第27話 雨の日の告白

 ―陽が暮れると共に、俺は屋上に移動した。


 あの日…ワールドカップアジア最終予選の時と同じ様に、雨が降っていた。満場の歓声に迎えられ、俺は夢だったピッチに立っていたんだ。


 …今は、ただ、あの日に戻りたい。


 タイムスリップしてからの様な、皆に期待されたサッカー人生じゃ無かったけど、それでも夢を掴みかけていた。


 でも今は…もう夢を掴むなんて不可能な程に、俺は落ちぶれてしまった。



 雨に打たれながら、松葉杖を突いて柵に向かって歩いて行く。病院は30階。ここから飛び降りれば間違いなく………。


 柵に手を掛けるが、雨で濡れるし、この脚じゃ柵を越えるのも一苦労だ。



 …なんとか柵を越え、遠くを見ると、横浜日産スタジアムの明かりが見える。多分Jリーグの試合だろう。


 そう言えば、高橋は横浜・F・マリノスに入団して、今日の相手は権田の入団した鹿島アントラーズだったな。

 そっか。アイツら試合前の僅かな時間に、わざわざ俺なんかに会いに来てくれたんだな。内村も今年は高校最後のシーズンで、インターハイ予選も大詰めの時期だっただろうに。そんなアイツ等に、俺は酷い事を言っちまった…。



 高橋と権田は…今、日産横浜スタジアムのピッチに立ってるんだな…。


 俺もあのピッチに、日の丸を背負って立っていたんだ。目を閉じると、俺に降り注いだ歓声が聞こえてくる様な気がした。


 もう……あの歓声を聞く事は出来ないのに。



 俺は、右足から足を踏み出そうとした……。例え、あの瞬間に戻れなかったとしても…この命が消えて無くなるだけだったとしても、後悔は無い。




 後悔は……………無い……






「何をやってんだ!!!」



 後方から聞き慣れた声が聞こえた。


 振り向かなくても分かる。長年追い続けた、アイツの声だ。



「何してんだよ…何をしようとしてんだよ!?」


 振り返った俺は、醒めた眼で口を開いた。


「…よぅ、日本代表のエース様じゃないか。落ちぶれた王様の姿を笑いにでも来たのか?」


 香田は相当焦っているのだろう。見た事も無い程、驚いた表情で俺を見ている。そして、俺の問いにも答える事はなかった。



「ならちょうど良い時に来たな。今から偽りの王様は、本来の雑草に戻る為にここから飛び降りるんだ。本物の皇帝として見届けてくれないか?」


 更に表情を歪ませる香田。何か言いたくて口を開いたのだろうが、言葉にならず押し黙ってしまった。


 …多分、見舞いに来てくれたんだろう。思えば、香田は今まで一度も見舞いには来なかった。直ぐにオランダへ旅立ったからもあるし、元々仲が良い訳でも無かったからな…。

 でも、よりにもよってこんな時に来るとは。こんな姿はお前にだけは見られたく無かったのに…。



「そういやお前、一度も見舞いに来てくれなかったもんな。やっぱり、日本中に期待される男ともなると、忙しいんだろうなぁ?」


 敢えて、皮肉っぽく言い放つ。いつものアイツなら、そんな皮肉には憎まれ口で返して来るのだろうが…この日は違った。


「…すまない。申し訳無くて…来れなかったんだ…」


「申し訳無い?なんだよ?自分だけそうやって海外で活躍して、俺は忘れ去られて行ってるのが申し訳無いってか?」


「……それもある。だが…違うんだ。俺は…俺はお前を止めるべきだった」


「は?何を言ってんだ?」


「U-17のアルゼンチン戦の後…ミッシが言っていたんだ。日向は…無茶をして、若くして自滅するタイプだって。

 でも、俺はそんな訳無い、お前が自滅するなんてあり得ないって、そう…思い込もうとしてたんだ。自分の目標の為に」


 ミッシがそんな事を…。今更、そんな事言われたって遅いんだけどな。


「俺は!俺は、お前に勝ちたかった。一度でも良いから、勝ちたかったんだ。それが、サッカー人生最大の目標だった!だから…お前が無茶をしてるのを、止める事が出来なかった…。

