第26話 師匠と老師の最高傑作

 円形闘技場には、無数の撮影機カメラ、それに集音機マイクが設置されており、戦闘の様子は終始収録され、その映像は、遠目ではよく見えない出場者の様子を拡大したり、常人の目では追えない高速戦闘を低速度スロー再生したりする事が可能で、場内や場外広場に設置されている映写装置プロジェクターで空中に投影されたり、特別観覧室や控室ひかえしつ、クランの拠点ホームや繁盛している店舗に設置された視聴覚機器テレビで放映される。


 その映像が、舞台全体から一方へ――《群竜騎士団》のほうへ寄って行った。


 扇型の布陣で、前列が黒竜隊、中列が赤竜隊、後列が白竜隊。のクランには四つの部隊が存在するという事が広く知れ渡っているが、そこには、青竜隊に属する事を示す青い甲冑を装備した者の姿が一人も見当たらず、約5割が黒、3割が赤、2割が白。更に、その全員が、装備を見る限り前衛型で、弓、杖、ローブなどを装備した後衛型もまた一人も見当たらない。


 その陣容から推測される作戦は、猟犬を使う猟師のごとく、黒竜隊に《物見遊山》メンバーの逃げ道をふさがせ、白竜隊と赤竜隊の精鋭達で追い詰めて包囲し、二つ名持ち達が仕留める。


 奴隷ゆえに逆らえず、強制的に日々ダンジョン深層の化け物モンスターを相手に死闘を繰り広げている真にラビュリントス最強の部隊の中の最精鋭に加え、接近戦に持ち込まれると不覚をとる可能性がある後衛ハーフバックを編制からはずして高い物理防御力と魔法防御力を兼ね備えた前衛パワーフロントだけをそろえている事からも、勝つ事も逃げる事もできない状況での戦闘を強要し、圧倒的な実力差を見せ付け、手も足も出ない無力感で心をし折ってから、必要な者は捕らえ、不要な者は見せしめと鬱憤うっぷん晴らしになぶり殺そうという思惑がうかがえる。


 それぞれをもう少し細かく見ていくと――


 黒竜隊の隊員達は、全員の首に奴隷の証である呪印がある事と、装備が黒一色という以外に統一性はなく、比較的獣人が多いようで、盾を持っている者は少なく、軽装の者が多いように見受けられるが、種族も体格も武器や防具もバラバラ。


 それをひきいているのは、黒竜隊の隊長であり、腰の左右にいている一対と、鞘を交差させて背負っている一対、計4本の小剣ショートソードを装備している〝筆頭猟犬シェパード〟と呼ばれていた黒い狼頭の獣人男性。


 赤竜隊の隊員達は、隊長である〝絶対王者〟のアンガスを始め、主に鬼人族で構成されていて、全員が、大柄で、赤い重厚な全身甲冑を纏って大盾を背負い、大剣型や長柄の戦斧型、戦鎚型、鎚矛メイス型の法武機エンチャンテッド・ウェポンなど、力任せにぶん回せる超重量武器や打撃武器を手にしている。


 そして、白竜隊は、《群竜騎士団》の代表にしてリエルに固執するフェルディナンドと、サテラにしつこく言い寄っている〝閃華の騎士〟と呼ばれていた美丈夫、それに、〔超魔導重甲冑【雷電】〕の所有者で〝聖殲の雷〟と呼ばれていた優男の3名が兜を装備せず頭部をさらしている以外は、全員がそろいの騎士甲冑、騎士盾を装備し、長剣に分類される聖剣・魔剣を腰に佩いている。


 そんな豪壮な一団に対して、次にカメラが向けられた先にいたのは、たった一人の少年。


 その名は、人呼んで〝なまくら〟のレイジーアレン。


 武器も、防具も、身に纏っている旅人のマントでおおい隠されていてうかがえない。そのせいもあって、肩の上に、円錐形の宝石のような角がある猫のようであり栗鼠りすのようでもある小動物を乗せている事以外、特筆すべき点は見当たらない。


