第七報 晴夜


「えっと、そんなことだったらここで話すのはまずいよね。外に食事に行こうか?」


 私は小会議室か休憩室で話すことを考えていました。それがティエリーと二人で食事という展開に……私に断る理由はありません。私は何を置いてでも行きます。


「はい、そうですね」


「じゃあ行こう」


 ティエリーは何だか嬉しそうです。これから彼に話すことを考えて気が重いですが、それを差し引いても私ももちろん嬉しいです。


 宿舎に荷物を置いて行くか聞く彼に、重たくないからそのまま行くと言いました。彼を待たせるわけにはいきません。


「何か食べたいものある? 好き嫌いは?」


「私は特に希望も好き嫌いもないです。でもそうですね、寒いですから体が温まるものがいいでしょうか」


「お酒は飲めるほう?」


「少しでしたら」


 初デートのカップルみたい、と不謹慎にも浮かれてしまいます。




 私たちは王宮の西門近くの食堂に入りました。ティエリーは静かに話が出来る席を、と給仕に頼んでいます。


 そして私が脱いだ上着と帽子を彼は外套掛けに掛けてくれました。店の奥の席に案内されると何と私の椅子を引いて座らせてくれました。至れり尽くせりです。


 私は温かいスープとパンという簡単な食事を考えていたのですが、この店はそんな素朴な料理はなさそうでした。前菜に主菜にデザートに……豪華だろうが素朴だろうがティエリーと二人で外食ということに舞い上がっている私には味は分かりそうにありません。


「葡萄酒でも飲む? それとも熱い飲み物がいいかな?」


 少しお酒が入った方がきっと話し易いと思いました。


「では赤葡萄酒をいただきます」


「じゃあ私も葡萄酒にしよう」


 前菜が運ばれてきて食事が始まりました。


 彼に見つめられ、優しい茶色の目と時々目が合って、胸がいっぱいで料理もお酒もいらない気分です。


 まるで私が彼にとって唯一人の女性であるような感覚に陥ってしまいます。けれど、私がこれから話さないといけないことを考えて我に返りました。


「ガニョンさん、私昨夜大変なことを聞いてしまったのです」


「大変なこと?」


「ローズさんがその、嫌がらせ、しかもかなり悪質なものを受けているようなのです」


「まだ続いていたのか?」


 ティエリーは怒って不機嫌な顔になりました。無理もありません。


「話していいのか迷いましたけれど、やっぱりお知らせした方がいいと思ったので……」


 私は昨夜のナタリーたちの会話を逐一報告しました。ティエリーは何か考え込んでいます。


「分かったよ。知らせてくれてありがとう。ローズが就職した時から俺も気になっていたのは確かだよ」


 彼は今自分のことを俺と言いました。初めて聞きました。


「それでカトリーヌ、これが君の話ってわけ?」


 今度は私のことをカトリーヌと呼びました。舞踏会以来、二度目です。


「はい、そうです」


 ティエリーはがっくりと肩を落として大きくため息をつきました。


「俺が一人自惚うぬぼれて勘違いしていただけか? とても大事な個人的なことって君が言うからもしかしてって期待していたのに……弟の奥さんの話だとはね……」


 彼が自惚れて、何を期待していたのでしょうか? 大事な話だと思っていたのは私だけでした。


「あの、私ローズさんとは顔見知り程度ですから、突然こんな話はご本人でなくてお義兄さまのガニョンさんなら、と思ったのです。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」


「いや、そういう意味でもなくてね……君と一緒に食事できて楽しかったし」


「わ、私も楽しかったです」


 私はローズさんの噂話を聞いたことで、ティエリーと話すきっかけが出来たなんて少し浮き立った気持ちだった自分を責めました。


 そこで苦笑していたティエリーは急に真面目な顔になりました。


「じゃあ言うよ、俺も話がある」


「はい、何でしょうか?」


「カトリーヌ・クロトー様、私と結婚前提でお付き合いして下さいますか?」


 私は自分の耳を疑い、驚きで目を見開きました。


「あの、ガニョンさんが私と結婚を見据えての交際ですか? 貴方はゆくゆくは伯爵になられる方ですよ、ね?」


「うん。弟は家を出たし、爵位を継ぐのは長男の俺だろうね」


「この私と結婚なさってもいいとお考えなのですか?」


「カトリーヌ、君と結婚してもいいのじゃなくて、君と結婚したい。君じゃないと嫌だ。ねえ俺、重すぎてヒカれた? でも君と俺の年で交際を始めるのだったら結婚も考えて当然だろう?」


 とりあえず今晩の遊び相手にでもなく、軽い気持ちで付き合おうでもなく、結婚を視野に入れた交際……ティエリーの眼は真剣そのものでした。彼は私がもう純潔でないかもしれないと思っているのに、私はその気持ちだけで嬉しかったのです。


 貴族の、特に高位の貴族の結婚は本人だけの問題ではありません。家と家の結びつきです。私の両親はもちろん異論などないでしょうが、ティエリーのご両親は私を伯爵家に迎えることに難色を示すかもしれません。


 結婚は実現しないかもしれませんが、ティエリーは本気で私を望んでくれているのです。私はそれだけで十分でした。


「私、光栄です。不束者ですがよろしくお願いいたします」


「ああ、良かった」


 彼はテーブルの上に置いていた私の手をしっかりと握りました。これから何があっても、この温もりを私の方から望んで手放すことは決してないとはっきり言えます。


「ガニョンさんが好きです。この気持ちを口に出して言える日が来るなんて……」


 目に涙がまってくるのを感じました。


「ここだけの話、年明けから宰相室に異動になるんだ。それから君に交際を申し込もうと思っていた。今夜のこの機会に見切り発車だ」


「まあ、宰相室ですか! おめでとうございます」


「君が俺の気持ちを受け入れてくれたことの方がよっぽどめでたいよ。愛している、カトリーヌ」


 私たちが取り込み中だったので給仕もデザートを運んでくるのを遠慮していたようでした。それから二人で熱く溶けたチョコレートがかかったケーキを頂きました。お菓子よりもティエリーの眼差しの方が甘く、私はとろけてしまいそうでした。




 食事が終わって、私たちはティエリーが呼んでくれていた辻馬車に乗りました。先に乗った私は下座についたところ、向かいの彼の隣に引き寄せられました。


「今日から君の指定席は俺の隣だからね」


 しかもぴったりと体が密着するくらい腰を抱かれました。何だか恥ずかしいですが、幸福感で私は満たされています。


「はい。ガニョンさん、今晩は何から何までありがとうございました」


「晴れて恋人同士になれたのだからティエリーって名前で呼んでよ」


「ええそうですね。では……ティエリーさん」


「さんもいらないよ」


「……ティエリー」


 彼に笑顔で恋人と言ってもらえて、名前が呼べたのが嬉しかったのでもう一度ティエリーと呼ぼうとしたのです。


 けれど私のその声は発せられませんでした。ティエリーが私の頬をそっと撫でて、私の口を唇でふさいだからです。それから彼にしっかりと抱きしめられました。


 私の幸せな両想いの日々が始まりました。




  ――― カトリーヌ編 完 ―――




***ひとこと***

良かったね、カトリーヌ。この後カトリーヌ編完結記念小話が二話続きます。

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