 本当は、U-17の後、夏のインハイ、国体、選手権…お前が無茶するのを、俺だけが止める事が出来たかもしれないのに、俺は自分の目標の為に、それをしなかったんだ…」



 今更そんな事言われても、もう時は戻らないんだよ。…いや、むしろ丁度良かったかもしれない。


 今なら、本当の事を、コイツにだけは本当の事を教えても…。



「…頼む。頼むから、自ら命を絶つなんてやめてくれ…」


 言おう。全てを…。香田には聞く権利があるし、俺も……言わなければならない。そんな気がしたから…。


「お前にだけは全てを告白するよ。俺は…本来この時間軸に生きる人間じゃ無いんだよ。なんて言ったら良いかな…やっぱ、タイムスリップかな?」


「タイムスリップ?何をバカな…」



「バカな事だと思われようが最期まで聞いてくれないか?…タイムスリップする前は、俺とお前は30歳で、ワールドカップアジア最終予選の最終節のピッチに立ってたんだ。でも、俺とお前とではかなり立場が違ったけどな。

 お前は小学生の頃からその才能を見いだされ、東条学園中等部、高等部とタイトルを幾つも獲得し、卒業と共に海外に移籍、日本代表でも不動のエースとして日本をワールドカップ決勝トーナメントに導いた立役者だった。分かるだろ?途中まではお前の代わりに俺が辿った道だから。

 そして俺は、高校でも芽が出なかったが素質を見込まれたのか運良くプロ入りする事は出来た。それから10年間うだつが上がらず、いつも崖っぷちだったけど、マグレでJ2で活躍したのをキッカケに代表に選ばれ、最終予選で怪我をしたお前の代わりに初召集された。で、またまた運良く二戦連続で決勝ゴールを上げて一躍救世主の様な扱いを受ける様になったんだ。

 そして、ワールドカップ本選出場を懸けた最終戦、怪我から復帰したお前と俺は、漸く同じピッチに立つ事になった…」


 信じているかどうかは分からないが、香田は黙って俺の話を聞いていた。


 雨は一層強さを増し、本当にあの日の様な豪雨になっていた。



「残り時間僅か、お前のコーナーキックをヘッドで合わせようとした俺に衝撃が走り、目の前が真っ白になった。

 ……で、目覚めると俺は小学生になっていた。…そうだよ、あの日、お前と初対戦したあの瞬間さ。

 本来あの試合はお前の大活躍で、俺は絶対に自分では勝てない人間がいる事を思い知らされるハズだったんだ。

 でも、腐ってもプロとしての技術や経験を持ったままの俺にとって、小学生との試合で無双する事など容易い事だった。そしてあの日から、俺は本来お前が歩む筈だった道のりを歩く事になった。天才と呼ばれ、未来を期待される存在として…あの選手権決勝までは…」


 いや…。俺の歯車が狂ったのは選手権決勝じゃ無い…。


「…違うな。俺は、中学の都大会決勝でお前が決めたゴールを見た時にもう気付いていた。どんなにプロとしての経験があろうと、俺は凡人なんだと。本物の天才には敵わないんだと。

 それからは、お前も気付いていただろうが、俺とお前との差は見る見るうちに縮まって行き、U17ワールドカップで追い付かれたと自覚し始めた…。

 選手権の時には、俺はお前に既に大きく差を広げられてしまったんじゃないかと不安でいっぱいだった。だからこそ、がむしゃらに走った。自分の足が悲鳴を上げているのにも気が付かず…。

 …結果、もうサッカーが出来ない身体になっちまった。下手なりにも人生の全てだったサッカーが出来ない身体になっちまったんだよ…。

 なぁ、バチが当たったのか?本来お前が歩む道を奪ったバチが?だったら、謝るから……謝るから!俺を元の時間軸に戻してくれよ!なあ、頼むよ…」


 気が付けば俺は、柵越しに香田に向かって土下座をしていた。こんな事、香田に言っても仕方ない事なんて分かってるってのに。


 そんな俺を責める様に、雨は容赦なく打ち付けていたんだ…。

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