5-8 朝の食卓

 翌朝、真智子が目が覚めると美津がすでに朝食の支度をはじめている音が聞こえてきた。真智子は大急ぎで着替え、身支度を整えると台所に向かった。

「おはようございます」

真智子が美津に声をかけると美津はにこやかな表情で言った。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

窓からはあたたかな春の陽射しが降り注ぎ、今日のお天気が良いことを告げていた。

「そういえば、聞きそびれていましたが、真智子さんはいつ頃までこちらにいらっしゃる予定ですか?」

「まだ、決めてないです。今日、慎一さんと話し合うことになっていて……」

「そうですか……。おふたりのお気持ちがしっかりしていれば、私はそれでいいんですけどね。差し出がましいようですけど、一言だけ言わせてもらえば、慎一坊っちゃんのお身体がまだ充分には良くなっていないので、あなたにがその分、しっかりしなければいけないと思うんです。そちらの御事情もあると思いますから、無理は言えないですけどね」

「はい……」

「まだ、卒業されていないんでしょ?急なことで、大変だろうなとは思います。まだ学生の分際でご結婚前提のお付き合いなんてある意味、突拍子もないことですから、ご両親が心配するのが当たり前ですからね」

「ええ、でも両親はきっと私の意志を尊重してくれると思います。今迄もそうでしたし、これからも……」

「そうだといいですけど……。でも、実際大変なことだと思いますからね……。ここで案じてもしかたないですけれどね」

その時、慎一が徐にダイニングルームに入ってきて話は中断された。

「おはよう」

「おはよう」

真智子は咄嗟に慎一の方を見て答えた。

「よく眠れた?」

「ええ、まあ……」

真智子は気恥ずかしそうに答えた。

「今日は春日大社を案内するよ」

「でも、身体の方は大丈夫?また、いつでも行けるんだから無理はしなくていいのよ」

「うん。散歩がてらほんの少し案内するだけだから……。せっかくここまで来てくれたんだし、今日は良い天気だからね」

「そう……ね」

「その時、これからのことを話し合おう」

「わかったわ」

「じゃあ、その予定でね」

ふたりが話している間に食卓の準備は整い、三人は朝の食卓を囲んだ。

「お父さまは?」

直人がすでにいない様子だったので、真智子は尋ねた。

「旦那様は早々に出掛けられました。では、いただきましょうか。真智子さんがいらっしゃるだけで、朝の食卓も明るくなりますね」

美津がぽつりと言った。

「美津さん、いろいろとありがとうございます、では、いただきます」

「いただきます」

真智子にとっても慎一にとってもはじめて一緒に過ごす朝の空気が新鮮に感じた。


 食事を終えると、真智子と慎一はタクシーを呼んで春日大社に向かった。春日大社は奈良公園の花見客で賑わっていた。春日大社の神使である鹿も神社の境内を歩きまわっていて、連れ立って歩く真智子と慎一の側にも寄ってきた。春の柔らかな陽射し降り注ぐ春日大社の参道を歩きながら、ふたりはこれからのことを話し合った。

「昨日はありがとう。父も真智子のことを見て、安心したみたいでよかった。今回のことでは父にはたくさん心配かけたからね」

「四月からのことどうしよっか?帰ったら両親のことは説得しようと思うけど……。慎一のリハビリのことがあるから、すぐに一緒に暮らした方がいいよね」

「もう一度、改めて聞くけど、真智子はほんとうにそれでいい?一緒に暮らすってことは僕と結婚するってことでもあるんだけど」

「慎一こそ、私でいいの?」

「もちろん。真智子とこれからも音楽への思いを高め合って人生を伴にしていけたら、どんなことも乗り越えていけると思う」

「私は昨日も言ったけど慎一の支えになれたらと思ってるよ」

「じゃあ、決まりだね。それで、結婚式とか披露宴はすぐには無理だけど、せっかく一緒に暮らすのなら、籍だけでも入れるっていうのはどうかな?生活費のことは少なくとも学生時代は僕の父が今まで通り支援してくれるから心配しないでいいよ」

「私は先ずは両親を説得しないといけないからね……。それに、今回急きょ休ませてもらったアンサンブルの練習のこともあるからこちらに長居はしないで、今日はもう家に帰るね。それで、両親にきちんと話して、慎一にも連絡するから……、細かなことはそれからでもいいかな」

「そうだね。ご両親に心配かけるといけないからね。わかった。じゃあ、そうしよう。僕も東京に戻ったら、真智子の家に挨拶に行くつもりだし、一緒に暮らすのも籍を入れるのもそれからでいいよ」

「それに慎一も四月から芸大に戻れるように今はよく養生してね」

春日大社でお参りした後、ふたりは観光を早々に切り上げ、タクシーで慎一の家に戻った。その後、真智子は帰り支度をし、慎一と一緒に奈良駅まで向かった。

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