第3話:勇者、幼馴染と邂逅する

「――ハッ?!」


 意識を取り戻した俺はガバリと首を跳ね上げる。

 すぐに起き上がろうとしたのだが、いつの間にやら、俺は椅子と成り果てていた。

 背中にやわっこい、それでいて重量感のあるヒップを預けられてしまっている、だと……?


 ――ありがとうございますッ!


「じゃねえよッ! 貴様、いったいどういう了見――」


 痛みを伴うくらいに首を捻って、正体を確認してやる。


「……お、おまえは……」


 俺の上で偉そうにふんぞり返っていたのは、俺の良く知る……いや、知っていた奴だった。

 腐れ縁……というより、腐った縁。……いわゆる、幼馴染ってヤツである。

 制服姿のそいつ……時川彩音(ときかわ あやね)は、俺を無視してうわごとを喋っていた。


「……はい、そうです。その公園です、はい。……小学生に暴行を加えていた不審者が――」


 し、信じらんねえッ! こいつ、警察に通報してやがるッ!?

 俺は、「きええええっ!」という雄叫びとともに身体を捻って彩音のスマホを弾き飛ばす。


「なにすんのよっ!?」


 怒り心頭といった様子の彩音だったが、キレてやりたいのはこっちだ。異論は認めん。


「おまえこそ、なんてことするんだッ!?」

「あんたこそ、なにしてんのよっ?!」


 まったく要領を得ない会話の応酬に、俺は「はぁ……」と呆れ返りつつ、彩音の桃尻を嫌々ながら撫でさすることで、俺を地面に縛り付けていた重しの排除に成功する。

 俺は人間だ、勇者なんだ。断じて椅子なんかじゃないし、通報される謂れもない。

 だから、躊躇わなかった。柔らかかった。……勃起した。


「きゃぁああああっ!!」


 女のような悲鳴を上げる彩音と正面から向かい合い、互いに睨み合う。

 こうしてちゃんと見据えるのは、二年ぶりくらいになるだろうか。無邪気に笑い合えていたあの頃に比べて、彼女の印象はずいぶんと変わってしまったようだ。

 清廉の証たる黒髪はバカ丸出しの明るい茶髪になっており、短かくサッパリしていた髪型も没個性的な長髪に成り下がっていた。……そしてなにより、巨乳になっていた。


 ――ありがとうございますッ!


 いや、だからそうじゃなくってさ。バカかよ、見惚れてる場合かよ、俺っ!

 自らを叱責してから、威風堂々とした態度で、この女に言ってやるのだ!


「ゴブリンを倒していたんだ! あのクソガキどもは、悪辣なる魔王の精神汚染でモンスターと化していたから、俺はそれを排除したに過ぎん。……そう! むしろ救出してやったんだぞ! スゴイんだぞッ! それを、なんだよ……通報しちゃうとかさあ……おまえ、頭おかしいんじゃないか?」

「……あ、あんたにだけは言われたくないわよ……っ!」


 彩音は顔面の筋肉をピクピクさせながら呟く。それは俺を侮辱する内容だった。

 この女、なんて恥知らずなんだ……。マジで、どうしてくれようか……?

 どうやら本格的に理解させてやる必要があるらしいぞ。


「勇者である俺の偉大さを、おまえの肉体に叩き込んでやるぜッ!」


 俺はどこまでも素早く、足元に落ちていた『ヒノキの棒』を装備すると、そのまま疾風と化す。右手で、彼女の腰に装着された衣服を、アッパーだぜ!

 【スカートめくり】……それは、古より代々継承されてきた、若さゆえの過ちを体現した、禁断の絶技であったッッッ!!

 しかし、しかしであるッ!

 俺はもはや、純朴な少年とは程遠い、酸いも甘いも嚙み分けた青少年なのだ。禁断とはいえ、笑わせる……俺にとって、あんなものは児戯に等しい。


「究極秘奥義――【性感マッサージ】ッッッッッ!!!!!」


 いたずらな風に巻き上げられて剥き出しとなった彩音のおぱんちゅ越し、彼女の性感帯に『ヒノキの棒』を這わせた俺は、シコシコとその手を高速上下運動させる。このピストンスピードだけは誰にも負けない自信があった。


「ひゃああああああんっ!」

「ぬわはははははははっ!」


 あられもない嬌声を上げて仰け反った彩音。その隙をついて、俺は公園から逃げ出した。

 通学、通勤途中の人間で溢れる住宅街を駆け抜ける。……前屈みになりながらッ!


