第36話 ピアノとダンスは令嬢の嗜み
少女たちは激怒していた。
「人間に値段をつけるなんて、決してしてはいけないわ」
「つけていいのは成績とハンモック・ナンバーだけよ」
この国を牧場に見立てて、国民を家畜のように扱おうなど許さない。
エリカとアンナは離宮の門に『奴隷売買撲滅委員会』の看板を掲げた。
ちなみにこの世界、日本語同様四十八文字の漢字無し。
看板に何と書かれているかわかる人はいない。
きっと複雑な模様に見えることだろう。
どうせ見るのは護衛の近衛と召使たちだけだ。
皇太子たちは・・・多分見逃してくれる。
二人が考えるに、この商売には前の誘拐犯の一味が関わっているのではないか。
あの時も秘密の扉を使って出入りしていた。
あそこ以外にも使える扉があるのではと考えるのは当たり前だろう。
少しずつ調べていって、あの鍵の不具合の場所を見つけたに違いない。
「お庭番の皆さんによると、もう何人かは連れ出されているみたい。行方不明者と人数があわないもん」
「一度に大人数ではなく、数人ずつにしているようね。やはり大量輸送だと不審に思われるからかしら」
前回で手口がバレている以上、危ない橋は渡らないはずだ。
そしてもう一つ。
街の娘や子供たちを攫うのはわかるが、自分たちの教師役が全員行方不明なのが気にかかる。
売り飛ばされた人たちは少しずつ帰還しているが、どうしても見つからないのが教師役を含めた文化人や知識人、芸術家などだ。
彼らは一体どこに消えたのか。
「公演やお茶会での談話なんかで呼び出されて、そのままどこかに消えてしまったのよね」
「前総裁との繋がりでは見つからなかった。というか、見つからないよう巧妙に隠していたということよ、エリカ。扱ってる大元の商人は多分同じ」
トカゲのしっぽ切りでうやむやになってしまったが、数か月たって動き出したということは、かならずどこかで情報が洩れるはずだ。
「ここはやっぱり
「そうねえ。行方知れずなのは有名じゃなくてもそれなりの腕を持つ人。だから、あたしたちがそれを代行できればいいんじゃないかしら」
二人はリストの職業技能欄とにらめっこしていた。
「ピアノ講師、ダンス教師、家庭教師。乳母と王宮侍女」
「医師に薬剤師。新進気鋭の画家。なんだかこういう人たちが冷遇されるって歴史があったわね」
それは某国で。
国の政策に文句をつけそうな知識人たちを徹底迫害した。
その結果、歴史や芸術は廃れ、教える者もいない中で子供が医療に従事する事態にもなった。
「それと逆のことをしようとしているのかしら」
「奴隷ならば文句は言わないし逆らわない。つまり努力することなく国と国民のレベルを底上げできるわ」
であれば、探るべき国は絞られる。
「お庭番の皆さん、各国のここ数年の購入した奴隷の種類を調べていただけますか」
「できれば扱った奴隷商も。それと殿下方にはナイショでお願いいたしますわ」
戸惑ったような雰囲気の後、『諾』の音が響いた。
◎
「では達成ということでサインをお願いいたします」
「ご利用ありがとうございました。次回もぜひ『霧の淡雪』をご指名くださいませ」
離宮の使用人たちが順番に長期休暇を取る中、エリカとアンナは街専の冒険者として積極的に活動している。
主にダンス、ピアノなどの芸術系。
騎士養成学校と精華女子学院の生徒への補習。
図書の十進分類法の指導など。
後は新興貴族、商家へのマナー講習などである。
単発ではあるが『霧の淡雪』の丁寧な指導は評判になりつつある。
「まあビアノは貴族令嬢の嗜みではありますし」
「精華女子学院でも必修だもん。それにプロでも『黄色いバイエル』の真ん中程度だもんね。楽勝」
『子供のバイエル』。
赤表紙と黄表紙の二冊。
ピアノの初期教則本として有名だが、実は日本くらいにしか使われていない。
ついでに現代ではほとんど使用されていないという可哀想な本。
昔は主流だったらしい。
「普通もっと弾けるようになりたいとか思うものだけど、プロになると技術じゃなくて音の響きを重要視するし。なんか文化が停滞している気がするわ」
「あら、おかげであたしたちですら教師ができるのよ。ありがたいと思いましょうよ、アンナ」
それはそうだけどと、ぶつくさ言いながらも次の依頼先に向かう。
午後は商家の人へのダンス講習だ。
「『霧の淡雪』のお二人ですね。どうぞ、お客様がお待ちです」
二人がやってきたのは商人街。
羽振りのいい商人が泊まるので有名な豪華旅館だ。
案内されたのは最上階の一つ下の階。
上級ホテルと自負している宿は、たとえその可能性がなくとも一番良い部屋は皇族以外泊まらせないぞという思いで、無駄としりつつ数部屋を確保している。
