第17話 遠き夢求む意思

 セットの崩れた振り乱した髪。前髪の合間から見える魔力核はひびが入り、理性が残りながらもアイスブルーを湛えた瞳。所々破れ切り裂かれた服に。


「……っ!!」


 左の膝下、破れたスラックスから覗く荒削りな氷柱。あるべき足はそこに無く、それが指し示す事実の傷ましさに思わず目を逸らす。

 けれど此処にヤナギがいるということは、僕の代わりにあの場所へ留まったアイツらが敗れてしまったということで。


 動悸を抑えるために、口いっぱいに息を吸い込んで、飲み込む。


「お前ら、早苗サナエに何をした?」


 黙ったまま再度振り向くなく心を落ち着けていると、低く、重苦しく、圧を感じる声。続いてがり、がり、と削れる氷の音と交互に鳴る足音。美しさと儚さを兼ね備えた景色に、早苗先生の心象世界にはどこまでも似合わない音だった。


「ご覧の通り何も? むしろ私たちは今、早苗先生の暴走を止めようとしてるだけなんだけれど」

「ハッ、どうだか。……口ではなんとでも言えるだろ。なぁ、成瀬ナルセ


 絢香アヤカを通り越して、僕に視線が注がれているのが判る。そこに乗せられている感情のどす黒さは、目を合わせなくても肌で感じとれた。


間遠マトウ八橋ヤハシも、三守ミカミをも。置いて逃げた臆病者が」


 ハッと嘲るような吐息とともに吐き捨てられた言葉に、すっと目を閉じる。フラッシュバックするように、まぶたに鮮明に映る姿。


『僕達、七海ナナミんの友達だしねー』

『幼馴染を助けるのに理由は要らないだろう』

『俺たちは俺たちのために戦うんだ。……お前はお前の——』


「……あんたに言われる筋合いはない」


 だからこそ、そう言い切る。

 アイツらは僕を信じて、僕もアイツらを信じている。その証として、やるべきことを、なすべきことを成すんだ。

 じっと見据える茨の群れの中心、頭を抱えながらも焦点定まらぬ目を僕らに向ける早苗先生。


「絢香、確認だ。魔力核から魔力の供給が止まればいいんだな」

「その通りよ」

「……お前ら、早苗に手を出すつもりか」


 柳の声に、ざわり、と茨が揺れ動き、早苗先生の体躯がぴくりと反応する。背中合わせの身体からこわばりを感じて無意識にダガーを握りこむ。


 痛いほどに長さを感じる静寂の後。


 臨戦態勢を取る絢香に代わって口を開く。


「あんたにとってはそうかもしれないな」

「っ、クソガキが……ぁ!!」


 荒げられる声が響いた途端、寒気がした。気のせいなどではなく、周囲の空気が急激に冷え込んでいる——柳の、魔力だ。


「七海」


 ぱきぱき、と芝生に霜が降りて凍り付く音が聞こえる中、囁くように密かな声。


「柳先生は、あたしが引き受ける」

「……頼めるか」

「ただ、余力を使い切ってもたぶんそう長く時間は作れない。持って三分、ってとこかな?」


 なるべく明るい声音で言っているんだろう。それでもその言葉が微かに震えているのが分かってしまった。ほんの少しだけ体重を預けるように後ろに倒れて、その体温を確かめる。


「安心しろよ」

「……何がよ」

「三分も要らない」


 見えないだろうけれど、ニッと笑みを作ってみせる。それでもきっと絢香には伝わるはずだし、こういう空元気ってのは大事だろ?


