第4話 観戦 と 講義 

 学生組、引率組の用意が整ったところで全員が魔法陣に入る。


(【位置交換型空間転位トランスポジション】か)


 アレンが見抜いた魔法陣に用いられている術式は、指定された2箇所の空間を入れ替えるタイプの転位魔法。しかも、サイズから何から全く同じ魔法陣の内側、半球形の空間を入れ替えるだけの、安全を確保するためにあらゆる手を尽くした初心者用。


 一緒に入った転送屋の術者がその魔法陣に霊力を通し、起動させ、円とその内側に刻まれている図形と文字が光を放った、と思ったらすぐに消え――その時にはもう周囲の光景が一変していた。


 そこはもう地下の大広間ではなく、ドアが一つあるだけの部屋。光源は見当たらず窓もないが、日中に採光窓を開けた屋内程度の明るさがある。


「今更あれこれ口出しをするつもりはない。――諸君の健闘を祈る」


 テッドがスティーブ達を見回してそう告げ、


『はいッ!』


 学生パーティは行動を開始した。


 先頭は【斥候】のマーカス。この部屋唯一のドアに罠の類がないか調べてから開け、そのすぐ後に【戦士】のライリーと【剣士】のエレガンが続き、【魔術使い】のレミィ、【聖法使い】のニーナ、【騎士】でパーティ・リーダーのスティーブが殿しんがりという隊列で進んで行き、そんな一行から少し距離を置いて引率組の三人とアレンが続く。


 古いとりでか神殿を彷彿ほうふつとさせる通路を進んでいると、程なくして学生組がモンスターとの戦闘に突入し、あっさり全滅させた。


 遭遇したモンスターは、ゴブリンの兵士ソルジャー4体、弓兵アーチャー2体。それらは攻撃を受けて絶命すると、装備していた剣、弓、防具諸共灰となって散り、後に残ったのは小指の爪ほどの魔石が六つだけ。


 学生組はそれを回収するとまた進み始め……


コアがあるダンジョンは、ゴーレムと同じで、〔迷宮核ダンジョン・コア〕が破壊されない限り何度でも自己修復する」


 アレンの隣で、テッドが前を向いたまま口を開いた。


「修復されるのは、壊れた壁や解除された罠だけじゃない。倒されたモンスターもまたダンジョンの一部として修復される。さっきみたいに魔石だけ残して灰になる奴がダンジョンに修復されたモンスターだ。で、ごくまれに倒しても死体が灰になって消えない場合がある。それは、地上で発生してダンジョンに放り込まれてからまだ一度も倒されていなかったモンスターだ。その場合、魔石はないが、素材を採取する事ができる。ただし、ドロップアイテムとして売れる部位は限られるから、しっかり勉強して覚えておいたほうが良いぞ」


 後輩思いの先輩は、そう言ってからアレンにだけ聞こえるよう声を潜めて、アドバイザーに教えてもらえ、と付け加えて、にっ、と笑った。


 ちなみに、ぎ取った後の死体は、ダンジョンが片付けるのでそのまま放置して構わないとの事。


「あとは、モンスターの装備が残る事もたまにある」


 その後も、アレンがテッドからレクチャーを受ける一方で、学生組は、というか、ライリー、エレガン、レミィは、我先にと奪い合うようにしてモンスターを殲滅し、途中の分岐や複数の道がある部屋でも迷う事なく進み…………難無くいかにもボス部屋っぽい大きな扉の前に辿たどり着いた。


「休憩したい者は挙手きょしゅ


 そう言って仲間を見回すスティーブ。挙手した者はなし。


「装備を点検。済み次第しだい突入する」


 ここまで戦闘に参加していなかった【斥候】のマーカスが、大振りのナイフから背負っていた連弩に持ち替え、皆の準備が整うと、スティーブは振り返って視線で問い、テッドが頷いたのを確認してからボス部屋の扉に手をかけ、


「それじゃあ、作戦通りに」


 そう言ってから肺に残っている息を一度全て吐き、大きく吸い込んで――


「――行くぞッ!!」


 勢い良く開け放った。




 ボス部屋は、ここへいたるまでに通過した部屋より広く、天井が高く、部屋の半ば程から奥へ向かって1メートル程高くなっている。中央には階段があり、両端は斜面スロープになっていて、モンスターの姿はない。


