第17話 遠き夢求む意思
セットの崩れた振り乱した髪。前髪の合間から見える魔力核は
「……っ!!」
左の膝下、破れたスラックスから覗く荒削りな氷柱。あるべき足はそこに無く、それが指し示す事実の傷ましさに思わず目を逸らす。
けれど此処に
動悸を抑えるために、口いっぱいに息を吸い込んで、飲み込む。
「お前ら、
黙ったまま再度振り向くなく心を落ち着けていると、低く、重苦しく、圧を感じる声。続いてがり、がり、と削れる氷の音と交互に鳴る足音。美しさと儚さを兼ね備えた景色に、早苗先生の心象世界にはどこまでも似合わない音だった。
「ご覧の通り何も? むしろ私たちは今、早苗先生の暴走を止めようとしてるだけなんだけれど」
「ハッ、どうだか。……口ではなんとでも言えるだろ。なぁ、
「
ハッと嘲るような吐息とともに吐き捨てられた言葉に、すっと目を閉じる。フラッシュバックするように、
『僕達、
『幼馴染を助けるのに理由は要らないだろう』
『俺たちは俺たちのために戦うんだ。……お前はお前の——』
「……あんたに言われる筋合いはない」
だからこそ、そう言い切る。
アイツらは僕を信じて、僕もアイツらを信じている。その証として、やるべきことを、なすべきことを成すんだ。
じっと見据える茨の群れの中心、頭を抱えながらも焦点定まらぬ目を僕らに向ける早苗先生。
「絢香、確認だ。魔力核から魔力の供給が止まればいいんだな」
「その通りよ」
「……お前ら、早苗に手を出すつもりか」
柳の声に、ざわり、と茨が揺れ動き、早苗先生の体躯がぴくりと反応する。背中合わせの身体からこわばりを感じて無意識にダガーを握りこむ。
痛いほどに長さを感じる静寂の後。
臨戦態勢を取る絢香に代わって口を開く。
「あんたにとってはそうかもしれないな」
「っ、クソガキが……ぁ!!」
荒げられる声が響いた途端、寒気がした。気のせいなどではなく、周囲の空気が急激に冷え込んでいる——柳の、魔力だ。
「七海」
ぱきぱき、と芝生に霜が降りて凍り付く音が聞こえる中、囁くように密かな声。
「柳先生は、あたしが引き受ける」
「……頼めるか」
「ただ、余力を使い切ってもたぶんそう長く時間は作れない。持って三分、ってとこかな?」
なるべく明るい声音で言っているんだろう。それでもその言葉が微かに震えているのが分かってしまった。ほんの少しだけ体重を預けるように後ろに倒れて、その体温を確かめる。
「安心しろよ」
「……何がよ」
「三分も要らない」
見えないだろうけれど、ニッと笑みを作ってみせる。それでもきっと絢香には伝わるはずだし、こういう空元気ってのは大事だろ?
「早苗先生は、僕が必ず止めるから」
「っふふ、言ってくれるじゃん?」
一歩踏み出したんだろう、背中のぬくもりが離れる。同じように一歩踏み出して、見据える早苗先生。微かに動いているその唇に、確信を持った。
「〈潰えぬ魂の
「……全力でいくから」
「——早苗は、早苗だけは」
一層濃く膨らむ、アイスブルーの魔力を背に、半歩引く足。ごくりと唾を飲んでから、眼を見開く。
「俺が守る!!」
「〈
広がる冷え冷えとした空気を遮断するように放たれる高熱。その衝突から逃げるみたく全力で駆け出した。
虚な翠の瞳が僕を捉える。叩きつけるようにしなる蔓を右左、飛び込み前転回避。勢いを殺さずに再度走り出す。
「〈飛雪千里〉!」
「〈
「――うわっ!?」
突如として目の前を阻む、背丈ほどある荊の生垣。シールドを構えて激突を回避、正面突破が無理なら、横から行くしか!
「〈舞い踊れ〉!!」
「〈咲き誇れ〉」
サイドステップ、生垣を避けて早苗先生を目視で確認する。
遠く砕ける氷の音、雪の降る勢いが増す。淡く青を纏った焔の雪が紛れ、茨の蔓を燃やしていく。
「〈
「〈鬼火よ
響く詠唱。現れた幻影に、分散する荊の攻撃。広くなる行動範囲の中、最も良い位置取りはどこだ?
「〈
生成される荊棘の矢。焔の雪がその絶対数を減らすものの、完全に全てを燃やし尽くすことはできない。
「はァッ!!」
こっちを向く矢尻をシールドで受け弾く。ダガーで蔓を捌き蹴散らしながら、目的位置へ進む。
荊を押し退けながら矢を盾で受ける。足払いをかける蔓を飛び越え、ダガーで薙ぎ払ったその時。
「な、ぁ」
パキ、と罅が入るラウンドシールド。
回し切りながら視線だけ走らせれば、ほんの少しふらつく絢香の背。これだけ魔術を展開すれば、一つ一つが脆くなるのも道理。
「はぁ、はぁ……ッ!!」
(でもあと少し、少しだけ!!)
一人一人と消える幻影。蹴散らす茨の群れの隙間から割り出した、ただ一本の道筋。
(ここから――!!)
