第43話 茫然自失の皇太子たち

 皇帝陛下に呼び出された。

 何か失態があったのかと気を引きしめたファーとライだったが、待ち受けていたのは皇帝だけでなく母親である皇后も一緒だった。


「今日は皇帝としてではなくそちらの父として呼び出した」

「は」


 御所にも執務室はある。

 だが今日は家族で集まる居間だ。

 皇太子は一人っ子だったので、ここには両親と影武者の四人だけがいる。

 ここに集まるのも久しぶりだ。


「嫌そうな顔ですね。またお小言を聞かされると思っていましたか」

「母上、いや、皇后陛下。そのようなことは・・・」

「よろしいのよ。ええ、とても耳に痛いお話しをしますから」


 楽しそうに笑う母の目は笑っていない。

 こういう時は黙って聴いているふりをして切り抜けるにかぎる。

 皇太子は長い経験からそれを知っている。


「まずこれを見よ」


 皇帝は分厚い書類の束を机の上に出した。

 ところどころに付箋が貼ってある。

 パラパラとめくると、たくさんの数字や名前が書かれている。

 若い女性の物と思われる綺麗で丁寧な文字だ。

 その癖からこれを書いたのは二名の者とわかる。

 そして最後のページを見た時、二人の手が止まり目を見張った。


「陛下、これは ! 」

「うむ、宗秩省そうちつしょう前総裁の置き土産といったところか」


 数十年に渡る他国からの干渉と陰謀。


「こんなことが行われていたとは・・・。わかりました。この後のことは必ずや」

「やらんでいい」


 決意表明をしようとしたライの言葉が遮られる。


「陛下、今なんと」

「やらんでいいと言った。いや、むしろ絶対に手を出すな。この件について動くことを禁じる」


 ならなんで教えた、と言いたいところをグっと堪える。


「もしこれに少しでも絡んできたら、皇太子妃候補を辞退すると言われている」

「は ? 」


 一、二、三、たっぷり四秒。


「はああっ ?! 」

「候補辞退って、なぜそんな話になるんですか ?! 」

「その資料をまとめたのが妃殿下候補の二人だからだ」


 ファーとライは改めて資料に目をやる。


「確かに。このキッチリと止めるところは止め、撥ねるところは跳ねる。几帳面で優雅で気品にあふれる手蹟はまさしくアンナのものです」

「ああ。そしてこちらの丁寧ではあるが性格を現すかのようにやさしく明るく楽しい文字はエリカのものに間違いない」

「お主らなあ」


 息子たちの隠す気もない惚気に、皇帝はトントンと指で机を叩いて注意喚起する。

 皇后はアラアラと扇子の影で笑う。


「これを、彼女たちが調べ上げたというのですか」

「こんな詳細な資料、作ることが出来る者など皇太子府にはいない」


 今まで見てきた少女たちはなんだったのかと顔を青くする。

 掃除が得意で料理も美味しい。

 いつも楽しそうに笑っていた。

 

「まるで一流の役人・・・」

「まあ、そうなるな。余はどちらかというと作戦立案する騎士のようにも思うぞ」


 それで、と皇帝は続ける。


「この陰謀をなんとかしたいので、お主ら二人は関わらせるなと言われておる。どういう意味か解るか」

「まさか、危険だからではないでしょうね」

「バカか。役立たずで邪魔にしかならないお主らはいらんと言われておるのだ」


 今度は十秒ほど固まる皇太子たち。

 そしてあまりのショックに戻ってくることができない。


「深謀遠慮、機略縦横、才気煥発、才色兼備。あのような女人は、いや貴族の中にも滅多におらん。その娘たちが作戦に手を出すなと言うのだ。彼女たちの中でお主らの評価はどうなっておるのか」

「そ、それは・・・」

「あのような才能を野に放つわけにはいかん。このまま候補辞退ということになれば、それこそ他国に攫われかねん。その時は余の側妃として召し上げるので覚悟しろ」


 ドンっと大きな音がして、カップから茶が零れる。

 ファーがテーブルに拳を叩きこんだのだ。


「・・・皇后陛下はそれでよろしいのですか」

「皇帝は四人まで側妃を持つことが許される。王国時代からの決まりです。帝国になってから実行した皇帝はいませんが。そうね、わたくしは構わないわ。賢くて可愛くて良い子たちですもの。仲良く過ごせると思うのよ」


 一緒にお茶したりドレスを選んだり、楽しそうだわ。

 コロコロと笑う母親を、ライバルが出来るのに何でそんなに嬉しそうなんだと皇太子たちは睨みつける。


「そのような訳ゆえ、この作戦には絶対に関わるな。いいか。この作戦だけだ。それ以外の方法で、早く嫁を落とせ。決してその辺の男に掻っ攫われるでないぞ」

「もとより、その覚悟です」

「何としてもこちらを向かせてみせます」


 力強く宣言する息子たちに、今あなたたちはいらないって言われたのにね、と皇后陛下は大爆笑。

 真っ赤になって退出した皇太子たちを、侍女たちは気の毒そうに見送った。


「ちゃんとお嫁様をもらえるのかしら、あの子たち」

「まあ、大丈夫だろう」


 皇帝はもう冷えて温いアイスティーになった茶を口に運ぶ。

 侍女たちが慌てて新しい物を用意しようとするのを止める。


「息子たちを嫌いかと聞いたら、あの二人はいいえと言った。能力と情愛は別なのだろう。だが、どう見ても愛情は伝わっていない。つまり息子たちの恋愛能力が低いということだ」

