ニートの俺を誰も救ってくれないから、もう俺が救う!

@kama-god

第1話:……俺は、勇者だったのか!

 俺は、一大決心をしていた。

 勇者とは読んで字のごとく、勇気ある者を指すらしく、ならば、今の俺は勇者と呼ぶに値するやもしれぬ。

 ――部屋から出ようと思う。


 俺を取り巻く現実に不満こそあれど、それでも現状にはそれなりに満足している。

 では、なにゆえその俺がこうして寒空の下、おめおめと裸足で逃げ出す謂れがあろうか、ということを、時間は取らせないのでどうか聞いて欲しい。


 誰もが寝静まる深い夜のことである。

 快適に狭い一室を、さらに四分割した中のひとつ。そこは完全に掌握しきった【ザ・俺空間】であり、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく、今宵も偉大なる王の玉座(2980円)に鎮座して、激しい運動後の白い汗を迸らせようかとしていたところ、気配を感じた。


 慌てて振り返るが人の姿は認められず、部屋の隅々まで見渡しても同様だったので、再びいそいそと剥き出しの下半身に手を伸ばしかけたが、そこで、はたと気付く。発見する。してしまう。

 怪しく蠢く黒い影を目撃した俺は、「ぬわー」だとか、「にょわわー」だとか、「うぐぼわああー」だとか、コメディちっくで頓狂な叫び声をあげ、ドアまで一目散に退避した。


 ……ゴキブリだった。


 これまで気配すら感じさせなかったというのに、なにくそ忌々しい……というかどうして目の前に現れちゃうかなあ、人知れず潜んでろや忌々しい……フィニッシュ目前だったのに、気付かなければ幸せだったのに、あーもう忌々しいなあっ!


「まったくもって、忌々しいこと、この上ないぜ!」


 叫んでみた。精神を平穏に保つためである。

 呪詛を吐きつつ、部屋を見やる。

 一望するとそこには、これまで蓄えてきた醜態の集大成が雑多かつ縦横無尽に散見された。

 主に、食器類であり、中には食べ残しをそのまま放置していたものもあった。他には、菓子クズだったり、カップ麺の容器だったり、使用済みティッシュが大半を占める肥え太ったビニール袋だったりした。

 いつの間にやら我が領土はここまで侵食されていたらしい。ゴキブリが好んで棲息しそうな環境にまで荒廃しちゃっていた。

 どうしてこうなった。悪いのは誰か。膝を突き合わせて懇々と説教してやる必要があるだろう。

 ……ということで、諸悪の根源たるあいつを呼びつけにしてやろう。眠っているだろうから叩き起こしてやろう。あいつに駆除してもらうとしよう。ついでに掃除もしてもらおう。一晩だけ部屋を交換してもらうのもよかろう。


 ――だって、このままでは眠れないじゃないか!


「おいッ! クソババアッ! 起きろッ! こらボケッ!」


 俺は夜中だというのに憚ることなく叫んだ。

 それは失策だった。

 お見合い状態で膠着を続けていた俺とゴキブリだが、奴は突然の大声に驚いてしまったらしく、そして存外に好戦的な奴だったらしく――とととととと、飛んできたぁっ?!

 ギョッとした俺。

 下半身を丸出しにしながらも這う這うの体で、数年ぶりに部屋を脱する俺。

 体格差が十万倍はあろうかという一匹の蟲にすらも敗走を余儀なくされる俺。


「これのどこが勇者なんだか……」


 独りごちた俺の呟きを、聞き届ける者がいた。


「――なにをしている、永遠とわ」


 体温を感じさせない声だ。

 傍らに立っていたのは、ゴキブリよりも忌むべき怨敵……父親だった。


「……べつに、なんでもねえよ。……ただ、部屋に漆黒の怪物が出現して襲いかかってきたから……」


 この男の前では、俺はどうしても弱腰になってしまう。

 しかし、下半身が解放的だったからだろうか、今日の俺はいつもより大胆になれた。


「つか、クソババアはどうしたんだよ……あいつ、この俺が呼んだっつーのによぉ……さっさと来やがれってんだ……ボケてんじゃねえならよぉ……」


 独り言を装うことで、強がることができた。


「永遠ッ!」


 唐突に親父がピシャリと俺の名を呼ぶ。

 くそっ、肩が弾んじゃったじゃないか、いきなり大声だすなよな……。近所迷惑なんだからな……。バーカバーカ。

 心中だけなら無限に毒づけた。


「母さんは、日々の心労が祟って寝込んでしまったぞ。引きこもり自立支援サービスなどというわけのわからん連中にまで頼ろうとしていたんだぞ。もっとも、それはやめさせたが。……すべて、お前のせいだ。どうするつもりだ?」


 親父は平坦な声でまくし立てる。表情と声からは冷たい怒りが窺えた。

 俺は俺で、腹の底から冷えていく感覚があった。だから、反論をせねばなるまい。義憤に燃えた。


「俺のせいなわけあるかよ……。親父こそ、帰りが遅いじゃないかよ……。俺が起きる頃に帰宅なんて、ありえねえよ……。あんたがそんなんだから、母さんが寝込んじまったんだよ!」