 だが、学生組が部屋へ勢いよく突入した途端、部屋中に無数の魔法陣が同時に出現し、その中にモンスターが出現した。


 下段には、『ゴブリン・ソルジャー』が12体、猪に乗った『ゴブリン・ライダー』が3体。


 上段には『ゴブリン・アーチャー』が6体、杖を携えボロボロのローブを纏った『ゴブリン・メイジ』が2体。


 そして、一番奥まったところに、『ゴブリン・チャンピオン』、『ゴブリン・ジェネラル』、『ゴブリン・キング』が1体ずつ。


「先手必勝ッ!」


 戦端を開いたのはレミィ。


 左手の紋章が光を放っているのはスキルを使用している証であり、選択した魔術を発動させる準備をしつつ2丁の拳銃を同時に6連射。魔法弾に込められていたのは【火矢ファイヤーアロー】で、1発につき3本、計36本の火の矢――点ではなく面の広範囲攻撃が上段のアーチャー6体とメイジ2体に降り注ぎ、


「――【火炎球ファイヤーボール】ッ!」


 間髪入れず発動された紅蓮の榴弾が標的に向かって飛翔し――爆発。火の矢を受けて倒れたアーチャーとメイジを吹っ飛ばした。


 そんなレミィの隣では、片膝をついた膝射姿勢で連弩を構えたマーカスが、地味に、しかし、確実に、突進を始めた猪に騎乗しているゴブリンを狙って連続で矢を発射。見事に3体全てを射落とした。


 3頭の猪はそのまま突進してくるが、


「――【障壁プロテクション】ッ!」


 ニーナが聖法を行使し、出現した光の壁に正面衝突。弾き返されて3頭全てが倒れるとすかさず解除し、光の壁が消えると同時に飛び出したスティーブとエレガンが次々に止めを刺して行き、


「――オラァアアアアアァッ!!」


 その二人の脇を駆け抜け、一人ソルジャーの只中ただなかに飛び込んだライリーが、法武機で増幅したスキル【衝撃波ショックウェーブ】を発動。ジャキンッ、と音を立ててハルバートの弾倉が回転し、床に叩きつけられたピックの先端で高圧縮されていた霊力が炸裂。衝撃波が周囲に存在したソルジャーをまとめて吹っ飛ばした。


 敵の陣形は崩壊し、命尽きたモンスターは魔石を残して灰と化す。下段のソルジャー共は、おもにライリーとエレガンが撃破数を競うかのようにほふって行き、上段でまだ息があったメイジは、弾と矢を再装填したレミィとマーカスによって撃たれ――奥の3体が苛立ちや怒りを露わに動き出した。




 アレンは、その様子を引率組と共に扉が開け放たれたままのボス部屋の外から窺い……


「あの、質問して良いですか?」

「おう、何だ?」

「確か、パーティ登録していれば、誰が倒してもモンスターを倒す事で得られる霊力は均等に分配されるんですよね?」

「それなのに何故レミィ、ライリー、エレガンは撃破数を競うように戦っているのか、か?」


 質問を予想して訊いてきたテッドに、はい、と頷くアレン。すると、テッドは、あくまでうわさレベルの話なんだが、と前置きして、


「『ボス部屋のような先へ進むには必ず通らなければならないチェックポイントや隠し部屋モンスターハウスでの戦闘は、〔迷宮核〕が監視していてMVPを選出する』らしい。あいつらはその話を信じてるんじゃないか?」

「それに選出されると何かあるんですか?」

「全滅させた後に出現するガチャ……宝箱に、その者に適合したアイテムが追加される、って話なんだが、なぁ?」


 話を振られたシャーリーは首を傾げ、ナバロは肩をすくめ、


「まぁ、信じる信じないはお前さんの自由だ」


 テッドはそう話を締めくくった。


 完全に否定しないという事は、そうなんじゃないかと思える事もあったのだろう。


 アレン達がそんな事を話している間も戦闘は続いており…………結局、一人の犠牲も出さずにスティーブ達が勝利した。


 モンスターは全て灰となって崩れ去り、後に残ったのは29個の魔石と、メイジの1体が身に付けていたブレスレットが1個、キングが嵌めていた指環が1個。そして、部屋のほぼ中央、真ん中の階段を上がったところに忽然こつぜんと出現していた、腰の高さ程の祭壇の上に置かれている宝箱が一つ。