 そんな一見ごく普通の少年が、ラビュリントスで五本の指に入る大規模クラン《群竜騎士団》の精鋭100名と対峙して、泰然自若とした態度でたたずんでいる。


 その様子を、観客席から直接、またはテレビ越しに見て、これは何かある、と直感し、もくして注目しているのはごく一部。大多数の者達は、立ち上がり、または席に着いたまま足をみ鳴らして、不平不満の声ブーイングや怒声を上げている。


 それは、この戦力差では、見所もなくあっさり決着がついてしまうと考えた人々の声。安くない入場券チケットを購入しているのに、散々待たされたのに、そうなってしまってもらっては困る、面白い勝負を見せろ、仲間を呼んで来い、などといった事をさけんでいる。


 あるいは、賭け事ギャンブルきょうじている人々の声。一攫千金いっかくせんきんを夢見て近年まれに見る大差がついた概算配当率オッズの高いほう、つまり、クラン《物見遊山》に賭けた者達の、ふざけるな、真面目にやれ、という文句や怒号。


 その少年に向かって声援を送っていたのは、クラン・マスターアレンの指示にしたがって控室にとどまり、設置されているテレビでその様子を見守っている、リエル、レト、クリスタ、ラシャン、サテラ、不安そうに身を寄せてきたエリーゼと手をつないでいるカイト――クラン《物見遊山》の仲間達、あとは個性的な品揃えをした店セレクトショップ[タリスアムレ]の職人や店員など、よく行く店で顔見知りになった人々くらいのものだろう。


 そんな中、アナウンスが流れ、ついに、クラン対抗戦の開始が宣言された。


 実況担当者によって、今回行われるのは決闘であるがゆえに、人命保護のための異相空間は構築されない事が告げられ、続いてルールの説明が行われる。


 その間に、姿を現した審判が舞台中央へ。


 そして――


「双方、開始位置についてぇッ!!」


 先程までとは打って変わってしんと静まり返った円形闘技場の中央で、姿勢を正し直立した壮年の男性審判が、左右へ顔を向け、双方の間に十分な距離がある事をしっかり確認してから、大きく一歩、右足を前へ進めつつ、右手を上げて前へ真っ直ぐ水平に伸ばし、


「――構えてぇッ!!」


 《群竜騎士団》の精鋭100名が、一斉に、さやに収まっていた得物を抜き放ち、たずさえていた長物や盾を構え……


 アレンは、相手側に向かって一礼してから、右足を半歩前へ進めつつ、鞘をつかんだ左手の親指をつばにかけ、しかし、まだ鯉口こいくちは切らず……


「――始めぇええええええええぇッッッ!!!!」


 審判が、進めた右足を引き戻しつつ右手を振り上げながらそう宣言した――その直後、


「みゅぅ――~っ!」


 アレンの肩の上から黒竜隊を率いる〝筆頭猟犬シェパード〟の肩の上へ、【空間転位】でき消えると同時に出現したリルの声が響き渡った瞬間、隊長と麾下きか50名の姿が舞台上から忽然こつぜんと消失した。


 開始直後に起きた突然の出来事に、騒然となる場内。いったい何が起こったんだ、消えた彼らはどこへ行ってしまったんだ……、などと席から立ち上がって叫ぶ実況担当者。


 事前に時空魔法で亜空間に構築しておいた直方体の空間――床も壁も天井も白い通称『白い部屋』の中の何もない空間と、黒竜隊がいたこちら側の空間、二つの全く同じ範囲をリルがそっくりそのまま【位置交換型空間転位トランスポジション】で入れ替えたのだが、アレンが発したのは、そんな説明ではなく、


「奴隷であるがゆえに、みずかおのれの進退を選ぶ事ができない方々には退場していただいた」


 ただでさえ不思議なほどよく通るその声は、集音機にひろわれて観客席の人々のみならず《群竜騎士団》の面々にも届けられ、


「抜かば斬れ、斬らずば抜くなの刀――」


 そううたいながら、バサッ、とマントの右側を背に払いつつ、鞘を掴んでいる左手の親指で鍔を押し上げて、カチッ、と鯉口を切り、


「――抜かば斬らずにおさむ事無し」


 右手を愛刀のつかに置き、洗練された所作で抜き放ち、


「こちらが欲するは、大将の首級くび、ただ一つ」


 禍々しいまでに美しい刀身が陽光を反射してきらめく、そんな愛刀を右手だけで持って構えはとらず、敵の大将――フェルディナンドを目指して真っ直ぐを進めながら、立ちはだかる49名の精鋭達に向かって言い放った。


