3-8 未来への不安
―まどかとは池袋のサンシャインシティに遊びに行く約束をし、練馬駅の改札で待ち合わせした―。
約束の日、光が丘駅へと向かう途中で真智子は道路の柵際の桜が今にも開きはじめそうな蕾を静かに膨らませているのに気付いた。見渡せば辺り一面、春の陽気が漂っていて、穏やかな陽射しを感じさせる春の日溜まりが心地よく目に映える―。そんな春のぽかぽか陽気の中、真智子はまどかとの待ち合わせ場所に向かいながら、昨年のクリスマスイブの日に奈良に向かう慎一を送る途中、池袋の街を歩いたことを思い出していた。
―今回は送りに行かなかったけど、慎一は奈良でどうしているだろうか?。落ち着いたら、必ず連絡すると言ってたけど、いつ頃なのかな―。
合格した喜びも束の間、真智子はこれからのことが気になってしかたなかったが、今は慎一からの連絡を信じて待つしかない。そんな心境も手伝ってか、お互い気心が知れたまどかとはとりとめもなく生じてくる不安を晴らすようにお喋りが弾んだ。レストランで一緒にランチを食べてウインドウショッピングをした後、水族館を見学し、プラネタリウムを見て、展望台にも上り、あっという間に楽しい時間が過ぎていった。大学入学後も近況を連絡し合うこと、そして再会を誓い、別れ際までふたりは名残りを惜しんだ。
―そして、三月三十一日の夜、慎一から待ちに待ったメッセージが携帯に届いた。
―連絡、遅くなってごめん。風邪をひいてこちらで寝込んでいたんだ。もう、ほとんど治ったから明日には叔父の家に戻るよ。引っ越しはしないことになったから。詳しいことはそちらに戻って会えた時にでも話すけど、父とも今後のことをよく話し合ったから安心してね―。
メッセージに気付いた真智子は慎一からのメッセージが届いたことがただただ嬉しく、急いで返信した。
―お父さまとの話し合いが良好だったみたいで、よかったね。風邪も治ってよかった。きっと疲れが出たんだね。じゃあ、今日はおやすみなさい―。
―その夜、真智子は夢を見た―。
夢の中で慎一はリストの『愛の夢』を弾いていた。慎一と真智子がはじめて会ったときに慎一が弾いていた曲だ。夢の中の真智子は慎一が奏でる曲を聞きながら、だんだんと胸が苦しくなり、慎一の方を見るとピアノを弾き終えた慎一は立ち上がり、真智子の方を見て手を振ると、どこか遠くの方へと歩いていく―。
「慎一、待って!」
そう叫ぶとともに真智子は目が覚めた。心臓の動悸が激しく、目からは涙が滲み出ている―。
―昨日の夜は慎一から安心してってメッセージが届いたばかりなのにこんな悲しい夢を見るなんて―。
真智子は内心、自分が情けなくなるとともにどうしてこんな夢を見たのだろうと思った。夢は明らかに別れのシーンを象徴している―けれど、実際のところ慎一からは今まで別れを告げられたことはないのだ。ただ、はっきりとわかっていることは慎一は芸大に進学することが決まり、その一方で真智子は桐朋短大に進学することが決まったということだった。真智子は念願の桐朋音大には合格したが、慎一が合格した芸大は不合格だった。真智子はそのことは心のどこかで叶わぬ夢として受け止め、自分自身を宥めていたつもりだったが、よく振り返ってみると慎一と一緒にピアノの練習に励んできた日々の中で慎一との心の絆を深め、一緒に芸大に進みたい思いも自ずと芽生え、静かな願望として無意識のうちに膨らんでいたようだった。そして、その願望は芸大に不合格だった時点で弾かれたのだが、その悲しみに浸る間もなく、桐朋短大の受験に臨まなければならなかった。そしてそんな真智子のことを心底、支えてくれたのも慎一だった。そう、真智子は慎一と出会って、一緒にピアノの練習に励むうちに慎一の音楽への才能への憧れを強めただけでなく、一緒に過ごす時間を重ねるうちに慎一の優しさにも心を許すようになっていたのだった。けれど、進学先が違うというだけで、慎一が自分から離れていくような不安が生じ、慎一からの連絡を待つうちにその不安がどんどん募ってこんな悲しい夢になって今頃、現れたのかもしれない。とにかく、慎一は今日、戻ってくるのだから……、そうだ、せっかく慎一が戻ってくるんだからこんな風に家で悶々としてないで、迎えに行こうかな―。
真智子はそう思った途端、いてもたってもいられなくなって、携帯で慎一宛てにメッセージを送った。
―今日、こちらに戻ってくるの、何時頃になるかな?新幹線の東京への到着時刻がわかれば迎えに行くよ―。
その後、すぐにメッセージは既読にはならなかったので、真智子は朝の身支度をはじめた。一通り、終えた頃、携帯からの発信音が鳴り、慎一からのメッセージが届いていた。
―おはよう。真智子。まだどの新幹線に乗るか決まってないから、決まったら、メッセージ、送るよ。会えるの、楽しみにしてるね―。
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