第03話 忘れじの言葉共

(『君は――)


 頭の中で、声が聞こえた。


(『君は――魔術を使うことって、できているかい?』)

「……っあ」


 ずきん、とこめかみに痛みが走る。手から離れた指輪が、ころりと音を立てる。


(『仕事内容は、『いや、探偵見習いって『御影市に潜む謎を、解き明かしに来『矢張り、君もなの『その通りExactly『我が弟子はちゃっかりして『もしかして、アルバイトは『全く、扉と言うものは――)


「七海君!!」

「は……」


 店主の声が、遠い。耳鳴り。くらくら、眩暈めまい


「! ……お前は」

(『ナナミ君』)

「ほら、吸って、吐いて――しっかり呼吸をするんだ」


 呼吸。吸う、吐く。吸う、吐く。


(――ものは存在しないのだからね』所によって雰囲気が違うみたいだね』短剣それで斬ってみてくれ』の方が綺麗だろう?』でない可能性もあると……?』分からないな、君の言う魔術学の先生とやらは』書探しでもしようかと思ってね』魔術講座はこれにて終了、かな』)


 頭が、ギンギンと痛い。後ろにふらついた身体、支える誰か。


「大丈夫、からね。ゆっくりでいい、思い出すんだ――」


 ああ、知っている。この声だ。柔らかい、少し低い、の在る声。


「は、い」

(『体調不良になった子が居たから、『そうです! てか、七海。新しく『なんだよ、じゃなーい。『それにしては遅かったねー?『ねぇ、絶対聞こえて――わかりましたよー……』眠れないのかなって』のそーゆーとこは尊敬するわ』と眠れなくなる。でしょ?』るものを信じればいいと思うよ?』)


 パキリ、と何かが砕け散る音を感じたような気がした。段々と、頭痛が治まっていく。ああ、そうだ、そうだった。


(『目の部分の魔封じの術は無事解けたみたいだね』)


 なんで、忘れていたんだろう。


(『誰の入れ知恵か知らんが、――利口な子は、面倒なんだ』)


 乱れていた呼吸も、思考も、大分だいぶ戻ってきた。今なら、ハッキリ理解わかる。僕が忘れていた人のことも、今現在を僕を支えてくれている人の事も。


「もう、大丈夫です。有難うございます」


 微かな花の香が、舞った。




「――師匠せんせい




 少しもたれ掛かった状態のまま、真上を向く。無造作に垂れた亜麻色あまいろの髪が、さらりと僕の頬を撫でる。真っすぐと合わせた視線に、くすぐったそうに眼が細められた。


「どういたしまして、我が弟子」


 顔に湛えられた柔らかな笑みは相変わらずで、それでいて久しぶりに見た感覚だった。本当にムカつくぐらいの良い顔をしやがって。

 肩に添えてくれていた手が離れ、しっかりと両足で立つ。うん、大丈夫だ。


「……いつから、其処そこに」


 低く、唸るような声だった。視線を向けると、眼つきを鋭くした店主が僕の背後を見つめて。


「お久しぶりです、店主殿。いえ、ついさっきですよ」


 底の知れない笑顔で、師匠せんせいが何事もなかったかのように対応をする。……確かに、つい今さっきまで僕と店主しか店内ここには居なかったはずだ。

 思うに、隠れていたんじゃないかと。


「そうか。……まあいい」


 問い詰めても無駄だと思ったのか、この手の性格の人は苦手なのだろうか、直ぐに視線は僕の方に向けられる。その目が少し見開かれたみたいだったのは、気のせいだろうか。


「七海君は、思い出したのかね」

「――はい」

短剣ダガーを買ったことも、か」

「それはもう、しっかりと」

「そうか」


 頷きながら、そう返す。

 例えるなら、そうだなあ。二時間映画を三十秒に圧縮して、無理矢理見させられて。かつその全てを理解させられた感覚だ。テストが終わった後のような、頭を使った後の独特の疲労感がある。