「早苗先生は、僕が必ず止めるから」

「っふふ、言ってくれるじゃん?」


 一歩踏み出したんだろう、背中のぬくもりが離れる。同じように一歩踏み出して、見据える早苗先生。微かに動いているその唇に、確信を持った。


「〈潰えぬ魂のきらめき〉」

「……全力でいくから」

「——早苗は、早苗だけは」


 一層濃く膨らむ、アイスブルーの魔力を背に、半歩引く足。ごくりと唾を飲んでから、眼を見開く。


「俺が守る!!」

「〈炉火ろか純青じゅんせい〉!」


 広がる冷え冷えとした空気を遮断するように放たれる高熱。その衝突から逃げるみたく全力で駆け出した。

 虚な翠の瞳が僕を捉える。叩きつけるようにしなる蔓を右左、飛び込み前転回避。勢いを殺さずに再度走り出す。


「〈飛雪千里〉!」

「〈荊棘叢裏Image_No.13〉」

「――うわっ!?」


 突如として目の前を阻む、背丈ほどある荊の生垣。シールドを構えて激突を回避、正面突破が無理なら、横から行くしか!


「〈舞い踊れ〉!!」

「〈咲き誇れ〉」


 サイドステップ、生垣を避けて早苗先生を目視で確認する。

 遠く砕ける氷の音、雪の降る勢いが増す。淡く青を纏った焔の雪が紛れ、茨の蔓を燃やしていく。


「〈雨露うろ霜雪そうせつ、降りしきれ〉!!」

「〈鬼火よかすめ〉!」


 響く詠唱。現れた幻影に、分散する荊の攻撃。広くなる行動範囲の中、最も良い位置取りはどこだ?


「〈桃弧棘矢Image_No.11〉」


 生成される荊棘の矢。焔の雪がその絶対数を減らすものの、完全に全てを燃やし尽くすことはできない。


「はァッ!!」


 こっちを向く矢尻をシールドで受け弾く。ダガーで蔓を捌き蹴散らしながら、目的位置へ進む。

 荊を押し退けながら矢を盾で受ける。足払いをかける蔓を飛び越え、ダガーで薙ぎ払ったその時。


「な、ぁ」


 パキ、と罅が入るラウンドシールド。


 回し切りながら視線だけ走らせれば、ほんの少しふらつく絢香の背。これだけ魔術を展開すれば、一つ一つが脆くなるのも道理。


「はぁ、はぁ……ッ!!」

(でもあと少し、少しだけ!!)


 一人一人と消える幻影。蹴散らす茨の群れの隙間から割り出した、ただ一本の道筋。


(ここから――!!)


 最後の力を振り絞って最大のストライド、最速のスプリントで詰める距離。


 正面、見据える早苗先生。予備動作なし、いける。

 進行方向、茨を押し退けて割れる盾。腕を、足を、掠める棘が皮膚を裂く。鋭い痛みが、疲弊した足が留まろうとする。

 でも、この機会を逃せば一生後悔する!!