「そしてあの娘たちも色恋沙汰には縁遠いようですわね。さてさて、息子たちの恋は成就するのでしょうか」

「その時はお前の恋敵が増えるというだけだ」


 あら、望むところですわと、皇后も冷えたお茶を飲み干す。

 そんな達観した妻に、皇帝が少しはやきもちを焼いてくれと臍を曲げる様子を、御所の侍女たちは温い視線で見つめていた。



「おめーらなにもんだ」とか「役人」とか「騎士」とか言われたエリカとアンナだが、それに対する彼女らの答えはこうだ。


「「お母様です !! 」」


 アンナはプリマバレリーナとして長く活躍した。

 バレエの演目では簡単にシナリオはあるが、そのまま踊っても見ているほうは面白くもなんともない。

 単純な物語でも深く語らないと観客には届かない。

 幸か不幸かアンナは日本人として生まれ育った。

 その辺の欧米人にいきなり歌舞伎は演じられないように、アンナもまたヨーロッパ発祥のバレエの素地を持たない。

 そのため図書館に通って物語の時代性やなぜこのような出来ごとになったのか、一つ一つの流れを丹念に調べる必要があった。

 なにせポプリを臭い袋、パッチワークを刺し子細工、ナツメグを肉荳蔲にくずくと言っていた時代だ。

 生活の根本から学ぶ必要があった。

 そうやって主役や役名のあるキャラクターだけでなく、コールドと呼ばれるその他大勢についても、なぜ存在するのかなにを考えているのか、深く考察した上で舞台に立っていた。

 欧米人が当たり前として捨て置いた部分。

 それについての理解と表現力で、日本を代表する世界を股に掛けたバレリーナとして羽ばたいていった。


 そしてエリカは就職経験のない専業主婦だ。

 昭和の時代、男は外で働きお金を得、女は家庭を守るという完全分業制だった。

 男尊女卑というが、実は日本のそれは欧米とはまるで違うということは理解されていない。

 家庭のことは全て妻にまかせる。 

 給料袋は夫は中を見ることなく妻に渡す。

 オーストラリアンハズバンドと言われる、買う物、買った理由、購入した後の使用方法を全て報告しなくてはいけない制度とは相反するものがある。

 任せた以上、何も言わない。

 それは夫婦の信頼関係を示している。

 つまり、渡された給料をどう使うか、生まれた子供をどんな性格にするか、将来どのような道に進ませるのか、全てが妻の裁量にある。

 なにがあっても夫は関与しない。

 なぜなら、妻に全権を渡しているから。

 ここで思い出して欲しいのは、エリカは当時としては珍しいシュミレーション・ゲーマーだったということだ。

 当時はプレイヤーという言葉すらなかったが、エリカはまさしく一流のゲーマーだった。

 そしてそれを子育てにも使っていた。

 子供の反抗期、学力低下、本人すらわからない不機嫌の理由。

 学級新聞、連絡帳、持ち帰るプリント、給食の内容。

 そしてご近所さんとの井戸端会議と商店街の店舗での何気ない会話。

 月に一度の町内清掃。

 集められる情報を駆使して子育てにあたった。

 その結果四人の息子と末っ子の娘は、ご町内でも有名な「良い子」に育った。

 

「エリカは凄いわ。もう全力の子育てでしょ ? よく五人も立派に育てあげたわ」

「遊ぶ時間を捻出するために頑張っただけよ。ただ子育てって1+1が2にならないでしょ ? 本当に難しかったわ。ダイエットみたいに簡単に結果が出ないんですもの。アンナみたいにお仕事しながら女手一つで子育てのほうが凄いと思うわ」


 もし大学に主婦学という学部があったら、遊ぶ間もなく学び続けなければならないだろう。

 家事一般の他に、保育、家庭医学、中学程度までの指導力、管理栄養知識、そして子供たちの疑問に答えるための広すぎて浅過ぎる知識。

 母親とは小児科医であり、保育士であり、教師であり、管理栄養士でありとあらゆる能力を要求さられる。

 多岐にわたるスキルは実戦でしか鍛えられられない。


わたくしは二十歳すぎに出産したけど、その前に夫が亡くなったでしょう ? 弱い所を突いてこようとするのが結構いて、外国との契約に詳しいマネジメント会社を見つけるまで大変で。難しい法律用語なんて英和辞典には載ってないし、もう一生分の勉強した気分」

「なんていうか、重箱の隅を楊枝でほじくるように叩いてくる人っているじゃない ? あの手の主婦とか訪問販売とかと戦うには、こちらも理論武装しなくちゃいけないしね。隙を見せたら負けだし。誰よ、主婦は三食昼寝付きなんて言ったの」


 悠々自適の皇太子妃候補生活、のはずだった。

 なのになんでまたこんな犯罪捜査まがいのことをしているのか。

 それは喧嘩を売られたからだ。

 将来の国母として、国民子供たちを攫われるのを黙って見ているわけにはいかない。

 家族を傷つけられた母の恨みを思い知れ。

 

 本気を出した主婦の恐ろしさを、ヤハマンはまだ知らない。 

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