はばむなら斬る。退くなら追わぬ。――さぁ、どうする?」




 アレンは、一見ただ悠然と歩きながら、その実、重心の操法である〝生玉イクタマ〟と、それを維持したままの移動法である〝足玉タルタマ〟――無限流刀殺法の極意、十種秘法とくさのひほうの二つを体現しつつ思う。


 相手は仮にも騎士団を名乗るやから。例えその実態が、目的のためなら手段を選ばない傭兵の群だとしても、果たして、この衆人環視の中、はるか格下と見下す小僧一匹をどう料理するつもりなのだろうか、と。


 ちなみに、黒竜隊と共に『白い部屋』へ移動したリルは、そこから【空間転位】して、今は控室で観戦しているレトの膝の上にいる。


 実況担当者は、決闘を盛り上げようとわめき散らし、それを耳にした観客は、面白くなったと喜ぶ者、どうせはったりだろうとあなどる者、実は凄い奴なのではと期待を抱く者、ラビュリントスを代表する大規模クランの一つに対して生意気だ、不遜ふそんな態度を改めろと怒声を上げる者、派手に殺せとあおる者など様々。


 そして、《群竜騎士団》の面々は――


「どうするか、だと? ――問われるまでもないッ!!」


 まるで初めからいなかったかのように、忽然と消えた黒竜隊の事など気にする様子もなく、獰猛どうもう嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべてえたのは、赤竜隊の隊長――〝絶対王者〟のアンガス。


 またの二つ名を、〝ふみにじる赤竜〟。


「敵を前にして成すべき事は一つッ!!」


 隊長に続いてそう声を張り上げたのは、赤竜隊の切り込み隊長で、


蹂躙じゅうりんッ! 蹂躙ッ! 蹂躙ッ!』


 流石さすがは、ランキングバトル参加者ランカーが多数所属する赤竜隊。円形闘技場での闘いを――エンターテインメントをよく理解している事が分かる感じで、声を、足並みをそろえ、仁王立ちするアンガス一人を残して前進する。


 白竜隊は、動かない。


『…………』


 戦いの火蓋ひぶたは切って落とされ、否応なく高まる緊張感の中、息をむ大勢の観戦者。


 悠然と歩を進めるアレン。


 隊列を乱さず整然と前進する赤竜隊。


 舞台中央へ向かう双方の距離が徐々にせばまって行き……


「――行けぇッ!!」


 切り込み隊長の号令で赤竜隊が仕掛け――一瞬にしてアレンを包囲した。


 散開から盾を構えて包囲するまで、まさにまたたく間の出来事。重い甲冑をまとっている者の動きではない。だが、左手の紋章が光を帯びる事はなく、魔法や【技術スキル】が使用された気配はなかった。という事は――


(これが、【能力アビリティ】で強化された冒険者の動き、か……)


 そんな事を頭の片隅で思いながら、見るとはなしに見るのは、正面に立ちはだかる切り込み隊長。


 二つ名は〝紅蓮の波濤〟。個人ランキングは第4位。頭部に図太く尖端が鋭利な水牛の如き双角を備える、隊長アンガスに次ぐ2メートル超えの筋骨隆々たる巨漢。盾は持たず、全長3メートルに届く波打つ剣身が特徴の大剣フランベルジュを愛用し、強化系、耐性系、武術系の技能多数に加えて【火】系の魔術を取得する事で、【戦士】系上級職【魔戦師ウォーロード】に至った戦闘狂。


 ちなみに、事前にこういう相手側の主力メンバーに関する情報を教えてくれたのは、主に元ギルド職員のサテラで、ラシャンとカイトは、噂や闘技場で観た事がある戦闘の様子などを話してくれた。