「なぁ、アレン。MVPは誰だと思う?」


 もう入っても良いと言われて引率組と共にボス部屋の中へ足を踏み入れたアレンは、隣を歩くテッドにそんな事を訊かれ、


「スティーブでしょうか?」


 撃破数ならレミィ。強敵を倒した者と言うならジェネラルとキングを討ち取ったエレガン。だがしかし、スティーブは積極的に敵に向かって行く事はなかったが、目の前の敵を倒す事しか考えず勝手に動いていたライリー、エレガン、レミィを時おりフォローしつつ、マーカスとニーナを護っていた。誰も死なず大怪我もせずに済んだのは、間違いなくスティーブの働きがあったからだ。


 引率組の三人はアレンの意見に賛意を表し、


「じゃあ、スティーブに適合したアイテムが追加されてるかもな」


 テッドが楽しげに言い、ナバロとシャーリーが笑う。


 その一方、中央の階段の上では、誰が宝箱を開けるかを決めるジャンケンが行われていた。


 辞退したスティーブ、マーカス、ニーナは魔石とドロップアイテムの回収を始めており、ライリーとエレガンは傷の治療を後回しにしてレミィを加えた三人で勝負を始め、まずエレガンが脱落。ライリーとレミィによる決勝戦が行われ、


「よっしゃあああああぁ――――~ッ!!」


 勝利したライリーが、どれも浅いとはいえ傷から血が流れるのも構わず右手のチョキを突き上げ、パーを出したレミィが親のかたきを見付けたかのように睨んでいる。


「それじゃあ早速!」


 それは、いかにも『宝箱』といった感じの代物で、その鍵穴には出現した時から既に黄金の鍵が差し込まれており、それをライリーがつかんだ――その瞬間、宝箱が置かれた祭壇の後ろの床に魔法陣が出現した。


 ドキドキ、ワクワク、少年のような顔をしているライリーが黄金の鍵を回すと、ガチャガチャ、ガチャガチャ、と噛み合った金属の歯車が回るような音が響き、それに呼応して魔法陣の内側の円と外側の円が逆方向へ、金庫のシリンダー錠の円盤のように回転し、ガチャッ、と鍵が止まると同時に魔法陣の回転も止まる。


 そして、ライリーが黄金の鍵から手を離すと、祭壇と宝箱はその場から消え去り、魔法陣が発光し……その光と魔法陣が消えた後には、数種のアイテムが残されていた。


「あの宝箱の中に入っているんじゃないんですね」

「宝箱のようだが宝箱ではない、ダンジョンの仕掛けの一つ。だから冒険者おれ達はあれを『ガチャ』と呼ぶ」


 その由来は、あの鍵を回した時の音だろう。


「一説によると、あの宝箱は、最深部にあると言われている伝説の宝物庫を、差し込まれている黄金の鍵は、その錠前と鍵を象徴していて、鍵を回して錠を開ける事で宝物庫の封印が一時的に解除され、その内部とこっち側が魔法陣を介してつながり、中に納められている宝が放出されるらしい」


 宝物庫の中の宝は等級別に保管されており、階層が深くなればなるほど高価な宝が保管されている場所と空間がつながる。だが、


「その例外が、攻略されるたびに場所を変える隠し部屋モンスターハウスだ。ハウスに出現するモンスターはランダム。そして、攻略後に出現するガチャで得られるアイテムもまたランダム。下層で発見されたハウスで希少級レアが出る事もあれば、上層で発見されたハウスで伝説級レジェンドが出る事もある」


 実際にそういう事があったらしい。


「隠し部屋、か……」


 ダンジョンに潜る目的は宝物ではない。それに、出現するモンスターもランダムだというなら、下層の強力で危険なモンスターが出てくるかもしれない。挑戦してみるべきか、放置するべきか……。


