絡繰警察

蒼城ルオ

第壱話・紅い再会




 「eins,zwei,drei,……」

 黄昏時に紡がれる、異国の言葉。

 笑いながら口ずさむ影は、不意に鈍色の狂気を構え、そして。

 逢魔が時に、悲鳴が響く。






 常人には迷い込むことすら叶わぬ屋敷の、薄暗い部屋。椅子の背に全てを預けるようにして深く腰掛けた男が呟いた。

「残るは一つ。この路地の奴等さえ今夜中に一掃してしまえば、再制圧は目前だ」

 この国では未だ見慣れない遊戯盤の上、広げられた地図と倒れた幾多の駒。かろうじて姿勢を保つ馬を模した駒は、彼の青白い指が示した、まさにその位置に立つ。意味するところを正確に読んで、左隣に控えていた影が口を開いた。

「その区域は最近彼等の巡回が強固になったため、欺くのが難しい、と」

 控えめに述べられた物言いに、すぐ傍にある瞳が氷刃の煌めきを帯びた。胸元を掴まれ、引き寄せられる影。

「俺に意見するなんて、随分といい身分になったね?」

「そんなつもりは、っ……」

 突き飛ばされ、咳込む音が響く。加減はされているものの、それを容赦という言葉に置き換えられるかどうかはまた別の話だ。

「で? もうやりたくないって?」

「滅相もない。何なりとご命令を、Mein Mann我が主

 片膝を立て、その上に片手を置き、頭を垂れる。傍目にも分かる、服従の姿勢。首の後ろで纏められた銀髪が、さらりと揺れた。

「貴方の意に沿うことが、私の喜びであり唯一絶対の存在意義ですから」

 紡ぎながら、藍の瞳は伏せられる。見ずとも分かる、自分を眺める表情。その口元が、朔の日寸前の月のように吊り上がった。

「それでこそ、Meine Tochter俺の愛し子。気の済むまで、遊んでおいで」

Jaはい




 人が、森を屠り神を殺し、正義の名の下に支配者に成り上がろうとする時代が到来するなど、想像もしなかった。神の守護により成り立つ森の都・神都の名を冠していた頃のこの街を知る老人を捕まえれば、恐らくそう嘆くだろう。神から帝へと畏敬の念を向ける相手を変えた場所は、夢物語を現実のものにすべくある技術を生み出した。

 病気や事故により幼くして消える筈であった生命に、無機物の器官を繋ぎ潤滑油の如き量の薬を投与する「絡繰からくり技術」によって永らえさせた半人半機の存在、『特殊絡繰』。生命力の性差か女児に比べ男児の生存率が著しく低いという問題を抱えながらも、時に意図的に特定の能力を上げて『生まれ直させる』ことも可能なこの技術で生まれた世代は最早社会を動かす立派な骨子となり、類する機関も増加しつつあった。

 それらが密集する帝都北東、艮の方角に、全てを守るように座す一際重厚な建物がある。特殊絡繰守護警察、通称絡警からけいの本部だ。絡繰を守るために、時には道を踏み外した彼らを粛清するために、特殊技能を持つ存在が集う機関である。ゆえに、警察といえど規律は敵を倒すために自身を律するものであり、指揮系統は軍隊に倣う。

 巡回で殆どの人間が出払い人気の少ない今、毛深い絨毯の廊下を闊歩する若き少佐も、年の頃ならば成人したばかりの十五、六といったばかりのうら若き乙女でありながら、その眼光は鋭い。そして照明に当たって艶やかに輝く肩口までの不揃いの髪が、純粋な人間ではないと示す。その色は、元来人間が髪の色合いとして持ち得る筈のない色素であり、ゆえに不可能を可能にした証明として科学者たちが焦がれ続けた青だ。それを、「生まれ直した」時に得、同時に体力も常人以上に増強された彼女の名前は五十崎いそざき明奈あきな。数字を苗字に負うことが許された名家の分家に引き取られた、近距離戦特化型の特殊絡繰である。よってそれに擬えた異称が多く、本名で呼ばれることは非常に少ない。

「あっちゃん!」

 その数少ない機会に、明奈は振り向き破顔する。甲高い声は成年前後でなければ出せない響きで、同年代から畏怖を向けられる人間を屈託なく愛称で呼ぶ存在は殊更に限られる。

裕季ゆうき

 白衣を翻しながら現れた菅井すがい裕季もまた、特殊絡繰ではある。しかし、彼女の所属は特殊絡繰保護機関、絡警とは地続きとはいえ人間と絡繰の割合が逆転する場所だ。緩く編まれた茶色の髪は彼女を一般人の中に溶け込ませ、寧ろ此処にいることに違和感を覚えさせる。しかし、彼女はいつもどおり肩で息をしながら明奈に追いつき、膝をついて用件を告げる。合間に息切れの音が挟まれるのはご愛嬌だ。