 足元、密度極まって生い茂る茨を前に。

 全速力を乗せた踏み切り。


「七海!!」


 その胸元目掛けて跳び上がって。


「さなえ――!!」


 ダガーを逆手に持って両腕を開く。


「早苗先生!!」


 名を呼べば、バッと視線がかち合う。その両目にはしっかりと僕が映って。





















 咄嗟とっさに開かれたその両腕に――ぎゅっと抱きとめられて。

 僕もぎゅうと、抱きしめ返した。





















「さなえせんせい」


 もう一度名前を呼べば、再度、ぎゅっと力強く抱き寄せられる。

 度々止まる攻撃。頭を抱える仕草。そして柳が名前を呼んだ時の微かな唇の動きで確信した。


キョウ、ちゃん』


 オーバーフローによる暴走に、早苗先生は抗っている。そして僕を傷つけたとき、名前を呼んだときに強く意識が戻ることに。


「僕は、ずっと、きっとこれからも」


 だから、きっと抱きとめてくれると信じていた。早苗先生なら、絶対に。


「早苗先生のことが大好きです」


 そっとダガーの刃先を、うなじの方へ向けて――髪に隠れる硬い魔力核へと押し当てる。アンチ魔力術式がぱき、ぱき、と割れる音が響いて。


「……私も、七海ちゃんのことが大好きよ」


 耳元で、優しい声が聞こえた。


「知らないうちに、強くなって……成長、していたのね……」


 やわやわと撫でられる頭。その手つきがどこか懐かしくさえ感じて、鼻の奥がツンとする。

 すう、と霧散して消えていく茨と、いつのまにか元に戻っていた景色。ぼんやりとした灯りが、殺風景な地下駐車場を照らしていた。


「っ、あ」

「先生!?」


 崩れ落ちるように離れた温もりに、咄嗟に支える。急激にチカラが抜けているらしい、僕の肩を掴む手が震えていた。


「七海ちゃん、柱のところまで……お願いできるかしら」

「……はい」


 視線で指し示されたコンクリートの支柱。ダガーを鞘に戻し肩を貸して、その側まで運んでからゆっくり背を預けさせる。

 腰を下ろした早苗先生は、そっと僕の腕を押し戻す。そのまますっと手を離して立膝で目を合わせていれば、ふふ、と柔らかな笑みを浮かべられた。


「七海ちゃん、有難う。私を止めてくれて、私を助けようとしてくれて」


 優しい緑色の目が細められる。すう、と指で撫でられる頬がくすぐったくて、ほんの少しだけ笑みが溢れた。


「強くて優しい、私の子。あなたならきっと、夢を掴めるわ」

「せん、せい……」


 トントン、と背後から肩を叩かれて振り返り立ち上がれば、いつの間にか側に来ていた絢香だった。赤かったはずの瞳が、まるで高温の炎のような青色に染まっている。


「絢香ちゃん」

「はい」

「……後は、よろしくね」

「――っ。……行くよ、七海」

「待て」


 響いたその声に、ゆるゆると視線を向ける。未だ絶えず冷気を発し、敵意を剥き出しに睨む目。


「武器を取れ、成瀬七海」


 ざり、と氷の足が音を立てる。それに反応し臨戦態勢をとる絢香を手で制して、一歩前へ出る。


「まだ戦いは終わっていない」

「いいえ、終わりました。もう此処に、僕が武器を取る理由はない」

「俺はまだ戦える、お前を歩みを止めてやる!!」


 まるで激情の塊のような叫びに、じんと身体の芯が痺れたみたいだった。今までに柳とこんなに感情をぶつけ合って、会話をしたことはなかったから。


 息を吸って、吐いた。


 告げるべき言葉は、決まっている。


「だとしても。僕はあんたとこれ以上やり合う気はない」


 きっぱりと言い切る。どれだけの敵意も害意も、介すことはしない。

 僕があんたに言いたいのは、ただ。


「今まで有難うございました、柳先生・・。どうしようもなくあんたの授業は大嫌いでしたが、……それでもあなたが他ならぬ僕の師でした」


 すっと頭を下げ、お辞儀を一つ。


 魔力が見えなくても、神秘が見えなくても。自分の身を守り戦う術を教えてくれたのはあんたで。

 早苗先生の小さな差異に気がつけたのも、こうして最後までここに立っていられるのも、ひたすらに考えぬき貪欲に技術と動きを吸収させられたあの地獄の日々魔術学の授業があったからだろう。


「……っ!」


 ゆるりと顔を上げていけば、茫然と立ち尽くしたまま目を見開く柳。そしてチカラが抜けたように、無言で膝から崩れ落ちる。

 その様子を見たくなくて、僕はさっと踵を返して、歩き出した。


 眠るかのように目を閉じて柱に凭れ掛かる早苗先生。その口には微笑が浮かぶ。

 その横を通り過ぎ、まっすぐ目指すのはこの場所にただ一つのエレベーター。先んじて歩いていた絢香が上向き三角のボタンを押せば、ポーンという音と共に開く扉。


 二人で乗り込み、最上階示すアールのボタンを押して閉のボタンを押す。


「『上ヘ参リマス』」


 無機質な音声案内が響き、閉じていく扉。段々と狭くなる地下駐車場の景色が消える、その最後。




 地を這いながら地面を殴る柳の顔元から、きらりと落ちる涙が見えた。

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