 アレンがそんな事を考えていると、


「おいっ、アレンッ!」


 ライリーに呼ばれて振り向き、彼が自分に向かって放り投げたものをキャッチした。


「初ダンジョンの記念にやるよ!」


 えっ!? と戸惑いつつ受け取ったものに目を向けるアレン。


 それは長さ30センチ程の鈍い銀色の剣の柄のようなもの。剣身も鍔もなく、妙に軽い。まるで木で作ったものを銀色に塗ったような……。


「ちょっと良いか?」

「はい」


 アレンが手渡すと、テッドは受け取ったそれを調べ、


「こいつは〔恩赦の木剣ルディス〕だな」

「ルディス?」

「あぁ。この都市に着いた時、円形闘技場コロシアムが見えただろ? 遥か昔、奴隷剣闘士が強制的に闘技場で殺し合いをさせられていた時代、勝ち続けて富と名声を得た奴隷剣闘士は、皇帝から直々に『もう戦わなくて良い』という意味が込められた剣身のない木の剣が贈られて奴隷から解放された。それが〔恩赦の木剣〕だ」


 アレンは、そんな由緒あるものなのかと返却されたそれをしげしげと眺める――が、


「けど、そいつはハズレだ」

「ハズレ?」

「当たりの〔恩赦の木剣〕は、行動阻害系スキルや一部のモンスターが使う呪縛を無効化するマジックアイテムなんだが、それには何の効果も付与されていない。使い道のないただの飾りだ」

「ただの飾り……」

「神格化された皇帝、神様からの賜り物。確かに宝っちゃ宝だ。けどよ、昔はダンジョンに挑む際、生き抜いて自由を得た英雄にあやかろうと、どこかで手に入れてお守りとして身に付けていた冒険者が多かったようで、ここじゃして珍しいものでもない。くれるならもらうって奴ならいるかもしれないが、金を払ってまで買い取る奴はいないだろうよ」


 そんなテッドの話を、アレンは半ば聞き流していた。それは何故かというと、


(本当にただの飾りなのか? というか、そもそもこれは木なのか?)


 霊力を通してみても反応はない。だが、通した感触は木とは違う……ような気がする。自分が知らないだけでこういう質の木材があるのか、それとも木材ではないのか……。


 もの凄く気になって、テッドの話が頭に入ってこない。


「いらないならその辺に放っておけ」


 そうすれば、自分達がこの部屋から出た後ダンジョンに回収され宝物庫に戻されるだろうとの事だが、


「あのっ! これ、本当にもらって良いんですか?」


 確認すると、どうやら皆テッドと同じ見立てらしい。ライリーだけではなく他のメンバーも構わないと言ってくれたので、ありがたく頂戴ちょうだいする事にした。




「おいおい、どんだけ気に入ったんだよ」


 テッドにそう呆れられる程アレンが〔恩赦の木剣〕をしげしげと眺めている間に、魔石とドロップアイテムの回収、それに、傷の治療とガチャで得たゴブリン・キング攻略特典の確認を終えたらしい。分配はダンジョンを出てからするらしく、全てマーカスのリュックに詰めて彼が背負った。


 行きは転送屋に送ってもらったが、帰りは自力。地上までの道順を完璧に記憶しているというナバロとマーカスを先頭に、学生組と引率組にアレンを加えた一行は、地上を目指して移動を開始した。