「良かった……先生が、あっちゃん探したんだけど見つからない、って……」

「あぁ、さっきまで見回りだったから」

「駄目じゃないですか、私の先生困らせたら!」

「ごめんごめん。裕季は本当、先生好きだよね」

 先生、とは絡繰にとっては自分を造った科学者のことだ。特殊絡繰となる子供は総じて保護者も既に鬼籍の者であることが多く、親代わりであり命の恩人である科学者を慕うのはある種当然のことであるが、裕季ほどに敬愛の情を向けるのは珍しい。そう胸中で一人ごちる明奈は、往年の名科学者が心血を注いで造った希代の名機ではあるのだが、彼も物心ついた時にはこの世界の者ではなかったため、現存する唯一の存在と言われても、どうも実感が湧かない。

 それに。

「あっちゃんも似たようなものじゃないですか。……准将がお呼びですよ、だそうです」

 明奈にとって「先生」とは、「制作者」のことでは、ない。




 扉越しに微かに管楽器の音色が届く部屋の前で、明奈は一つ息をつく。そして静かに扉を叩いた。

「失礼します、准将。少尉です」

 自他の名前を省略するのは、扉の奥にいる相手に対してだけだ。音が止み、代わるように柔らかな声が返る。

「あぁ、明奈くん。待っていましたよ、入って下さい」

 扉を開く音以外には全く音を立てず室内に入る。部屋の奥で穏やかに笑んでいる五十崎透夜とうやは、明奈の直属の上司にして、この組織での生き方を指南した恩師だ。五十崎一族宗家の出ということ以外には全く有利なものを持ち合わせない華奢な体躯でありながら、成人と共に入隊し、十年の月日で准将という位にまで上り詰めた剣捌きの名手である。同じ一族に引き取られた絡繰たちに慈愛を注ぐ人格者でもあり、特に明奈は愛娘と例えられるほどに幼い頃から宗家に出入りしていた。科学者に代わる、育ての親だ。

 しかし、どれほど可愛がられ懐いていたとしても、此処は仕事場であり、今の関係は上司と部下である。律動的な動きで透夜に近づけば、書類を手渡され、読むよう促される。書かれているのは人の数。近頃多発している通り魔事件の犠牲者の数だと気付くのに、そう時間はかからない。夥しい量と惨たらしい詳細報告に、絡繰の仕業だと察することも、容易い。

 眉根を寄せたまま、視線を上げる。かち合った眼差しは、既に厳しいものになっていた。初めてこの表情を見た時は、常の音楽と平和を愛するあの人と本当に同一人物かと疑ったほどの。怒りと憎しみが織り成した、殺意に染まった黒曜石の瞳。

「行けますか?」

 気遣う様子は本心で、けれどその問い掛けへの答えは一つしか許されないということは、肌で感じ取ることが出来る。元より、選ぶ、という考え方が自分にはない。

「勿論です」

「では、行って下さい。迅速果断、分かっていますね?」

 顔を上げ、上司の顔を見据え、そして頷く。迷いなどないと、そう示すように。

「はい」

 例え元は同族であろうとも、悪を屠ることに、最早この心は動じなどしない。

 ――全てを壊された、あの日から。




 部屋から出た自分は、余程恐ろしい顔をしていたのだろうか。明奈が苦笑を零すほどに、鉢合わせた裕季は怯えていた。申し訳なくは思うが、傷つくほど繊細な部分は、既に明奈の中にはない。透夜の命あらば、積極的にといっていいほど絡繰の破壊活動に向かう明奈に向けられる、畏怖の視線。犯罪者とはいえ同じ絡繰、なのにどうして、と無数の瞳は弾劾する。それでも、明奈は止まらない。

「もう、五年か」

 自分の傍にいてくれる数少ない友の存在に、気が緩んでいたのだろう。つい考えが口をついて出た。気遣うような眼差しを向けられ、今度こそ申し訳なく思う。

 五年前に明奈がいたのは特殊絡繰保護機関。裕季と、同じ場所だ。いずれ社会で有用な絡繰となるために、訓練を受ける機関であり、製作者を喪ったり製作者が多忙であったりする為に十分に保護と教育が受けられない絡繰が守られ教えられる場所。

 後に絡警へと所属を変えた明奈は前者、受ける側から与える側へと立場だけ変え留まった裕季は後者、そして。

「もう、そんなに経ちますか。りつちゃんが、……いなく、なってから」

「うん」

 おそるおそると言った体で久方ぶりに耳朶を叩いた名前に、静かに頷く。

 立花りつか。明奈と同じ研究者に造られた、例えるならば妹であった存在。少なくとも自分と相手は、互いを姉妹だと認識していた少女。対となるか似通うか、まるで双子のようなその性情は、今でもよく覚えている。まるで自分の髪色を溶かしたような、深い藍色の瞳も。

「立花になら、背中預けられたなぁ、私……」

 預けていただろうと思う。あの日、鉄壁を誇るあの機関が唯一外部からの侵入を許してしまった、あの惨劇さえなければ。

 目を閉じれば、あの時のことは今も鮮やかに思い出せる。外敵に壊され、二度目の『生き直し』は無いと連れ去られた自分の片割れ。自分自身も幾多の傷を負いながら、それでも必死に叫んだ。


 待って、連れて行かないで。

 私が強くなるから、二人分強くなるから、だから。

 私の妹を、返して……!