「永遠ァァァアアアアッ!! 待ちなさいィィイイイッッ!!!」


 ……これにて一件落着と思いきや、鬼の形相の彩音が後ろから追いかけてきていた。

 捕まったら殺される。心の底からそう思った。

 どうやら彼女の心に住まう眠れる獅子を呼び覚ましてしまったようだ。心の底から後悔した。

 ひきこもりの俺にとって、走るという行為は、拷問と同義である。

 息が弾む。ねばついたツバは血の味がする。膝はもちろんのこと、なにより足裏が痛くてたまらない。裸足なのだから当然だ。地面との衝突の度に筋肉は軋み、小石なんかを踏んでしまおうものなら、涙が溢れそうになる。

 今でこそ距離を保てているが、それも時間の問題だろう。男女の体格差など問題にならない。単純な体力の問題だった。

 俺は意を決して、道を右に折れる。


「や、やはりッ! 神は俺の味方だったようだぜ……!」


 実にツイていた。マンホールを発見する。

 マンホールの穴に『ヒノキの棒』を突っ込んで、てこの原理でカポリと外すと、俺はすぐさま飛び降りるようにハシゴへと移り、蓋を閉める。

 足を滑らせないよう慎重に下へ降りると、そこは、当然ながら、むせ返るような汚物の臭気が立ち込めていた。

 本来ならば呼吸なんかしたくないところだが、乱れてしまい、そういうわけにもいかない。吐き気を催した俺は、本能に従って、盛大に吐瀉物をまき散らす。数滴、足に跳ねた。

 ……最悪の気分だった。どうしようもなく涙が零れる。


「彩音のヤツ……覚えてろよな、クソが……」


 頭上のマンホールに空いた穴から伸びた光だけが頼りの、そんな頼りない視界の中。

 声の反響具合から、その広さを悟る。一寸先では闇がわだかまっていた。

 その闇を、カサカサ、ペタペタと、蠢く気配があった。


「……ッ!?」


 俺は息を呑む。

 心臓を撫でられたような不快感が全身を駆け抜ける。それに加えて、恐怖も同居していた。

 敵の姿が見えないというのは、これほどまでに恐ろしいものなのか……。


「そうか、ここは、ダンジョンなんだな……!」


 俺は魔物の存在を確信していた。

 息を殺して『ヒノキの棒』を上段に構え、それからなるだけ挙動も殺す。

 ジッとしていると、次第に闇にも目が慣れ、ジッと目を凝らせば、敵の輪郭が浮かび上がってきた。


「――死ねッ!」


 俺は短くフッと空気の塊を吐き出すと、大きく一歩踏み込んで、ドブネズミに袈裟斬りをお見舞いしてやる。

 地面を叩くようにして振るった『ヒノキの棒』に、コンクリートではない、柔らかな肉の感触が返ってくる。よかった、直撃してくれたらしい。

 すると、たったそれだけでドブネズミは動かなくなった。ツンツンとつついてみるが、反応はない。絶命したのだ。念のため、踏み潰しておく。生々しい感触が、足裏に伝わった。それは仄かに温かく、ぬめりとしていた。そこに嫌悪感はなかった。


『モンスターの討伐を確認しました。経験値を獲得しました』


 機械的な声が、脳内で響く。

 その冷たい声に呼応するように、俺の心も冷え切っていく。

 それからは、機械的だった。機械的に、殺戮を繰り返す。


『モンスターの討伐を確認しました。経験値を獲得しました』

『モンスターの討伐を確認しました。経験値を獲得しました』

『モンスターの討伐を確認しました。経験値を獲得しました。レベルアップしました』


 ――あは。あはは。……ああ、楽しいなあ。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――」


 ゲームにおけるレベリングの重要性を、俺はよく理解していた。

 それだけのこと。

 ……だからこれは、八つ当たりなんかじゃ、ない。

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