違和

第01話 事実は小説より

「……ま、まさかぁ」


 口の端を持ち上げて、ようやく出せた言葉。店主はじっと視線を逸らすことなく見ている。僕を、ずっと。


「だって、僕にそんな覚えはな――」

「――。……

「っ!」


 胸の内側から、どんと殴られたみたいで。足の力が入らずに少し膝が笑った。店主の重苦しい声が、やけに耳の奥でエコーしていた。


 エアコンが、ゴーと空気を吐き出す音だけが聞こえる。


「本当に、ですか」

「嘘は好かん。……鞄の中に入っていなかったのか?」

「……えっと」


 短剣が、ってことだろう。さっき『珈琲ブラックアンド砂糖シュガー』で財布を取り出したときは。


(手を突っ込んで取り出したから、中身を見てない……!)


 その前に図鑑を入れたときは――って、鞄の中身を一々いちいち意識して見てないから覚えてない。


 まさか。本当に。いや、でも。


「鞄の中身、並べてみてもいいですか?」

「構わん」


 鞄を肩から外して、カウンターの上に置く。ファスナーを開けて、財布、カードケース、中身をひとつずつ取り出していく。

 キーケース、スマートフォン。借りた図鑑。

 予備バッテリーと、充電ケーブル。

 ティッシュ、タオル。


「――っ!!」

「やはり、な」


 一緒に鞄を覗いていた店主が言う。手に取ったタオルの下から出てきたのは、ベルトホルダー付きの。


(……短、剣)


 焦げ茶の鞘の収まった、短剣ダガー。そっと取り出してみると、中々に重かった。何で気が付かなかったんだろう。

 無言で手を差し出してきた店主に渡す。と、じっくりと現物を、中身を、あらためていって。

 最後に、ゆっくりと深く頷きが返ってくる。


「……紛うことなく、君の買った短剣ダガーだ」

「僕が、買った」


 買った覚えなんてないのに。


(焦げ茶◆◇鞘に◆ま◇た短◆。無◇で◆渡◇れ――)


 お前のものだ、手に取って見ろ。そう言わんばかりに差し出される短剣。おそおそる、慎重に受け取る。


(刀◆を抜く◇◆鈍◇に◆る――)


 つかさやをそれぞれ握り、反対方向に引っ張る。魔術陣が刻まれた刀身があらわになる。


(◆より少し重◇くら◆――)


 片手で柄を握って持ってみると、以前の杖と比べると少しばかり重さがあるみたいで。その感覚の全てが。


(『珈琲&砂糖』の、珈琲の香りとおんなじだ)


 身に覚えがあるような、そんな違和を感じさせるなんて。

 短剣を鞘にしまって、ゆっくりとカウンターに置く。


「三日前。僕が、これを買ったんですね」

嗚呼ああ。保証しよう」

「それなら、じゃあ」



「じゃあ、――!?」



 店主は何も言わずに、僕を見ていた。口を突いて出た言葉にハッとする。その普段より見開かれた目が、今までになく驚いているのを知らしめさせられる。


「す、みません……。取り乱しました」

「いや。構わん」


 店主に言ったって何か変わるわけでもないのに、馬鹿か僕は。落ち着け、落ち着け。深呼吸を。

 胸に手を当てて、呼吸を繰り返す。その様子を見て、何か店主は察したようだった。


「俺には分からないが。何か、あったのだろう?」


 それに、ゆっくりと、ただ頷きで返す。続く沈黙が、伺うような視線が、静かに説明を求めていた。


(振り返ってみれば、不可解なところはあったんだ)

「……寝込んでいた、って言いましたよね」

「ああ」

「それが、丁度三日前からなんです」

「……奇遇だな」

「でも、僕の記憶はしかないんですよ」

「ふむ。つまりは?」


 三日前から寝込んでいた。それはいい。意識が朦朧もうろうとしていて記憶がない。あるかもしれない。熱中症と風邪を併発していた。その可能性は無きにしもあらずだろう。


「四日前。具合が悪かった覚えも無いのに、僕は朝から寝込んでいたんでしょうか?」

「――確かにな」


 三日間の記憶全てが無いぐらいの重体だったのに関わらず、四日前に具合が悪かった記憶がないんだ。それに。


「原因は熱中症と風邪の併発と言われました」

「熱中症と風邪」

「はい。――確かに、熱中症は屋内でも発症する可能性のある病です。だからこそ、こまめな水分補給や扇風機を使うとか対策をしていて」


 僕らだけでなくチビッ子達も夏場の水分補給や体調のケアには敏感だ。手洗いうがい、遊んだ後の水分補給、夜間は風通しを良くして寝る、と徹底している。


「今までんですよ」

「……成る程な」

「じゃあ、三日前。僕が『壊れた神秘ここ』に来ているとするならば、いつから僕は寝込んでいたのでしょうか?」


 それを、僕は知らない。

 寝込み始めたのが三日前の朝なのか、昼なのか、深夜なのか。いつの時間帯からなのかすら、告げられていない。


「どんな状況下で、記憶を失って寝込むくらいの症状になったのか。その過程は?」


 早苗サナエ先生の説明にはが抜けている。


「全く、知らされていないのか」

「……はい」


 道端で倒れたなら、助け起こした人がいるだろう。家であったなら、血相を変えて誰かが他でもない早苗先生を呼びに行くだろう。

 僕が、病に倒れただろう時と場所。その一切合切の情報だけが足りていない。


「ふむ」


 そう一言だけ零すと、店主は視線を少し下げて考え込んでいるようだった。


「たまたま、伝え忘れた可能性は」

「個人的主観では、有り得ないかと」

「……そうか」


 僕から見た早苗先生は、ちゃんと知らせてくれた人にちゃんとお礼を言うのよ、ぐらい言って当然な人だ。まあ、普通に考えても、だ。


「記憶がおぼろげだと分かっているのに、どこまで記憶を保持しているのか確認しないのも変な話でしょう」

「確かにな」


 記憶。

 病の影響で無くなっているだけか、それとも消されているのか。どうにも、後者であるような、何か隠されている気がしてならない。


「……この三日間。僕は、何をしていたんでしょうね」


 知ってはならない、多分だけど、がいた。

 今日一日、色々な場面で感じた違和――記憶にない誰かを思い起こしているような感覚。ふと思い浮かぶくらいに僕の記憶に入り込んだそれを、思い出せないことがもどかしい。


 同時に、早苗先生が何故そんな振る舞いをしたのかが疑問でならない。


 あんなにも、心底安心した表情で『元気になってくれて本当に、良かったわ』って。目を伏せて、『二日間目を覚まさなかったときは、もうどうしようかと』って少し悲しそうな顔で臥せっていた僕を思い出していたあの先生の。


(どこまでが本当だろうか、なんて考えたくもないのに……!!)


 無意識に止めていた息を、吐く。

 ちゃんと疑念を払う為にも、しっかり聞いてみた方が良いな。絢香アヤカとかに寝込んでいたときのこと聞いたりもしてみるか。


(店主にはとんだ迷惑をかけてしまった)


「すみません、カウンター散らかしちゃって」

「いい。気にするな」

「本当、お騒がせしました。片付けま――」

「――いや、待て」


 仕舞おうと伸ばした手を、店主のゴツゴツとした手に止められる。その視線は僕でもカウンターに散らばった荷物でもなく。


「どう、しました?」



「まだ――鞄に何か入っているぞ」



 僕の鞄の中を、見つめていた。

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