最後の力を振り絞って最大のストライド、最速のスプリントで詰める距離。
正面、見据える早苗先生。予備動作なし、いける。
進行方向、茨を押し退けて割れる盾。腕を、足を、掠める棘が皮膚を裂く。鋭い痛みが、疲弊した足が留まろうとする。
でも、この機会を逃せば一生後悔する!!
足元、密度極まって生い茂る茨を前に。
全速力を乗せた踏み切り。
「七海!!」
その胸元目掛けて跳び上がって。
「さなえ――!!」
ダガーを逆手に持って両腕を開く。
「早苗先生!!」
名を呼べば、バッと視線がかち合う。その両目にはしっかりと僕が映って。
僕もぎゅうと、抱きしめ返した。
「さなえせんせい」
もう一度名前を呼べば、再度、ぎゅっと力強く抱き寄せられる。
度々止まる攻撃。頭を抱える仕草。そして柳が名前を呼んだ時の微かな唇の動きで確信した。
『
オーバーフローによる暴走に、早苗先生は抗っている。そして僕を傷つけたとき、名前を呼んだときに強く意識が戻ることに。
「僕は、ずっと、きっとこれからも」
だから、きっと抱きとめてくれると信じていた。早苗先生なら、絶対に。
「早苗先生のことが大好きです」
そっとダガーの刃先を、うなじの方へ向けて――髪に隠れる硬い魔力核へと押し当てる。
「……私も、七海ちゃんのことが大好きよ」
耳元で、優しい声が聞こえた。
「知らないうちに、強くなって……成長、していたのね……」
やわやわと撫でられる頭。その手つきがどこか懐かしくさえ感じて、鼻の奥がツンとする。
すう、と霧散して消えていく茨と、いつのまにか元に戻っていた景色。ぼんやりとした灯りが、殺風景な地下駐車場を照らしていた。
「っ、あ」
「先生!?」
崩れ落ちるように離れた温もりに、咄嗟に支える。急激に
「七海ちゃん、柱のところまで……お願いできるかしら」
「……はい」
視線で指し示されたコンクリートの支柱。ダガーを鞘に戻し肩を貸して、その側まで運んでからゆっくり背を預けさせる。
腰を下ろした早苗先生は、そっと僕の腕を押し戻す。そのまますっと手を離して立膝で目を合わせていれば、ふふ、と柔らかな笑みを浮かべられた。
「七海ちゃん、有難う。私を止めてくれて、私を助けようとしてくれて」
優しい緑色の目が細められる。すう、と指で撫でられる頬がくすぐったくて、ほんの少しだけ笑みが溢れた。
「強くて優しい、私の子。あなたならきっと、夢を掴めるわ」
「せん、せい……」
トントン、と背後から肩を叩かれて振り返り立ち上がれば、いつの間にか側に来ていた絢香だった。赤かったはずの瞳が、まるで高温の炎のような青色に染まっている。
「絢香ちゃん」
「はい」
「……後は、よろしくね」
「――っ。……行くよ、七海」
「待て」
響いたその声に、ゆるゆると視線を向ける。未だ絶えず冷気を発し、敵意を剥き出しに睨む目。
「武器を取れ、成瀬七海」
ざり、と氷の足が音を立てる。それに反応し臨戦態勢をとる絢香を手で制して、一歩前へ出る。
「まだ戦いは終わっていない」
「いいえ、終わりました。もう此処に、僕が武器を取る理由はない」
「俺はまだ戦える、お前を歩みを止めてやる!!」
まるで激情の塊のような叫びに、じんと身体の芯が痺れたみたいだった。今までに柳とこんなに感情をぶつけ合って、会話をしたことはなかったから。
息を吸って、吐いた。
告げるべき言葉は、決まっている。
「だとしても。僕はあんたとこれ以上やり合う気はない」
きっぱりと言い切る。どれだけの敵意も害意も、介すことはしない。
僕があんたに言いたいのは、ただ。
「今まで有難うございました、柳
すっと頭を下げ、お辞儀を一つ。
魔力が見えなくても、神秘が見えなくても。自分の身を守り戦う術を教えてくれたのはあんたで。
早苗先生の小さな差異に気がつけたのも、こうして最後までここに立っていられるのも、ひたすらに考えぬき貪欲に技術と動きを吸収させられたあの
「……っ!」
ゆるりと顔を上げていけば、茫然と立ち尽くしたまま目を見開く柳。そして
その様子を見たくなくて、僕はさっと踵を返して、歩き出した。
眠るかのように目を閉じて柱に凭れ掛かる早苗先生。その口には微笑が浮かぶ。
その横を通り過ぎ、まっすぐ目指すのはこの場所にただ一つのエレベーター。先んじて歩いていた絢香が上向き三角のボタンを押せば、ポーンという音と共に開く扉。
二人で乗り込み、最上階示すアールのボタンを押して閉のボタンを押す。
「『上ヘ参リマス』」
無機質な音声案内が響き、閉じていく扉。段々と狭くなる地下駐車場の景色が消える、その最後。
地を這いながら地面を殴る柳の顔元から、きらりと落ちる涙が見えた。
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