だからここが実際の最高級の部屋だ。
「ようこそ。私が依頼主のヤハマンです」
「エリカです」
「アンナです」
「「二人あわせて『霧の淡雪』です」」
いつも通りの挨拶を、依頼主は穏やかな笑顔で受ける。
「ご依頼は貴族の舞踏会でのダンスの習得でお間違いございませんか」
「はい。続けて四回ほど。必要でしたら追加でお願いします」
ヤハマンと名乗る商人は年の頃は二十五、六。
誠実そうな整った顔は、売り出し中の商人としては及第点だろう。
清潔清廉、身なりを整えていないと商業ギルドに登録するときに指導されてしまう。
手腕以前の問題だ。
信用を得るにはまず外側から整えておかないと。
商人は見た目が百パーセント。
「ところで商人の方が貴族のダンスを覚えられるとは、何かそのような宴に参加されるご予定でもおありですか」
「おや、そこが気にかかりますか」
アンナの質問に青年商人は笑顔を崩さず答える。
「私どもは店舗を持たず御用聞きだけで商売しております。母国では貴族の方々ともそのようにお付き合いいただいております」
「まあ、お珍しい」
現代日本であればネット通販などがあるが、こちらではまず店舗と倉庫があってこそ。
客の注文のみで商売をしている店はない。
「何年もかかりまして、やっとこちらでも倉庫を持つことができました。貴族の方とも繫ぎができまして、なんとか宴の末席に呼んでいただけました。ここでしっかりと存在を示しておけば、さらなる商売に繋がります。商人のくせにと言われるか、商人なのにと言われるかでこれからの仕事が変わるのです」
「それで貴族のダンスを覚えようとなさっておいでなのですね。まあ、なんてご立派なお考えなのでしょう。無為に過ごしている若者にぜひ聞かせたいお言葉ですわ」
「いえいえ、全て父の受け売りです。まだまだ若輩者ですので」
ここまでの対応、全てアンナが受けおっている。
商売人の娘のエリカでは、あれこれと話し合いたくなるからだ。
「それでは今日はまず、よく踊られる曲から始めましょう」
レッスンが始まった。
◎
「とてもお上手ですわ。こんなに早く覚えられるなんて、復習されてらっしゃるのかしら」
エリカはピアノの蓋を閉める。
アンナは依頼主にタオルを渡す。
今日は依頼の三日目だ。
「ええ。けれど先生がいいからですよ。とてもわかりやすい」
「まあ、お上手」
クスクスと笑うアンナの手を取り、青年は傍らの椅子へと誘う。
「冒険者でありながら知識も礼儀も兼ね備える。あなた方のような女性が我が国にいれば、随分と心豊かな国になりましょうに」
「持ち上げすぎですわ。さて、懇意にされている貴族の方がおいでなら、御助言いただくとよろしいでしょう。強気に出るだけが商売ではございませんでしょう ? そこからまた出会いがあるかもしれません。どうぞお気張りあそばして」
宿の者がお茶の用意が出来たと呼びにきたので、三人は応接間に移動する。
「それにしてもお二人はとてもただの冒険者とは思えません。失礼ですがご家名をうかがっても ? 」
「それは、その・・・」
家名。
貴族でなければ持ち合わせることはない。
当然アンナにはあるが、平民のエリカにはない。
だから父の経営する店の名を仮の家名にしている。
「ヤハマン様。話す相手について知っておきたいと思われるのはご商売柄でございましょう。けれど
さきほどまでの笑顔とは裏腹、冷たい声でアンナが言う。
「これは不躾に失礼を。けれど高位貴族令嬢のような佇まい。どのようなご家系か知りたいと思うのはいけないことでしょうか」
「・・・」
「冒険者と言えば平民の中でも家を継ぐこともできず、弟子入りすることもできず、女性であればご縁の得られない人たちがなる職業と母国では考えられています。ですが、あなた方であればどんな大店の跡取りでもより取り見取りでしょうに」
しつこい男は嫌われるが、食らいつかない商人は成功しない。
アンナは仕方がないというふうに首を振ってみせる。
「いかにも
「それはまた」
「ボロはまとえど心は錦。そして貴族位にあったとき同様、世の為人の為につくせと育てられました。こうして冒険者として皆様のお役にたてるのは、
アンナはエリカに目配せして立ち上がる。
「それでは
「ごきげんよう、ヤハマン様」
「あ、もう少しお話を・・・」
引き留める商人にギルドへの報告があるからと断って失礼する。
ドアを閉めるまで、なぜかそのまとわりつくような視線が気になった。
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