 俺は声を大にした。久々の発声に、時折、掠れてしまいつつも、主張をぶつけてやった。


「――出て行け」


 ポツリと呟いた親父の言葉の意味が、しばらく、俺には理解が出来なかった。


「は……はぁっ!? 急になに言い出してんだよ……バカかよ……冷静になれって……へへ」


 媚びへつらう俺だったが、親父の意志は固いらしく、頑として曲げようとしなかった。


「頭を冷やしてこい。……学校にも行かず、引きこもって、わがまま放題……挙句の果てには夜中に大騒ぎ……ふざけるのも大概にしろ」


 チラと外を一瞥すると、窓には大粒の雨が叩きつけられていた。な、なんてこった……。頭を冷やすどころの話じゃないじゃん……身体中が冷え切っちゃうじゃん……。

 俺は必死に抵抗したんだが、日々の自宅警備の任務で憔悴しきった肉体には限界があった。

 抵抗むなしく親父に玄関の外まで押し出されてしまった俺が、雑に放られたパンツとズボンと財布をキャッチすると、今度こそ玄関の扉を閉め切られてしまう。


「……靴くらいよこせよな、クソ親父がッ」


 ドアを蹴飛ばしてやる。即座に後悔。裸足なのでとても痛い。


 ――かくして、俺は寒空の下、降りしきる大雨に打たれながらも、ぽつねんと立ち尽くすことになったわけである。


「……やばい。泣いちゃいそうだ」


 ひとまずパンツとズボンを履いた俺は、財布の中身を確認。すっからかんだった。

 クソ親父がっ、ちょっとは入れといてくれよ! 俺が心配じゃないのかよ! これじゃあネカフェに避難もできやしないよ! こちとら寝不足だってのによぉ!

 などと言っていても始まらない。

 玄関の前にずっと座っていたら、きっと、近所の目を気にした親父が、それこそ目の色を変えて怒り狂うに違いない。それはまずい。たいへんまずい。そうなったらあいつは迷いなく暴力を振るうぞ。それだけは嫌すぎる。痛いのは嫌いだ。

 ともかく、無一文で雨風を凌がなくてはならん。

 そう思い、幾度もよろめきながら、近所の公園へと走った。

 そして、息も絶え絶えになりつつ、ドーム型の遊具の中へと転がり込む――ぎゃああっ――先客がいた。


「……あ、ども」

「死ねいッ! 変質者めッ!」


 俺は会釈してきた身なりの汚い男を蹴飛ばして追い出す。くさくさとしていた気分も一転、スカッとした。


 チカチカと明滅する弱々しい光が街灯から伸び、遊具の中を仄かに照らしている。それは、真なる闇とは違って、慣れ親しんだ、安心できる薄暗さだった。

 スマホを自室に置き去りにしてきてしまったのが悔やまれる。果てしなく暇だ。

 そこで、しばらく呆けていた。ぼけーっと外を眺める。


 ――そのときだった。


 ピカっと光った、そう認識するが早いか、耳をつんざく轟音が頭上で響いた。振動が腹の底までズシリと響く。落雷である。

 少し遅れて、悲鳴をあげる。絶叫がドームを反響した。俺は発狂しかけた。


「……あ? ……俺、生きてんの?」


 しかし、だいぶ遅れて、冷静になる。


「す、すっげえ……こんなことってあるんだなあ……アンビリーバボーだぜ……体験談の投稿が出来るぜ……」


 ――いや、マジ? そんなことって、ある?


 俺は考えた。たくさんたくさん考えた。

 そして、


「……気付いてしまったぞ!」


 俺は確信していた。

 高揚した俺は、ドームから這い出して、両手を広げて雨を全身に浴びる。

 さらに、声高に叫ぶ。 


「あれは、あの落雷は……天罰に違いないのだッ!」


 ……そう、天罰。

 俺が先ほど先客のホームレスを蹴飛ばしたことに対しての、天からの罰。

 で、天罰ってのは、いったい誰が下すんだ?


「――おお、神よ」


 そうだよ、神だよ。

 あのホームレスの男は、その実、神だったのだッ!

 しかし、そうなると、おかしなことがある。


「……でも俺、生きてるぜ?」


 天罰ってんだから、下された人間は死ななくてはなるまい。でなきゃ神の威厳を示せないじゃないか。


「そ、そうか……そうだったんだな……」


 そこで、俺はまたしても気付いてしまう。


「――俺を、異世界転生させてくれたんだな?」


 独り、深夜の公園で哄笑する俺は、やはり、選ばれた存在だったのだ。神の寵愛を受けるほどに。

 そう考えると、すべての辻褄が合ってしまう。合点がいく。

 だってさあ、ここ数年は俺の生活サイクルは常に一定だったんだ。なんの変化も、起伏すらもなく。穏やかに、引きこもり生活を享受してきたんだ。

 それが、なんだ?

 今日一日で異常事態が起きすぎている。

 ゴキブリの出現に始まり、母が倒れたことを知り、父が暴力に訴えて俺を家から放逐するなんて、どう考えてもおかしいのである!


「つまり、こういうことなんだな……?」


 俺は点と点が一直線に繋がる快感を味わっていた。

 ……つまり、ゴキブリは魔物の先兵であり、母が倒れたというのは親父の大噓で、俺が母を呼んでも現れなかったのは殺されたか囚われたかしていたからであり、要するに、親父は……魔王として君臨するために、家族が邪魔になった……我が家を世界征服の拠点とするつもりに相違ないのだぜッ!


「な、なんてこった……」


 だから俺は、勇者として転生して、奴の野望を阻止する宿命にあるってことなんだな……。ははーん、つまり親父は、勇者の俺が恐ろしくなって追い出したってわけだ。ぐふふ。なんというか、意外にも姑息というか、みみっちいというか……。これっぽっちも負ける気がしないぜ!


「……あれ、しかし、それだとタイミング的におかしいか?」


 しばし黙考。


「…………まあ、いっか」


 細かいことは気にしないことにしたッ!

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