第11話 前世ってそんな簡単には捨てられないよね

 アンナのことは僕が必ず守る。


 ライがそう言って去って行った。

 アンナは体が固まったまま動けないでいる。


「アンナ、大丈夫 ?」

「大丈夫じゃないみたい・・・」


 ライは二十二才だと言っていた。

 こちらではアンナの方が七つ年下だ。

 だが、前世の年齢を足すとなんと五十才も下。

 この年齢差はもはや犯罪ではないだろうか。


「ねえ、アンナってもしかして恋愛経験ないの ?」

「その言い方だとエリカは経験豊富みたい」

「安心して。あたしお見合い結婚だったから」


 告られたことないし、彼氏いなかったし、おばさんが連れてきた人と適当にお見合いして結婚したのよ。


「でも、あたしたちの時代って都会はともかく、田舎なんてそんなもんじゃない ? バスが一時間に一本あるかないかの田舎よ。恋愛なんて少女マンガの中だけの話だって思ってたし。テレビドラマだって恋愛ものよりファミリー物のほうが多かったよね」

「そういえば、わたくしの田舎もそんな感じだったわ」

 

 転機は小学校三年生の時。

 東京のバレエ団の先生の家に下宿を許されたこと。

 才能のある子には下宿代も生活費も取らずにお稽古をつける。

 その代わり学費やコンクールやお舞台は有料。

 実家の親はもちろん、祖父母も協力してくれた。

 地域の人たちも募金箱を作って応援してくれた。

 そうやって世界に羽ばたいていったけれど、結婚だけは別だった。

 二十歳になったとたんに年上の幼馴染と籍を入れさせられた。

 恋愛などする暇はなかった。


「と言っても夫はその時は研修医になったばかりでね。忙しくってすれ違いの生活。嫌いじゃなかったけれど、愛していたかって言われたら違うかしら」

「わかるわかる。大切にしてくれてるのはわかるし、こちらも頑張って働いて稼いで来てくれるのはありがたいし、何より子供たちの良い父親だったわ。それに自分も疲れてるだろうに、皿洗いとかお風呂洗いとかしてくれた。父親の自分が家事をするところを見せないと、息子たちの教育に良くないって・・・」


 だから、俺の分の家事を残しておいてくれよ。

 休みの日は一緒に洗濯物を干そう。

 子供たちの誕生日ケーキを焼こう。

 家族そろって大掃除とお節作りをしよう。

 

「エリカ ?」


 いつの間にか涙が零れていた。


「大好きだったわ。尊敬もしていた。年が少し離れていたから、自分が死んだらお前のことが心配だって。安心させたくて働くことにしたのに、まさかあたしが先に死んじゃうなんて思わなかった」


 アンナがエリカにハンカチを渡す。

 エリカの涙を拭うにはとても足りなかったけれど。


「いいわね、エリカは。たくさん思い出があって」

「アンナはないの ?」

「うん、ほとんどない」


 強制的に籍を入れられ、結婚式も披露宴もなかった。

 そのころには海外のバレエ団でも客演したりとかなりの高収入だった。

 村から初めて医者が生まれるということで、高額な学費の肩代わりの意味もあった。

 自分も村からの支援でここまで来たのだから、断れるはずはなかった。

 しかも夫も自分も勉強や舞台で忙しかった。

 なんとか自分の舞台に合わせて海外にいったのが新婚旅行。

 ゆっくり話せるようになったのは第一子を身ごもってから。


「でも彼、娘の顔を見る前に病気で逝っちゃったのよ。だから、思い出なんて全然ないの」

「そっか、それは辛いね」

「エリカと同じよ。尊敬はしていても、恋だの愛だのって感情はなかったわ。だからいろんな演目のヒロインの気持ちが理解できなかった」


 誰かを好きになる気持ちがわからなかった。

 映画を見たり恋愛小説を読みまくったりしたけれど、それでも完全にはわからなかった。

 

「一生懸命に演じていたけれど、恋する気持ちって最後までわからなかったわ。だから、ライがなんであんなことしたのか・・・」

「そりゃ、アンナのことが大事だからじゃない ?」


 でも、そんなそぶりは全然みせなかったわよねと反論するアンナ。


「え、彼、ずっとアンナのことばかり見てたじゃない。おしゃべりしない分アンナのこと気にかけていたし。気づかなかった ?」

「・・・全然気がつかなかった」

「うわっ、かわいそ。あんなにアンナのことが好きだってアピールしてたのに」


 気づかれないアピールはアピールじゃない。

 しかしエリカの話が本当だとすると、あのギュッは別に唐突な行動でもなんでもなくて、彼の中ではそれなりに筋道の通ったものだったのだろう。


「てもっ、いきなりギュッはないと思うのよ。せめて手をつなぐとか、指切りとか !」

「手、握ってたじゃない。立ち上がる時ちゃんと手を差し出してくれてたでしょ ?」


 そう言われてみればそうなのだが、ただのマナーだと思っていた。


「しっかりしてよ、アンナ。ちょっと抱きしめられただけじゃない。キスされた訳でも押し倒された訳でもないんだし」

「ライはそんなことする人じゃないわっ !」

「じゃあ良いじゃない。大体バレエだって男の人に支えてもらったり密着して抱きかかえられたりってあるでしょ ?」

「パ・ド・ドゥをお触り放題みたいに言うのはやめて。演技だもの。そういう感情なんてまるでないって」

 