 その途上での事。


「なぁ、アレン」


 テッドと共に一番後ろを歩いていたスティーブが、足を速めてアレンの横に並んで声をかけた。


「何ですか?」

「まずは敬語をやめないか? 歳はそんなに離れていないし、同じ冒険者だろ?」


 何故急にそんな事を言い出したのか不思議に思って少し間が開いてしまったが、うん、と頷き、


「分かった。それで?」

「もし良かったら、俺達が卒業した後、一度パーティを組んでみないか?」


 パーティは最大で六人のはず。そう思っていると、


「あぁ、『俺達』って言うのは、俺とマーカスとニーナの事な」


 スティーブがそう補足した。


「それは良いけど……」


 他人の事情を詮索せんさくすべきではない。そう思って、でもどうして? という疑問は飲み込んだのだが、顔に出てしまったようだ。


 少し寂し気な笑みを浮かべたスティーブは、前を行く三人の背を見詰めながら少し声の音量を下げて、


「あいつらは、それぞれ有名なクランからスカウトされて、それを受けたんだ。俺は、卒業後も一緒にやろうって引き留めたんだけど……」


 ダメだった、と言って首を横に振る。


「それなら、アレンもそれまでに未攻略の奴らを集めて第5階層をクリアしておかないとな」


 暗くなりかけた空気を換えようとしたのだろう。明るい口調で話に入ってきたのはテッドで、


「流石にキングのガチャ取り逃しは惜しい」


 それはどういう事かと問うと、なんでも、一度攻略したボス部屋は、それ以降足を踏み入れてもモンスターが出現する事はない。例えパーティメンバーの五人が未攻略でも、一人攻略した者がいればやはりモンスターは出現しない。テッドが、アレンをボス部屋の外から観戦させたのはそのためだったのだと今になって知らされた。


 ただ、そのあと、テッドがボソッと、ちと難しいかもしれないが……、と渋い表情で呟いたのが気になったが、それについてたずねる前に、それなら、とスティーブ、マーカス、ニーナがレクチャーに加わり、臨時のメンバーを募集する方法や一番まともな地図を売っているのはどこか、少し質は落ちるが十分使える回復薬が安く買える店の場所……などなどを歩きながら教えてくれたため、結局、うやむやになってしまった。


「――ちょっと待った」


 前を行くナバロ達が足を止めたのに気付き、四人に声をかけるアレン。


 テッドがどうしたのか訊くと、ナバロから回避できない場所にゴブリンがいるという答えが返ってきた。それに対してテッドが口を開く――その前に、


「――アレン、今度はお前の腕前を見せてくれ」


 エレガンがそんな事を言い出した。


「俺達の戦いを見ておいて、まさか自分は見せたくないなどとは言わないだろう?」

「そのご自慢の剣でとっととやっちまってくれよ」

「私は別に興味ないけど、もらった記念品の分ぐらい何かお返ししてもいいんじゃない?」


 エレガンに続き、ライリーが挑発的に、レミィがどうでも良さそうに言い、


「俺は構いませんけど……」


 アレンは、見学するだけだと約束した手前、テッドにおうかがいを立てる。すると声を潜めて、大丈夫なんだろうな? と訊かれたので、はい、と答えた。


「あぁ~……じゃあ、まぁいいか。正直言うと俺も興味がある」


 お許しが出たので、アレンは左手を鞘に添えて颯爽さっそうと前へ。


 そのまま足を止める事なく通路の角を曲がると、5メートルほど先に、体長は子供ほどで腰に布を巻いただけの醜悪な小鬼の姿が五つ。そんなモンスター共に敵意や殺意を向ける事もなく、左手の親指でつばを押し上げて鯉口こいくちを切り、すらりと愛刀を抜き放つ。


 そして、奇声を上げて向かってきた5体のゴブリンの間を、ゆらり、ふらり、とすり抜け――一刀を手に振り返ったアレンの前で、ゴブリン達はほぼ同時に灰と化して崩れ去った。


 いったい何が起こったのか?


 特筆すべき事は何もない。すり抜け様に斬った。ただそれだけ。


 その一連の動作は速くなく、むしろ遅いくらいで、力強い訳でも、何か特別な事をした訳でもない。自然体のまま滑るように歩き、向かってくるゴブリンを斜め前へ進んでかわし様に次から次へととどこおる事なく流れるように斬った。観戦していた者達には斬撃が鋭過ぎてゴブリンの躰をすり抜けたように見えたが、本当にそれだけだ。


 五つの魔石と周囲に他のモンスターがいない事を確認し、血の汚れもあぶらくもりもない刀をならい癖で、地面を突くように、または傘に着いた雨粒を落とすように血振りし、洗練された所作で鞘に納めるアレン。