 それによると、高温の炎をまとわせて剣身を加熱する事で切断力を強化し、更に火傷の追加ダメージを与える魔術と武術の複合技――【紅蓮剣】を得手としているという話だったが……


「まずは、この俺が相手をしてやるッ! 死なないようせいぜいあらがってみせろッ!!」


 そうえて大剣を右肩にかつぐように構えたが、【紅蓮剣】を使う様子はない。


(まずは、か……)


 現在、赤い甲冑の隊員達は、まるで、広く平坦な舞台の中央に自分達で試合場リングを用意するかのように、等間隔で配置について大きな円を描いており、アレンと〝紅蓮の波濤〟だけがその内側にいる。


 ひょっとして、入れ代わり立ち代わり、この円形のリングで1対1を繰り返すつもりなのだろうか?


 それも良いかもしれない――そんな思いが脳裏を過った直後、


「行くぞッ!!」


 そう叫んだ〝紅蓮の波濤〟が、前へ飛び出すため両足で地面を踏みしめ、柄を握る両手、両腕に力を込めた事でわずかに大剣が持ち上がった――その瞬間、『玉が触れ合ってかすかに音を立てるほんのわずかな間』という意を持つ超神速歩法〝玉響タマユラ〟によって、空間転位のように忽然と間合いを侵食したアレンの袈裟斬りが、巨漢の左肩から入って右腰へ抜け、


 まだ斬られた事に気付いていない〝紅蓮の波濤〟が、常人の目では捉えられない速度で大剣を振り下ろした――その時、左脇をすり抜け様に胴を薙ぎ払ったアレンは、愛刀を右手に巨漢の背後でたたずんでいた。


 ドゴォオォンッッッ!!!! と大剣が地面を叩き割った轟音が響き渡る中、その反動で開いた傷口から、ブシュッ、と勢いよく血が飛沫しぶいた音を聞いたのは、〝紅蓮の波濤〟当人のみ。


「――~ッ!? ……な……にが……っ?」


 好戦的な笑みが一転、驚愕によって強張り、取り落とした大剣が、ガランッ、と音を立てた。ドスッ、と崩れ落ちるようにひざをつき、両手で胸と脇腹に触れる。だが甲冑には傷などない。しかし、その下、みずからの肉体には確かに傷があり、上半身と下半身のつなぎ目である腰の部分からダラダラと血が流れ、下半身を赤く染め、ポタポタと地面にしたたり落ちる。


「死にはせん。血はじっとしていればじきに止まる。――そう斬った」


 そう、アレンは斬った。それなのに甲冑に傷がない――ように見えるのは、断面が綺麗過ぎて人の目にはそうと認識できないだけ。


 縫合するなどの処置をしなくとも血が止まるのは、二枚のガラスや下敷きに水をらしてくっつけると、ピタッ、と張り付くように、動くのを止めれば開いてしまった綺麗過ぎる傷口が合わさり血糊ちのりで接着されるから。


「――【光癒ホーリーライト】ッ!」


 いち早く我に返った隊員が、盾を構えたまま聖法で傷をいやそうとした――が、


「無駄だ。傷口に残留する俺の勁力が、聖法の効果を阻害し、体内霊力オドの状態をき乱す」


 アレンが口にした通り、聖法は確かに発動したのに〝紅蓮の波濤〟の傷は一向に癒えず、巨体は徐々に前へかたむいて行き……そのまま倒れ伏した。


 予期せぬランキング4位の敗北に、率先して騒ぎ立てる実況担当者。早速、観客席と舞台をへだてる不可視の結界面かべに収録されたばかりの映像が投影され、テレビでも放映された先程のシーンの低速度再生を見て、騒然となる観戦者達。