 感情はなくても演技は出来る。

 愛はなくても夫婦にはなれる。

 前世で学んだことだ。


「ねえ、エリカはどうなの ? ファーのことどう思ってる ?」

「それが、ね。うん、なんか、良いかなって思う。一緒にいると楽しいし、ずっとおしゃべりしていたいって思う。そう言うアンナはどうなの ?」


 エリカに言われて胸に手を当てて思い出してみる。

 寡黙な振りはしているけれど、見たことのないお菓子には目を輝かせ、エリカたちの会話に入りたそうにしている。

 それが面白くて見ていて飽きない。

 息が合うというか、お茶を飲むタイミングやちょっとした動きが、なぜかピッタリとあう。

 横にいても全然負担ではない。

 むしろ隣にいるのが当たり前に感じている。


「ねえ、エリカ。わたくしたち、前世では夫がいて出産して、相手は一人だけどそれなりに経験はしているのよね」

「う、あからさまに言うと確かにそうね」


 せっかく転生したんだからその辺は忘れようよとエリカは顔を赤らめる。


「女として一人前の筈なのに、なんだか負け組というか、ねえ、わかる ? この気持ち」

「わかる。なんていうか、あれよね。前世じゃ普通に結婚、妊娠、出産、子育てしてきたけれど、その根幹となる恋愛はしたことがなくって、実はあたしたち、恋愛初心者なのよね」


 前世と合わせて七十余年。

 初めて出会った恋心っぽいもの。


「これであの二人がハニートラップだったら、軽く死ねると思わない ?」

「その時はわたくしの田舎に二人で逃亡しましょう。和食、あるわよ」


 わたくしは跡取り娘だから、婿養子を取らないといけないの。相手が見つかるまで領地経営手伝ってね、とお茶道具を片付けながらアンナが言う。

 それも素敵ね。アンナの実家からお嫁に行くのもいいかも。

 もちろんあの二人が誠実な人間であることを祈るけど。

 窓の外が赤く染まり始める。

 二人は急いで洗濯物を取り込み、夕食の支度を始めるのだった。



 翌日の昼過ぎ。

 ファーとライが裏口を叩く。

 ドタドタという足音がしてメイド姿のエリカが現れた。


「入って。誰か外にいた ?」

「いや、見られないように来たから。どうしたんだ、バタバタして」

「夜逃げの準備。想定外の出来事があったの」


 二階から半分顔を出してアンナが呼ぶ。


「いらっしゃいませ。上がってきて。下で話すと誰かに聞かれるかもしれないから」

「急いで、お願い」


 冒険者二人はエリカに促されて急いで階段を上る。

 昨日初めて入った少女二人の家は、砂糖の甘い匂いがした。


「夜逃げって、一体何があった。想定外ってなんだよ」


 自習室だという飾り気のない部屋に招かれ、いつものようにお茶を出される。

 エリカとアンナの顔が強張っている。


「食材が届かなかったの」

「食材 ?」

「毎朝届けられる食材よ。あたしたちはそれで三食自炊をしているの。でも、今朝どんなに待っても来なかった」


 食べる物がなければ二人は飢えるしかない。

 

「それだけではないの。今日と明日は授業のある日なんだけど、先生たちも来なかったわ。なんの連絡もなしに」

「あたしたちは教育を受けながら一年間ここで過ごす予定なの。だから先生が来ないってことはありえないのよ。ましてご飯が来ないなんて、絶対おかしい」

 

 少女たちは昨日の鎧の訪問者から何かしらの考えに至ったらしい。

 二人に挙手をしてくれと頼む。


「誓って欲しいの」

「何を」

「あなたたち、宗秩省そうちつしょうの放ったハニートラップ要員じゃないわね ?」


 ハニートラップとはなんだと聞くと、恋人になって秘密を聞きだしたり没落させたりする手口だという。


「なんで俺たちがそんなことしなくちゃいけないんだ。つか宗秩省そうちつしょうがどうしてそんなことをする必要があるんだ」

「じゃあ、違うのね ? 色恋沙汰でわたくしたちを脱落させようとしているんじゃないわね ?」

「僕はアンナにそんなことはしないっ !」


 いつもは口数少ないライが机をドンっと叩いて否定する。

 少女たちは顔を見合わせて頷き合う。


「これを見て」


 ファーは二人から手渡された封筒を受け取る。

 その封蝋の紋章には見覚えがあった。

 中の手紙を見て今度は二人が顔を見合わせる番だった。


「あんたたち、皇太子妃候補だったのか !」

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