 学生組も、引率組も、何故か呆けたまま立ち尽くしているのに気付いたのは、五つの魔石を拾い上げた後の事だった。




 ダンジョンの地下1階から階段を上がった所がダンジョンの1階。しかし、そこは地下。そして、『ダンジョンの第1階層』という言い方をした場合は、地下1階の事を示す。

 それを聞いて、アレンは、ややこしいと思うのは俺だけなのか? と首をひねった。


 ――それはさておき。


 ゴブリンを撃破後、何故かライリー、エレガン、レミィは不機嫌になって一言も口をかなかったが、それ以外は特に何事もなく、一行は無事地上へ帰還した。


 あかね色に染まる空の下、このまま冒険者養成学校へ向かうという彼らに感謝を述べて別れ、アレンは一人冒険者ギルドへ。


 そうするようテッドに言われたからというのもあるが、まずはサテラに無事を報告する。それから、ダンジョン内でおぼえた疑問や、法武機関係、それに、師匠達から話に聞いていた奴隷などについて質問した。


 そして、今後の予定などを少し話し合ってからギルドを後にし、次にアレンが向かったのは、今後この都市で活動するための拠点ホーム


 ――〝世間的に成人と認められる15歳まで修行に専念した褒美ほうびだ〟


 そう言って、師匠から頂戴ちょうだいしたのは、今腰にいている刀――〔無貌の器バルトアンデルス〕。


 そして、老師から頂戴したのが、ラビュリントスでの活動拠点。つまり、老師が所有していた土地と家。


 別れ際に受け取ったメモを頼りに冒険者ギルドから移動し……辿り着いたのは、なんと、都市の上空に浮かんでいる七つの浮遊市街、その中の冒険者ギルドがある中央のものを除いた六つの中の一つだった。


「ここ、か……」


 壁や柵のようなへだてる物は何もないが、まねかれざる者の進入をはばもうとするかのように鬱蒼うっそうとした森が視界をさえぎり、その中に一本通った獣道のような舗装ほそうされていない細い道の先に、その家はポツンと一軒建っていた。


 土と石に囲まれるのはダンジョンだけで十分だ、と言って木の温もりをこよなく愛する師匠と老師らしくない、巨大が岩塊から職人が削り出したような平屋は、おそらく老師が地系の魔術で造り上げたものだろう。


 木製のドアには錠の類はなく、開けて中に入る。すると、ダンジョンと同じく光源はないのに明るく、地下へと続く階段以外何もなかった。照明器具や机、椅子、棚など家具がないというだけではない。トイレやキッチンといった設備や中を仕切る壁などもなく、出入口から一歩入ったその場所から隅々まで見渡せる。


「これは……何かあるな」


 老師が褒美としてくれた家に、人が生活して行く上で必要な機能が備わっていないなどという事がありえるだろうか? いや、ない。


 アレンが目を向けたのは、地下へと続く階段。


 そこを下りると、視線を遮るものがなくガランとしていているのは1階と同じだが、この地下室の中央にはミニチュアの塔のような台があり、その上には真珠のような光沢があるソフトボール大の白い球体がっている。


「ここは……」


 見覚えがあった。今まですっかり忘れていたが、以前、老師と共に来た事がある。


 その時は老師の【空間転位テレポート】で直接この場所に移動したため、ここが何所どこか知るよしもなかったが、おそらく、あの時に行なったのが譲渡するための手続きだったのだろう。


 アレンは、かつて老師にしたがってしたように、塔を縮小したような台の上の白い球体に触れた。


 すると、当時とは違って、空中にディスプレイが投影され、更に【精神感応テレパシー】のような方法で情報を直接脳に伝達しているらしく、この白い球体が〔迷宮核〕の亜種――〔拠点核ホーム・コア〕だという事や、その利用方法が理解できた。


 ディスプレイに表示されたアレンの所有地は、六芒星型の浮遊市街の一角、中央の六角形に接する六つの三角形の中の一つ丸々。その領域内であれば、環境から建物から全て自在に改変する事が可能で、脳裏に想い描けイメージすれば、それを〔拠点核〕が補完して形にしてくれる。


 アレンは手始めに、家の外観を木造の天井が高い平屋に変更し、手足を思いっきり伸ばせる湯船がある浴場と、トイレ、リビング・ダイニング、厨房キッチンと寝床を作った。今は適当だが、これからここで過ごして不便、不都合があれば改善すれば良い。そう――


「俺は、これからここで、この都市で、生きて行くんだ」


 アレンは、己に言い聞かせるように呟き、気持ちを新たにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る