 そして、身内であるが故にその実力をよく知っているからこそ、《群竜騎士団》メンバーの動揺は生半可なものではなく――


「――盛り上げてくれるじゃねぇかッ!!」


 それら全てを吹き飛ばすかのように、竜の咆吼ほうこうごとく響き渡った声の主は、愉快そうに笑う〝絶対王者〟アンガス。


「予定変更だ。――全員で遊んでやれ」


 それに対して、指揮官であるフェルディナンドが文句を言っていたが、アンガスは意にかいさず、


「――かれッ!!」


 隊長の号令で、赤竜隊が一斉に襲い掛かった。




 ある者は、大盾を前に突き出し、ある者は、大盾を投げ捨てて両手で得物を構え、能力上昇系バフや攻撃系の【技術スキル】を発動させる。


 そして、アレンは――


 砲弾のような速度での【盾突撃シールドチャージ】をゆらりとかわし、


 大跳躍から全体重を乗せて繰り出された長柄の戦斧をふわりと躱し、


 【盾打撃シールドバッシュ】からの鎚矛メイスという二連撃をするりと躱し、


 味方の陰から飛び出してきた隊員の【槍突撃ランスチャージ】をくるりと躱し、


 まるで一指しの舞を舞うかの如き洗練された身のこなしで、攻撃を回避した直後を狙って間断なく仕掛けてきた赤い甲冑の隊員達の合間をすり抜け――


「なん…だと……」

「嘘、だろ……」

「そんな……」

「ば、馬鹿な……」


 攻撃を難なく躱されて振り返った隊員達は、まるで白昼に悪夢を見たかのような顔でこおりつく。


 アレンは、ただかわしているだけ――そのはずだった。


 誰一人としてアレンが刀を繰り出した瞬間を目撃した者はなかった。


 高速で移動する巨漢達の中でただ一人、夢か幻のようにすら感じられる緩やかな動作ですり抜けただけのはずだった。


 しかし、現実として、甲冑には傷一つ見付けられないというのに、鍛え上げられた肉体は、胴払い、右切上、逆袈裟、胴薙ぎ……その他、腕や脚の傷口から血があふれて流れ出し、したたり落ちている。


 ラビュリントスでも屈指の猛者もさ達は、傷一つ見付けられないおのが鎧に触れ、しかし、下半身を赤く染めて地面に落ちた血を見下ろして震えた声を漏らし、音を立てて崩れ落ちた。


『ウォオオオオオオオオオオォッッッ!!!!』


 それを目の当たりにした結果、無意識に口をついて出た咆哮は、相手を威圧する以上に、己を鼓舞するためのもの。


 生存本能が発した警鐘に従ってふるい立った赤竜隊隊員達は、踏み割るような勢いで地面を蹴り、猛々しく肉体を躍動させ、強力な攻撃系【技術スキル】を行使し、全身全霊を込めた渾身こんしんの一撃を繰り出して――そのどれもがアレンには届かない。


「速く、強く……だがつたない」


 そして、まさに平常心を体現するアレンは、まるで時間と空間がゆがんでいるかのように、驚異的な速度で動き回る敵に滑るような摺足すりあしで肉薄し、一見何の変哲もない基本の斬撃を繰り出して――それはことごとく隊員達を斬り伏せた。


 2分と掛からずに赤竜隊を壊滅させ、ただ一人、超然とたたずむアレン。


 その光景は、奇跡か、悪夢か。――否。微塵の誤差も許さぬ絶対的な身体制御によって顕現した、凄絶なまでの武芸の妙技。


 達人の域に至っているアレンは、速さと刀身の重さで斬る『刀』という武器を完璧に使いこなし、得物を手にした自然体――『無形むぎょうくらい』から無限流刀殺法のあらゆる技を繰り出す事ができる上、瞬発力で静止状態から最高速度まで瞬時に超加速させるその太刀行たちゆきは、最高で音速を超える。更に、十種秘法とくさのひほうの〝生玉〟によってまず体勢を崩さず、例え崩れたとしても即座に立て直す事ができ、〝足玉〟によって地面を蹴る前に、ぐっ、と踏みしめたり、膝をたわめるといった予備動作がなくるため、前触れなく全方位へ動く事が可能。


 つまり、相手は、いつどんな攻撃が来るか予測する事ができず、それ故に実際の速度より更に速く感じる斬撃に対して防御する事も回避する事もできず、仕舞には、血が流れ滴っているのを見てようやく自分が斬られたのだという事に気付いく、という状況におちいる。


