撃は、その魂の力じゃと思っておる。そして、魂の力は肉体にも影響を与える。『特異種』はその魂、あるいは精神力が人間という種と比べて桁外れなのではないかと想像しておる」

「肉体の損傷は魂の力により容易に修復でき、魂の損傷は肉体を容易く破壊に至らせるということでしょうか?」


 堂垂二尉が先ほどとはうって変わっての丁寧な、そして珍しく感情の入った質問をじじいにかけた。


「そういうことじゃ」

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