「……水、要るか?」

「え、あ。……できれば、頂きたい、です」

「持ってこよう」


 そのまま、くるりときびすを返して歩き出す店主。遠くなる背中を見て遅ればせながら、遠慮知らずにも素直に返してしまったことに気がついた。


「すみません、有難うございます!」


 大きめの声で言ったけど、ちゃんと聞こえたかな。

 でも多分、純粋に体調と、師匠せんせいと二人で話せるように気遣ってくれたんだろう。本当に、有難い限りだ。今のうちに散らかしたカウンターと記憶の整理をしとこう。


 そこで響くのは、間延びした声。


「――いやあ、昨日ぶりだねえ」

「……あ、そっか。昨日ぶりでしたっけ。……まあ、僕はそんな感覚じゃないですけどね」


 背を向けたままでも分かる、ちょっとだけ嬉しそうな声音だ。鞄の中に、順序立てて整頓しつつ荷物を入れていく。


「それはまあ、ね。気分はどうだい?」

「お陰様で、そこまで悪くはないです」

「無理は、しないように、ね。我が弟子は真面目すぎて無茶をするところがあるから、師匠せんせいは心配さ」


 そんな風な戯けた口調に、安心感があるのは何故だろう。でも、感動の再会なんてのに流されている場合じゃない。


「手間のかかる弟子ですみませんね。――ところで」


 思考を整理しつつ、僕は僕で知りたいことを尋ねなければ。


月花つきはな探偵事務所、無くなってましたね」

「そうだねえ。なくなっちゃった」

「……どこに住んでるんですか」

「うーん、それは今は言えない。秘密sercretだよ」


 住まいについては曖昧な答え、か。

 鞄に入れる物はこれで全部。あとは、これだけ。ワスレナグサの指輪を摘まむと、振り返って青い瞳を見る。 


師匠せんせい、お尋ねしたいことがあります」

「うん、何だい?」

「僕は」



「僕は――?」



 突きつける、指輪。先生の顔からは、笑みが消えていた。

 ワスレナグサの花言葉で、消えていた記憶を運よく思い出す、なんてこと普通じゃ有り得ない話で。師匠せんせいと出会って、魔術が見えるようになって、街に変な逸話があって。


「……怖いんですよ」


 指輪を摘む、指先が震える。

 順繰りに、予定調和のように発生する出来事イベント。悩んで、迷って、考えて、動いて、その挙動ひとひとつは本当に。


「まるでロールプレイングゲームのキャラクターみたいに、何かに、誰かに、いい様に操られている気がしてしまって」


 本当に――自分の意思なんだろうかと、急激に恐ろしくなる。



 少しの、静寂。



 師匠せんせいは長い指で指輪を摘むと。僕の左手を手に取って。



「ナナミ君は、ナナミ君だよ」



 人差し指に、そっと指輪をめた。


「君は、物じゃない。れっきとした人間ヒトで、選択する権利がある、選択を行う意思がある」

「……答えになってないです」

「ふふ、ごめんね。私はずるい大人だ」


 眉尻を下げてそう言う師匠せんせいを見ると、急に鼻の奥が、喉奥が、塩辛いような感覚がしてくる。それを知ってか知らずか、頭にポン、と師匠せんせいが手を乗せてきた。

 少し暖かくて、早苗サナエ先生よりも大きな手。


「私との出会いはね、ただ切欠triggerに過ぎないんだよ」

「……どういう意味、ですか」

「考えたこと、あるかな」


 一度言葉を区切ると、青い双眸で真っ直ぐと見射抜かれる。



何故why御影みかげにはこの、、ということを」



「――!」


 息が、一瞬、止まった。


「……なんとなく、予想がついたみたいだね」


 柔らかな声音に、頷いて返す。

 師匠せんせいと過ごした日々、魔術の知識、人々の言動。そこから導き出される一つの可能性に、ごくりと生唾を飲む。


(なんで、事実はこんなにも)


 唇を噛む。師匠せんせいが、優しく、それでいて無造作に頭を撫でた。


「理解ったと思うけれど、私は、これ以上表立って干渉することはできない。ただ、ナナミ君」

「はい」

「君が望むのなら、出来る限り尽力はするつもりだよ」

「……はい」

「更なる忘却も、見て見ぬ振りも、真実の探究も、全ては君が決めることだ。その上で、私は君に尋ねよう」


 僕の師匠せんせいは優しい。見放さないでくれる。選択できる可能性のそれぞれを提示してくれている。


 でも、共に残酷だとも思う。


 つまりそれは、選択肢のどれもをのだから。そしてそれはきっと、この世界も。


 真っ直ぐと視線を合わせながら、聴き慣れたその声が言葉を紡ぐ。


「ナナミ君、聞かせてくれるかな」






「君が、これからどうしたいのかを――」

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