 それに、誰一人として気付いていないが、実のところ、アレンが何気なく繰り出している一太刀一太刀の全てが無限流の秘奥義。


 得物に霊気を通す事で意思を通わせる気功術である〝疏通〟を突き詰める事で、霊力を練り上げて昇華させた純粋な破壊の力――勁力を刃に収束させる。すると、刃そのものではなく、極めて薄い刃先に収束された勁力が分子間力を分断する事で、物理特性にかかわらずあらゆるものを切断する事ができる。


 だが、それは理論上の話であって、実際は、十分な耐久力を持たせるのに必要不可欠な刀身の厚みが邪魔になり、刃先が入って行こうとしても刀身が引っかかって止まってしまう。


 しかし、剣聖クロウは、本来、地面や床面の摩擦係数を限りなくゼロにする事で行動を阻害する魔術――【摩擦極低減ゼロフリクション】を刀身に用いる事でその問題を解決した。


 これこそが、『三種神技サンシュノジンギ』の一つにして、液体、固体、気体、霊体の区別なく万物を切断する秘奥義。


 ――〝韴霊剣フツノミタマノツルギ


 それを、あらゆるものに存在するとわれる刃を通すべき筋道――刃筋を見極める域に達したアレンが行使すれば、まさしく斬れないものなど存在しない。


 そして、殺すつもりはないのに、いわゆる『峰打ち』を使わず、急所に届かないよう浅く、または意図的にはずして斬っているのは、〝相手を殺さず無力化するのに峰打ちは適さない〟という無限流の教えゆえ


 『峰打ち』とは、刀の背の部分で殴りつける事であり、常人の目には止まらない高速で動き回る者達に、金属バットよりも重く細い鉄棒を交差法カウンター気味に叩きつければ、当然、衝撃で肉は潰れ、骨は砕け、内臓は破裂してしまう。


 そういった負傷は、治癒系の聖法でも回復に時間がかかり、中級以上は取得していない、または治療費をしんだり払えなかったりと言った理由で、初級の聖法を繰り返し使用して治そうとしたり、安価な〔魔法薬ポーション〕で治療を済ませてしまったりすると、外側が綺麗に治ったからと治療を終わらせた結果、内臓うちがわはまだ治っておらず手遅れになってしまたり、ゆがんだままくっついてしまったり、傷跡が残ったり、元通りに回復しない事がある。


 それに対して、鋭い切り傷は治りが早い。ほぼ細胞を傷付けずに切断する刃筋を通した〝韴霊剣〟は特に。


 これこそ、無限流が伝える不殺の技。


 その一方、赤竜隊の隊員達は、【能力】で身体能力を底上げし、強力な【技術】を身に付けた冒険者であっても、地面を踏みしめたり、膝をたわめたり、腕に力を込めたりといった予備動作をなくすための技術テクニックや、攻撃直後から次の攻撃までの継ぎ目がお粗末で…………要するに、武に関しては素人しろうと同然。


 常人からすれば絶望するしかない相手で、冒険者同士であれば、世間の評判通りトップクラスの実力者なのだろう。


 しかし、達人の端くれと自負するアレンからすれば、心得がないだけに何をしてくるか分からない全くずぶの素人よりも、むしろ、中途半端に戦闘技術を身に付けているほうが、行動の先読みがし易く対処が容易。


 つまり、これは、上級冒険者と新人冒険者の戦いではなく、付焼刃つけやきばの素人と達人の立ち合い。


 控室のテレビで観ている《物見遊山》の仲間達は目をみはって絶句し、その他大勢の観戦者達にとっても予想を遥かに超えた出来事だったようで、今、場内は静まり返っている。


 だが、大将フェルディナンドに向かって前進を再開したアレンにとっては、当然の結果だった。




 残りは、赤竜隊が壊滅したのを見て開始位置から大きく後退した大将を含む白竜隊20名。それと――


「……一人も殺していないようだな」


 そう言ったのは、赤竜隊唯一の生き残りであり、アレンの行く手に立ち塞がる隊長のアンガス。


 まるで頭部を飾る王冠のように大中小8本の角を有する鬼人族の巨漢で、優勝者チャンピオンクラスのボディビルダーが小柄に見える程の筋骨隆々たる巨躯に赤い重厚な甲冑を装備し、全長3メートルに達する巨剣――竜殺しドラゴンキラーの一振りを左手だけで軽々と肩にかついでいる。