 無情に閉まった扉の前で泣きじゃくっていた時間は、永遠にも数秒にも思えたけれど、実際は数日だったのだそうだ。動かない自分に大人たちは手を焼き、手足が冷えからの痛みを訴え、外側からも内側からも家族に執着することを弾劾されているような心地がした。徐々に力が抜けていく中で、目を閉じ意識を闇に投げようとした刹那、影が落ちた。

『あの言葉に、偽りはありませんか?』

『え……?』

『自分が二人分強くなると。もしもそれが、真実なら』

 視線を上げれば、数日前に優秀な絡繰を引き取りたいと穏やかな目をしていた、しかし今は全く違う眼差しが、自分を射抜いていた。優しさしか映さないと思っていた瞳が、恐ろしい程の強い光を纏う。

『僕が君に、機会をあげます。妹さんとの未来を奪った相手へ、仇討つための』

 そして、無音の炎にも似た感情が手渡された。透夜と明奈の間の、約定にも似た教え。

 悪を赦すな、壊せ、殺せ。

 元来の彼の穏やかな気性からすれば、不釣り合いなその台詞。だからこそ、覚えている。消えずに今も、燻っている。あの時自分が受けた傷、今も服を捲れば幾つも残る、薄くも確かな痕の奥で。




 絡警の巡回は、黄昏時と丑三つ時に行われる。常の制服の上に漆黒の外套を羽織り、闇に溶けるようにして中央へと向かう細い路地を歩いていた明奈は、ふと前方に気配を感じた。政治経済の中心地は今向かう方向からは若干北に向かった地方へと移転が進んでおり、其方は嘗ての栄光に縋る旧都といった風体だ。唯一残された文化を誇り何がなくとも酒宴が催されることも儘あるのだが、聞こえてくる音が、妙だ。

 笑い声、紡がれる朗らかな声……それに混じるは、喘鳴。

 腰に佩いている細身の刀に手を遣り、近づいていく。見えた姿は、一つの絡繰。月光に照らされ、揺れる純白の振り八つ口は、まるで天衣のようで。さながら、舞手のごとく。

 ――紅を散らす、銀髪碧眼の鬼子と、かつてヒトであったもの。

 ぎり、と強く歯を噛み合わせ、一気に飛び出す。満月を背に、刃を振りかざす。

「そこまでよ、観念なさいっ!」

 背後から不意打ちで詰めた間合いは、けれど髪一筋を犠牲に避けられる。ゆっくりと振り向いた顔は、右半分が髪で隠れて判然としない。しかし、藍色の左目は確かに笑っている。無邪気に無邪気に、虫を潰して遊ぶ少女の微笑み。

「あぁ、やっぱり来ちゃったか。まぁ、いいや」

 暗い朱の衣装の上に、白い袿を羽織り、しかしそれらも既に汚れ。包帯も、そこから覗く傷口も、彼女が人間に与えたものに比べれば瑣末なものと思えるほどに。狂った殺人鬼としか言えない様子で、その絡繰は笑う。

「遊ぼう? 絡警のお姉さん」

「っ、ふざけないでっ!」

 切り込んだ刃が弾き返される。敵の得物を見定める。銃剣だ。発砲した形跡は無い。となれば、距離を置けば、撃ち込まれる可能性が高い。それを避け、再び切りかかる。十合、二十合、鬩ぎ合いは続く。

 笑う口元が癪で仕方なく、明奈はそれしか見えない。動きなど、本能が捉えている。負の感情に囚われて、それが意味することに、気付かない。

 銃剣と長刀がぶつかる。火花が散り、場違いだと思えるほど澄んだ音が響く。

「必死だねぇ……。そんなに、私を殺したい? 何で?」

 ねぇ教えて。からかいの中に、微かに違う感情を感じ取る。激情のままに、叫ぶ。

「アンタみたいな奴が、私の妹を奪ったからよっ!」

 肩をすくめて笑う、藍色の瞳の。銀色の髪を撫でて、間近でいつも見ていたあの笑顔は。

 あの日、奪われた。壊されて、幾つも傷を負って。右目を潰されて。

 ――そう、目の前の、憎むべき「悪」と同じように。

 力が、抜ける。

「……立花?」

 自分を押し返そうとする力も、同時に抜けた。

「明奈……?」

 目の前の――五年前まですぐ隣にあった藍色の瞳が、大きく見開かれた。






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