「何故だ? これは決闘だぞ」


 アンガスは、地に伏す部下達のほうへ目を向けながら問を放ち、


「無益な殺生は好まん」


 アレンは、足を止める事なくそう返した。


「なるほど。欲するは大将の首級くび一つ、か」


 そう話している間にも、傲然と見下ろすアンガスと悠然と歩を進めるアレン、双方の距離は狭まっていて…………アンガスがおもむろにその場から退き、アレンに道を譲った。


「…………?」


 それは、白竜隊の面々や実況担当者、観戦者達にとって全く予想外の行動。【予知】や未来視を使っていないアレンにとってもこの展開は想定外で、思わず怪訝そうに眉根を寄せて見上げると、アンガスは、ふんッ、と口の片端を吊り上げて、


「貴様は、敵である俺の部下達の命を取らなかった。ならば、俺も、今回は貴様の命を取らずにおいてやる」


 そんな、戦えば勝つのは俺だ、と言わんばかりの台詞せりふに加えて、


「貴様がこの場を切り抜ける事ができたなら、その時は、何のしがらみもない、実力ちからのみが物を言う舞台せんじょうで相手をしてやろう。――ランキング1位おれのところまで上がってこいッ!」


 そんな事をいけしゃあしゃあとのたまった。


「…………」


 決闘という場において、自分の振る舞いは反感を買い、怒りと不快感をあらわに、めるな、敵の情けを受けるぐらいなら死んだほうがましだ、情けで生かされるなどこれ以上の屈辱くつじょくはない……そんな怒声を浴びせられる事は覚悟の上で、所詮しょせん、決闘とは名ばかりの茶番で命を散らす事もなかろうと聞き流す気でいたのだが……


 今、実況担当者が、〝絶対王者〟の男気がどうとか、傭兵の流儀がどうとか、実力を認め合った者同士の約束がなんだとか、美談風にまとめようとしているアナウンスが聞こえてくる。


 という事は、実況担当者や観客席からは見えていないのだろう。一見、堂々とたたずむアンガスのほほつたう一筋のあせが。


 仲間達の話によると、アンガスは、魔法系には見向きもせず、強化系、耐性系、武術系の技能を多数取得する事で、【戦士】系上級職【超戦師バトルマスター】に至った戦闘狂であり、その二つ名は、〝絶対王者〟〝踏み躙る赤竜〟、そして、防御力重視の耐久型で、魔法・物理を問わずあらゆる攻撃を弾き返し、圧倒的な破壊力で敵を蹂躙するところから〝金剛鬼神〟とも呼ばれているとの事。


 要するに、部下達が鎧ごと易々やすやすと斬り伏せられるのを見て、自分の防御力まもりが突破されるかもしれない、相性が悪いと判断し、戦いを避けたのだ。


 この後、〔超魔導重甲冑【雷電】〕の所有者である〝聖殲の雷〟が勝てば良し、負けて大将の首級が取られたとしても、普段円形闘技場で行なわれている試合ランキングバトルなら命を落とす危険はなく、俺のところまで上がってこい、とは、言い換えると、それまでは戦わない、という事で、それまでに対抗手段アビリティやスキルを取得するつもりなのだろう。


 姑息こそくにも程がある。この決闘に負けたら全てを失うかもしれないというのに……


(……いや。既に負けても失わないための算段が付いている、という事か……)


 アレンが、脳裏をよぎった事について思案していたのは束の間の事。


 先刻も告げた通り、討ち取るべきは大将フェルディナンド首級くび一つ。


 とはいえ、ラシャンや彼女の元仲間達の件がある。


 アレンは、まるで、自分は望まずこの茶番に付き合わされているのだ、と言わんばかりの態度で佇んでいるこの首謀者の一人が、すきありと背後から斬りかかってくる事を心のどこかで期待していたのだが…………結局、アンガスはその場から動こうとしなかった。

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